2009/11/22
at岩槻→大宮
埼玉県作業療法士会主催の講演&ワークショップでした。
朝の9時半から夕方の4時半まで。
ほとんど立ちっぱなしの喋りっぱなし。
予定の定員を若干超え、32名の参加でした。
みんな熱い。
それぞれの闘いもある。
いろんな逆境にいて、
それでも何とかしようとしている。
だからこそ、こんな3連休の真ん中に
長時間の研修受けにきてくれてるんだと思います。
実はベストコンディションじゃなかったんですが、
講師の自分が鼓舞されました。
夜は大宮で打ち上げ。
大宮の街は、若者がギラギラしていました。
次は宮城っす。
それまでに体調戻さなければ
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朝の9時半から夕方の4時半まで。
ほとんど立ちっぱなしの喋りっぱなし。
予定の定員を若干超え、32名の参加でした。
みんな熱い。
それぞれの闘いもある。
いろんな逆境にいて、
それでも何とかしようとしている。
だからこそ、こんな3連休の真ん中に
長時間の研修受けにきてくれてるんだと思います。
実はベストコンディションじゃなかったんですが、
講師の自分が鼓舞されました。
夜は大宮で打ち上げ。
大宮の街は、若者がギラギラしていました。
次は宮城っす。
それまでに体調戻さなければ
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2009/10/30
希望

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2009/10/24
一期一会
広島リハケア学会では座長をやりました。
維持期をテーマに7つの演題。
どの発表も維持出来ない自分に苦悶してました。
そんな中で、神経難病の元牧師さんにパソコン操作を伝授し、百枚のクリスマスカードを信者の方に送った発表は秀逸でした。
その後は平和公園で合掌。原爆史料館を小学生の修学旅行団体と見学しました。「原爆って映画じゃなかったんだ」と呟いた男の子は、列から離れ、焼けた学生服の前にくぎづけになっていました。
夜は一人で居酒屋へ。
自分の脚で手に入れたと言う店長自慢の焼酎を楽しみ、お互いの流れ着いた人生のエピソードを肴に、話込みました。
カウンターの隣では、婚約した後輩二人を祝う女性上司。更にトライアスロンが趣味という男性(水谷豊似)が合流。
何の接点もない五人が、袖擦り合わせ盃を交わす奇妙な夜でした。
最後は割り勘だったし。
いい思い出をありがとう、広島。
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維持期をテーマに7つの演題。
どの発表も維持出来ない自分に苦悶してました。
そんな中で、神経難病の元牧師さんにパソコン操作を伝授し、百枚のクリスマスカードを信者の方に送った発表は秀逸でした。
その後は平和公園で合掌。原爆史料館を小学生の修学旅行団体と見学しました。「原爆って映画じゃなかったんだ」と呟いた男の子は、列から離れ、焼けた学生服の前にくぎづけになっていました。
夜は一人で居酒屋へ。
自分の脚で手に入れたと言う店長自慢の焼酎を楽しみ、お互いの流れ着いた人生のエピソードを肴に、話込みました。
カウンターの隣では、婚約した後輩二人を祝う女性上司。更にトライアスロンが趣味という男性(水谷豊似)が合流。
何の接点もない五人が、袖擦り合わせ盃を交わす奇妙な夜でした。
最後は割り勘だったし。
いい思い出をありがとう、広島。

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2009/10/22
希望
広島です。
呉在住の友人(ライターの方)と3年ぶりに再会。
とにかく積もる話が止まらない二人でした。
世の中の生命倫理が明らかに恐ろしくなっていること、
ひとの命にまとわりつく利権、金、
日本も人事じゃなくなっていること、
映画「私のなかのあなた」について
エトセトラ…
ここで紹介するよりも、彼女のブログを読んでもらった方が、
はるかにいいので、ぜひ!
アシュリー事件から生命倫理を考える
こんな歪んだ世の中だからこそ、
希望を持ち、具体的に行動しなければなりません。
ベッドの中で天井を見つめていたシズエさんは、
酸素マスクのなかで、はあはあと苦しそうな呼吸を繰り返していました。
「シズエさん」
そう声をかけると、はあはあのリズムが少し変わりました。
それが彼女の「はーい」でした。
目を閉じているシズエさんは、目を開けることは難しかったのですが、
「聴こえたら目を閉じて」というと、
ぎゅっと瞳を閉じてくれていました。
その二つで、僕たちは会話をしていました。
関わりはじめて4日後の早朝、シズエさんは亡くなりました。
あの会話が教えてくれたことを、
かならず医療の希望に変えなくてはいけません。
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呉在住の友人(ライターの方)と3年ぶりに再会。
とにかく積もる話が止まらない二人でした。
世の中の生命倫理が明らかに恐ろしくなっていること、
ひとの命にまとわりつく利権、金、
日本も人事じゃなくなっていること、
映画「私のなかのあなた」について
エトセトラ…
ここで紹介するよりも、彼女のブログを読んでもらった方が、
はるかにいいので、ぜひ!
アシュリー事件から生命倫理を考える
こんな歪んだ世の中だからこそ、
希望を持ち、具体的に行動しなければなりません。
ベッドの中で天井を見つめていたシズエさんは、
酸素マスクのなかで、はあはあと苦しそうな呼吸を繰り返していました。
「シズエさん」
そう声をかけると、はあはあのリズムが少し変わりました。
それが彼女の「はーい」でした。
目を閉じているシズエさんは、目を開けることは難しかったのですが、
「聴こえたら目を閉じて」というと、
ぎゅっと瞳を閉じてくれていました。
その二つで、僕たちは会話をしていました。
関わりはじめて4日後の早朝、シズエさんは亡くなりました。
あの会話が教えてくれたことを、
かならず医療の希望に変えなくてはいけません。
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