とある無料バスの車内に、気になって仕方ない注意書きがある。
路線バスであれば広告が掲示されている、あの天井寄りのスペースに、大きめの字でくっきりと印刷された三行。
お子様ずれのお客様は、
必ずお手をとり、
放さないでください。
パソコンとプリンタさえあれば、誰もが手軽に印刷物を作れるようになった時代。
飲食店に入れば、「Microsoft Office Word」で作ったのかなと思えるメニューを目にすることも増えた。
パソコンが普及して、「とりあえず見た目が綺麗なもの」を生み出す人が増え、それらを目にする機会も増えた。
でも僕は、形が整った誤字ほど気持ちの悪いものはないし、お店のいいところ、温度が反映されていない「とりあえずパソコンで作った」メニューほど残念なものはないと感じてしまう。
パソコンでは字の巧拙は反映されないし、絵に色を塗るのも(消すのも)簡単だ。
でも、誤字が許せちゃう字の雰囲気とか、苦労の跡が見える色づかいとか、そういう温度と湿度が「手作り」にはある。
絵をデジタル化するために、描き手がソフトウェアに合わせてしまうような、そんなケースが多いだろうということも、容易に想像できる。
形の綺麗さを優先する余り、真の手作りが失われている。自分の作ったものの結果を受け止めきることも、結果に責任を負う機会も失われている。
誰もがパソコンを使い、誰もがワードを使い、誰もが手軽に、しかも匿名で発言できる。
手に入れたものも多い。でも、手に入れたと勘違いしているものも多い。
ソフトを手に入れる前に、手作業で何をしてきたかがますます問われる時代になっている。
パソコンに向かっていない時に、自分の体をどのように使っているかが問われる時代になっている。
そういう人の文章は、分かる。
そういう人の絵は、分かる。
欠点がないことを目指す教育よりも、夢中になれることの獲得に必死になる教育の実現を切に願う。
人の特技、特に真に優れたものを尊敬するという教育は、僕の通った学校にはなかった。
共有しやすい価値観だけで測るのではなく、突出したものを尊敬し、自分の中にも求めるという習慣をつけないと、手軽なものを手軽に用いるという危うさばかりが増えて、命さえも軽んじられていくような、そんな気がする。

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