2010/8/24 9:14
第62回−あとがき 陸軍中野学校
吉原政巳著「中野学校教育」(一教官の回想)に学ぶ −第62回−
あとがき
人は一生の間に、心深くうたれて、忘れることのできない言葉と、何回かめぐりあうものである。もちろんその言葉は、それを言った人の、生涯をかけて実践した、人生の真実に出たものでなくてほならぬ。私にとって、谷泰山先生の教と伝えられる次の言葉、
貴殿よく合点して死土産をこしらえる様にめさるべし。(中略)たとへば貧窮にして人中へ出ることもならず、油もなくて夜分に書物一冊見ることもなきほどの事にても、くらがりに黙然として居ても、少しも淋しうもなく心面白く居ると云ふ楽のなきは、いかほどの物しりでも本のことにてなき。
は、その最も強烈なものの、一つであった。今でもこの言葉を思うと、粛然衿を正すと共に、何ともいえない懐かしさを覚える。
強い個性、豊かな才能を持っている人は、世に多い、だが私には、何の取柄もないし、自信もない。ただ縁あって、恩師の導きを受け、民族の魂の源泉である、古典に親しむ心をおこした。齢はすでに、二十二歳であった。
その後、恩師・先輩・畏友の教と切磋をうけ、古人先哲の魂を慕って来た。陸軍中野学校で、学生諸氏と一緒に学んだ時も、私なりの祖述を試みたに過ぎない。それが本書に記したような、内容であった。もとより不敏の故に、師説を体認できず、先哲の教とは程遠いものであっただろうが、志はそこにあった。
この事は、陸軍中野学校教育の、全体像を捉えようとしたものではない。本文でも述べたように、秘密戦を研究し、秘密戦士を養成する、陸軍中野学校において、私は秘密戦に関与しない、全くの門外漢であった。つまり私は、きわめて例外的な、中野学校の体験者である。ただ私が信じているのは、中野学校は、祖国日本の悠久の歴史の、正しい流れの中に生まれ、これを継ぎ護ろうとしたものであった、ということである。この深い底流において、私自身の、中野学校を体験させてもらった、と思っているのである。
何らかの形で書いておけ、と幾人かの友に、早くから勧められて来たが、どうしてもその気になれなかった。三年程前、新人物往来社の相葉一博さんに要請されたが、動けなかった。一年程前から、同社の椎野八束さんの来訪が始まった。遂にこの四月初め、引き受けてしまった。若い御両所の、志と人柄に動かされたのである。強靭で複雑、容易に実体を捕捉できない秘密戦ゆえに、とかく誤解され興味本位に扱われ易い中野学校について、低い声ながら、また自分だけの一断面観にすぎないながら、私の体験を述べておくことも、全くの無駄ではないだろう。
本書の中で私が一、二の例外を除いて、現存の方々の人名を掲げてないのは、私なりの用意あってのことである。非礼にあたる点は、謹んでお詫びして、御了承を仰ぎたい。
昭和四十九年六月十日
著 者
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あとがき
人は一生の間に、心深くうたれて、忘れることのできない言葉と、何回かめぐりあうものである。もちろんその言葉は、それを言った人の、生涯をかけて実践した、人生の真実に出たものでなくてほならぬ。私にとって、谷泰山先生の教と伝えられる次の言葉、
貴殿よく合点して死土産をこしらえる様にめさるべし。(中略)たとへば貧窮にして人中へ出ることもならず、油もなくて夜分に書物一冊見ることもなきほどの事にても、くらがりに黙然として居ても、少しも淋しうもなく心面白く居ると云ふ楽のなきは、いかほどの物しりでも本のことにてなき。
は、その最も強烈なものの、一つであった。今でもこの言葉を思うと、粛然衿を正すと共に、何ともいえない懐かしさを覚える。
強い個性、豊かな才能を持っている人は、世に多い、だが私には、何の取柄もないし、自信もない。ただ縁あって、恩師の導きを受け、民族の魂の源泉である、古典に親しむ心をおこした。齢はすでに、二十二歳であった。
その後、恩師・先輩・畏友の教と切磋をうけ、古人先哲の魂を慕って来た。陸軍中野学校で、学生諸氏と一緒に学んだ時も、私なりの祖述を試みたに過ぎない。それが本書に記したような、内容であった。もとより不敏の故に、師説を体認できず、先哲の教とは程遠いものであっただろうが、志はそこにあった。
この事は、陸軍中野学校教育の、全体像を捉えようとしたものではない。本文でも述べたように、秘密戦を研究し、秘密戦士を養成する、陸軍中野学校において、私は秘密戦に関与しない、全くの門外漢であった。つまり私は、きわめて例外的な、中野学校の体験者である。ただ私が信じているのは、中野学校は、祖国日本の悠久の歴史の、正しい流れの中に生まれ、これを継ぎ護ろうとしたものであった、ということである。この深い底流において、私自身の、中野学校を体験させてもらった、と思っているのである。
何らかの形で書いておけ、と幾人かの友に、早くから勧められて来たが、どうしてもその気になれなかった。三年程前、新人物往来社の相葉一博さんに要請されたが、動けなかった。一年程前から、同社の椎野八束さんの来訪が始まった。遂にこの四月初め、引き受けてしまった。若い御両所の、志と人柄に動かされたのである。強靭で複雑、容易に実体を捕捉できない秘密戦ゆえに、とかく誤解され興味本位に扱われ易い中野学校について、低い声ながら、また自分だけの一断面観にすぎないながら、私の体験を述べておくことも、全くの無駄ではないだろう。
本書の中で私が一、二の例外を除いて、現存の方々の人名を掲げてないのは、私なりの用意あってのことである。非礼にあたる点は、謹んでお詫びして、御了承を仰ぎたい。
昭和四十九年六月十日
著 者
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