行動展@国立新美術館  国立新美術館The National Art Center Tokyo

招待券をいただいたので、国立新美術館で行われてい「行動展」に行った。

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具象画より抽象画が多かった。


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行動展は昭和20年11月に「行動美術協会」として発足した。

結成の辞にあるように、

結成メンバーは戦前の旧「二科会」の会員だった。

彼らが二科会のあり方に不満を持っていた、と察せられた。

いろいろ、あるんですね。

当方は、ただ作品鑑賞するのみだけど。

そして、すべて100号サイズ以上の作品なので、

大きなアトリエを持っている画家さんたちと思えた。


5時に入ったので、結局、開催されていた

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この二つの展覧会に行かれなかったのが残念である。

日程的に他の予定があるので無理となった。
タグ: 行動展

「生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密」 Pt.3  損保ジャパン日本興亜美術館 Sonpo Japan Nipponkoa Museum of Art

「生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密」内覧会 Pt.3です。


「生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密」内覧会 Pt.2は、下記をclick!

http://sky.ap.teacup.com/skanons8/264.html

美術館より特別に写真撮影の許可を頂いた。

第4章 復興の華 1945〜1950年代

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モザイクタイル

〇二科会との関係


東郷青児は、新しい美術を志す美術家たちの在野団体である

二科会の公募展第3回「二科展」に

有島生馬から出品をすすめられ

1916年(19歳)「パラソルさせる女」を初出品し

「二科賞」を受賞する。

美術団体の公募展は、

発表の場が少なかった1970年頃まで美術界の中心だった。

しかし、世間に戦時色が濃くなるにつれ、絵は売れなくなって、小品化していった。

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第二次大戦後、戦時下で解散させられていた

ニ科会の再建のためにリーダー的存在として奔走し、

64歳の時にニ科会の会長に就任する。

6色の色数と少なく単純な線で描かれた青児の美人画は、

その独自性と理解しやすい美で

大衆的人気となり

一躍時代の寵児となっていった。

戦後の困窮する母子像などをはじめ、社会的テーマを取り入れた

作品も描いていった。


79歳の時、安田火災が財団法人安田火災美術財団を設立。

東郷青児から自作約200点と

東郷が収集した国内外の作品約250点の寄贈を受け、

1976年7月に「東郷青児美術館」として開設された。

そして、

熊本で80歳の生涯を終えるまで「二科会」会長を務めた。

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最後に、現在開催中の

「生誕120年 東郷青児展抒情と美のひみつ」

URLを張り付けておきたい。

http://www.sjnk-museum.org/program/current/4953.html


生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密 Pt.2  損保ジャパン日本興亜美術館 Sonpo Japan Nipponkoa Museum of Art

「生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密」展 内覧会の続きです。

前回については、こちらです。 http://sky.ap.teacup.com/skanons8/268.html

美術館より特別に写真撮影の許可を頂いた。

(画像は拡大できます)

第3章 泰西名画と美人画 1930年代後半〜1944年

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黒い手袋 1933

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微風 1937

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舞  1938

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星座の女 1944 ふくやま美術館

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東郷青児が描く西洋的・近代的な美人画は

当時の知識階級や富裕層が好んだようだった。

また、

彼の周りを囲む芸術家たちは、

著名な者が多く華やかだった。

ピカソをはじめ、山田耕筰、有島生馬、古賀春江などと親交を結んでいる。

帰国後は、宇野千代、川端康成と関係を深め、

1930年代後半から40年代前半にかけては、

藤田嗣治と共に百貨店の大装飾画に挑戦した。

藤田嗣治と競作した京都・丸物百貨店の対の壁画などを展示した。


次は、第4章と続きます。続く



タグ: 東郷青児展

生誕120年 東郷青児 抒情と美の秘密  損保ジャパン日本興亜美術館 Sonpo Japan Nipponkoa Museum of Art

生誕120年 東郷青児展 抒情と美の秘密内覧会」で

損保ジャパン日本興亜美術館に行った。

今回の東郷青児展は、損保ジャパン日本興亜美術館に所蔵されて

いるものばかりではなく、全国にある美術館所蔵の作品も含まれていた。

美術館より特別に写真撮影の許可を頂いた。

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第1章 内的生の燃焼 1915〜1928年

日本最初期の前衛的な絵画群/フランス仕込みの洒落たデザイン

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19歳の頃、24歳の頃の東郷青児はイケメン?モダンボーイ。

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コントラバスを弾く 1915

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パラソルさせる女 1916  陽山美術館蔵

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彼女のすべて 1917

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サンタルバンク 1926 国立近代美術館蔵

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巴里の女 1921 鹿児島市立美術館

キュビスムや未来派を取り入れた大胆な画風は、

「未来派風」と呼ばれ、前衛的な新人として注目されたほど、

多くの人の目に斬新に映った。


フランス滞在中の風景画

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ブローニュの森の風景 1921 鹿児島市立美術館

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南仏風景 1922 陽山美術館蔵


第2章 恋とモダニズム  1928〜1930年代前半 

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東郷青児は、最後の結婚相手と巡りあうまで、

恋多き画家だった。

お相手は皆、才色兼備の女性たちのようだった。

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樹下女性 1928  東郷が自ら設計した山口嘉夫邸に贈呈

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窓   1929

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ギターを持つ女 1929  鹿児島市立美術館

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静物(ゆりの花)1930 

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この時期に、装丁本や雑誌の表紙絵、舞台装置の写真など、

昭和モダン文化を彩ったデザインの仕事も紹介してあった。

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続く



世界の北斎〜歴史ヒストリアから  

江戸の浮世絵師・葛飾北斎。Hokusaiといえば、

「モナリザ」にならぶ世界的名画にもあげられる

「神奈川沖浪裏」、“グレートウエーブ”として

今年、ロンドン大英博物館の特別展でも大人気!

そして

「この千年に偉大な業績を上げた世界の人物100人」に

日本人で唯一取り上げられた人物である。


世界でも有名な北斎の絵「神奈川沖浪裏」はどうして出来たか、

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苦節40年、その誕生秘話をテレビ番組(歴史ヒストリア)で見たメモ。

画像はテレビから撮影。

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北斎の「波」は初め小さく

70代になって

ついには富士山をも飲み込む大波へと発展していった。

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70歳を過ぎてからの代表作「富嶽三十六景」の一コマ

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80歳を過ぎた頃、

飢饉により、国の政策が変わり贅沢が禁じられて、

収入源である画集を出版することもできず生活は困窮した。

そんな時に長野から仕事依頼が入り、

彼は、絵を描きたい一心で、高齢の体でありながら240kmもの

距離を歩いて長野へたどり着く。

そこで、描かれたのが、北斎の肉筆画

『男浪(おなみ)』と『女浪(めなみ)』怒濤(どとう)図

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砕け散る波しぶきや逆巻(さかま)く大波を見事に表現。

波の周囲に金箔の地の縁絵(ふちえ)があり、

獅子や孔雀などの動物や数種類の花が所狭しと描かれている。

その力強さは世界的名作『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』

グレートウェーブ

を彷彿(ほうふつ)とさせながら、肉筆で描かれ、

怒濤図は繊細で奥深い力感をたたえている。


90歳で亡くなる直前の言葉は、

まだまだ絵を描いていきたい気持ちが表れていた。

天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし


意味は「神が私にあと10年の命をくれたら、

あと5年の命をくれたら画工として本物になれるのに」

あれほどの才能を持っていながらも、

とても感動的なエピソードだった。


この怒濤(どとう)図絵がある「北斎館」には行ってみたい。


住所/長野県上高井郡小布施町小布施485

アクセス/長野電鉄「小布施」駅より徒歩約10分


以前にすみだ北斎記念館に行った時のことは下記をclick!

http://sky.ap.teacup.com/skanons8/118.html




特別展「浅井 忠の京都遺産」PT.3  泉屋博古館Sen-okuhakkokan

泉屋博古館分館で行われた内覧会「浅井 忠の京都遺産」の最終章。

第V章 図案家浅井忠と京都工芸の流れ

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 〜    〜    〜    〜

明治時代、西洋美術など、それほど知られてない時に、

次代の日本を担う若者たちのために

海外から教本を選んで、持ち返った作品の数々。。。

そして、自身も制作していった浅井忠。

(特別に撮影の許可をいただきました)

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浅井図案による美術工芸

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浅井忠のデザイン画


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黙語図案集

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「黙語」とは浅井忠の「号」

内国勧業博覧会での展示
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内国勧業博覧会の記念メダル(金・銀・銅)


亡くなるまでの6年間の京都時代、洋画家・図案家・美術教育者としての浅井忠の仕事や

京都工芸繊維大学所蔵の作品と、

美術家たちを支えた住友春翠(住友財閥)のコレクションから、

デザインの仕方を考えることができる展覧会だった。


https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/ 泉屋博古館分館のURL


特別展「浅井 忠の京都遺産」PT.2  泉屋博古館Sen-okuhakkokan

引き続き、泉屋博古館分館にて、特別展「浅井 忠の京都遺産」内覧会の記録。

第T章は、こちら

http://sky.ap.teacup.com/skanons8/258.html

第U章 画家浅井忠と京都洋画の流れ

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浅井忠、フランス滞在中の水彩画「グレーの森」1901

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帰国後の「聖護院庭」

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美術工芸資料館でおなじみの「武士山狩図」1905と下絵。

ここでは、馬が好きなので、馬の下絵のみにする。

浅井以外にも、鹿子木孟郎、都鳥英喜ら京都高等工芸学校の教授、

一期生の霜鳥之彦らの作品もあった。

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次は第V章 図案家浅井忠と京都工芸の流れと続きます。


特別展「浅井 忠の京都遺産」PT.1  泉屋博古館Sen-okuhakkokan

泉屋博古館分館で行われる特別展「浅井 忠の京都遺産」の内覧会に行った。

浅井 忠(あさい・ちゅう、1856−1907)

日本洋画壇の先覚者として知られる明治期の代表的洋画家。

東京美術学校教授だった浅井忠が、第5回パリ万国博覧会の鑑査と西洋画研究のため渡仏したのが1900年。

2年余りフランスに滞在した浅井は、アール・ヌーヴォー全盛のパリで図案研究の必要性を痛感。

帰国する1902年に吉田(現・京大体育館)に開校する京都高等工芸学校(初代校長は中澤)の図案科教授となる。中央画壇の重鎮の座を捨てて京都移住を決意する。

1902年から亡くなる1907年までの6年間、京都の美術工芸の発展に熱心に取り組んだ。

浅井は京都高等工芸学校で図案を指導するかたわら、

私的には聖護院洋画研究所、関西美術院を他の画家とともに設立し、

洋画家養成機関の中心となって若手育成にも尽力した。

門下に安井曾太郎、梅原龍三郎らがいる。


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京都移住した浅井忠は京都にゆかりの深い画家となった。

(特別に撮影の許可をいただきました)

第T章 はじまりはパリ、万国博覧会と浅井忠

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教材にと選んだアルフォンス・ミュシャ

マニュエル・オラジのポスター。

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昨今、国立新美術館で行なわれた「ミュシャ展」。ここでも見られるとは感動だった。


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ショワジール・ロワ製陶所やハンガリーのジョルナイ工房の陶磁器。

アール・ヌーヴォーの時代、新しい技法とともに、ジャポニズムの影響も感じられる

ロイヤル・コペンハーゲンの水鳥文磁器花瓶、

ジョルナイ工房のエオシン釉海藻文花瓶、

シンシナティ・ロックウッド製陶所の燕子花図花瓶.

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輝くような玉虫色の色彩のガラス製品が美しい

ニューヨーク・ティファニーの花形ガラス花瓶などが並ぶコーナーに

E・マゾの第5回パリ万博の幻灯写真が写し出されていた。

次は第U章 画家浅井忠と京都洋画の流れと続きます。


「高畑勲がつくる ちひろ展」  

ちひろ美術館で次に行ったのは、「高畑勲がつくる ちひろ展」!

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(素敵な文章、心に留めておくべき言葉etc.の画像は拡大してご覧になれます)。

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この絵のみ撮影可だった。

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たしかに、そう思った!


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ちひろの書斎

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お庭の花たち、彫刻

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カフェ。私がいる間は満席だった。

この後、図書室に行って絵本や奈良美智関連の本を読んた。

結局,閉館まぎわまで4時間滞在してしまった。まだ読み足らなかった。


奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人  

ちひろ美美術館に行ったのは、久しぶり。

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閑静な住宅街の一角にある比較的小さな美術館。

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行った目的は【開館40周年記念 U】

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<企画展>奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人

高畑勲がつくる ちひろ展 が行われていたから。

行こうと思っていたのに夏バテで最終日になってしまった。

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入場券


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茂田井武(1908ー1956)

が亡くなった3年後に生まれた

世界的に活躍する現代美術のアーティスト奈良美智が

初期から晩年までの幅広い年代の作品を選び、展覧会を構成した、という。

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鑑賞後、購入した本


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最晩年の名作絵本『セロひきのゴーシュ』(宮沢賢治・文)が懐かしい。


茂田井の絵との出会いを奈良は次のように語っていた。

「美術を志したのは、17歳のときだった。田舎に育ったので、
世界の有名な絵や彫刻はまったく知らなかった。
自分はなにを見てこういう道に進もうと思ったのかと振り返ったときに、
子どものころに見ていた絵本という存在が、すごく大きかったことに気がついた。
そうして昔見た絵本を確かめていくなかで、再発見した人が茂田井武だった」



展覧内容は撮影不可だが、

ひとつひとつの作品を食い入るように鑑ていた人々が印象的だった。

茂田井武の絵と、奈良美智の感性が響きあう良い展覧会だった。

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本より抜粋した作品の絵のほんの一部。


次は、「高畑勲がつくる ちひろ展」へと





二条城 障壁画 (国宝)  

二条城 二の丸御殿に行った時のことは、下記をclick!。

http://sky.ap.teacup.com/alter/362.html

二の丸御殿内は撮影不可が難点だった。

そこで、ネットで障壁画の画像をいただいたものを記録しておきたい。

「遠侍」

車寄の隣にあって最も広く、

虎の間とも呼ばれるように「竹林群虎」が画題。


         




群れの中、雌の虎と考えられていた豹が混ざっている。





天井 障壁画、下の画像は拡大図

金箔をはった画面に鮮やかな岩絵具などで描かれている。

ちなみに1611年(慶長16年)に
徳川家康が豊臣秀吉の子・秀頼と会見を行ったのはこの遠侍だそう。
この会見の際に家康は豊臣家を滅ぼす戦「大阪の陣」を決意したとも言われている。


「勅使の間」

遠侍の棟内北側にある勅使の間は、勅使(朝廷の使者)を迎えた部屋。

虎とは一変して、楓や桧など雅な植物が出迎えてくれる。

勅使は将軍よりも立場・身分は高い扱いになるため、

先に将軍が部屋に入って勅使を迎えた。(画像 略)

座る場所も、勅使の方が上段に、将軍が下段になる、という。


「式台の間

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大名が老中職と挨拶を交わす応接間。 

障壁画には、永遠に続く徳川家の繁栄を表すお目出度い植物として

「 巨大な松 」が描かれていた。 
 

長押( なげし )の上にも松が描かれているのは 絵が途中で切れ無い様 一つの枠の中で描かれており、沈黙のメッセージの象徴でもあった。 

探幽 がこの技法を採用した事で、

これ以降 諸大名の 障壁画 はこの方法を採用する様になった、という。  

「大広間」

1867年(慶応3年)に徳川慶喜が「大政奉還」を発した場所。ここで、江戸幕府が幕を下ろした。

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http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/nijoujou0930amana-p/nijoujou0930amana-p/tour.html

二の丸御殿 360°パノラマ撮影 パノウォーク

 空間をリアルに表現する「パノウォーク」で,二の丸御殿大広間・黒書院をご覧いただけるようになりました。上下左右360°自在に動き,まるでその場にいるような臨場感を体験できます。
(協力:日本テレビ放送網株式会社・株式会社アマナ)



狩野探幽の描いた松の障壁画が部屋を彩り、天井の装飾も大変豪華な、荘厳な空間となっていた。

現在置かれている人形は江戸前期の諸大名が将軍に謁見する場面を再現したもの。

黒書院

大広間が多人数用とすれば、黒書院はもっと少人数用の応接間。

将軍と親藩や譜代大名といった、関ヶ原の合戦以前から徳川に仕える近臣たちが内輪で使うための部屋。

部屋の飾りはより技巧的になり、描かれている襖絵もより装飾的で優美なものになっていた。
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白書院

二の丸の最奥にあたる白書院は将軍の居間・寝室として用いられた。
内部装飾もプライベートルームにふさわしく、他の部屋に比べてぐっと渋めの落ち着いた雰囲気になっており、絵画は水墨画で統一されていた。(画像 略)



二の丸御殿は白書院をのぞいてすべての建物に

「狩野探幽(かのうたんゆう)」を主とする「狩野派」による障壁画が描かれていた。


日本絵画史上最大派閥である狩野派による障壁画や、

多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾されており、

将軍の御殿としてふさわしく豪華絢爛!

二の丸御殿にある障壁画はレプリカで、

原画は、「築城400年記念 展示・収蔵館」で保存し、不定期に公開されるそうだ。

残念ながら、この日は公開日ではなかったので、

また訪れて本物を見たいと思う。


国立民族学博物館 National Museum of Ethnology  東京以外Other than Tokyo

みんぱく」こと国立民族学博物館は黒川紀章が設計した素晴らしい施設だった。

大学院大学でもあるので、ただ展示を見せている訳ではなく、研究拠点でもあった。

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図書室も充実していて、ここにしかない図書も多いうえに、一般にも開放している。

今回は企画展は行われていなくて常設展示のみだった。

入場者は少なかった。


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大型手回しオルガン オランダ

中に入るとここまでは無料で見られる。入場料420円


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中央パティオ。「未来の遺跡」と名づけられ、

越前焼の大壺と深鉢がおかれていた。


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この説明が気に入った!


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「みんぱく」の展示物は、すべて撮影可だったが、

ランダムな切り取り撮影となってしまった。

思いおこせば「文化人類学」は好きな専門科目だったな、と。


わずか2時間の滞在だけだったが、

ここは、まる1日はここで過ごしたほうがよいように思われた。


興味のある方はナマで見て、感じてみて下さい。


次は、電車を乗り継いで京都へ行った。


ニュー カールスベア美術館 Ny Carlsberg Glyptotek  海外 Foreign countries

PUKで食事した

http://sky.ap.teacup.com/alter/349.html


後にホテルに戻って、チボリ公園近くの

ニュー カールスベア美術館 NyCarlsberg Glyptotekに

コペンハーゲンカードで無料で鑑賞した。

閉館5時なので、4時過ぎに入ってギリギリ、セーフ!

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ニューカールスベア美術館のコレクションは、

地中海の古代美術および19世紀のデンマークとフランスの美術。

コレクションの内容もさることながら、美術館の空間自体も

素敵なところだった。

彫刻の展示が多いけど、その展示の仕方が何ともお洒落。

絵画のコレクションも、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、

ピカソ、ルノワール・・・と有名どころが目白押し。

特色があったのはやはり地元デンマーク絵画。

デンマーク絵画なるジャンルを始めて見たが、

シンプルだけどさわやかな色使いが特徴的な

気持ちが穏やかになる絵が多かった。


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吹き抜けの空間に植物が植えられており、植物園のようでもあった。

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この中庭を見ながらお茶ができる中庭のカフェが素敵!


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画像は上野の国立西洋博物館にもある「カレーの市民」の裏側。

国立西洋美術館では表側しか観れなかったな。


もう少し長くいたかった美術館だった。


次は、翌日利用するホテルから近い鉄道の最寄り駅へ行ってみた。

続く

世界一長いアートギャラリー地下鉄アート巡り  海外 Foreign countries

「世界一長いアートギャラリー」と称されるストックホルムの地下鉄駅。

石灰質の岩盤をくりぬいて造られた駅が多く、天井や壁に

個性豊かなアーティストの彫刻、モザイク、絵画、インスタレーション、レリーフ

などの芸術作品が施されている。

ここの地下鉄は世界で2番目に北にある地下鉄で、

全長105.7km、グリーンライン・レッドライン・ブルーラインの3つの路線がある。

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地下鉄駅路線図

ブルーラインに特に多い。


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地下鉄アート巡りは、中央駅(T−セントラル)から始まった。

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足跡足跡足跡足跡足跡足跡


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足跡足跡足跡足跡足跡足跡


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子どもが描いたアート


足跡足跡足跡足跡足跡足跡


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この他にも紹介しきれないほど数多くの駅構内に地下鉄アートがあった。

中には日本人アーティストによってデザインされた駅もいくつかあるのだとか。

それは、どれだかわからなかったけれども。

地下鉄ワンデイチケットを買っていたので、時折、駅の周辺も下りてみた。

続く


日本、家の列島   パナソニック汐留ミュージアム

過日、パナソニック汐留ミュージアムで行われた

「日本、家の列島 フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン」

プレス内覧会に行った。

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この展覧会は2014年からパリやブリュッセル、アムステルダムなどの

各都市でヨーロッパの人々を驚かせた展覧会の巡回帰国展!

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企画を実現させたのは写真家のジェレミ・ステラ、

建築家のヴェロニック・ウルスとファビアン・モデュイ、

日本在住30年のマニュエル・タルディッツの4人のフランス人


※画像は特別な許可を得て写真撮影をしております。

展覧会は「昨日の家」・「東京の家」・「今の家」の3部構成。

第1章「昨日の家」では

前川國男、清家清、丹下健三、吉田五十八、篠原一男、そして安藤忠雄など近代建築の有名どころを押さえ、14人の有名建築家の作品の写真と模型が並ぶ。

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第2章「東京の家」は人物を入れた東京の建築の写真

ここは写真家ジェレミの「東京の家」シリーズ作品から36点を厳選。

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これらは道を歩いてる人や周囲の環境を取り入れて、

さりげない日常を撮影してるが

中心の住宅は個性的で目立ってはいるけれど

周囲の環境に溶け込んでいるようだった。

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隈研吾などの手による作品も並んでいたが、

やはり第1章の近代建築を受け継いだと思えた。


第3章「今の家」は若手および実力派の手がけた住宅20選。

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日本の狭い国土や自然にマッチするように工夫されてあった。


企画者4人のフランス人は全員日本通、彼らの複眼的な視点でとらえた

日本住宅の評価を押し付けがましくなく展示されたものだった。

多数の魅力的な写真や映像、ドローイング、スケッチ、模型にふれていると、

建築物もアート作品と感じる。

家は、やっぱりハウスメーカーで量産されたような建売などではなく、

建築家 に依頼したくなるが、経費はいか程になるのだろう?と素朴な疑問が出た。

因みに、フランスの建築家は個人住宅の設計はしないそうである。



【日本、家の列島展 ―フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン―】
会場:パナソニック 汐留ミュージアム
期間:2017年4月8日〜6月25日
詳細:www.panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170408/
























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