2016/11/20

「ワーク・シフト」と「ライフ・シフト」  短歌

少し前に、ロンドンビジネススクール教授であるリンダ・グラットンの「ワーク・シフト」という本を読んだ。これは20年後を想定した物語で、2025年には私達はどんなふうに働いているだろうか、ということを問うた本である。

そこでは、テクノロジーの進化、グローバル化、エネルギー環境問題の深刻化によって、人類史上最も多様な選択に迫られる個人の姿が浮かび上がっていた。そして、暗い未来のシナリオを書き換えるためには様々なことを試しながら厳しい選択を行うことが必要で、そのためには何らかの新しい能力を身につけることの必要性が説かれていた。それはまた同時に、価値観の見直しも迫っていた。

一方、リンダ・グラットンの近著「ライフ・シフト」の書評が新聞に出ていた。これによると、長寿化が進むなかで20世紀時代に定着していた人生の3ステージの考え方(教育のステージ、仕事のステージ、引退のステージ)は通用しなくなるそうで、新たに「マルチステージ」の人生が提案されている。

仕事を長期間中断したり転身したりと、生涯を通じて様々なキャリアを経験し3ステージの呪縛から自由になるのだという。そのためには、働く人々には柔軟性、新しい知識、新しい思考法、新しい人的ネットワークなどが必要になるそうで、企業の側も「多様な選択肢」を提供せざるを得なくなる。

私がお世話をしている人事の研究会の新しいテーマは「人生二毛作」である。問題意識の背景にはまさに上記のような考え方がある。日本でも政府の肝いりで「働きかた改革」が叫ばれているが、その前提には上記のような視点が欠かせないのは言うまでもない。

「つかの間の小春日和に孫たちと犬の散歩に往馬大社へ」


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2016/11/17

3つ重なったラッキー  短歌

10月31日(月)の早朝に緊急入院して11月9日(水)には退院した。10年ほど前に白内障の手術で5日間入院をしたことはあるが、本格的な病気で10日間の入院は初めての経験であった。いくつかのラッキーが重なったことが危うかった私の命を救ってくれたことに気づいた。それは次の三点である。

1.当日の当直医が脳神経外科医であった。
・このおかげで、救急車が到着後すぐにCT検査と手術をしてもらえたのである。当初の予定どおり当日の朝になってから通常の外来患者として受診していたら7時間余計にかかっていたので「それではあなたは危なかった」と医師から言われた。

2.尿意を催したのが幸いした。
・日ごろは夜中に目覚めることはほとんどない私だが、もしトイレに行きたくなっていなかったとしたら、二度と目覚めることなく、そのままあの世へ旅立っていたことであろう。目覚めたことにより生命の危機に遭遇せずに済んだとしか思えない。

3.自宅で発症したのが幸いした。
・頭を打ってから発症するまでの2ヵ月間に、谷川岳への2泊3日の遠征登山をしたり泊まり込みの旅行をしていたが、そんな時に発症していたとしたらと考えたらゾッとする。ましてや当日の4日後には台湾への旅行を計画していたので、もしその旅行中に発症していたとしたら先ず間違いなくあの世に行っていたし、同行の友人たちには大迷惑をかけるやら莫大な費用はかかるやらで、我が家族にもたいへんな苦労をかけていたに違いない。

こんなラッキーが3つも重なったのは、もはや偶然ではない。なるべくしてなったものだろう。そう考えたい。ともあれ、そんな理由のおかげで生かされた命は特に大切にせねばならない。前記したとおり後遺症の心配も再発の心配もないそうだからありがたい限りである。残された人生は、これまでお世話になった方々のために、そして最愛の家族のために有効に有意義に使わねばなるまい。

「あの時のひとつ違いの幸運に救われしゆへみごとに生きん」
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2016/11/16

「ザ町工場」に学ばせてもらったこと  短歌

「ザ町工場」を読んで刺激を受けた。著者は、ものづくりの町・大田区の30名くらいの精密加工技術の中小企業の女社長である。創業者である父親が癌のため急逝した後を受けて2代目社長に就いた若き女性の汗と涙の格闘の物語である。大学の工学部卒業後の3年間は大手自動車メーカーに勤務の経験はあったものの、その後は家庭に入って子育てをしていた主婦からの華麗なる転身の物語でもある。

その会社にあって著者は、平均年齢53歳の会社に新しい血を注ぐことを決意し、応募者ゼロで、やっと採用にこぎつけてもすぐに離職してしまうという状況から、離職率ゼロでかつ若手が夢を持ち自信をもつ最強の職人集団を創り上げていくのだから、痛快である。

本の中では、中小企業らしい悩みを抱えながらも、中小企業だからこそ、そのオーナー社長だからこそできる様々な取り組みが紹介されていたので、そのエッセンスをまとめて、私の顧問先の社長に提供した。その一部をここに紹介する。

1.「未経験者」はむしろ優先的に受け入れよ。
(モノづくりの世界は現場日酔って内容もやり方も全く違う。まして中小企業では使える工具や機械は限られるし、過去の経験やノウハウが次に生かせるかどうかはわからないから。)
2.「面接」では、能力よりも人柄(ヒューマンスキル)を重視すべし。
(素直さ、芯の強さ、人懐っこさがあれば人は成長するもの。面接で観るのは、社風に合うか、仲間としてやっていけるかどうかである。)
3.「多能工」の条件を明確化する。
(自社における「多能工」とは、どんな仕事をこなせればよいのか?それはなぜ必要なのか?)
4.毎月1回の「教育会議」で人材を育成する。
(メンバーは社長、工場長、副工場長。社員一人ひとりの状況を確認し、技術レベルを上げるには今何が必要なのかを意見交換する。その検討材料として「人財マップ」(戦力マップ)を作成する。縦軸には20近い機械の名前を、横軸には社員名を書き、その交点には技術レベルを0〜5の6段階で記入する。これを縦軸で集計したらその社員の技術レベルがわかるし、横軸で集計したら会社全体の技術力の分布がよくわかり今後補強すべき分野が見えてくる。)

他にもいくつかあるが、いずれも実践的なのがよい。私の顧問先にも是非とも適用してみたい。

「この国の四季は崩れて二季となり夏の次にはすぐ冬となる」
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2016/11/13

邪馬台国はなかった  短歌

先輩社長が主宰する「古代史探訪会」に加入させてもらってからは、我が国の成り立ちを記す神話やそこに登場する人物や場所に興味が湧いてならない。その中でも「邪馬台国」についてはその存在の有無や場所などについて諸説、諸論があり、かまびすしいばかりである。

しかしながら、その論争に横合いから大きな異論を唱える説を知った。それは古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」という書籍である。古田氏によれば、「邪馬台国」の「台」は「臺」ではなく「壹」であることが、魏志倭人伝や後漢書の分析により検証されている。

それによると、「壹」の読み方は「いち」ではなく「ゐ」であるので、「邪馬壹国」は「やまゐ(い)こく」ということになる。つまり、「邪馬壹国」にあたる国はどこかにあった(古田氏によれば北九州)ものの、「邪馬台国」という名前の国はなかった、との主張なのである。

この説は近年発表されたものではなく1992年に発表されたものである。にもかかわらずこの説がいわゆる定説になっていないのはなぜだろうか?それは古田氏がいみじくも指摘しているように、大和朝廷が日本の始まりとする考え方、つまりは「やまたいこく」と「やまと」を何とかして結びつけたいと考える人達からみれば不都合だからであろう。

しかしながら、私は彼の丁寧な分析と真摯な研究姿勢に共鳴した。これに伴い「邪馬壹国」の場所についても、「何となく」の大和説から彼の主張する「九州説」に転向することにした。

「何気なきこのひとときを楽しめる死の淵を見て還りしゆへに」



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2016/11/11

カモメの扱い方あれこれ  短歌

先日久しぶりに天橋立に行ってきた。かつて勤務した関係会社時代に近隣の企業が集まって構成した人事労務研究会の、年に一度の一泊旅行である。天橋立そのものには何度か行ったことがあるが、今回の目新しさは、宿泊先が「舟屋」で有名な伊根であったことと、天橋立そのものを端から端まで歩いたことである。

伊根では海から「舟屋」を見るために遊覧船に乗ったのだが、その船にはたくさんのカモメが集まっており船が動き出してもそれに着いてくるのである。それもそのはず、船内ではカモメ用のエサとしらてカッパエビセンが販売されており乗船客がそれを空中に投げているので、カモメがずっとつきまとうのである。

昨年、北海道の利尻島に行った時には同じようにフェリーの回りにカモメがつきまとってはいたが、船内には「カモメが自分でエサを捕る習慣を忘れるからエサは与えないように」との表示があり、ましてやエサの販売などはなかったのとは大違いである。

部外者が、どちらがいいなどあれこれと評論する権利も義務もないものの、一時的な収入のためのカモメへの対処の仕方か、カモメ達の未来のためを考えた対処の仕方かを考えれば、どうあるべきかは一目瞭然であろう。せっかくの新しい体験を含む旅行であったが、カモメの件だけで少しだけ気が重くなる思い出が残った。

「夕暮れの早き生駒の谷なれば夕陽は山の稜に沈める」
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