2018/1/19

腰の激痛を枇杷の葉で癒す  短歌

1月5日から腰痛に悩まされている。というのは、その前日4日に親友達と4人で生駒山への初登りに出かけ、寒さに耐えながら山上でバーベキュー大会をやって大いに酩酊し、歩いての下山は諦めケーブルカーで下山し、麓の銭湯で入浴、駅前の居酒屋でまたまた新年会、という一日であったのだが、どうやらその行程のどこかで尻餅か何か、腰に強い衝撃を受けることがあったらしい。「らしい」というのは、その日のことはあまり良く覚えていないからである。

ともあれ、5日から近くの整形外科と整骨院で治療を受け始めたのだが、2週間たっても痛みが引かないので、今朝2回目のレントゲン検査を受けたところ、前週にははっきりしていなかった「骨折の痕跡」が古いものではなく新しいものであることが判明したのである。これはエライことである。万が一「骨折友の会」の会長である親友の耳に入ったら、ニンマリと笑ったうえで「私に並ぶ2回目の骨折をしたのだから会長に指名する」などと言われかねないからである。困った困った。

ありがたいことに、大学OB会の先輩の一人が「枇杷の葉温熱シップ療法」というのを知っていて、患部に枇杷の葉を当てそこに芯まで温めたコンニャクを載せて温めるという療法を教えてくれた。しかも自宅の庭に生えている枇杷の葉を10数枚、OB会の役員会に持参してくれたのである。ネットで調べてみたら、ちゃんとその療法は紹介されていて、しかも枇杷の葉のエキスやそれを用いて治療しやすいように工夫した専用の器具まで販売されているのである。

半信半疑ながら、今夜は帰宅してから早速試してみた。妻の助言もあって、コンニャクの代わりにホカホカカイロを枇杷の葉の上から当て、整形外科で入手した腰ベルト(コルセット)で固定すると、何とかうまく行けた。コンニャクと比べ、これなら寝ているときも起きているときも治療ができるので案外の名案である。何かと滑り出しのよかった今年の年頭に発生したアクシデントではあるが、先輩や妻の知恵と協力を借りて何とか凌げそうだ。ありがたいことである。

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2018/1/7

私の「1年の計」  短歌

新しい年に変わってから早や1週間が過ぎた。私は来月で満70才、いわゆる古稀になる。

「人生100年時代」ということばを最近よく目にするが、世界でも一番高齢化が進行している日本では、国連の推計によると2050年には日本の100才人口は、100万人になるとされている。それが当たるかどうかは別として、年金制度その他の事情や少子化、高齢化により人々は70才でも80才でも働く人(または働かざるを得ない人)が増えるのは間違いない。

その際、ひと昔前なら20才前後で身につけた知識やスキルや人脈で60才の定年まで貢献できましたが、今より10年も20年も長く貢献できる働き方をするためには、中間点の40才あたりで何らかの「学び直し」が必要になる。これはリンダ・グラットン教授のベストセラー「ライフ・シフト」にも書かれていることである。

そんなことも念頭に入れながら、私の今年の1年の計は次の3点とした。

@「メートル読書会」で1.5メートルの本を読む。
 年間に1メートル以上の厚さの本を読むメンバー7人の会に属しているが、今年からは若手も加えた15人で別の読書会を開くことになった。毎月責任者の元へ実績を報告することと、1年後に未達成の場合は他のみんなにご馳走をおごらなければならない、というのがルールである。それを私は、ちょっと高い目の挑戦をしようとしているのである。

A「体重」を5%減らす。
 1年少し前に、緊急入院し「硬膜下血腫」の手術をしてからしばらくは、激しい運動をすることに対して何となく臆病になり、運動不足の結果、体重が2〜3kgも増えてしまった。大好きな山登りはまだ続けていきたいので、体重を減らさないとしんどくてたまらない。そこで今年は体重を5%(3kg以上)減らすことに挑戦する。

B「断捨離」を更に進め、家族との時間を増やす。
 昨年はゴルフはやめ、短歌の会もハーモニカ同好会も退会したりして私なりの断捨離を進めたが、今年はさらにそれを拡大して、人の役に立つこと、これだけはやめられないという大好きな趣味とボランティアだけに絞り込み、そうして作った貴重な時間は、高齢の母や病気を抱える妻を中心とした家族のために使いたいと考えている。

これら3点を実現するための具体策も含めてA4の表にまとめ、私の自室の壁に掲げた。
さあ、あとは実行あるのみだ。

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2017/12/28

「断捨離」と次の10年  短歌

早いもので、私が枚方市から生駒市に転居し母親と同居を始めてから10年、人事コンサルタントとして独立起業してから9年、硬膜下血腫で倒れて手術してからでも1年が過ぎた。ひと昔前なら60代のこの10年間は一般的には定年後の「余生」であった。しかしながら、この私にとっては新たな学び直し、働き直し、生き直しの10年であった。

すべては、2社目の中小企業を電撃退職して会社員生活を辞め、独立起業したことから始まった。会社員生活から離れたからこそ、和歌山市の実家から母親を呼び寄せることもできたし、流れに身を任せた「何となく」人生に決別して学び直しに精を出す今の私に生まれ変わることもできたのである。

ということはすべては、そのきっかけを示唆してくれ、会社の作り方を指導してくれ、その後も共に学び、励まし、歩いてくれた大親友であるあの先輩社長のおかげであることは言うまでもない。そして彼は、今も私に大きな影響を与え続けてくれている。

その一つが「断捨離」である。1年前の入院と手術を契機に、私は高齢の母親や、難病を抱えつつも明るく我が家を切り盛りしてくれる妻と過ごす時間をぐんと増やすことを決意した。そしてそのために、6年間やらせていただいた大手企業の仕事を辞退し、ゴルフや短歌の会やハーモニカの同好会をスッパリと辞めた。

その成果は着々と現れてきている。先ずは、妻の節子さんとの会話が増え日帰りや1泊の旅行に行く回数も増えた。学び直しの点からも、先輩社長から勧められて始めた「メートル読書会」(1年間に1メートル以上の厚さの本を読む会)の習慣がすっかり身についてしまい、今では若手ビジネスマン達にそれを勧める立場に立っているから、人生はわからないものである。

次の2月には私もいよいよ古稀を迎える。さあ、次の10年はどのように過ごし生きていくべきか、新年を目前にして思いを巡らす今日このごろである。
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2017/12/26

和歌山に多い名前  短歌

有本、井口、太田、貴志、九鬼、雑賀、山東、津本、西本、根来、船戸・・・、ずらりと並べたこれらの名前は、実は和歌山に多い名前である。それらの中には地名から来たものが多いが、中には貴志のように、4世紀から6世紀ごろに栄えた豪族の紀氏(きうじ)から来ているものもある。またこの他にも、鈴木、玉置など、今は全国に広がる名前の発祥の地というものもいくつかある。

今では「近畿のおまけ」とまで言われて落ちぶれた感のある和歌山だが、その昔は全国に影響を与える部分もたくさん持っていたのである。そういえば、たかだか100年ちょっと前の明治初期には和歌山市の人口は全国で6番目に多かったと聞く。

なぜこういう体たらくになったのだろうか?1つは地理的な理由があるだろう。つまり、日本の首都が京都から東京に移ったために、首都から遠くなったことがある。これにより鉄道や道路の幹線から離れてしまい、発展が遅れた面はある。しかしながら、私にはそれだけとは思えない。

明治維新のあとの新政府の中心は、江戸時代の薩摩や長州などの出身者が占めていた。となると、いきおいかつての徳川幕府に近かった藩の者達は新政府からは疎まれたり遠ざけられたりすることが多く、時には嫌がらせをされたりしたに違いない。ある研究によれば、明治維新の際に最後まで官軍に逆らった東北の各県は病院や大学の数が西日本に比べてぐんと少ない、という統計があるそうだ。

明治が始まってから150年だが、まだまだあのころの名残はあちこちに残されているようだ。
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タグ: 和歌山 名前 歴史

2017/12/20

「検察審査員」という制度  短歌

日本には裁判に関わる制度として「裁判員」の制度があることは比較的よく知られているほうだが、「検察審査員」という制度があることを、私は最近まで知らなかった。つい先日、私宛にその検察審査員に選ばれたから出頭するように、との通知が届いて初めて知った次第である。

この制度は1948(昭和23)年に制定された法律に基づくもので、目的と内容は、警察が犯人を検挙した事件のうち検察が起訴しなかった事件についてそれが妥当かどうかを国民の感覚や目線で審査する、というものである。審査員は各地の地方裁判所に属し、任期は6ヵ月で、定員は11名である。

メンバーの半数は3ヵ月毎に入れ替わるので、前半の3ヵ月は先輩達のやり方を学びつつ意見を述べ、後半の3ヵ月は後輩達の指導をしながら意見を述べるような形で務めを果たしていく感じである。

昨日は、我々より1期前に就任していた先輩達の修了式が行われた。6ヵ月を振り返っての各自の感想が述べられたが、その多くは「よい経験ができた」「案外楽しかった」「初めは緊張したし、嫌々だったが、やってよかった」というものであった。

審査会の会長や副会長は審査員の互選で選ばれるのだが、昨日の審査会では図らずも私が副会長に選ばれた。慣例では、後半の会長になるようだ。私も、先輩達と同じような感想が述べられるよう、務めを果たしたい。
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