2014/6/22

日本中が原発避難区域に  原発事故

福井地方裁判所で、大飯原発の運転差し止め判決が出ました。判決の要旨は、電気をつくる手段の原発を、人間が生きることよりも優先してはいけない,日本は原発立地不適国であり、原発は人として生きる権利を侵している、というものでした。福島第一原発事故発生時に、政府の原子力安全委員会が想定した原発の250キロ圏を地図に落とすと、その中に日本列島がほとんど入ることを知って、多くの日本人が原発事故が他人事ではないと考えたのではないでしょうか?クリックすると元のサイズで表示します
転職から就農そして田舎暮らし
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2014/6/22

戦争体験を聴きました  戦争

 飯綱町の「飯綱9条の会」の8周年記念のつどいに参加しました。つどいでは、地元の方の戦争体験をお聞きしました。
 14歳で満蒙開拓義勇軍に応募して満州に渡った方からは、開拓とは名ばかりで、それまで中国人が耕していた土地を奪って、日本人のものにしたこと、敗戦後シベリアに抑留され、苦労を強いられやっとのことで帰国することができたこと、関係した方々の組織の「拓勇会」は高齢と亡くなる方が多くなり数年前に解散して交流ができなくなったことなどをお聞きしました。クリックすると元のサイズで表示します
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2014/4/15

福島の里山から長野へ29−4  古民家

川上の家のまわりの雪も、去年よりも10日ほど遅いとはいえ、あっという間に融けて、枯れ草の間からは、しあわせの黄色い福寿草だの純白のフキノトウだのが、私の季節が来たといわんばかりにさりげなくしっかりと春を告げて、グズグズしてるときじゃないよと野良仕事に急かし立てているようです。


川上の家は、基礎まで解体をしたところで、腐った基礎や柱を前にして、リフォームがストップしていました。素人には手に負えないと考え、近所の方に相談して、基礎部分だけをやってくれる大工さんを紹介してもらいました。屋根を支えながら基礎材を入れ替え、柱の腐った部分も柱ごと入れ替えたうえに、大きな梁を入れ細い柱を取り去ってもらい、部屋スペースを広くできるようになりました。さすがにプロの仕事は、いい出来栄えで早いですね。
陽気もよくなり、陽も長くなって、気合を入れてセルフリフォームに励もうと思います。

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2014/4/10

福島の里山から長野へ29−3  原発賠償

福島第一原発事故によって、現在もおよそ13万5千人の人が避難しています。ふるさとを追われて、全国各地に避難し「難民」の日々を余儀なくされています。事故を起した福島第一原発では、毎日のように小さな事故が起きており、原発をコントロールすることさえできていません。住宅地や学校、田畑や山林に撒き散らされた放射性物質は除染したと言われていますが、黄色と黒の立ち入り禁止区域マークの看板は立てられていませんが、病院のレントゲン室の放射線管理区域と同様の状態です。除染は終了したということにして、帰還時期を決め帰還してもしなくても、とにかく「避難させていること」を終わらせて損害賠償を打ち切ろうとしています。今年に入って国は、これまでの「全員帰還方針」を転換し、「帰還と移住を選択させる方針」を発表して、「事故を終わったこと」にしようとしています。被害者を置き去りにして、原発事故を解決し学んだとうそぶき、原発再稼動と原発輸出を進めています。私は、こんなことが進んで行く日本は、なんと恥ずかしい国かと思います。

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2014/4/8

福島の里山から長野へ29−2  農作物

雪融けの進んだりんご畑は、剪定が終わり、春の温かい日差しを受けて温められた畑から、りんごの木が水をぐいぐいと吸い上げて乾いた枝を潤おしていきます。枝だけのりんごの木は、こんなで大丈夫か、美味しいりんごをつけてくれるんだろうかとも見えます。茶色一色だった土の中からは、黄緑色の小さな草がいっせいに芽吹いてきました。さあ、今年もりんご作りを楽しもう。

花の春は、福寿草から始まり、思いつく順にあげると、水仙、桜に梅、カタクリ、つつじ、菜の花、桃、りんごへと、次々に咲いていきます。花の後は葉っぱに楽しみな実がつき、仕事に追われます。


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タグ: りんご 花は春

2014/4/5

福島の里山から長野へ29−1  原発事故

 2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故により避難を強いられ、福島の里山から避難して3年が過ぎました。復興庁がこの3月13日付で調べた避難者は、全国47都道府県の約1200の市町村に、263,958人いるとのことです。いまだに自宅には帰れず、仮設住宅や民間賃貸住宅、親戚や知人宅などに住むことを余儀なくされています。

私は、避難指示の直後は避難所で暮らしながら、出来るだけ被災地の近くで復興の役に立ちたいと考え、復興関連の仕事を探して何回も応募しましたが採用されませんでした。そういうことや友人の助言もあって、事故前に求めていた農を再開できる場所を探して福島から長野に避難しました。福島に帰る日を待ちながら、長野で農のある暮らしを送れる場所を見つけました。1年目はハウストマトの農業法人で働きました。2年目はりんごと稲作農家のお手伝いをして、りんごと米を作りました。農地の近くに住まいを見つけてリフォームを検討しましたが、なかなか手ごわいものでした。3年目は、りんごを自力で作りましたが、原発事故被害の賠償を求めて訴訟を起こしたこともあって、住まいのセルフリフォームは進まず、住めるようにはなりませんでした。

4回目の春を迎えて、農のある暮らしは続けるものの規模を抑えて、住まいを住めるようにしながら、原発訴訟に取り組もうと考えています。

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タグ: 今年の計画

2013/2/21

福島の里山から長野へ16−6  古民家

飯綱町川上の古民家は雪の中です。家の外は雪が融けるまでいじれないので、雪の季節は家の中でできるリフォームです。茅葺の屋根が気に入り、その威容を家の中から楽しめるようにと思い、一部天井を解体して、屋根裏から萱の掃除を企てています。低いところで床から4メートルもあり、高いところは8メートル以上あります。掃除機のホースを延長して、脚立に乗ってゴシゴシシューシューと吸い取る作戦です。囲炉裏のススが真っ黒く付いた萱の外皮が外れると、黄褐色の茎が現れます。居室の真上なので綺麗に掃除しないといけません。
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2013/2/20

福島の里山から長野へ16−5  自分史

鎌ヶ谷の家を占拠しているものは、紙です。紙の資料が溜まる溜まる、本をはじめパンフレットやチラシのたぐい、一番多いのが会議向けに作られた資料です。自己流の片づけの手順は、関心の強いもの、保存しておこうと思ったものを、A4の大きさに揃えて、もちろんこれより小さいものは何でも入りますが、角2の大きさの袋ファイルに入れて、見出しをつけて、50音順に並べて、入らないものはペットボトルの12本入り箱ファイルに、箱には見出しをつけて、もっと大きなものやまとまったものは、80リットルのコンテナ100個に、同じ見出しで溜まると見出しを分割して、次々に移し変えます。探すのに時間がかからないように、整理に時間をかけています。探し物がすぐに見つかると気持ちいいです。鎌ヶ谷の家ではものが溢れて、片づけもままなりません。川上の家を物置にしてはいけないのですが、鎌ヶ谷の家を使い勝手のいいものにするために、長野の川上の家に鎌ケ谷からものを移動しています。
捨てる事が一番ということは知っているのですが、これまで一杯溜めたものを楽しみに変えるのが片づけです。人生の片づけ、『自分史づくり』でわかったことです。いつも見える手の届くところにおいておくのは、カラーボックスに6箱分にしています。見ないものは分類して大きい箱に入れます。
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2013/2/15

福島の里山から長野へ16−4  就農

私は福島から長野に避難して生活再建をすすめながら、被災地と全国に避難した被災者のことを思ってきました。被災地から離れても、福島県と浪江町から広報紙を取り寄せ、福島の地方紙を見る機会を作ってきました。被災地に帰れないで苦労している被災者と連絡を取り合い、被災地の復興を強く願うようになりました。その中で、原発事故による損害賠償が進んでいないこともわかってきました。
事故から5ヵ月後のおととしの8月に、原子力損害賠償支援機構法を含む原子力損害賠償制度の枠組みがつくられ、原子力損害賠償紛争審査会が「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」(以下、「中間指針」)を決定し、東電は中間指針で示された損害項目ごとに補償基準を策定しました。このことに時間がかかったことから、仮払金が支払われました。
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事故が収束しておらず損害額を確定できないので、事故発生日(3月11日)から8月末日までを1回目、その後は3ヶ月ごとに請求を受け付けると知らされました。私は、補償基準を基にした賠償請求の専用用紙が送られてきたので、記入して送りました。事故当時に住んでいた者として請求したのは、避難生活等による精神的損害、避難費用、一時立入費用、就労不能損害、検査費で、合計126万円でしたが、東電の補償基準により賠償するのは30万円とするとの通知があり、唖然としました。請求の窓口の「相談室」に連絡しましたが、説明はなく東電の賠償担当部署(企業弁護士)の言うことを繰り返すだけの誠意のない対応でした。事故当時に農業をしていた者として請求したのは、政府による避難指示等により農畜産物の生産・出荷ができなかったために生じた2011年分の逸失利益で20万円でしたが、東電からは10万円とするとの通知がありました。今回請求したのは事故直後の一年分でしたが、請求は大部分が拒否され、納得できません。


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2013/2/5

福島の里山から長野へ16−3  就農

私は福島から長野に避難して生活再建をすすめながら、被災地と全国に避難した被災者のことを思ってきました。被災地から離れても、福島県と浪江町から広報紙を取り寄せ、福島の地方紙を見る機会を作ってきました。被災地に帰れないで苦労している被災者と連絡を取り合い、被災地の復興を強く願うようになりました。その中で、原発事故による損害賠償が進んでいないこともわかってきました。
事故から5ヵ月後のおととしの8月に、原子力損害賠償支援機構法を含む原子力損害賠償制度の枠組みがつくられ、原子力損害賠償紛争審査会が「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」(以下、「中間指針」)を決定し、東電は中間指針で示された損害項目ごとに補償基準を策定しました。このことに時間がかかったことから、仮払金が支払われました。
事故が収束しておらず損害額を確定できないので、事故発生日(3月11日)から8月末日までを1回目、その後は3ヶ月ごとに請求を受け付けると知らされました。私は、補償基準を基にした賠償請求の専用用紙が送られてきたので、記入して送りました。事故当時に住んでいた者として請求したのは、避難生活等による精神的損害、避難費用、一時立入費用、就労不能損害、検査費で、合計126万円でしたが、東電の補償基準により賠償するのは30万円とするとの通知があり、唖然としました。請求の窓口の「相談室」に連絡しましたが、説明はなく東電の賠償担当部署(企業弁護士)の言うことを繰り返すだけの誠意のない対応でした。事故当時に農業をしていた者として請求したのは、政府による避難指示等により農畜産物の生産・出荷ができなかったために生じた2011年分の逸失利益で20万円でしたが、東電からは10万円とするとの通知がありました。今回請求したのは事故直後の一年分でしたが、請求は大部分が拒否され、納得できません。
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