2010/7/26  10:25

第46回 −士道・士魂について  荒尾精

吉原政巳著「中野学校教育」(一教官の回想)に学ぶ −第46回−


   第四章 教 材

     4.講孟箚記(講孟余話)

  C士道・士魂について

「東湖は二日目には大義といい、名分といったが、象山は口を開けば、必ず五大洲といった。」とは面白い表現だが、東湖を慕い、象山にも師事した松陰は、醇乎たる日本人を目ざすと共に、大きく世界に眼をひらく所があった。そしてそれは、机上の学問に終らせぬ、実践躬行の学であった。実践には、勇を欠くことは出来ない。勇は士の本領である。士魂を磨くことを、片時も忽せにしないのは、また当然のことであった。

  恒産無くして恒心ある者は、惟だ士のみ能くすと為す。

は、染恵上篇第七章にある。この章は、孟子の中で、一番長い文章で、天下を服するには仁政をもってせよ、との持論の展開であるが、その中から、ただこの一句を取り出した箚記は、本章の眼目を述べた後、

  此一句にて士道を悟るべし。諺に云、武士は食ねど高楊枝と、亦此意なり。然れども是れ武士への教と云ふには非ず。武士の有様なり。武士と云ふ者は、飢えても寒(こご)えても、吾が持前の心懸を失わぬ程の事は申すまでもなきことにて、教と云ふには足らぬことなり。

と、士道のあるべき姿を、直示する。ゆえに、滕文公下篇首章から「志士は溝壑(がく)に在るを忘れず。勇士は其元(こうべ)を喪ふを忘れず。」の一句を取り出して説き、

   書を読むの要は、是等の語に於て反覆熟思すべし。志士とは志達ありて節操を守る士なり。節操を守る士は、困窮するは固より覚悟の前にて、早晩も飢餓して溝谷へ転死することを念って忘れず。勇士は戦場にて撃死するは固より望む所なれば、早晩も首を取らる共顧みざることを念って忘れず。苛も士と生れたらん者は、志士勇士とならずんば、恥べきの甚しき者なり。今吾輩囚繋に陥り、将(まさ)に身を終んとす。是れ宜しく志士の節操を心掛くべし。溝壑をさへ忘れざれば、生を囹圄に終るとて、少しも頓着はあるまじ。却て本望とする所なり。此志一たび立って人に求むることなく世に願ふことなく、卅海箸靴禿恵聾添・魄貉襪垢戮掘・韻北痢κらずや。吾学茲に進まば、察λ臨んで亦豈に諭ξなる者に後れんや。」
と。まさに朗々誦して、心胆を練るべき大文章である。


 この勇を養うは、孟子得意の、浩然の気に学ぶことが出来る。公孫丑上篇第二章は、当時の農家学派の説を駁した、滕文公上篇第四章と並んで、二番目に長い文章であるが、この中から「至大至剛、直を以て養いて害すること無ければ、則ち天地の間に塞る。」が取り上げられる。「至大とは浩然の気の形状」である。「此気養って是を大にすればその大極りなし。餒(くさ)らして是を小にすれば其小亦極りなし。」で、「浩然は大の至れる者」である。

  至大至剛は気の形状模様にして、以直養而無害は、則ち持其志無暴其気の義にして、浩然の気を養ふの道なり。其志を持すと云ふは、吾が聖賢を学ばんとするの志を持ち詰めて片時も緩がせなくすることなり。学問の大禁忌は作錣(てつ)なり。或は作し或は錣(や)むることありては、遂に成就することなし。故に片時も此志を緩がせなくするを持其志と云ふ。

と述べ、ここでまた、象山修学の教を想い起している。下田事件に連坐して罪せられた、象山の堂々たる学風は、箚記の中に、しばしば引用されるが、獄中の若い松陰の、師を偲ぶ其情また掬すべきであろう。それにしても、箚記が本章を終るにあたり、「故に人能く私心を除く時は至大にして天地と同一体になるなり」と説く、この人のこの言、まことに千均の重みを覚える。

 箚記は、尽心上篇に入って、「此篇首(はじめ)の数章、皆精微の論なり、宜しく心を潜めて味ふべし。」と前書きし、その心をつくすことに、懇切な論を進めてゆき、箚記全体における比重も大きい。首章の箚記も、大変長いのだが、その中に、「殀寿不弐(うたがは)」の四字について、「誠に吾輩の良誠」であるとし、身を修むるは己に在るので、年老いても努むべきで、はかなき浮世などと捨てずに励まねばならぬが、

  凡そ人一日此世にあれば、一日の食を食ひ、一日の衣を着、一日の家に居る。何ぞ一日の学 問一日の事業を励まざるべけんや。例えば逆族の如し。茶屋小屋に休宿する時は、夫々に茶代宿代を与ふるが如し。天地は万物の逆族にして、衣食居を初め、天地万物の恩を受けながら、其恩に報ぜざるは実に天地の盗人、万物の蠧(と)虫と云ふ物にて、茶代宿代を与へずして逆族を過るが如し、豊に倶れざらんや。
と、物静かに述べる言葉が、胸をうつのである。

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