2018/2/10

見られることの大切さ  短歌

昨日の夕方、母校の和歌山大学からの帰路に、南海電車の特急サザンの車窓から海の方を眺めていて、あることに気づいた。それは、電車沿いには公園がたくさんあるが、それらは皆きれいに刈り込みや掃除が行き届いている、という点である。ちなみに反対の山側を見てみると何ともないだらっとした風景である。

ということは、電車の車窓から見られていることを意識しているかどうかの違いが見事に表れているのではないだろうか? つまりは、他人から見られていると感じたら人はきれいにするし、そうでなければきれいにするという気持ちにはなりにくいのではないのではないか。

人についても同じことが言える。高齢になっても講師やその他の仕事をしている場合には、人から見られていると感じるからどうしても身綺麗にするようになる。仕事を離れ、これという趣味もなくなった人は反対に一気に年を取り身綺麗にする努力をやめるから、余計にみすぼらしくなる。

ああ嫌だ、そうはなりたくはない。つい先日古稀を迎えたが、幸いにも私にはやりたいこと、やるべきことがたくさんある。当然、人前に立つ場面も少なくはない。だとすれば、南海電車の沿線の海側の公園達のように、私も身綺麗にすることだろう。うん、そうしよう。そんなことを考えさせられたひと時であった。
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