先ずは私の作品にたいして、合評という手間の掛かる行為に貴重な時間と優秀な頭脳を煩わ
せたことにたいしてお詫びとお礼を申し上げます。
しかし、自分の作品について自ら詳しく解説するという行為は、高級料理でこれ見よがしに料理の効能を述べ、客に「美味いだろう」とばかりに強要するようなものに思えてどうも私は気が進まないのですが、ご質問のあったものに対してはお答えしたいと思います。
私は村上春樹の「スプートニクの恋人」は読んでいませんが、「東京奇譚集」などを読みますと、偶然の重なりが何かに導かれたことのように感じられて不思議に思われることが度々あります。
◆ドッペルゲンガー現象について
私の中に幾度となく妙な現象を体験したことはあります。それが
ドッペルゲンー現象であったか、単に夢の中の出来事を現実と間違
えて思い込んでいるのか判然としません。
◆不気味なりものについてはフロイトが言う「不気味なるもの」という
定義の中に同じ事態の反復がある一定の条件のもと、一定の状況と結
びつくと、うたがいの余地なく不気味な感情を引き起こす。この感情
はいくつかの夢の状態が示す寄る辺なさを思い出させる。
例えば ・不案内の街の路地を歩いても何度も同じ街角に出る。
・身の回りのナンバー例えば六十二という数字が同じ一日の
うちに何の関
連もなく係わってくる。
◆赤松次郎は己の姿のなかに父の面影を見て一種の「不気味なるもの」
ととらえた。また、村上春樹の小説に出てくるもので、私が彼の小説
に接する以前に書いた「三つの願い」やその他の場面の記述のなか
で、妙に一致する記述を見つけた時もそうだった。村上春樹の場合は
「ねじまき鳥クロニクル」では「井戸の中」、私の作品では深い縦
穴、そして「不気味なる」情景の記述に「ジョルジョ・デ・キリコ」
の表題は失念したが「車輪を回す少女」の絵を取り上げている。これ
は彼の「生と死」、「この世とあの世」、「聖なるものと邪悪なも」
などといった、漠然とした「心の中に住み着いている暗闇」を好んで
描くといった趣 向が私の描きたいものと一致しているような気がす
るのであります。神秘主義というほど確たる自覚はありませんが。
つづく

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