先日ワイドショーを見ておりましたら、私と同じく「ゆうちゃん」と呼ばれるさわやかな青年が、青いハンカチで汗を拭き拭き野球をしてモテモテ、という明るい話題をお茶の間にふりまいておりました。
やはり同じ「ゆうちゃん」としてはモテモテにあやかりたいので、汗っかきな私も青いハンカチでゴシゴシ男を磨いたわけですが、「
おやじ臭を吸い取るハンカチ」がすっかりおやじ臭にまみれてしまって惜しくも一回戦負け。
「ハンカチおやじ」の明日はどっちだ?
そんな途方に暮れている夏の夕暮れ、晩ごはんでぽんぽんのおなかでテレビを見ていたら、CMディレクター杉山登志のドラマをやっておりましたので、思わず正座して見入ってしまいました。
杉山登志については、むかしCM仲間の大林宣彦が本の中で例の「リッチでないのに、リッチな夢を見ることはできません」という遺書に触れていたり、CMの特集番組みたいので「伝説の名演出家」みたいな扱いがされていたり、絶頂期で突然の自殺という謎も含めてひじょうに気になってたんですよね。
スポンサーが「資生堂」一社ということで、演出したCMが数本挿入されていたのもうれしかったのですが、ドラマとしてもとても見応えがあり、また映像表現を志す者として考えさせられる点もいろいろありました。
ドラマの骨格としては、
演技ではない本物の感情を数十秒のフィルムに収めることに情熱を燃やした杉山の作家魂というものですが、その杉山演出に憧れながらもCGや嘘っぽい演技に満ち溢れた状況のなかでもがく現在の作家の姿もきちんと描いており、フェアな構成だと思いましたし、批判性もじゅうぶんに伝わりました。よく出来たドラマです。
さてさて、何か創作物を作る者にとって、それが視聴者にとってどれだけの現実味をもって受けとってもらえるか、というのは永遠のテーマであります。
ドキュメント映画
(「食人族」など)は別にして、映画というものはそもそもが嘘なんですよね。その嘘に対して、観ている時間の中だけいかに観客に共感させてかつ楽しんでもらうかってことを考えて、私どもは演出や演技のテクニックを磨いているわけです。まごころを込めて。
つまり、よく言う「リアルか、どうか?」って問題です。
しかし、この「リアル」ってことが曲者で、「リアル」=「現実そっくり」ってことじゃなくなっちゃったところまで、私たちはヒネちゃったみたいですね、どうも。
なにやら「作り手」と「視聴者」での間に、「
映画(演劇でもドラマでも)とはこういうもんですよ」っていう暗黙のお約束が出来ており、それが「現実そっくり」よりもぐっとリアルに感じられる、っていうややこしい状態を知らず知らず積み上げてきたように、私には思えるんですよね。
まあ、ふだんの仕事場で見かける日常的な風景をわざわざお金払って観るってのも、辛い修行でもなさっているような行為でありますし、「どうせ嘘ならもっと面白い嘘でだましておくれよ!」という声にも耳を傾けなければなりません。
そこで、杉山登志の「嘘はバレる。本物の感情を」という演出に話を戻せば、私はこれをとくに「演技ではない本物の感情を写し取った」から感動したわけではなくて、「そういう演出方法をとったひとつの作品」として刺激的で面白かったんですね。
映画として嘘を積み上げていくってことは決して悪いことじゃないと思います。
ただ大切なのは、その嘘の根底にある出発点の感情が本物であるかどうか、ってことなんでしょう。
ほかの人の現場であまりにも無理な状況を通そうとする演出家の人が「ソコはソコで、お約束だからさあ〜」と周囲を丸め込もうとするのを聞いて、「誰がそんな約束したんじゃあ〜」と私も怒りを覚えたりしますが(大人だから口に出さないけどね)、実際にやってみると案外無理なく面白かったりするんで不思議なものですね。
演出にも、演技にも正解はありません。
面白いか、面白くないか、があるだけです。
無限の選択肢に頭がクラクラする思いですが
、「人の約束事に甘えない」「孤立を恐れない」、さらに「すげえおもしろい」、パンドラ映像を模索していこうと思います。
あ、映画の嘘に疲れたら、「食人族」とか見てくださいね。あれは本物だからねえ、気持ち悪いけどねえ。

0