原付日本一周・旅の回想録について  1996〜97原付日本一周

この項は固定です。
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これから書く旅の話は、10年以上前の回想録です。

ホンダの「ベンリイCD50」という、原付バイクで日本を周った記録です。

過去の記録は、「記事カテゴリ」の「1996〜97原付日本一周」「1996〜97原付日本一周沖縄編」「1996〜97原付日本一周後半編」から見てください。

当時日記帳に書いたままを載せているので、現在進行形の形で記述しています。
そのため、2009年現在とは少し違っている所もあると思います。
その点はご了承ください。

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眼鏡橋
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2009/10/8


1997年5月28日

長崎へ入った。
僕の中から建築設計の方面へ進む意欲がかなり薄れてきたせいか、建築そのものの見方も以前より熱が入らなくなった。
金の無い旅のせいなのか?

写真も1枚1枚大事に撮らなくてはいけない。
フィルムを買う金さえないのだ。
でも金が無いからと言って心まで貧しくなる事は全く無い。


グラバー園へ。
小・中・高校の修学旅行生がわんさかといた。
軍服を着て、馬鹿デカいウエストバックをかかえ、ボロボロのハンチング帽をかぶった僕の姿は、彼らには異様に映っているかもしれない。

グラバー邸、リンガー邸、オルト邸と見た。
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さっと流す程度だ。
ここから長崎市街や長崎港が一面に見渡せて、すばらしい景勝地だった。

戦艦「武蔵」はここで生まれた。
港はとても狭く、進水した時に巨大な船体が一気に滑り出した為に、湾の水位が一時的に急増して、一部の家屋が床上浸水したというのもありうるなと思った。

次に大浦天主堂。
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現在も使われている教会のため、建物内部の撮影は禁止。
木造のリブヴォールトと、ゴシックの尖塔祭壇が美しかった。
大きさは横浜山手教会くらいだろうか。
記念にキーホルダーを買い、原爆の平和記念公園へ向かう。

市内には路面電車が走っていた。
そうそう、オランダ坂も行ったが、とんでもない急勾配で、20%の傾斜率だった。
1速でエンジンをうならせながら、石畳の坂をゴツゴツと上った。

長崎は丘の街だと思った。
いたるところ坂だらけ。

記念公園にもやはり学生団体がいた。
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僕の見た平和記念像の印象は、ふやけた美しくない造形物だなあという事だった。
何かの式典だったらしく、この像の前で、中学生らしき集団はリコーダーでパッヘルべるの「カノン」、そして合唱曲数曲。をやっている。いや、やらされていると言ったほうが良いのか?

ここにいると、自分は平和は願っているが、はたして心の底から平和とは何かを理解しているのか?と言われれば自信が無い。
原爆で被爆した人達の気持ちを想像はできても全てをリアリティをもって理解できるのかは難しい。

しかし、これだけは言える。
核兵器はとにかく使ってほしくない。
開発も生産もしてほしくない。

さて、次は浦上天主堂へ。
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二つの塔が建つ大きな聖堂だった。
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この時は、ここの信者さんの葬儀があるらしく、さらっとしか巡ることができなかった。
聖堂の中は、青い光で満たされていた。
ここにはオルガンがあるはずだが、エントランスの上なので全く見えなかった。

外には、原爆で吹き飛ばされた建物の一部が残されていた。
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キリスト教国のアメリカが、同じ信者のパイロットが操縦するB-29で、同志キリストの信者のいる長崎に原爆を落とすというのが、何とも無情に感じられた。

せっかく長崎に来たから、ちゃんぽんを食べた。
あとはひたすら走った。
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2009/9/21

連休  日々雑記

「シルバーウィーク」と誰がつけたか知らないが、いつの間にか呼ばれている今回の連休。
基本休みとか休憩大好き人間なので、こういうのは大歓迎です。
遠く離れた実家に帰ってきてひと休みです。

さて、今日はジムニーのタイヤをスタッドレスに交換しました。
まだ早いような気もするのですが、実家から離れた所に滞在しているため、交換の為に帰ってくるのはちょっと難しい。
今がチャンスです。

ナット外しは人力なので、けっこう体力使います。
16インチあるタイヤもそれなりに重い。

一仕事した気分です。(笑)

タイヤ交換の後のどら焼きと、梨が美味でした。
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2009/9/17

雲仙と島原へ  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月27日

飛行機公園みたいな所があり、セスナの実機が展示してあったので、見たくなった。
入場料100円を払う。

つい昨日まで飛んでいたのでは?と思えるほど生々しい展示機だった。
操縦桿やフットペダル、シートも動く。エルロンは軽く動いた。
エレベーターとラダー(フットペダル)はけっこうバネの力が強かった。
こんなに重いものなのだとは知らなかった。

この展示機はセスナT210型というらしい。
エンジン310馬力
最大速度378km(204ノット)
航続距離1728km時間にして6.5時間
パイロット1名、他5名計6名搭乗可能。

乗ってみた感触は、まさに空飛ぶ乗用車と言った感じ。
かなりの高級品と見た。

引き込み脚付きで、日本には10機ほど輸入されたそうだが、その中の一機がこれだとか。
窓はアクリル板だったがしっかりしているものだ。
車輪のブレーキはディスク式。
全長8.59m 幅11.2m 高さ2.95m 重さ1007kg

14:00
雲仙町 水無川。
土石流で埋まった家々が今もそのまま残る。
道からちょっと眺めただけでは、家が建っているだけにしか見えなかった。
バイクを止め、よく見てみると、一階部分が土砂で埋まり、二階部分は損傷も少なく、
今も人が住んでいるようにさえ見える。
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この辺りを歩いていると、地面は石ころと土砂だらけ、年数も経ってきているのでだいぶ固まっている。
掘り起こすのは困難だろう。
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流域周辺は活発に復旧工事が行われているが、それはあくまで道路など国や行政がらみの部分。
廃屋になった家の持ち主はどうなっているのだろう?
そして埋まったままの廃屋は今後どうなっていくのだろう?

それらを見下ろすかのように、普賢岳は堂々とした姿を見せている。

15:00
原城跡。
天草四郎時貞、他キリシタンが島原の乱の時に立てこもった城の跡だ。
辺りは草ぼうぼうで、ちょうど草刈をしている所だった。

本丸跡は意外と狭かった。
ここに、僅か14歳の敬虔なキリシタンの少年をたてて、2万7千人が88日間も立てこもっていたとは、何と言う団結力の強さか。

天草四郎の像の前で。
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天草四郎の墓(とされている墓石)
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2009/9/16

非常食喫食体験  日々雑記

非常食

地震の多い関東に住む人間には常備が必要と思われます。

しかし、これが本当に必要になるような非常事態にはまだ出くわしていませんが・・・

自分が非常用に興味本位で5年前に買ったフリーズドライのお餅パックが賞味期限の5年になったので、食べる事にしました。
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中身はこんな感じになってます。
ホテルのサービス石鹸位の大きさのお餅が10個と味付け海苔、粉末醤油と割り箸まで入っています。
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作り方はいたって簡単。
お水に3分浸すだけ。
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粉のカタマリのようだった物が、粘りのある餅に変わってきます。
食べれそうなくらいに戻ったら、取り出して粉末醤油をふりかけて海苔を巻いて、いただきま〜す。
んで、お味の方は・・・
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・・・んまあ美味い物ではないですが、非常時を考えたらまあ食べれない物ではない。
2食分となってすが、自分は1食分でも足りない・・・

かといって「長靴一杯食べたいよ」(Byアスベル)
とも思いませんけどね・・・

空腹感を減らす、最低限の保存食と考えるべきでしょう。

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2009/8/22

阿蘇のカルデラの町へ  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月25日

昨日にも増して寒かった。
足先が特に冷えた。
フライは結露でビッショリ。

旅をしていて、片時も頭を離れないのが金の事だ。
本当にヤバイ。

必要な物以外にはとにかく買わない。
しかし、土産や記念になる物も買えないと言うのはつらい。

とりあえず阿蘇の方へ進む。
阿蘇スカイラインは原付は100円。

途中、駐車場で火ノ神公園でキャンパーおじさんからもらったインスタントラーメンを作って食べた。
本当は菊地渓谷でキャンプしようと思っていたのだが、人があまりに多いし、値段も高そうだったのでやめた。

阿蘇スカイラインに入って、パッと展望が開けたらさすがに有名になるだけの事はあると思った。
カルデラの眺めは雄大だった。

学生の社会科の授業で、カルデラに人が住んでいると聞いて、火山に人が住むとは、なんて危険なんだと思った事があったけな。

しかし、その規模は半端ではなかった。
実に広大なカルデラだった。

そして大観峰に寄る。
人も多いがバイクもすごかった。
ズラリとバイクが並び、黒い革のつなぎを着た恐そうな人達が群れを成していた。
これを見て、自分はライダーではないんだなと思った。

山頂ではグライダーが乱舞していた。
ここで飛ばしたら楽しいだろうなあ。
自分もラジコンを飛ばしたくなる。

大観峰を後にして途中公衆浴場へ寄った。

川沿いを走っていたら、手頃な広さの河原があったので、そこにテントを張る事にした。

バイクを止めて、ふと後輪を見てギョッとした。
スポークが2本折れていた。

後輪を空回ししてみたが、リムのゆがみは感じなかった。
まだなんとか走れそうだが、早めに手を打たなくてはいけないな。

荷物が多すぎるのと、長距離を走り続けいているのとで、負担がかかったのだろう。
ベンリイ号にはすまない気持ちだ。

翌日、重量軽減のため、小包で不用品を家に送った。6.3kgあった。

佐賀市に入ってからカメラの予備フィルムが残り少なくなっている事に気付く。
今回の旅ではコダクローム64を使っている。
歴史もあるし、色の保存性が優れていると評判だったので。
貴重な記録にはこれかなと。

市内に、まだオープンしたてらしいカメラのキタムラがあった。
品揃えも豊富でもちろんコダクローム64もあった。
比較的安く補充できたので良かった。

道路標識に「長崎90km」とあった。
もうすぐだ。
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2009/8/22

熊本へ そして異変  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月24日

寒くて目が覚めた。
テントのフライシートの内側に結露。

今だ沖縄の感覚が残っていて、結露を見てあ、そうか本土だったんだと思い直す。
沖縄ではフライに結露するなんてことが無いからだ。

AM6:00。
天気予報では昼頃雨が降り、すぐにやむらしい。
ならば早めに出発して、次へ進もうと思い、撤収する。

本土はまだ少し寒い。
いや、沖縄が暖かいのか。
長袖とセーターを送り返さなくて良かった。

AM7:00頃には撤収も終わり出発。
目指すは熊本。
3号線を走っていたら、突然「バキッ!」と不気味な音がした。

「ん?なんだなんだ?」

慌ててバイクを道路の脇に寄せて、点検。

しかし、この時はどこがダメになったのか全く分らなかった。
走りに支障は無かったから、首をかしげながらも、そのまま順調に走った。

昼頃、熊本市街に入ってウロウロしていたら、天気予報通り、かなりの雨降りに。
幸い屋根があったので、そこに逃げ、濡れる事はなかった。
強い降りだが、こういうのは通り雨である事が多い。
やむまでしばらく雨宿りを決め込んだ。

雨がやみ、せっかくだからと熊本城を見る事に。
しかし、ここも都会。
人と、車と、信号の多さに疲れてしまった。

やっとの思いで城に到着。
中には入らず、外から天守閣の見える所で記念写真。
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とっとと都会は離れて、人の少ない山奥に行きたくなった。
金峰山へ行く坂道を振り返ると、熊本市街が見渡せる。
モヤがかかって見にくかったが、大都会だった。

天気はすっかり回復して、さっきの雨がウソのようだ。
今日の宿泊地に決めた、玉名市の丸山キャンプ場へ一路。

あちこちに温泉があり、けっこう助かる。
バイクのエンジンを唸らせながら、急坂を登り、16:30頃到着。
しかし、駐車場からテントサイトまでけっこう離れていたので(200mくらい)、そこでのテント設営はあきらめ、近くの空き地に張る事にした。
高度は約290m。

夕食。
ジャガイモをスライスしたのを油で炒め、波照間で買った小粒餅があったので、焼いて食べた。
犬が二匹、つがいらしい。
クンクン言いながら寄ってきたので、餅を2個ずつあげた。

日増しに疲れが酷くなる。
早めに寝よう。
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2009/8/19

あるキャンパーさんと  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月23日

朝はけっこう冷え込む。
割と良く眠れた。
前日から駐車場に止まっていたあやしい2トントラック。
東京ナンバーだし、フェリー待ちの運送屋にしてはどうもおかしいと思っていたら、キャンパーの車だった。

自営業で、運送屋をしていたが、辞めて、その車で旅をしているとのことだった。
幌の中を見させてもらったら、中にはホンダのオフロードバイクのXRバハが入っていた。

幌のおかげで雨風は十分に防げる。
これは一種のキャンピングカーには違いないと思った。

おじさんはとても穏やかでいい人だった。
自分が貧乏旅していると察してか、色々物をくれた。
インスタントラーメンや調味料など食糧援助は何よりもありがたかった。

この人も15年前(1997年当時)にオフ車で日本一周した人だった。
当時35歳。
今は50歳だ。元気だなと思った。
でもダートを走る時は体にこたえるらしい。
歳ってやっぱあるんだなと思った。

お返しする物がなくて困っていたら
「自分にはいいから、次にだれか困った人がいたら、その人を助けてあげなさい。それが私への恩返しですよ。」
と言った。
心にジーンときた。
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こうしてこの人と別れて、出発した。

さて、出水(いずみ)と言う所に特攻記念公園というのがあって、ちょっと立ち寄った。
かつて海軍の陸攻基地があったらしい。
公園は基地の入り口だった所らしく、衛兵所があったり、コンクリートの防空壕が残っていた。
壕は自由に入れる。しっかりした作りだ。
その中には、撃墜された1式陸攻の外板の一部が展示されていた。
壕の小山の上には、石碑と海中から引き上げられた航空エンジンとプロペラが2基づつ置かれていた。
ここからは、1式陸攻隊が特攻に出撃、約200名が戦死した。

ここは今は特攻よりも鶴の飛来地として有名らしく、あちこちに鶴の像が設置されていた。

時計を見たら17:00を回っていた。
陽はまだ高かったが、そろそろ宿泊場所を探さなくては。

途中水俣病で有名な水俣市に入った。
この公害病の発生源である化学工場の「チッソ」も堂々と建っていた。
実際に目の前で見るまで、「チッソ」会社がこんな大規模な所だったとは想像をはるかに超えていた。
いかにも化学工場らしく、パイプがごちゃごちゃと入り組んだ塔が幾つも立ち、毒々しいタンク類が広い敷地の中に並んでいた。

ここを通り過ぎるとすぐに街の景色から山に変わっていた。
段々になった水田の石垣が、まるで城のそれのように、キッチリと組まれていた。

さて、川はあるのだが、テントを張れる適当な広さのある河原がなかなか無い。
ようやくテントがギリギリ張れるスペースを見つけそこで今日は終わる。

沖縄から九州に上陸して3日目。
だいぶ疲れてきた。
マットの下の大きな石が背中に当たるが、疲れの方が多くていつの間にか眠ってしまった。
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2009/6/10

月夜の鉄塔  写真とカメラ

ある日の夜

まだらに浮かぶ雲が、月の光に照らされて、とてもきれいでした。

鉄塔がシルエットになってこれまた良い感じ。

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NikonD200
DXAF-S Nikkor18-70mm 3.5-4.5G
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2009/5/28

木彫食器  日々雑記

すっかり放置しっぱなしです(汗)

しばらく更新は出来ませんが、閉鎖はしません。

ネット環境が整わない所にいるため、当分は超スロー更新となります。
あしからず。

さて、久しぶりのネタ投入です。

端材を使ってスプーンなど彫ってみました。
何の木かはわからないのですが、それなりに堅かった。

けっこう楽しいです。

仕上げはくるみ油を塗る予定です。

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2009/4/4

サクラサク季節  日々雑記

この時期になると、どうしても思い浮かべてしまいます。
1945年、4月。

日本は多大な犠牲を積み重ねた上で、米軍に沖縄上陸され、硫黄島もとられ、本土の各都市も空襲で焼かれ、戦争末期で、どうにも絶望的な時期でした。

日本海軍の切り札とも言うべき戦艦大和が、沖縄に最期の海上特攻に出撃して、沖縄本島の島影を見る事すら出来ないまま、米軍の艦載機によって東シナ海に沈んだのが4月7日でした。


そして、この時期に咲く桜を見ると

散る桜 残る桜も 散る桜

の句が自然と頭に浮かんできます。
特攻で出撃して行った若者達の多くが詠んだ句です。

良寛さんは、この句が後世にまったく違う意味で詠われるとは、想像すら出来なかったでしょう。
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2009/4/3


1997年5月21日

17:00。沖永良部島に寄港。
接岸後、下では大型フォークリフトが大きさに似合わず驚くほどの旋回能力を発揮して、狭い港内で大きなコンテナをフェリーに運び込む。
石垣島とフォークの動きが違う。
ぶつかりはしないかと思わせるほどギリギリで、フォーク同士がすれ違いながらコンテナをどんどん船に入れて行く。

「なみのうえ」は当たりだった。
食堂は船にしては値段も安いと思う。
うどん320円、牛丼530円、中華丼580円、小皿の野菜110円、味噌汁100円など。
学食のようにおぼんを取り、棚に並べられた料理を取っていくという形だ。
棚に無いメニューは注文する。そして会計。
自分は牛丼を食べた。
食堂は満席に近い状態だった。
食べ終わったら返却口へ。

飛龍と同じでベッドの部屋だ。
ベッドの上で絵を描いたり、西表で集めた星の砂のより分けをしたりしながら暇をつぶした。
シャワー室は4人までが入れるほどの広さで、湯船もあった。
シャワーの湯量も十分だ。
船に揺られながら浴びるシャワーもいいものだ。

こうして船の上の1日が終わった。

沖永良部、奄美と寄港するに従い、乗客数が増えていく。


5月22日
眠りは浅かった。
枕がいまいち合わなかったせいだろうか?
外にの空気を吸おうと思ったが、寒くてやめた。
本土は春だ。

さすがに沖縄の気候の気分ままではまずいと言う事か。
しかし、昼になればツーリングにはちょうど良いだろう。

8:30ついに鹿児島港到着。
5ヶ月振りの本土だ。


さあ、行ってみようか。


まずは知覧と池田湖かな。

ロングツーリングは久しぶり。
走っていると眠くなるし、尻が痛い。

まず池田湖。
湖畔に入る轍を見つけたので、そこから入って記念写真。
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そして時計を見たらまだ11:00だったが、昼食。
沖縄で買ったオキコのインスタント沖縄ソバを食べた。

とにかく、これから食費も含めて、極度に切り詰めないとやばい。
腹が落ち着いたところで次ぎは知覧へ。
モヤがかかっていたが、開聞岳がとても美しい。


知覧と聞いて自分はまず陸軍の特攻基地を思い浮かべていたのだが、お茶の産地でもあった。あちこちに茶畑があった。
畑に立つあの扇風機のような形をしたプロペラは何なのだろう?
(※後で知ったが、冬に霜を防ぐ為に、畑の空気をかき回すものらしい。)

ようやく、現地に到着。
知覧特攻平和記念会館

知覧の事を知ってから1年たって、やっとここまで来れた。
神奈川に住む自分にとっては、ここまで来るのは大変な事だ。
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入場料は500円。
入り口のロビーには、燃えている隼から、焼けただれた特攻員を、天女が数人で囲みながら昇天していく様を表した巨大な壁画が描かれている。
天女の一人は、自分の冠が頭から落ちるのも忘れて、やさしい笑顔で抱きかかえていた。

うまく説明できないのだが、単に感動という言葉で片付けられない、心をゆり動かす腹から何か込み上げてくような思いで、その絵を見ていた。

入り口右側には前半分のみのかなり朽ち果てた零戦。
主翼に付いている13mm20mm機銃、背負い式の落下傘を収めるための座席、風防の前面には防弾ガラスが付いていたから52丙型だろうか?

さて、展示室へ。
真ん中には飛燕が翼を休めていた。
かつては浜松基地に屋外に半ば放置状態で置いてあったが、巡り巡ってここに落ち着いたようだ。

その横にはアツタエンジン。当時の日本では珍しい液冷式。
水冷と呼ばないのは、高空では水だと凍ってしまうので、エチレングリコール液(不凍液)を混ぜていたから。
ダイムラーベンツのエンジンを、川崎がライセンス生産した物だ。
試作時の性能は良かったが、量産製造において部品精度が出なくて故障が多く、戦地では整備員泣かせのエンジンだったようだ。

ここにきて本当に驚いたのは、京都の嵐山から行方知らずだった「疾風」あったことだ。
かつてはレストアを経て飛行可能だった。

さて、展示物の多くは、数え切れないほどのたくさんの若者達の遺影と実物の遺書、遺品など。
鹿屋基地の展示館を見た時は、どこか技術的な印象を持ったが、こちらは人間のにおいがした。
中にはスケッチなどもあった。上手な絵だった。
出撃して行った隊員はおおよそが自分と同じか少し下位の人達だ。(注:1997年当時です。)

最年少は17歳と4ヶ月。
高校生の年齢ではないか!

「月光の夏」のピアノも展示してあった。

しかし、戦争と特攻、沖縄と本土では明らかにその考え方は違う。
沖縄は多数の市民が犠牲になり、占領されていた時代が長かったと言うのもあるのかもしれない。

ここの展示物を見てると、意外とアッサリというかサバサバした印象を持った。
空と陸の違いと言うのもあるのだろうか?
しかし、それは自分が持った印象に過ぎない。

あまりに若くして出撃していった隊員達がいかにして死と向き合っていったのか。

自分が当時に生きていて、国の存亡がかかっている中で死んでこいと命令を受けたらどんな事を思うのか、とか考え込んでしまった。
死ぬのは怖い。
しかし絶対的に国が危ない。
そこまで追い込まれたら、人間は平和な時とは全く違う感覚に変化してしていくのだろうか?
戦記とか歴史の本を読んでそう言う事をよく考えるのだが、今もって答えは出ない。

こうして2時間ほど滞在して、修学旅行の小学生の団体にもみくちゃにされそうになりながらここを後にした。
今日のテント場は火の神公園に決め、15:30到着。
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2009/3/31

凧の糸  日々雑記

しばらく更新できませんでした。

旅の知り合いの一人に、糸の切れた凧のようにフラリと海外などに出かける人がいます。

自分はそこまではいきませんが、糸の切れた凧にあこがれていたりします。

風に乗ればどこまでも飛んで行くし、風がなくなればハラリと落ちる。
そしてそこに留まって人が居れば、そこの人達と関ってみたり。

それには、偏見に負けない図太さと、何でも知りたがる大いなる好奇心が必要となります。

自分はどちらかと言うと繊細(過ぎるくらい)な性分らしいので(よくそう言われる)、時々自分がどうなっているのか分からなくなる事があります。
「ミスターナーバス」なんて呼ばれた事もありますねぇ。(笑)

まだまだ人間修行が足りないのかなとも思います。

もしかしたら、一生こういう感じなのかもしれません。

でもあきらめない。
例え遠回りだったとしても、自分の作りたいと思う物が実現できるまでは。

自分は物を作る事に喜びを感じる事があるし、それを喜んでくれる人がいるから、次も頑張ろうと思います。
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2009/1/20

フェリー「なみのうえ」の事  1996〜97原付日本一周沖縄編

ラッタルを上げる係りの船員さんが、一仕事終わってたまたま近くに立っていた自分に話しかけてくれた。
大型船の燃料消費は膨大で、鹿児島から那覇までで200〜300万円かかってしまうらしい。
ドラム缶1本分を約6分で燃焼させてしまう。

積んでいる燃料は2種類あり、A重油とC重油を使い分けるそうだ。
C重油は大海を航行する時、A重油は寄港・接岸など細かいエンジン操作が必要な時に使われる。
つまりA重油の方が油としてのグレードが上と言う事になる。
C重油はかなりドロッとしているらしく、一度温めて溶かしてからエンジンに送り込む。
そのため、排気煙もそれだけ煤が多いらしい。

船具について。
係留ロープは1本50万円。(どのくらいの長さでこの値段なのかは不明)

装置について
この船には、ローリング(横揺れ)を抑えるフィンスタビライザーという物がついてる。1枚1億円(!)だそうだ。

あと、喫水線下がなぜ赤いのか。
これはサビ止め剤の色らしい。
また、かつて有毒と言われていた理由も分かった。
海草や牡蠣、貝などが付着するのを防ぐ為に、水銀の入った塗料が使われていたからなのだった。
船底にそういうものが付着すると、それだけ抵抗になるから、速度が出ないし、燃費も落ちる。

現在の塗料には環境汚染に対処して水銀は入っていないらしい。
因みにこの塗料は1斗缶で5万円で、船底の塗り替えで1000万円かかるらしい。
船舶品と言うのは何から何までコストがかかるものらしい。

「なみのうえ」のエンジンはディーゼルで、9000馬力(520回転/分)2基搭載。
つまり18000馬力。
最高速力24ノットで、巡航速度は20ノット。
接岸の際、港の人が係留ロープを引っ掛けるのが1回5000円〜1万円。
コンテナは1箱10万円ではきかない上、潮で腐食しやすいからさほどもたないらしい。

まあ、何から何まで高価である。
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2009/1/14

最後の夜、そして船上にて  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年5月21日

沖縄における最後の夜。

今日は天気が良かったし、その割りに涼しくて過ごしやすかった。
友人宛に小包を送る。

波照間のキビ刈りで稼いだお金が頼りの残りの旅。

帰路に着くまでお金が足りるか不安である。
無駄使いは一切できない。

でも、就職して落ち着きたいとは思わない。
もっといろんな事を知りたい、見たい。
自分はあまりに何も知らな過ぎる。

旅での心配事。
磨り減ったタイヤの事、金欠、カメラのフィルム。


5月21日
5:40分にアラームが鳴ったが、そのまま澄ましていた。
7:00に目覚めた。
涼しくて、実に気持ちの良い朝だった。
昨日買ったロールケーキで軽く朝食を取り、早速テントの撤収にかかった。
相変わらず荷物の多さにはため息が出る。

一人旅が再び始まったが、前と違い人に声をかけることが出来るようになったので、昨年とは比べ物にならぬほど楽しい旅になりそうだ。

フェリー「なみのうえ」は、2年前(1997年当時)に就航した新しい船だ。
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船の上でポツンと外を眺めていた女性に声をかけてみたら、けっこう喜んでくれて、おまけに同年の子だった。
旅先で生年月日が近い人に会うのは、米原キャンプ場で会ったOKB君以来だ。

彼女は沖縄で看護士をしていて、有給を取って与論島へ1泊旅行との事。
友人2人での旅行。
2人とも色白で、美人だなと思った。

沖縄の言葉を教えてくれた。
かりゆし
めんそーれ→ いらっしゃい ようこそ

サバニ→ 漁船(木造の小さい船)

ウサガミソーレー→ めしあがれ どうぞ

フラー
ノーパー
ゲレンゲレンパー→ すべて「バカ」の意味

マーサン→ 美味しい

パタイ→ 死ぬ

クヮッチーサビラ→ いただきます

クヮッチーサビタン→ ごちそうさま

ミ→ 目

ティー→ 手

ヒサ→ 足

クンダ→ ふくらはぎ

ガマク→ 腰

頭→ チブル

チブルヤミーン→ 頭が痛い

アガ!→ 痛い!

波照間の方言とは全く違うので、興味深かった。 
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