「貧困率」などという言葉さえ聞いたことがありませんでしたが最近政府が15.7%と発表しました。今までの政権で国民の「貧困者が増えた」と言いたいのでしょう。その率は諸外国、中でも先進諸国で最悪な状態となったとのことです。
「
相対的貧困率:OECDによる定義は年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合の事」
団塊の世代が定年を迎え年金生活となり、若者は派遣切りに遭って働く場所を失い、生活保護を受けながらパート・アルバイトで生活を支える人が多く、年収235万円以下の人達が増えたとのことです。
年収のみで計算する貧困率ではたして貧困と言えるのでしょうか。なぜなら定年退職後、年収は少ないけれど退職金の積み立てがあり、また多くの不動産を有していた場合、貧困率では現れないと思います。
さて、何故今、貧困率が発表されたか、中流意識が長かった私達世代は唖然としたのではないでしょうか。中流意識時代の暮らしは良かったのか、幸せだったのかというと必ずしもそうではなかったような気がします。
当時は「企業戦士」と言われたように、幸せを求めて働き、週休2日制ではなく毎日残業の連続、仕事はフル回転で生産性を揚げる為にはあらゆる手段を使って仕事をしたものでした。したがって休日は殆ど寝て過ごすのが精一杯、幸せはやがて来ると思って働いていました。
新政権が言い出した「貧困率」、イデオロギーでは自民党と決定的な違いのない民主党が言い出した新テーマであり、今後如何して問題解決に当るか興味あるところです。官僚に対して「知恵や頭を使っていない霞ヶ関なんて、学校の成績が良かっただけで大バカだ!」と言った民主党の菅副総理、はたしてそうでしょうか。
我が国では霞ヶ関が膨大なシンクタンクだと思ってきましたが、官僚の知識や能力を政策立案に使わないとした民主党。視点の新しさはあるでしょうが、彼らは国の将来について真剣に考え、日夜努力を重ねています。いずれ、彼らの知識や経験を借りなければ国政を旨く運営することは難しくなると思います。
貧困率=所得率で、決して「不幸率」ではありません。給料が高ければ喜んで働くというだけではありません。世の中に価値をどの様に感じて生きているか、人は様々だと思います。このことを政策立案に組み込んでおかないと、所得が多ければ幸せだと勘違いするからです。

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