2010/8/15

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尚、投稿日は第1弾の佐世保編が(2007年1月31日〜2月21日)、第2弾の東京・海外編が(2007年2月22日〜5月22日)、第3弾の岡山編が(2008年5月28日〜7月24日)です。


↓安住の地ネオポリスより
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↓充実していた横浜
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↓青春万歳の東京
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↓私の原点である佐世保
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↓悪戦苦闘したサハラ砂漠
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↓海外プロジェクト
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↓今は無きニュ−ヨ−ク貿易センタービル
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↓私の芸術感を変えたルーブル
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↓もう一度行きたいアイガー
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2008/7/24

最終の章  

65.最終の章

 私は岡山・ネオポリスに移住して来てから節目となる10年間を楽しく過ごす事が出来ました。
先に「アーカイブス」で岡山に転入するまでの私の軌跡を112回に亘って紹介しましたが、今回は岡山生活10年という節目に「岡山物語」というタイトルで、私の岡山での経験や感じた事を思いつくまま65話に亘って綴ってみましたが、本日のこの記事を最後に私の連載を終了し、このブログも休止いたします。
 尚、一方的で思い付きの拙い文章にもかかわらず、このブログにアクセスし、ご愛読いただきました皆様には心からお礼を申し上げます。また「Umigasuki」さんにはタイムリーにコメントを頂き、大いに元気付けられて最後まで続けることが出来、大変感謝しています。

 尚、今後は次の節目となる70歳を目標にどのようなライフスタイルが良いかを考えながら、私流のスローライフを楽しみたいと思っています。また、パソコンでも何か地元に密着したテーマを取り上げてみたいと考えていますので、皆様とは別のステージでお会いできれば幸いです。
                                              投稿者「ザウルス」



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2008/7/15

岡山物語−56  

56.禁煙

 私が岡山に来てからの経験の中で、最大のハイライトは禁煙でした。
私は高校生のときに喫煙を覚え、以来49年間も休むことなくモクモクと吸い続けてきた愛煙家で、昨今の喫煙者に対するイジメや医者の脅迫、家族の嫌味、世間の冷たい眼差しにも負けず強い意思で喫煙を続けてきました。
 ところが、先日、横浜に出かけて5日ほど滞在しましたが、横浜は私の想像以上に喫煙者に対する嫌がらせが激しく、公共的な場所は勿論ですが、あらゆる場所で禁煙、禁煙、禁煙で、極めつけは歩行者禁煙の表示もあり、結局、タバコを吸えるところはホテルの一室だけで、人気の少ない所を見つけて携帯灰皿を使用しながら罪人のような思いでの喫煙は男の美学に反するようで惨めなものでした。
 また、帰りの新幹線では唯一の喫煙車両(3号車)に飛び込んだのですが、車内はタバコの煙で霞んでおり、その悪臭と言ったらヘビースモーカーを自認している私でも耐えられず、隣の禁煙車両に逃げ込みました。この経験を踏まえ、世間の喫煙者に対する嫌がらせに白旗を掲げて平成20年1月28日から禁煙に踏み切りました。

 尚、禁煙を実行してみると意外と簡単で、ニコチン中毒により身体がタバコを求めるわけでもなし、単に間が持てないだけで無意識にタバコに手が出るだけですので、禁煙の意識さえしていれば特に苦しいとも思いませんでした。
 間もなく禁煙半年になりますが、今もタバコ、灰皿、ライターがそのまま残っていますし、タバコは止めようと思えば何時でも止められると実感したのは収穫でした。また、長年咳と痰に悩まされていた私ですが禁煙10日目くらいからピタリと止まったのには驚きましたし、家族からの冷たい視線もなくなりました。一方、体重が半年で3Kgほど増えてメタボ対策に悪影響がありますので要注意です。
 また、禁煙により年間約12万円の節約ができるのだからと言って、これを先取りしてパソコンの新機種や地デジ対応のテレビを買うなど実際には出費が増え、少なくとも3年間は禁煙を続けなければならなくなりました。
 ただ、お酒も飲まず、タバコも吸わず、好きな物も制限するなど、聖人君子の生活で必要以上に長生きしては世間様に迷惑をかけるので禁煙を続けるべきかどうか迷うところですが、政府が線引きしてくれた後期高齢者75歳までは長生きできるよう頑張るつもりです。

↓ポスターはオーバーな表現

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2008/7/14

岡山物語−55  

55.パソコンクラブ

 毎日が日曜日、時間に制約されない生活をつづけていると生活のリズムが掴めず、“はて!今日は何曜日?”と考え込む事が多くなりました。
 曜日を意識するのは月曜日と木曜日のゴミ出しの日だけでした。
生活の中で何か基準になるものは無いかと探していましたら、いきいき交流センターで“パソコン友達”という同好会的なクラブに出会いました。元来、クラブ活動など苦手な私でしたが、このクラブは制約らしい制約もなく、大人の懇親会的な雰囲気でしたので入会させていただきました。そして、毎週月曜日、午前中だけの参加でしたが、クラブの雰囲気も良く、世話役の方々もボランティア精神に徹しておられ、月50円と嘘みたいな会費にも感服しました。

 私はこのクラブに入会してから4年目ですが、入会当初はワードの基本とエクセルを業務で使う程度で、インターネットも熊山町の講習会に参加して初めて経験した程度でした。また、デジカメなどの画像の取扱や、パソコンで音楽ができるなんて知りませんでした。
 しかし、このクラブで、見たり、訊いたり、訊かれたりしているうちに、何となく広い範囲でパソコンがこなせるようになりました。尚、一番の収穫は、クラブの皆さんからの様々なユニークな質問でした。その質問には私が予想もしなかったような発想の質問もあり、私自身が大変勉強になりました。“パソコンが出来る、出来ないは経験の差”といわれますが、自分の視野だけでは大した経験もできなかった事でしょう。
 
 また、このクラブを通して多くの人々と知り合う事が出来て人の輪が広がり、私のネオポリス生活の重要な部分になっています。
今は、午後も参加し、“楽しく”をモットーに、少しでもクラブの役に立てればとの思いでパソコンライフを楽しんでいます。

↓画像の取扱もパソコンクラブで学びました。
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2008/7/13

岡山物語−54  

54.ホームページ

平成17年3月の選挙で市長に元吉井町長の荒嶋龍一氏が選出され、26名の市議会議員の顔触れが決まりました。私はインターネットのホームページで各議員さん達のアンケート結果や、政治姿勢などを紹介した事もあって、新生赤磐市の議会がどのように運営されるのか、議員さん達の実際の政治活動はどうなのか等々、ホームページ・掲示板を通して少しでも多くの方に実情を知って欲しいと思い立ち、議会の傍聴や議会議事録の精査などの手段で情報を集め、私のコメントを付して紹介する事にしました。
このホームページや掲示板の内容について、ここでは述べませんが、この活動を通して何人かの議員さんと顔見知りになり、この分野においても人の輪が広がりました。ただ、私のコメントは辛口なので議会や行政関係者からは嫌われていることでしょう。しかし、この種のホームページは面白くないので「岡山県の観光情報」などを追加してきましたが、アクセス数が約3年間で10万人を超えるとは思いもしませんでした。ただ、アクセス数に対して意見の投稿が少なく議会への圧力としては力不足でした。

でも、最近は合併の混乱期を終えて情報公開も進み、審議会なども機能しているようですし、このホームページの意義も薄れてきました。また、議員さん達と顔見知りになるに連れて厳しい事が書きづらくなってきましたのでホームページは休止状態です。
今後は、これからの赤磐市がどうなるのか、次回の選挙でハプニングはあるのか、等々を予測しながらドラマ感覚で拝見させていただこうと思っています。
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2008/7/12

岡山物語−53  

53.赤磐市誕生

 国策として平成の大合併が叫ばれ、平成16年、赤磐郡5町も合併を目指して各町長や議員代表からなる合併協議会を立ち上げ、合併についての議論が始まりました。途中、瀬戸町が脱退するハプニングもありましたが何とか国の意向に沿ってまとまりました。

 合併までの過程において、合併の理念や将来の展望、国の財政事情などを考えると私も賛成せざるをえませんでしたが、JRの駅を二つも有する「瀬戸町」が抜けた事、私の好きな「熊山町」という名前が消えた事が残念でした。また、町のDNAが異なる吉井町が加わる事に不安を感じました。
 しかし、合併協議会は先に合併ありきで、合併のメリットだけが強調され、住民の意見を聞く説明会でも意見は聞き置くだけの形式的なもので合併の手続きは一方的に進められたとの思いがありました。
 また、合併協議会の資料や広報誌で公表される協議内容は立派な理念が網羅されており、これが実現されれば素晴らしい赤磐市が誕生するだろうと期待する一方で、旧町間で異なる部分や広域で取り組むべき防災、交通、学区、職員の待遇などは先送りされており危うさを感じました。(尚、合併の是非や、協議会の内容、私のコメントについてはホームページを通して紹介してきましたので省略します)

 平成17年3月に新生「赤磐市」が誕生し、それに伴う市長及び市議会議員の選挙が行われることになりました。尚、市長候補は2人でしたが、市議会議員立候補者は定数26人に対して36人も乱立し、私も含めて周囲の人々から“どこの誰だか良く判らない”との声が聞こえてきました。
 そこで、私は行政に対する基本的な質問事項をアンケート用紙にまとめ、各立候補者を個々に訪ねてアンケートへの協力をお願いして回りました。(但し、私は吉井町の土地勘がなく、吉井町からの立候補者に対しては郵送でお願いしました)
そして、これを機会にホームページを現在の「赤磐住民の声」に改め、市長の公約を掲載し、各議員さんの個人ファイルを作成し、回答を頂いたアンケートの結果や、選挙中に配布されたチラシなどの中身を紹介しました。

 勿論、選挙とは微妙なものですから、私は事前に役所の選管に出向いて、このようなインターネットでの選挙がらみの記載事項が選挙違反行為に該当しないかを、確認しましたが、選管の回答はインターネットと選挙については細かい規定がないので良く分からない。最後は警察の管轄だとの事でした。

↓熊山町
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          ↓市庁舎と市章
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           ↓市の花
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2008/7/11

岡山物語−52  

52.熊山町のブロードバンド

私は、行政に市民の意見を伝える手段としてインターネットによる方法が有効ではないかと考えていましたので、NTTに対して高速インターネットのブロードバンドサービスを開始して欲しいとの要望書を出したり、知り合いとなった議員さんにも、既にインターネットは重要な社会インフラであり“熊山町からもNTTにブロードバンドサービスを開始するように要請して欲しい”と協力を依頼してきましたが、その反応は鈍く、現在も我が家のエリアはNTTによるADSLサービスを受けられません。情報後進地域になるのではないかと心配しました。
ところが、全く想像もしていなかった中国電力がネオポリス内に光ケーブルを張り巡らして高速インターネット(メガエッグ)のサービス提供を開始しました。私も直ちに申し込みをして平成16年3月、待望の高速インターネットを手に入れましたが、それまでのダイアルアップに比べるとその使い勝手は桁違いの快適さでした。
熊山町が岡山で“最も印象が薄くて何もない町”と云われていた悪評からの脱出でした。

すぐに私はホームページの開設を思いつき、基本原則を“熊山町に関連する行政や施策に限定”し、“個人の誹謗中傷記事は排除する”と決めて、無い知恵を絞り出しながら苦労してホームページ「熊山町民の声」を立ち上げ、行政に対する私の意見を掲載し、町民の方々の意見を聞くために掲示板をリンクさせました。そして少しでも多くの方にアクセスしていただくため光ケーブルが敷設してある家庭に案内のビラを配布して回りました。
しかし、地元意識のないネオポリス住民の大半は行政などには無関心、そしてネオポリス以外の地域(旧農村部)はADSLサービスが提供されておらず、無名のホームページ、掲示板にはほとんど反応がありませんでした。ただ、私自身が遊び感覚で始めたことでしたので、そのうち少しは役に立つだろうと軽い気持ちでしたので結果は気にせず淡々と続けましました。


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2008/7/10

岡山物語−51  

51.熊山町の行政

行政について少し興味をもって町の公報誌などに目を通すようになると、幾つかの施策に疑問を感じるようになりました。
 例えば、納税組合に対する補助金、自治会長に対する不透明な報酬、漁業組合に対する補助金、商工会に対する補助金や優遇措置など理解できませんでした。
 極め付けは、小野田小学校跡地に4億円を投じて熊山英国庭園を建設する計画でした。誰が考えても採算が取れるとは思えないし、町のお荷物になる事が歴然としていました。また、「熊山町」と「イングリッシュ・ガーデン」という組み合わせにも違和感を覚えました。しかし、残念な事に議会で反対された勇敢な議員さんは1名だけでした。
 尚、当時は私の住むエリアはブロードバンドサービスもなく、意見の投稿手段としてインターネットも活用できず、よそ者の私には行政の施策に対して疑問をぶつける手段も思いつかず“好きにしやがれ!自分の生活は自分で守る”との意識が強くありました。

 ある日、選挙の時に知り合ったネオポリス選出の議員さんが訪ねて来られ、後援会ニュースを発行していたが今まで手伝ってくれていた人が、ある事情で退かれたので、私に“パソコンで後援会ニュースの作成を手伝って欲しい”との依頼を受けました。
 話を聞くと、彼が卒業した大学が横浜の私の住んでいた近くにあったし、また、彼自身も仕事で営業のために私の勤めていた会社に出入りしていた事などを聞いて親しみを覚え、私は“私の意見を議会に伝える”との約束で協力する事にしました。
        
                    =続く=
↓熊山町の誇り(熊山遺跡)
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2008/7/9

岡山物語−50  

50.行政との関わり

 私の故郷である佐世保では、同じ町内に大蔵大臣まで務めた「北村徳太郎」氏がいらっしゃったし、私の小学校6年生の時の担任教師だったS先生(女教師)が市議、県議、参議院議員になられた事もあって、政治に縁がない訳ではありませんでした。また、私の仲人をしていただいた方が三木武雄元総理大臣の秘書をされていた関係もあって、国政レベルの政治には興味がありました。

 しかし、私にとっては“政治は無縁なもの”と考えていましたので地方議会の自治行政などには全く関心がありませんでした。また、現役時代は仕事に追われ政治の世界などに関わってる暇はありませんでした。

 私が岡山に転入して3年、平成13年に熊山町の町議会議員の選挙がありました。人口の少ない熊山町でしたが議員定数16名をめぐって争われ、選挙期間中は我が家の周りにも連日選挙カーが走り回り、お願いします!、お願いします!の連呼ばかりで中身は何もなく、“五月蝿い”だけが印象に残った選挙でした。それでも、何人かの立候補者と話す機会がありましたので幾つか政策的な話題を投げかけてみましたが????でした。
 結局、私は何も判らないままにネオポリスから立候補されている方に投票しましたが、この地縁選挙がきっかけに、私は熊山町行政が身近に感じられるようになり、次第に地方自治の実態に興味を持つようになりました。

 これが私の行政との関わりの第一歩でした。

余談ですが!
私が若い頃、仲人の方に“君のような正義感のある人間は政治の世界では通用しない”と言われた事が印象的でしたが、晩年になってその意味がわかりました。

 次回以降、私が体感した地方行政について記載します。

↓日本の選挙の実態を描いた実録本
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2008/7/8

岡山物語−49  

49.岡山の四季(冬)

 空梅雨で終わった岡山では、昨日の我が家の寒暖計が36度を指していました。この猛暑の時期に当ブログでは冬の岡山を書く破目になってしまいましたがご勘弁ください。
 さて、前にも書きましたが、私の岡山生活の中で誤算の一つに冬の厳しい寒さがありました。ネオポリスの外れに位置する我が家の周囲では12月中旬には霜が降り、2月の朝の冷え込みは連日マイナス5℃〜7℃くらいで北風が強く、我が菜園も霜柱で浮き上がります。また、屋外の水道は保温材で保護しないと破裂する心配があるので脅威です。
 以前、私は新潟で雪道を走っていてスリップし、田圃に落ちた経験から、雪道の運転を苦手としています。岡山では一度だけ「一般タイヤ」で雪の粟倉村をドライブしましたが、慣れない雪道はヒヤヒヤの連続で懲り懲り、それ依頼、北へのドライブは諦めました。そんなこんなで、ネオポリスの冬は家に閉じ籠る事が多く、パソコンに向かう時間が多くなります。
 ただ、1月下旬には横浜に出かけ、前の会社の新年会に出席したり、高校時代の上京組や友人達と旧交を温めるのが定番となっています。この定番の行事も10年続いていますが、最初の頃は横浜の空気も懐かしく思えて楽しいイベントでしたが、最近は横浜滞在も3日目くらいからは横浜の都会特有の煩雑さが嫌気に変わり、早く岡山に戻りたいという気持ちが強くなって予定より早く引き上げて来る事が多くなりました。また、岡山駅に到着すると何かホッとした安心感を覚えます。既に私も岡山人?。

↓霜です
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↓冬を代表する蝋梅
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2008/7/4

岡山物語−48  

48.岡山の紅葉

 秋といえば虫の声、稲刈り、イモ掘り、マツタケ、村祭り、お月見など、また、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、紅葉などの言葉を連想しますが、岡山では全てが身近にあるからなのでしょうか? “秋だ!”というイメージがなく、すぐに「紅葉」を連想してしまいます。それだけ岡山は身近に楽しめる紅葉の存在が大きいという事でしょうね。
 岡山に来る前の私の紅葉に対するイメージは、雄大なスケールで楽しめる北海道の紅(黄)葉、神社仏閣を中心とした箱庭的な京都や奈良の見事な紅葉が印象的でした。尚、岡山では内陸部の寒暖の差が大きので美しい紅葉が彼方此方で見ることができ、自然の中に紅葉があるという感じで親しみが持てます。
 私が知っている紅葉の名所は蒜山・大山、豪渓、越畑村、奥津渓谷、森林公園、赤和瀬渓谷、辰巳峠、ですが、特に私のお気に入りは蒜山・大山コースと越畑村〜赤和渓谷〜恩原高原〜辰巳峠佐治谷のコースです。豪渓や奥津渓谷は車や人が多すぎて紅葉を楽しむという雰囲気ではありませんでした。
 一方、身近なネオポリス界隈の紅葉も目立ちはしませんが立派な紅葉が楽しめますので強いて遠出する必要はないかも知れません。

↓恩原高原
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↓辰巳峠
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↓関金町
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↓大山の秋
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↓大山回廊
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2008/7/3

岡山物語−47  

47.夏のイベント

 日本で夏と言えば、終戦・原爆被災者の慰霊式典が思い出され、また、民族の大移動といわれる“お盆”があります。
私は戦争で父や、家を無くして家族が悲惨な生活を強いられたとの意識があって、「戦争」とか、「米軍」という言葉には抵抗がありました。また、原爆については長崎の北部に位置する佐世保市の出身であり私が直接被害を受けたわけではありませんが、周囲には親戚縁者を原爆で亡くされた方もいらっしゃいましたし、原潜の入港をめぐる反対運動が大きくニュースで取り上げられてきましたので私なりに原爆という言葉に複雑な思いがありました。
しかし、日本の復興が進み社会が豊かになるにつれ、これらの感情は薄れて行きました。
また、原爆被災者の慰霊式典は形式的で核兵器の撲滅など夢のまた夢、佐世保の原潜入港反対デモも実際には地元民の反対は少なく、共産党や社会党系の組合や団体など外部の連中が大騒ぎしているだけだったという事がわかってきました。
今は、戦争を思い出させるようなイベントを見ると、昔の不愉快で不幸な出来事など早く忘れた方が良いのにと思っています。(確か、仏教の世界では、死者は13回忌が過ぎると仏様になると聞いています)

一方の民族の大移動と呼ばれる“お盆”の方ですが、素晴らしい日本文化の一つと思っています。地方独特の慣習で先祖の霊を迎える様子や、何時もはバラバラの家族が一堂に集まっての団らんなどや、花火、薪能、祭りなどの伝統あるイベントもあり興味深いものがあります。ただ、残念ですがネオポリスは“余所者の寄り合い所帯”的なところがあるし、歴史も浅く、帰省という人の動きも殆どないので“お盆”特有の雰囲気がありません。

↓未だ見ぬ 憧れの“阿波踊り”
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2008/7/2

岡山物語−46  

46.岡山の四季(夏)

 夏のもう一つのハイライトは海ですが、岡山は海に恵まれているので立派な海水浴場があると思っていました。岡山に転入した当初は興味もあって有名な渋川海水浴場に行きましたが、ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルの対応の悪さに腹立たしさを覚えたので終わり、宝伝、西脇海水浴場は砂浜の海岸があるだけでアクセスが良くないし、牛窓は混雑していて駐車場が少ないなど、私達のような高齢者の行くような場所ではありませんでした。
 私は海に囲まれた佐世保の生まれで海には少々自信がありました。上京した頃は体力的にもピークだったのでしょう、江ノ島、逗子、葉山の海岸を中心に活躍(?)し、4Km程度なら遠泳もできる体力がありました。
 しかし、海での活躍は23歳頃に卒業し、その後は生活と仕事に追われる毎日で、現役を引退するまで無沙汰していました。
 尚、岡山に来て認識したのですが、長年の喫煙や仕事における厳しい環境の中での酷使などが積み重なり、今では100メートルを泳ぐのが精一杯ですし、泳いでいても手足の痙攣などの心配があって、泳ぐ事に自信を失くしました。ですから、ここ数年は海水浴場など覘いた事もありません。
 海は嫌いではないので海岸のリゾートホテルでゆったりと寛ぎ、うまい魚でも食べて過ごしたいのですが、残念ですがそんな場所を知りませんし、船で島に渡る元気もありません。夏とは限りませんが、海岸沿いをドライブしても、最後はいつも牛窓のホテル「リマーニ」か、鷲羽山の瀬戸内小島ホテルで海を眺めながら食事をして帰るのが定番になっています。

↓渋川海岸(昔は私も!)
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2008/7/1

岡山物語−45  

45.岡山の四季(初夏)

5月のゴールデンウィークが終わる頃になると、マスクなどの使用で深呼吸もできずに不快な思いをしていた杉、檜の花粉症の症状がピタリと止まります。これからが私の春本番ですが、深呼吸をしながら新緑の中をドライブ、散策するのは爽快です。
梅、桃、桜、モクレン・・・と春を代表する派手な花木も美しくて素晴らしいのですが、これらスター達の顔見せが終わった後、晩春から初夏にかけての里山の景色は格別の味わいがあります。田圃では田植えが始まり、山の木々は同じ緑といっても千差万別で、自然の醸し出す巧みな配色は落ち着いた美しさがあり、その景観は秋の紅葉にも匹敵します。この時期になると何故か私はアルゼリアのサハラ砂漠での生活が思い出され、緑の素晴らしさを再認識させられます。
しかし、この新緑を楽しめる季節は短く、雨期に入ります。私は雨が大好きですし、この時期の紫陽花も見応えがあり捨てたものではありません。私が好むアジサイの観賞場所は“まきばの館”の少し手前にある「あさひ菖蒲園」です。
 最近は色んな紫陽花・ハイドランジアがあって、我が家でも少しずつ紫陽花の株が増えています。
また、ご婦人方が好まれるラベンダーもこのシーズンが最盛期で、私も我が屋の奥様のお供で蒜山のハーブガーデンや、牧場の館、東粟倉村などへ出かけます。また、私の畑もラベンダーの栽培地として侵食されています。

↓蒜山・ハーブガーデン
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↓新緑の美
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↓アジサイ
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2008/6/30

岡山物語−44  

44.岡山の四季(世羅高原)

 春、華やかな桜が終わると次はチューリップです。
チューリップといえば世羅高原農場です。一昨年ですが、私は混雑を避けて連休前の4月25日に旭鷹農園のチューリップ祭りにでかけましたが、開花は5月の連休がピークとなるようにコントロールしているそうで8分咲きくらいでした。
昔、彦根でチューリップ畑のパノラマを見て感激した記憶がありますが、世羅高原の色とりどりのチューリップの共演も見事でした。
 世羅といえば高校駅伝の名門「世羅高校」が有名でしたので、私も地名だけは知っていましたが、この世羅高原は若い人達が中心になり高原全域を観光の町として売り出し中で、高原の彼方此方に特色ある農園が点在しており、また、ワイナリー、レストラン、物産館などを擁する世羅ワイナリー、有名な芝桜もあって楽しめる活気を感じる観光ゾーンでした。また、斜陽である日本農業活性化のヒントになると思いました。
 尚、昨年は少し早目の4月17日に同じ“チューリップ祭り”に出向きましたが、最悪でした。
まず、先にも述べましたが高速道路の尾道インターをおりて間もなく、制限速度オーバーで捕まり罰金、目的のチューリップは1分咲きで美しい光景はなし、結局、鉢植えのチューリップを買って、芝桜を見て、ワイナリーでワインを買ってきました。今も我が家のガーデンには世羅高原の球根が残っていて今年も見事な花を咲かせてくれた事が救いになっています。

↓世羅高原農場
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↓世羅高原の芝桜
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