秋のキリスト教セミナーの第3回がありました。
4世紀のギリシャ教父 アタナシオス
「神でなければ、我々は救われない」というタイトル。
なにやら難しそう・・・
これは、イエス・キリストが神でなければ、我々は救われない
ということ。
どうやら三位一体論争らしい。
キリスト教の神は唯一神。
しかし天の父なる神様、
御子イエスキリスト、
聖霊。
この三位が、新約聖書(福音書)には一体の神として名前が出てくる。
「人が神となるために」というタイトルは、
「人が神とならないために」という荒井献先生の説教集に対抗して
本日の講師、土井健司先生がおつけになったものらしい。
人は傲慢になって、自分を神としてはいけない・・・
それが荒井先生の趣旨。
土井先生のは、人が神のように慈悲深く博愛の心を持って・・・
という意味だと最後に分かって、ほっとしました。
というのは、最初から、「人が神となる」という言葉に抵抗を感じていたからです。
なぜなら、旧約聖書によれば、エデンの園で蛇がエバを誘惑したのは、
「それを食べると、目が開かれて、神のように善悪を知るものとなる」と言ったのです。
神を畏れ崇めるのではなく、人が神となろうとする、自分を神とする、
これほど恐ろしいことはないと、私は思っていました。
だから荒井先生のおっしゃる、傲慢になってはいけない
そのほうがすんなりと受け入れられます。
ただ、イエスキリストが神であるというのは、その通りだと信じています。
神でなかったら、十字架の意味も、その贖(あがな)いによる救いもないから。
紀元4世紀 アタナシオスは御子イエスキリストの神性を主張して
60年間の間に、5回も追放されたそうです。
神学論争には巻き込まれたくはありません。。。。
ただイエスキリストが自分の救い主であると信じる。
それだけ。
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私の敬愛する先輩であり友人のKさんのご主人が、
イエスキリストを信じることを表明なさる決心をされました。
11/8の朝、その嬉しい知らせをお聞きして、涙が溢れました。
主を讃美します!
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日本人のキリスト者として
賀川豊彦・矢内原忠雄・内村鑑三・新渡戸稲造・柴田俊太郎・太田俊雄を尊敬していますが、
昨日から内村鑑三の「1日1生」を毎日読むことにしました。
心に沁みます。
翻訳された信仰書はずいぶん読みましたが、
日本人の気骨ある信仰者の書物をじっくり読みたくなりました。
きっかけをつくってくださった友に感謝。
雪待月の丘 美瑛 11月
northland-art-studioさんからお借りしました。
もうこの丘にも雪は積もっているのでしょうね。

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