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ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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僕の大おじいちゃんは郷土の英雄

今朝早く起き、先祖のお墓の掃除とお参りをする。

たくさんの先祖の墓の中に、理三郎と名前が刻まれた墓がある。
実は、理三郎さんのことは子どもの頃からよく知っていた。
なぜなら、小学校社会の副読本「私たちの町岩倉」で写真入りで大きく紹介されていたからだ。授業でも郷土の英雄としてとりあげられた。
すごい人を先祖にもっているのだとびっくりした記憶がある。
(以下、抜粋)

 稲の品種改良その他で大きな業績を残した人。
文化10年(1813年)岩倉羽根(稲荷)に生まれ、子どもの頃から農業が好きでした。大きくなると農業の改善に志し、どんな作物でも天候の支配を受けることに気づき、気象の観測を怠らないで、これを細かく書き記すとともに、気象の変化が作物の成育にどのようにひびくか、どうしたら作物をもっとよく育てられるかを、自分の体験を通してひとつひとつ研究を進めました。
 理三郎は非常に体が強く、寒中に種子を水に浸したり、酷暑に稲の根元に太陽の光をあてたり、いろいろ試してみては、それをみんな「農事年中行事」にまとめ、方々の村に分かち与えました。このようにして理三郎の名はだんだん世間に広まりました。明治11年から県のいろいろな農事改良に関する役につくようになり、また、東京へ行って多年の研究の結果を発表しました。
(中略)
 明治34年、60余年の功績によって緑綬ほう章を受けました。
この勲章を受けた時、有栖川宮に会いました。宮から「どんな仕事をしましたか。」とたずねられた時、理三郎は両手をぱっと広げて宮の前に差し出し、「これでございます。この手の大きいことと荒れていること。ただこれだけでございます。」と答えたといいます。
生涯を体験に生き抜いたものとして、はじめて言える言葉です。


これを読んだときに、僕には大じいちゃんの事がどうにも誇らしく思えた。
大じいちゃんが、緑綬ほう章を受けたからではない。
貧苦にあえぐ農民のために、自ら骨身を削って研究を行い農業生産の向上につくした人だった。大じいちゃんの人生がそういう人生だったということがうれしく、誇りに思えてならなかったのだ。
サンテグジュぺりの言葉を借りれば、大おじいちゃんはきっとその大きな荒れた両手に星をいっぱいつかんで永眠したのだと思う。

理三郎さんは今年、生誕200年を迎えた。
実はそのことを副読本の記述を打ち込んでいた時に知った。
そうとも知らずに書き始めた日記。
なんとも奇跡的な事だと思う。



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投稿者:eudaimonia
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