山登りに行ってきた。
甲賀山岳会の4人が集まった。校長先生、軸受屋さん、警備屋さんと小生である。
朝の5時に集合だというのだから、山らしい山に行って、それなりの距離を歩いた。
今日行ったのは、鈴鹿山脈の仙ヶ岳という山。
『鈴鹿山脈の南の端から県境を歩いてみよう』という勝手にシリーズ化したひとつで、ちょうど1年前に登った山である。
今回は小岐須峠から南下して、仙ヶ岳を目指した。
田村川の林道を詰めて歩き始める。
思ったより車で奥まで行けたので随分楽に県境まで辿り着いた。
県境を歩くのが目的なので、如何に楽に県境まで行くかが重要なのだ。
県境の小岐須峠から宮指路岳へ向かう。
この山に行くのは2回目だが、当時のことは全く覚えていないので新鮮だ。もう10年以上経つので覚えてなくても無理はない。高校生の頃の話だ。
宮指路岳の岩の上に立つと、鈴鹿の山並みが一望できた。
遠く比叡と比良の連なりも望めたのが嬉しかった。
三重県側に目をやると、伊勢湾がはっきり見え、津から名古屋まで見渡せた。
蒼い空には薄い雲が低いところに漂っていた。天気は持つだろうか。南の方の空が暗い。
宮指路岳から仙ヶ岳までの尾根道は、地図で確認しただけで9つの小ピークがあった。
激しいアップダウンの尾根が続く。
切れ落ちた滋賀県側と対照的に、三重県側は植林されたように杉が生えていたのが面白かった。
途中1度の休憩を挟み、急登を登り切ると仙ヶ岳の頂上だ。
すっきりしない天気だが、三重県側の街並みがはっきり見えた。
まだ10時になっていないので、昼食には早かった。ワインをザックから取り出し給水した。
空の蒼い部分はほとんど無くなってきたが、今にも雨が降り出しそうと言う感じでは無かった。
下山路は、来た道を少し引き返して小社峠という鞍部から沢筋を下ることになった。
軸受け屋さんが「35年前は歩けた」と言った道である。今はどうなっているか分からない。
地図を見ながら歩いていく。
所々に古ぼけたテープがあるがすぐに途切れてしまう。
何度も渡渉を繰り返し、落差1mくらいの滝を巻きながら下った。早くも険路と呼べる道(?)である。
もうほとんど落葉したモミジが辺りを埋め尽くす。
小さな流れ込みはないので読図はやり易かった。
3mくらいの落差のある滝が現れた。
地図で見る限り、この沢に滝を示すマークはない。等高線の間隔もそれほど狭いというわけでもない。おそらく落差が小さすぎて地図上には表現されないのだろう。
軸受け屋さんはどうにか滝をクライムダウンした。
校長先生は左岸を進み、警備屋さんと小生は右岸から滝を巻いた。
右岸には道らしい物があり、少々遠回りになったが難なく滝を巻いた。
軸受け屋さんも滝を降りるのは諦めて、そこから右岸へよじ登って滝を巻いた。
校長先生は左岸の小さな沢を滑り落ちるように下ってきたが、本当に滑り落ちたらしく、左手の4ヶ所ほどの皮が無くなっていた。
谷の底から見上げると、まだ木に残った色付いた葉っぱが太陽の光を透かして鮮やかに見えた。
そこから先も沢筋を進むが、谷が狭くなりとうとう前に進めなくなった。
滝を巻こうにも、両岸が断崖である。
遭難したときに沢を下ってはイケないというのはこういう事があるからだ。
左岸の登れそうな所をよじ登る。
小指ほどの太さのシャクナゲの枝に全身を預けて登るのだからいつ落ちてもおかしくない。
そんなことを何度かしながら、尾根筋まで登り切った。
地図を見て、この先の身の振り方を決める。
尾根をそのまま降りれると良いのだが、急斜面なので無理だった。
尾根を登り返して一旦もとの沢へ戻り、右岸の道を辿れば良いのではないかと考えた。最悪、尾根まで登り返せば、道があるだろうと思った。
尾根を登り返すと隣の沢へ下りる踏み跡があった。
地図をみると隣の沢には登山道のマークが付いているので、そっちの沢へ下りることにした。
これまで歩いてきた所より歩き易いので、沢へ降りれる気がした。
登山道がある筈の所はやはり落ち葉に埋もれていて、どこが道か分からなかった。
沢筋を渡渉しながらすすむと、テープや虎ロープが所々にあって、道があったことを裏付けた。
炭焼きの跡があった。
ここまで来ればテープを確認しながら歩く必要もない。
炭焼きの作業道があるはずだから、それを辿ればよいのだ。
もともと、鈴鹿の登山道は炭焼きの作業道がそのまま登山道になったものなので、歩き易い所を歩けば良い。
右岸から沢が流れ込んだところが見えると、もう少しで林道に出る。
右から鹿が走っていったかと思うと、今度は左から猿が走っていった。
深い山の日常を見た気がした。
雨が降る前に下りてくることが出来た。
車に戻ると昼ご飯を食べた。


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