2017/9/22

高速道路が新宮まで開通していたぞ  短歌

今日は母校の和歌山大学の校友会のイベントがあり、私も世話役として南紀の田辺市まで出かけてきた。そのついでに、田辺や白浜の企業を回って大学への寄付をお願いするため、今回は電車ではなくマイカーでの移動となった。

今年の4月にも家族全員で白浜のサファリパークへマイカーで来たので、高速道路が田辺まで開通していることは知っていたのだが、道路標識を見ると道はどうやら白浜どころか新宮まで開通していることがわかった。

和歌山の中・南部は高速道路の開通が遅く、陸の孤島と言われて久しいが、どうやらそれもようやく解消したようだ。JRの紀勢本線の全線開通も本州の中では一番遅い方だったが、道路の方も同じく一番あとの方まで取り残されたようだ。

鉄道においても道路においても、和歌山がこれほど取り残されたのは、何も地理的な理由だけではなさそうだ。原田伊織氏の「明治維新という過ち」などによれば、明治政府は官軍派の県と徳川幕府側の県には明らかな差別をしたようで、一例としては原発の設置された場所からみても明らかなようだ。

和歌山市は、明治の初年には人口が全国で6番目であった。それが40万人を切るほどに減少したし、和歌山県の人口も数年前に100万人を切った。明治維新から既に150年が過ぎたのに、まだ明治政府の亡霊がさ迷っているのは、何とも嘆かわしいかぎりである。
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タグ: 白浜 和歌山道 新宮

2017/9/9

中高年の山岳遭難が増えている  短歌

新聞によると、警察庁の調べでは今年の7〜8月の山岳遭難件数が611件であったそうだ。5年連続で過去最多を記録した前年同期に比べれば49件下回ったそうだが、600件超えは年連続の高いレベルである。年代別では60代以上が51.3%を占め、過去初めて過半数となった。遭難者のうち、死者・行方不明者は20人増の68人となり、過去3番目に多かったそうだ。

私の所属する登山クラブでは「安全第一」を基本理念としており、「山で死んではいけない」という「山と渓谷社」の本を共通の教科書としている。文字どおり安全な登山を最優先して、決して無理はしない、一番体力のない遅い人に合わせた計画作成と当日の実行を心がけている。

先般の東北遠征登山においても、日本百名山4座のうち最後の鳥海山だけは、登山日を前後2日間くらいずらしても悪天候が回復しないことがわかったため、登るのを断念し1日繰り上げて帰ってきた。特に4人のうち私だけは、岩手山においても自分のペースで登っていては元々11時間半の計画がもっと長くなるなど、3人に迷惑をかけるのではないかと判断して、一人だけ5合目で引き返してきた。

山を愛するかぎり、と言うとカッコよすぎかもしれないが、高齢になってもできるだけ長く山歩きを楽しみたいのならば、「せっかく時間とお金をかけてここまで来たのだから」などという、その時の気持ちだけで判断・行動してはいけない。無理をすれば、遭難をして周囲に心配や迷惑をかけたり、ひどい場合には大切な命を失いかねない。一旦は遠回りするくらいの余裕というか覚悟が必要なのだとつくづく思う。
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2017/9/2

あれから1年経ったのだなあ  短歌

9月に入り急に過ごしやすい天候に変わったが、私にはもう一つ別な感慨がある。それは硬膜下血腫を引き起こした怪我をした日が8月31日の深夜だったからである。早いものであれからもう1年が経ったのである。頭の右前部を指で触れてみると、今でもレールの角なのかちょっとしたくぼみが感じ取れる。

思えば痛い思いをしたものである。持ち前の正義感からなのか、不正乗車を見過ごすことができずに注意したことからすべては始まったのであるが、以後はそれに懲りて、直接的に注意することはあまりやっていない。でも不正者がいたらじっと見つめることは時々ある。

それにしても、気のせいかあれ以来、一分駅での不正乗車は随分と減った気がする。それはそうだろう、そうでなくては困る。あれだけ痛い思い、命を落とす直前までの怖い体験をしたのだから減ってもらわなくては立つ瀬がない。見ていないようでもみんなはあの事故のことを見て知っているのだろう。

でもまあ、あの手術と入院を契機として、多くのことを断捨離できたのは副次的効果であった。まずゴルフは全面的にやめたほか、短歌の会、ハーモニカ同好会は脱退したし、仕事のほうも収入面で言えば半分に相当するものを辞めさせていただいた。

おかげで、親友達との山歩きや難病を抱える妻との時間も確保できるようになった。先日、平日に6日間も東北まで登山に出かけることができたのも、妻と時々は日帰りバス旅行や1泊程度の旅行に行けるようになったのも断捨離のお蔭である。

人間万事塞翁が馬とか・・・。何かよくないことが起きても、それが何かいいことにつながるものかもしれない。
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2017/8/29

命懸けのファッション?  短歌

街中でヒラヒラとした長い上衣を着た女性をよく見かけるが、感心しない。本人はお姫さまか女優を気取ったつもりかもしれないが、あのファッションには危険が付きまとっているからである。

街中には、エスカレーターに巻き込まれたり、バイクのハンドルに引っ掛けられたりするリスクがたくさん潜んでいる。実際、機械類に巻き込まれて首が絞められて死亡した事故もあると聞く。それでなくても、電車のドアに挟まれたりして、周りの迷惑になる可能性はかなり高い。

そういう女性に限って、いざ何ごとかトラブルに巻き込まれた時には自分自身の不注意は棚に揚げて、設備や施設の管理者側の責任を問いがちである。とても許されるものではない。

ああいう服装は、舞台など室内で着用してこそ映えるものである。少なくとも一定の知性と教養を備えた大人ならば、服装も室内と屋外の区別をつけるべきであろう。

女性のファッションというものは、多少のわがままは許されているとは聞くが、命懸けでやるほどのものかどうかはよくよく考えてみるほうがいいのではないだろうか?
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2017/8/27

東北遠征登山と、宮沢賢治の世界  短歌

20日から26日の1週間は同い年の親友達でつくる「四人会」で東北の百名山4座に挑戦する遠征登山の旅に出た。それらは、岩手県の早池峰、岩手山、岩手県と秋田県にまたがる八幡平、そして山形県と秋田県にまたがる鳥海山である。標高としては最も高い鳥海山でも2236mだが、東北の山の気象は3000m級のそれに匹敵する険しいものがある。

このため、4人は何ヵ月も前からトレーニングを実施して、身体を絞り脚力や心肺能力を強化して本番に臨んだ。ところが、出発直前の現地の天候は記録的な長雨であるという。現地に着いてみると、雨のすき間を縫って早池峰と岩手山には登れたものの、八幡平はレンタカーで山頂までは行ったものの雨とガスと強風のため這う這うの体で下山した。名峰岩手山は奇跡的に何とか登れたが、11時間を超えるロングコースのため私だけは5合目から引き返した。最終目標の鳥海山は、前後3日間とも雨の予報のため断念し、1日繰り上げて帰阪することにした。

5日目は八幡平に登るために借りたレンタカーで仙台まで行くことにしたが、その途中で花巻の「宮沢賢治記念館」に立ち寄ることになった。私は15年くらい前に出張の折に訪れて感動したことがあり、他の3人は行ったことがないというので、私が提案したのである。

雨の中をようやくたどり着いて入ると、レイアウトなど館内の様子は大きく違っていた。それも当然か。自筆の詩歌や童話だけでなく教員時代の自作の教材や文書などが、科学、芸術、宇宙、宗教、農など、いくつもの分野に分類されて展示されている。37年という短い人生の中でこんなにも多くの分野で足跡を残していた人物とは知らなかった、というのが4人に共通する感想であった。

彼の作品は、詩が約800篇、童話が約100篇、短歌が約900首、その他俳句や戯曲など多数にのぼる。彼は愛する故郷の岩手県を実在するドリームランドとして「イーハトーヴ」と名付け、その豊かな自然と4次元宇宙を科学的な視点でとらえた。また妙法蓮華経に深く感動して、その教えに近代科学の知見を加えて創作し、苦労の多い農村生活を明るく豊かにする努力を尽くした。

科学者という軸をベースに、実に多彩な業績を残した宮沢賢治の世界にも触れることのできた今回の遠征登山(旅行?)であった。
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