◆経緯
昨年の秋頃から白内障がひどくなり、右目は殆ど霞みの中のように白濁して、物の形も見えなくなった。辛うじて左目で行動していたが、車の運転も出来なくなり、大きなルーペを使っても本が読めない。今年の8月に主治医に右目の手術をお願いしたら、先生は糖尿病による網膜症の悪化あるいは、その症状が変化していないかを判断しながら、やっと手術することを決断してくれた。それには右目のひどい白内障の為に眼球奥の網膜症の判定ができないという理由もあったからだ。この手術は結構患者数が多いのだろう、「急ぐようでしたら外の病院でどうぞ」という主治医の言葉に、私は設備の整ったこの病院でお願いしますと言って、やむなく長い時間を待つことに承知した。日取りは2ヶ月後の10月後半ということになった。
◆入院期間及び経費
入院は10月26日朝の9時半。東大病院入院棟A7階732-1号室、このフロアー全部が眼科らしい。当初私は知り合いが手術してその日に家に帰ったことを聞いていたので、精々1日の入院で手術したらすぐにでも帰れるものとばかり思い込んでいた。しかし主治医と手術の手順や経過措置について話し合うなかで、4日ほど入院しなければならなかった。手術後の経過を見ないと入院期間も決められないだろうなとなんとなく判っていたが、その様なことが生じることを真剣に考えなかったものだから、2日の休みでという思惑で決めた仕事の手配が気になった。
幸いなことに丁度うまく暇になったし、多少の打ち合わせには経過が良好であれば外出してもよいということになった。だから手術した日は一日中ベッドに大人しく寝ていた。次の日は主治医の外出許可を得て。飯田氏と打ち合わせのために事務所に行く。帰りに家から細君のノート型パソコンを借り出し、病室で仕事をした。
総医療費----保険:254,760、保険(食事):5,928、保険外負担:11,200
患者負担額--保険:76,430 、保険(食事):2,080、保険外負担:11,200
患者負担額合計---89,710円
◆同室の人(柴山さん)との交流
入院したその日は手術の為の準備として、さまざまな検査があった。それが一段落して病室に戻ってから同じ部屋の人に挨拶をした。最初はこちらも余り見えないから、はっきりその人の様子は判らなかったが、柴山さん(本当はどういう漢字を当てるのか判らない)が「私は実は全盲なんです。10年ほど前から近くの病院で治療していたのですが、眼圧が正常であったために医者が緑内障の詳しい検査をしなかったために、手遅れになってしまい視力を失いました。いまは30センチ先の自分の手も見えません。全て霞のような世界で、ただ光を感じるだけです。この病院で処置をしなかったら、真っ黒な闇の世界に行くところでした。だから光を感じる機能だけでも残ってよかった」といわれた。
そしてそんな障害を持ちながら明るく話す屈託のなさに、なんといって慰めればいいかとまどっている私は、救われたような気がした。私達は色々のことを沢山話した。目が不自由になって引退するまでは、彼はNECに勤めていたが独立してコンピュータのソフト開発の会社を作り、100名ほどの社員を抱えていたとのことである。退院するときに「古賀さんと話すことができてよかった。新しいものに挑戦する意欲が湧いてきました」という言葉を貰った。
◆手術
27日の朝8時の手術のために7時45分にナースステーションに行く。左手に化膿止めの点滴をしながら、車椅子に乗せられて4階の手術室へと移動する。昨夜の主治医との相談の時に、しっかりと右目の上に丸印をマジックで書いてあるにも拘わらず、いたるところで名前と生年月日と手術するのはどちらの目かと10度ほど誰何される。どうも患者を間違えたり、必要でない部分を処置したというケースがあったらしい。私が間違えて、或いは意地悪に左と右とを逆に答えたらどうするだろうか、と冗談半分に思わぬでもない。
手術室は天井は高さ4メートル、巾3メートルの広い廊下が3・40メートルほどの長さで真っ直ぐに続いている。両側には灰緑色のパーティションで仕切られた手術用のブースがいくつもあるようだ。まるで手術という生き物の生き死にに関係するような感情とは全く無縁の、機械の組み立て工場のような感じがした。ああここでは目の再生を担った医者達にとっては、私は一塊の物体にすぎないのだという感慨を持った。ある意味では、シリアスな場面では感情や情緒に左右されてはいけないのだろう。むしろその方が冷静かつ的確な判断による処置が出来るに違いないとも思った。
いよいよ手術室にはいると、一度に5人程の患者が平行して手術ができる広さで、床屋にあるようなすべての部分を丸みをてけて柔らかそうな感じに作られた椅子があった。患者にとってはこれから戦場に赴くようなシリアスな情況のなかで、はでなラベンダー色の椅子は似つかわしくないような、浮いたものを私は感じた。それともラベンダーには鎮痛や精神安定、防虫、殺菌などに効果があるとされるされていることのゆえなのか、それにしてもちょっとキッチュではないだろうかと私は思った。
その陳腐な代物に私は有無を言わさず座らされて、左手には点滴と人差し指に心臓の脈拍センサー、右手にはある一定の時間に自動的に腕を圧縮する血圧計をとりつけて、仰向けに椅子が倒される。4・5人のスタッフは私が恐怖や不安を感じる間もないほど、主治医の命令に沿って実に迅速に的確に持ち場の作業を進めていく。
私はされるがままにじっと上を向いて目を開けている。主治医は私の右目の廻りを洗浄液やら麻酔液やら判らないが、とにかく乱暴と思えるくらいにかなり強く、大量の液体で流し洗いをする。
その後寒冷紗のような目の粗い布を顔一面に被せ、右目のところだけは穴が開いているのだろう、上瞼と下瞼を粘着テープで強く引っ張り、瞬き出来ないように押し開いた。目尻が引っ張られて痛い。手術は何の痛みもなかったが、結局このテープの引っ張りが一番痛かったと感じた。
そして間髪を入れずドリルのようなものが上から降りてきて、蒸留水みたいな液体をザーザー右目を狙って落ちてくる。主治医がスタッフに「もう少し遅く、タッタタ、タタッタくらいの速度にするように」と指示している。タッタタの感覚は私には1秒間隔に聞こえた。「数値を32に設定して」とか、よく耳元でサブの女医と話している内容が聞こえる。
そのうち、「少し目尻に圧迫感がありますけど心配ありません」という声とともに、右目に視野のなかにモノクロームの図柄が見えてきた。
ジョルジュ・ブラックの抽象画で見たような、カトレアの縮れながら開いた花瓣に似た形状の黒と灰色の模様が、円筒形の内壁にベッタリと現れ、奥の方へパースペクティブに細りながら黒い穴に向かって、緩やかに回転ながら落ちていくのが見えた。主治医が「耳の近くでジーという音がしますよ」と声を掛けた。歯の治療で虫歯を削るドリルの音に似ている。暫くすると目の前が一面真っ白くなり形状は何も見えない。上瞼にそって細い針金の先でジジー、ジジーと何かを削りとる感じがした。
昨日手術について主治医と話し合ったときに聞いた目の構造とその処置についての説明を思い出した。今回の手術は濁った水晶体を取りだして透明な新しいものに替えるということらしい。私は今まで水晶体はドロッとした粘性のある液体と思っていたが、どうもそんなではないらしい。白内障はある種のタンパク質が綺麗に整列していなければならないのだが、加齢によってその配列が乱れてきて光を乱反射させるから、まともな像を網膜に送ることが出来ないということらしい。
それを超音波かレーザーで粉々に砕き、掻きだして除去するという。
「痛くはありませんか」という主治医の声は、これから水晶体を砕きますよという意味だろうか。患者を安心させるためにだろうか、よく声を掛けてくれる。私は体が反り返るほど緊張はしていたが、猛烈な痛さや手術の失敗やその他の不祥事が起きるのではないかという不安は不思議に最後までなかった。
それから再びその模様が今度は黒と白の反転して、穴に落ちていったり、真っ白な光に何も見えない現象を繰り返す。「はい終わりました」という主治医の言葉を聞いた。どこで新しい水晶体を入れ替えたのか私には判らなかった。準備から終るまで30分くらいだったろうか、兎も角大した痛みも不安も抱かず、何事も起こらず無事終了したようだ。左目の眼帯をとって、その視力回復を確かめるのは明日の朝の検診まで待たねばならない。
◆主治医のひととなり
主治医は考えられないほど忙しい人のように見える。家に毎日帰っているのだろうか。それとも近くに住んでいるのだろうか。朝早くから執刀して、夕方の7時に検診に来た。その間は一日中外来の患者を診察している。今日の眼帯をとるのも外来の患者を診る前に早朝やって来て診察してくれた。「水晶体を押さえる部分の筋肉が弱くて、それを処置するまでに普通より時間が掛かりましたが、うまく納まっているようです」と知らせてくれた。
実は主治医のことについて以前、インターネットで調べたことがある。ラサールから東大の医学部へ、学生時代は野球部に入り選手として六大学の試合に出ていたようだが、体躯は小さい方でしかもかなりハードな勉強をしなければならない医学生であったろうから、あまり打率はいいほうではなかったようだ。その情報についてはまだ本人に質だしたことはない。これからも親しく歓談することは多分なく、医師と患者の関係のまま当分続くだろう。口数はすくないが、別の用事で待っている待合室で、たまたま邂逅しても必ず声を掛けてくれる実に誠実な人だ。つっけんどんな言い方をする、常にプライドを身につけているといった可愛くないサブの女医とは大違いだ。
このことは同室の柴山さんも「古賀さんあのお医者さんが主治医でよかったですね」と羨ましげに言ってくれた。
◆開眼の結果は
さて眼帯を外した世界はどう見えたか。
一つ目は、こんなにもこの世の中のものが白黒がはっきりした明確な世界だったのか。先ず自分の顔を見たとき、こんなに眉が濃かったのかと思った。
二つ目は、色彩の鮮やかなこと。赤や青が輝くような彩度を放つ。これまでは信号の赤・青・黄がはっきり見えず、細君に判断してもらわなければ車の運転をするのに危なくて仕方がなかった。細君は私の目がそれほど悪いとは考えていないようで、もっとも見える人にはどのくらい見えないのかをいくら説明してもわからないのかもしれない。食べ物をよく落とすとか、落とした物をなかなか見つけられないとか、健常者の無理解というか、よくぶつぶつと文句をつけてくる。私も全盲の人がどのように眼前のものが見えるか、自分の目が悪くなるまで理解できなかった。
ある段階はあるだろうが、白い杖をつきながらでも一人で歩ける人はたぶん物の形はみえているのだろう。私のベッドの隣の芝山さんは、真っ白な世界でかすかな明かりの変化により眼前の物体は感じるが、それ以上の視覚は望めないということで、奥さんの肩に掴まって歩いていた。もっと悪化すると光も感じることができない闇の世界だそうである。右目がよくなってみると、いままでかろうじて見えていた左目が無性に悪くなったような気がした。だからどうもバランスの悪さは依然と同じようなものだ。しかし確実に本の文字は読めるようになったので助かる。
最後に、手術前の夜主治医による目の部分説明のとき、外界の像はピンホール・カメラと同じく人間の網膜に写る像も逆さまであることを確かめた。「そうだ」という回答だった。その像を脳の或部分で情報の処理をして正常に認識するということである。しかし私はもう一つ聞きたいことがあったが、そのときは思いもつかなかった。その網膜の像を正常に補正する能力のない患者の例はあるのか、その場合その人はすべての外界をが逆さに見えているのかという疑問である。

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