最近よく思うことは、何か1つ行動を起こした結果が1以下にしかならないこと全般が馬鹿らしいってこと。
例えば、
『お腹がすいたからご飯を作って(行動)食べる、お腹いっぱい(結果)』
これもすでに馬鹿らしい、面倒くさい。
いや、実際はご飯も食べてるし、むしろ余計なお菓子とかも食べているけどさ、「食事って面倒くさい」って思いは数年前からちょこちょこあった。
だって、これじゃあ何も行動していない時と、プラマイのバランスが変わっていないんだよねぇ。
現状維持の行動と結果でしかないというか、充実感がないというか……。
やっぱり、どうせ行動するなら1つの行動で2つ3つの結果がついてくることをしたい。
これも例を出したいところだけど、あまりに主観的な上に馬鹿馬鹿しいから内緒……。でも、今でもやる気がすることの共通点は大概そう、1つで沢山の結果がついてきている出来事。
学生の頃は、ただの食事でも「楽しいことに繋がる過程」って感じの捉え方をしていて、
『お腹がすいたからご飯を作って(行動)食べる、お腹いっぱい(結果)これで不快感なくゲームできるぞヤッホーイ!(結果)』
とか、超単純に書くとこんな感じ。
今は大したことではなくても、自己完結で終わる趣味より、少しの時間でも他人も一緒に楽しんでくれる趣味の方がやりがいを感じる。
別に他人自体はどうでもいいんです、ボランティア精神なんて皆無です。
ただ、時間の使い方に自信がなくなった時、自分自身の内情は嫌ってぐらい分かっているので、何を考えているのかイマイチ分からない他人を利用したいだけね。
「楽しかった」と言われれば、鵜呑みにはできないもののちょっとは気分もよくなる単純ガールです。
自己完結で終わる趣味でも、明るい未来に繋がっていることなら(資格の勉強とか)結構充実感もあるんだけどね。もはや趣味ってより勉強になるのかな。
その場限りの満足というかな、次の利益(?)のようなものがない事、例えば
ただ単に絵を描くだけとか、フィクション小説を想像して書くってことには、やっぱり楽しさは感じられない。
「こんなことやってる場合じゃないんだよな」っていう重い気持ちになるばっかで、こうなっちゃもう趣味じゃないなぁ。
こういう文を不定期に書き続けるのも、未来の自分宛ての現状報告も兼ねていたりする。
こんな書き方してると「私って大人になのよ ふふーん!」って調子の、おねえキドリをしてるように読めなくもないけど、書き手の気持ちとしては、今がかなりつまらないんで学生時代の自己完結万歳だった頃が純粋に羨ましいよ。
主に遊びに対してだったけど、あの頃はやる気もあったし、こうも面倒くさがりじゃなかったんだよねぇ。
過去そのものに戻りたいとは思わないけど(同期と趣味合わなくてツマランってのも理由の1つ><)、過去の私単体は良かったな。
あ、ゲーム作成の趣味はまだ続いてます。
とりあえず、PLAYしてみたいって言ってる人がいるもんで……。