2018/3/25

韓国ドラマについて思うこと  短歌

我が家には夫婦の共通の趣味はいくつかあるが、韓国映画をブルーレイに録画してそれを二人で観るのもその一つである。この習慣は、生駒に引越しをしてきてからだからそろそろ10年近くなるのだろう。その中で、いつものように感ずることが二つある。

一つは、時代劇にしても現代劇にしても、その照明技術がまだまだお粗末だという点である。素人の私が見てもわかるくらい、欧米はおろか日本のそれと比べても大きな隔たりがある。それらは主人公の顔が異様にテカテカと照らされていたり、不自然な陰影が見られたり、はっきりと人工的な明かりだとわかるような月夜の照明だったりする。主な原因は、照明が直接的であって間接的な照明の自然さが採り入れられていないことだと感ずる。

もう一つは、これも時代劇にも現代劇にも共通なのだが、ベースが「恨(はん)」の文化に根差している点である。つまりは主題が「恨み」やそれに基づく「復讐」なのである。これは「勧善懲悪」がベースであった日本の映画やドラマとは大きく違う点である。これこそそれぞれの国が歩んできた歴史による差であり宗教感によるものなのであろう。韓国ドラマのこの点には飽き飽きとし始めている。

ただし例外もある。先日再放送が終わったばかりの「トンイ」だけは別だと感じた。このドラマも「恨」がベースにはあるものの賤民出身の主人公が世の中のため、貧しい人たちのための世の中を作ろうと懸命に努力ししまいには時の王様まで動かしてその側室となり生まれた息子が英祖大王になるというほのぼのとしたドラマであった。

かの国も、いい加減に妬んだり恨んだりから訣別して、真の未来志向の考えで国づくりをすればもっと周辺国から学べるものも増えるし、自らを高めることになるのになあ、と思われてならない。

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