2018/4/3 | 投稿者: shoji

SHOJIです。

1)はじめに
3月30日ロードショウで、中州の大洋映画館に久し振りに出かけた。
「ペンダゴン}とはアメリカの国防総省の通称であり、五角形をしているから
といわれている。
映画館は50名程度の観客がいた。客層は私のような年齢層が多いのと、60代以
上の夫婦連れ、40代以上の方々のように見受けた。30代以下の若い層はいなか
った。

丁度日本の国会でも、朝日新聞が森友問題に関する財務省文書の改ざんをスク
ープしたため、国家の機関が勝手に公文書を改ざんするという犯罪的行為が発
覚し、目下大阪検察庁が取調中である。

映画の原題は「The Post」であり、1971年当時アメリカの代表的新聞であるワ
シントンポスト紙が、ペンダゴンの秘密文書を入手して、それを新聞に情報公
開するまでのことを物語としている。ワシントンポスト紙の女社主と編集主幹
のドンが様々な葛藤に直面しながら情報公開に踏み切るまでの、葛藤や悩み、
そのプロセスをスピーディに2時間ほどで描いている迫力ある映画だった。

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すでにこの映画については、PCには様々な情報が流されていて、私も映画を見
たあと何かを書いてみたいと思いPCで情報を集め参考にしている。

U)私の印象に残っている場面
➀ ペンダゴン文書の情報提供者捜しのところ。
編集長であり、この物語の立役者の一人である人物が部下に「情報提供者捜し」
を命ずる。そこで部下は色々苦労した末、情報提供者(最初にペンダゴンペーパー
を盗み出した人)に会うことが出来た。この約束場面は迫力があった。
・必ずポスト紙に掲載するし、公表すること
・情報源はあかさないこと
の二つを約束した。しかし、この記者は情報源探しの弁護士の食い下がりに
「ニューヨークタイムズと同じ情報源だ」とつい口を滑らせた。会社側の弁護士
なので同じ情報なら共謀者になり、ポスト社が発売禁止かつぶされる危険があり
掲載への反対にまわり、社主や幹部に掲載反対を説得する。
一寸した"口伝え”が事態をダメにすることにびっくりしたり、約束を守ること
の難しさを感じた。

➁女社主の葛藤・悩みと決断のプロセス
この映画の見所は、この女社主の行動であり、葛藤である。彼女はワシントン
ポストの前社長である夫が急死して、素人の女社主に就任した人物である。
評判は芳しくなく、取り巻きに囲まれて何とかやっている。魅力的な人物である。

その当時女社主の大きな仕事として、ワシントンポストの株式の上場と組織変
更を決め大パーティを開いていた。一方で社運をかけたリークのプロセスが展       
開していて、彼女はそれを抱えていた。パーティの最中に呼び出しが掛かり、
決断を迫られる。彼女は機密文書の掲載賛成の決断をする。「素人の健全な感覚」
と私には映った。

彼女は亡き夫と共にペンダゴンを指揮すマクナマラ長官と親しい間柄である。
ここがアメリカ的すごさである。彼女は掲載する決断をしたことを告げるため
親しくしている長官の自宅を訪ねる。掲載を伝えるとマクナマラ長官は激怒し
彼女を怒鳴り、ポスト紙は発行出来なくなることを伝える。
彼女が自宅に戻り、悩みながら考えている姿が印象に残る。
大きな決断をする時の姿が印象に残っている。

会社幹部の間で「掲載派」と「反対派」の論争が激しくなる。彼女は別室で最終
決断を迫られる。彼女は普段着姿のまま、彼女の決断を待ち受けていた重役達
のところに現れて「掲載することを」を伝えて立ち去る!!

この時の重役達の失望感と編集長の歓喜の表情が印象に残っている。
編集局長は待機していた印刷部にゴーサインの連絡を入れる。この時の印刷現
場の活気、歴史的な展開を決定した緊張感があふれる情景は迫力に満ちていた。
さすがスピーゲル監督であると感じた。

このあと、ニクソン政権がワシントンポストを法律違反で訴え、最高裁判決にま
で到る裁判闘争となる。この最高裁判決は6:3でワシントンポストの勝訴とな
る。
理由は、「新聞は市民のために情報を提供するためのものであり、国家への責任
を果たすものではない」との判決である。

かくてワシントンポストは、社会における新聞、ジャーナリズムの意義を再確認
し、政府は一挙に米国市民の信頼を失うことにつながった。

V)おわりに
米国という民主主義国家のふところの深さを感じて映画館をあとにした。
この文書を書いて少しこころが落ち着いてきている。
安倍政権の「森友問題」はまだ大阪地検特捜部や国会で究明最中である。
公文書改ざん問題をリークした朝日新聞と政権との争いでもある。

アメリカはトランプ大統領が選挙戦でロシアの支援を受けた疑いで検察が追求
している。
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2018/3/20 | 投稿者: naoko

NAOKOです。

今回は二つの話題があります。

➀ 多世代交流型ケアホーム「オリーブの木ひばる」が立ち上がり内覧会が
ありました。

福人研の火曜会メンバーの一人の息子さんが上記の介護施設を創設されました。

この施設は「少子高齢化社会」に貢献できる施設を志向していて、高齢者とこども
そして子育て世代が、そして地域に住む人々が「オリーブの木ひばる」を通じて、
多様な価値観や考え方に出会って、ふれあいながら交流する場を提供します。
新しいコミュニティ作りの拠点となることを目指していると表現されています。

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住宅型優良老人ホームに保育園、キッツルームが併設されていて、高齢者や
子どもたち、スタッフ、地域の方々とがふれ合えます。目の前にある桧原運動
公園でのアクティビティなど、穏やかにゆっくりの中にも少し活気のある日々
を過ごせる抜群の環境が用意されていました。
当日キッツルームにはよちよち歩きのスタッフのお子様方が既に入所されてい
て、スタッフであるお母さんも安心して働ける場所になっているようでした。

4月1日の開所なのでまだ高齢者は入所されていませんでしたが、交流スペース
があちこちに設けられていて、人々が集まり楽しむ様子が想像できました。
私自身も今住んでいる場所からあまり遠くないところなので将来遊びに出かけ
たり支援を受けたりする場所の一つが出来上がったことを嬉しく思ったのでした。


A昨日九重エンカウンターグループで知り合ったゆかさんとまことさんが久留
米での講演帰りに私たち夫婦に会いに来てくれました。

六本松の居酒屋で三時間余りを楽しく過ごしながら、もう50歳半ば過ぎのこの
ご夫婦も「今を生き、ありのままを生きる」生き方を大事にされておられるこ
とを知り共鳴し合いました。

まことさんは障害者施設で10年、高齢者施設で約15年、介護職、相談員、ケア
マネージャー、施設長を経験し、2010年からフリーランスの講師として対人援
助者の支援、育成に取り組んでおられる様です。兵庫県対人援助研究所主宰。

ゆかさんは経験16年の心理カウンセラー。マインドマップインストラクター、
流通科学大学で「社会福祉援助技術演習」を担当されたりと、心理、ストレス
ケア、子育て、コミュニケーションなどの専門家として播磨地域で活動されて
います。心理スペース「ぽれぽれ」主宰。

来月21日には地元明石市で、ペさん、ゆかさん、まことさんの「目からウロコ
の事例検討会」を企画されます。パンフレットをいただいたので見にくいかも
かも知れませんが雰囲気を分かってもらうために写真で掲載します。

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(横向きでごめんなさい。縦にならないのです。)

お二人のお子様方は俳優やモデルとして活動され、ご両親の企画にも賛同して
協力しておられる様です。

居酒屋で夕食をしながら私たちもエネルギーをいただいたのでした。
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2018/2/20 | 投稿者: naoko

NAOKOです。

新年はじめから今月2月25日まで北九州市立美術館分室(リバーウオーク)
で開催されているブラマンク展に先日やっと行くことが出来た。
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ブラマンク(1876〜1958)は私の高校時代に当時の美術部の何人もが影響を
受けた画家だった。晩年は独自の作風(表紙)に到達し,フランスで活動し
ていた。

彼は若い時代、絵画には関心があったものの両親の影響でヴァイオリン奏者
として生計を立て、自転車に関心を持って競輪選手として収入を得ていた。
その後事故により競輪は出来ず絵画に専念するようになった画家である。
独学孤高にして学んでいたようだ。

所がドラン(1880〜1954)との出会いがありゴッホ(1852〜90)展を観に行
き影響を受け、ドランからマティスを紹介されて、当時マティスをはじめと
したデュフィやブラックなどフォーヴィズム(野獣派)と呼ばれる画家の仲
間に入れられ知名の画家となることになった。

フォーヴィズムと言えば絵具のチューブから出されたままの色鮮やかな原色
のえのぐを感性に任せて使い表現する、われわれが知るマティスの絵の流派
である。
所がブラマンクはセザンヌの回顧展に出会った1907年の頃からフォーヴィズム
から距離を取り始めた。下はその頃の絵。

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わたしたち当時の美術部の何人かはそれぞれがブラマンクの画風の変化に
応じてそれぞれが別々に影響を受けてはいたが、皆それぞれはせっせと高校
展などの展覧会向けに自分の絵を描いたのを想い出した。
強いタッチの絵にあこがれる仲間も多かった。私はセザンヌに近い上のよう
な具象的な絵が安心できたように思う。

その頃わたしたち部員は登校して校門を入るとすぐに部室に向かっていた。
そして一時雑談をしてから授業に出かけ、一時間の授業を終えると次の授業
までの間また雑談をして授業に出発するといった具合の日々だった。

今の私の言葉で表現するならば、「私は絵画を媒介としたコミュニティの一
員として自分の居場所を美術部に持つことができ、難しい高校時代の勉強を
何とか自分なりに乗り越えられた。」となるのだろう。
ブラマンク展はそんな高校時代の一幕を甦らせるものだった。
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2018/1/22 | 投稿者: shoji

SHOJIです。

      とりあえずこのシリーズのおわりに

フィンランドでのOD,AD体験を整理している最中である。
たくさんのインパクトをいただいたことに感謝している。
とりあえずSHOJI & NAOKOのブログのまとめにしてみたい。

1,入門のための読書 私にとって役だった本

◎ 「オープンダイアローグ」
  (ヤーコ・セイックラー/トム・エーリック・アーンキル
   高木俊介/岡田愛訳)
フィンランド訪問中もこの本は旅行カバンに入れて持ち歩いていた。
今も貴重な入門書として持ち歩き、OD,ADの文章を書くときの参考にしている。
特にアーンキルさんの「エピローグ エンパワーメントに向けて」と高木俊介        
さんの「訳者あとがき」が印象に残る。

◎ オープンダイアローグ  斉藤環編「精神療法」(2017)43,3
AD,ODを日本に導入してきて、現在も活発に動いている方々による紹介、体験
報告など大変役立つ論文、エッセイが多数掲載されている。

この中では、現時点の私にとっても役に立ったのは、下平美智代「オープンダ
イアローグの歴史的背景と考え方 ー そして日本での実践の可能性」である。

下平論文はOD,AD誕生の歴史的背景、数回にわたるケロプダス病院訪問、スタッ
フと共に家庭訪問をした体験報告などであり、素直にこころにひびき、こころ
に残った文章でした。


2,現時点でのまとめを試みた。

このまとめは1でのべた文献、私のケロプダス病院訪問とスタッフとの討論、
ユッカさんのAD実践の傍聴参加などからの私なりの整理である。正しい整理
ではないことを強調しておきたい。

@OD,ADは既成の思想から生まれたモノではないこと。
セイックラさん達の仲間が10数年かけて実践経験の成功と失敗体験の学びから
生まれてきたものであることが理解できた。「治療過程でおこる現象を理解す
るためにベイトソン、バフチンの概念を用いるようになった。」のである。

Aミラノ派家族療法の実践の失敗「相手を治すための治療計画」を患者たちが
受け容れなかった経験からたくさん学んだらしい。(下平論文)

B草創期のメンバーの創造的質問で「精神病ってなんだろう。この名前がなければ、この病気は存在しなかったのではないか。病名があるから、烙印を押されるのではないか」(下平17p)。これは重要な指摘である。
日本では「ベテルの家」が似た実践を行っている。OD,ADの草創期メンバーが
来日時に「ベテルの家」を訪問した理由がよく分かった。ロジャースの診断無
用論に通ずるものがある。

➃フィンランドの精神医療改革の潮流や病院改革における「ニーズ適応型治療」
の中で育ったこと。それが原型となっているらしい。(下平論文)

DOD的臨床姿勢に共通するものは
「自分自身と他者がその人自身でいることを尊重する」
そのため彼らは常にその時その場の経験に自分自身を開いている。(下平論文)
この下平さんの文章を読んで、ファシリテーターやPCAセラピストの在り方や
態度などの共通点があることに驚いてしまった。

EADの実践的可能性を感じたこと
12月下旬に「ドリームプロジェクト」のメンバーの2泊3日合宿会があり、そこ
で二人のメンバーが話題提供者になって、ADのロールプレーを実施した。この
体験からは、私だけでなく、参加した方々もADの実践可能性の高さを感じるこ
とが出来た。ただこの構成メンバーがファシリテータ体験豊富な人たちだった
ことや記録者がとても役立つことが印象に残った。

F今回は下平美智代さんの論文に出会えて、ODが私のファシリテーターやセラ
ピスト体験に共通点が多いことを感じられて幸いでした。記して感謝します。
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2018/1/6 | 投稿者: naoko

SHOJI & NAOKOです。

昨年末から新年の5日まで二丈山荘で過ごしました。
いつもながら海や山に囲まれ自然の変化を味わい、エコライフを楽しみました。

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今年はそれぞれの家族がぞれの都合でバラバラに訪れることになった。
社会人になっている二人の孫はもうお年玉は卒業になったが、後の3人
はそれが楽しみで来てくれているようでもあった。そして毎年のように
トランプや人生ゲームのバージョンアップ版で楽しんだりもした。


とりわけ四日の日は大学生になった孫が入学早々に取得した自動車運転免許
を活用したいらしかったので、彼に運転を任せることにして久し振りに唐津
市呼子港に出かけた。落ち着いた運転振りだったのでSHOJI & NAOKOは安心
して乗せてもらうことができた。

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目的はもちろんのこと「いかの活き造り」。
新鮮ないかのお造りを堪能したのでした。家族の歴史もどんどん移り変わ
るものだなあ、と実感したのでした。
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今年もまた福岡人間関係研究会やその周辺で楽しい企画に参加したいと
思っています。どうか皆様、今年もよろしくお願いいたします。
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