2012/4/24

少し感覚が違うかも、と森さん  オウム・カルト・犯罪

少し感覚が違うかも、と森さん

以下は、昨日の下記野田君ブログの一部から
http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-731.html

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--滝本弁護士がちょ〜ど記事を書いていたので、徐さんとは関係ない森さんの話。
 森さんが「A3」で、「弟子が暴走した」と述べているが、そういう考えが可能であるのは、仏教的な見方から可能。しかし森さんがあの本で書いている内容だと、小生には全然分からない。まして況んや団体の外の人には、全く分からないだろう。それを森さんに伝えたら

「それは野田さんの読解力がないだけですよ。ちゃんとレセプターがどうこうって書いてますよ。アマゾンの書評でもちゃんと分かる人は書いてます。」

 事件が首謀者だけによるものではなく、構成員一人一人の心の働きであると認識することは重要。それと同じ事を、これから来るであろう時代の転換、それに伴う混乱が70億人類一人一人の心の働きにより起こされると小生は言っているわけだし(ぜいたくわがまま、って話)。
 しかし刑事事件制度では、どう転んでも麻原首謀者で、弟子全ての責任を合わせたよりも重い。
 お互いの観念が違うと、中々わかり合えないものですな。。。
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なんとそんなことがあったのですか。

1−野田君
>しかし刑事事件制度では、どう転んでも麻原首謀者で、
>弟子全ての責任を合わせたよりも重い。
このところが私の感覚と違うかも。


そう言いたい気持ちではあろうけれど。言ってもせんないことだけれど、私の感覚としては、責任を全体で100としたときに、うーん、麻原33、弟子全体34、その他社会全体33、です。

弟子全体の責任合計の方が麻原より重いというのは、
・「麻原」みたいな人は時に出るものであり、
・やはり付いていき、そこまでした弟子がいたからこうなったことが重い。
−マインド・コントロール、洗脳に拠るとはいえ、勧誘されても入らない人、自ら近づいていった人も多く、さらにヴァジラヤーナの実践となって逃げることのできた人もそれなりにいますよね。

その他社会全体と言うのは、警察、社会、家庭といった要因また対応方法全体という趣旨であり、これも付いていった弟子ら同様に、まともでなかったということです。
(なお、純粋被害者や社会一般かせ見れば、社会の責任合計なんて10以下だろうと思う、やったのは教団側なんだから。)

2−それにしても、森さんは、実際にオウム教団の幹部メンバーだった人に対して、「レセプターがどうこう」「アマゾンでもちゃんと分かる人は書いてます」と、よくも言えるんだな、実に不思議。

まあ、獄中にいる脱会している人から「違う」と言われても、そのままやりすごんだから不思議ではないのかも。
一体、何様なんだ、と思う。

なお、事件が教祖のみに拠るものではないこと、弟子も「よい人」だったのが「悪いことをする人」になり「悪い人」になったこと、そして相互作用−より正確には「殿様と家臣の共振現象」(C浅見定雄、1995)−で事件が起こされたこと、構成員らの「心の動き」によると言って良いでしょう、それは誰も争わない所。
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