為せば成る 為させねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
これは上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)の言葉ですが私の母が事ある毎に口ずさんでいたものです。

2015/4/1

技は身体でとる  日記

「技は身体でとる」使い古された言葉ですが、でもいざ考えてみると本当に出来てるいるんだろうかと言う疑問が湧きます。小手先だけの技になってないだろうかと。

まぁ、小手先だけでも技が全く掛からない訳でもない。特に熟練度の低い者はそうなりがちです。だからこそ余計に神経を使わないといけないのですが、でも、じゃー身体って何所でとるんだと言う事になると明確な答えが出てきません。どうですか出て来ますすか?確かに身体でとれとは言われる。でもそれって一体身体の何所でとるんだと言う事です。

ただ身体に近ければ良いのかそれとも何所か身体の特定の場所でとるのか。腰前でとると言う人もいるかもしれませんし、また両手を合わせて合掌した所でとると言う人もいるかもしれません。それなら高くても低くてもいいのかと言う疑問も出ます。色々考えていると余計に混乱しますよね。じゃー身体でとるって一体何所でとるんだと言う事です。

私も昔そんな事を考えた事がありました。でも結論は出ませんでした。それなのに言葉では身体でとれ身体でとれって言っている。それっておかしいですよね。自分にもよくもわからない事を人に押し付けるなんて。でも答えはその言葉にあったのです。私はそう思いました。

それぞれが感じた身体の位置、それでいいのではないかと。では私の感じた身体の位置とは何所か?それはないのです。場所などありません。ただあるのは身体の軸を中心とした動きの感覚です。そして手足の動きはその延長線上にあると言う事です。ただこれは言葉では簡単なんですが実際にそれを感覚で捉える事は少々錬度が必要になるでしょう。でもそれが出来た時、身体でとれてると言う実感が持てると思います。

まぁ、人それぞれですが自分の身体でのとり方考えてみてください。
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2013/4/2

投げる事の意味  

私の流派には突き蹴りの技の他に投げ技や固め技もある。突き蹴りと言うのは単純明快で分かり易いのだが問題は投げ技である。勿論固め技もあるがそれはまだはっきりしている。相手を倒して動けないように固めに入ればいい訳だからまだ比較的分かり易いだろう。

問題は投げ技である。我々の流派では投げ技と言うのは単にそれ自体で極めてしまうと言うより、むしろ先ほども言った固めに入る為に投げる。そう言う意味合いが強い様に思える。それはそれで一つの体系になっているので良いのだが、問題は投げ技自体に意味はあるのかと言う事である。

おかしな表現かもしれないが固める為に投げると言う事であれば投げ技自体が最終技とはならない。つまりそれはどう言う事かと言うと投げて極める。つまり投げる事で相手にダメージを与えて動けなくしてしまうと言う柔道や柔術の様な投げとは少し違うのではないかと言っているのである。

まして前回も言ったように演武なるものに組み込まれて行くと益々その投げ技は一つの中間的な動きもしくは形状技に過ぎなくなって行くのではないかと言う事である。

投げて固める。それはそれで一貫された優れた体系なのかもしれないが、投げ自体にどれだけの威力と言うか相手に対する脅威があるのかと言う事である。

固める為に投げるとは逆に言えば固めなければ相手は逃げてしまう。もしくはダメージが少ないと言う事ではないのか?もし投げ自体にそれだけの威力があれば固めなどなくても相手は動けない、もしくは立ち上がれないと言う事ではないのか。そうなると敢えて余分な動作などする必要はないと言う事である。

ただし警察の様に相手を逮捕すると言う事が目的ならばそう言う方法もまた一つのあり方ではあるかもしれないが、一般の護身術とは逮捕術ではないし、基本的に二人一組で行動する警察のような仲間もいない状況で使わなければならないものである。

まして巷で行われる暴力に対して身を守ると言う事であればこちらの動作は少ないに限る。それこそ一発入れて逃げる、または投げて相手が動けない内に逃げる。そう言う展開が良好ではないのか。試合ではないのだから一本取った取られたの世界ではない。

どれだけ自分が無傷でその状況から脱出出来るかが護身と言うものだろう。ならば相手に与えられるダメージは大きい方がいい。勿論それで相手をかたわにするとか殺すと言う事ではない。あくまで相手の戦闘力を奪う事である。それも一瞬に出来る方がいい。

チンタラやってると相手は一人とは限らないのだから逆に袋叩きにあってしまうかもしれない。なら同じ投げ技でもそれ自体に威力があった方がいい。そう言う事ではないか。

演武などでは綺麗に投げて綺麗に固めているが果たしてあれは本当に相手にダメージを与えられるようなものなのだろうかと言う話である。

採点の為に綺麗に投げる、または投げられてやる。そう言う動作を何度も何度も繰り返して演武の試合に出てくる。確かに見栄えはいい。しかしそれは相手を倒す技だろうか。

本来なら受身が出来ない方が、または受身が取れないように投げる方が技としては有効である。だから我々はそれを回避する為に受身技を習うのである。しかるに最近の練習を見ているとそれが本末転倒になってはいまいか。綺麗に受身をさせる様に投げる。いや投げてやる。

元々効き目の薄い技がそれで益々薄くなってしまう。見栄えのみの技。そうはないっていないだろうか。むしろ受身の取れない投げ方を工夫する事こそが本来の練習ではないかと思うのだが、そう言う技を使うと演武の流れが途絶え採点が悪くなる。だから練習でもそう言う技はやらない。

何が本来の目的なのかと言う事である。
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タグ: 武術 武道 格闘技



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