雪は一段落かな。・・とは言っても、また降るそうですが。
いやはや、よく降る年ですねえ。
さて、先日、福島へ研修に行ってきました。
全国災害ボランティア議員連盟の視察研修ですが、原発が隣接する自治体に住んでいる以上、福島の状況を知らずにはいられないだろうと、行ってきました。
福島へは、お父さんがねんりんピックのファンファーレを作曲し、それが採用されたということで授賞式に行ったのが・・ん・・息子がまだ新幹線でぐずぐず言ってたから、10年くらい前に行ったきり。
それ以前に、友人が福島出身で、彼女の実家を訪ねたこともあったっけ。
友人のお兄ちゃんが喫茶店を経営されてたけれど、3.11以降やめられたとも。
今回は、福島市内でなく郡山の駅に降り立ち、そこからバスで移動するという計画で。
事務局長が以前からNPO災ボラネットふくいで理事長もやってくれてた現県議なので、ついつい気楽に参加を考えられるのがありがたいことです。
県議になってからも、いつも引っ張ってくれるのがほんと感謝です。(本人には言ったことがないのでここで^^;)

郡山市ビッグパレットの敷地内に仮設住宅を建設されている川内村。
ちょうど伺った翌日には「帰村宣言」をする予定とのことで、帰村に向けての村長のお気持ちも直に聞くことができ、マスコミを通じてでは分からない、心の部分を知ることが出来ました。
隣の富岡町からの避難者を受け入れているうちに、川内村自体も避難しなければならなくなったこと。
国や県からの原発の避難指示が公の連絡ではなく、私たちと同じTVを通じてでしかわからなかったこと。
避難先も供給物資も、すべて自分たちで判断したこと。
両町村民の安全が、すべて町村長に委ねられていた事実を改めてご本人からお聞きし、その判断の厳しさに身体が震えました。
同時に、あれほど立地の地元が反対しても推進した原発事業に、安全だ安全だとしか言わずにここまで来て、結果、このていたらくかと・・悔しくて涙が出ました。
いっそ反対できればいいのに。原発なんかいらないと言えたら、どんなに楽になれるだろうと、心の底がはちきれそうになりました。
国なんか、原発事業者なんか信用できないと思っていたけれど、本当に信用できないんだと知るのは、長い立地の歴史を踏みにじるようで、辛い。
研修室をお借りする岳温泉に向かうバスの中では、二本松市で食品の放射線を測定されている男性のお話を伺いました。
不安を感じる放射線の話が積み重ねられていくのを聞くのは、それが事実だとしてもあまり嬉しいことではなく、自分の気持ちが引いていくのが分かります。
でも、一言一句誠実に話される男性の姿勢が、逃げようとする私を変えるのも感じました。
事実から目を背けたい。見なかったことにしたい。聞かなかったことにしたい。
大騒ぎするわけでもなく、大げさに言うわけでもなく、ただ、
「子供たちをしばらくの間だけでも放射線の心配を感じない場所で休養させてやってください。息の長い支援をお願いします。」
そう言われた言葉に、何かしなければ・・。放射能を怖がって育った私たちだから、何かしなければ・・。そんな風に思いました。
岳温泉のホテルでの県、原子力安全・保安院、文科省の研修。
県は、地震による被害で本庁舎が使えなくなり、自治会館に対策本部を設置したことで外部との通信回線が足りず、ほとんど身動きが取れなかったことを認め、今後の除染について説明をされました。
除染と言っても、洗浄したり土を取り除いたりといった以外に確立された方法はなく、試行錯誤を繰り返している状況が見て取れ、日本と言う国は、本当に原発事故はない!という考えで今まで来たんだなあ・・と、実感してしまった。
原発が怖い、放射能が怖いと騒いでいたのは、ほんとにごく限られた立地の人たちだけだったんだと、捨てられた感が拭えない。
こんなに科学技術が発達してきたはずの日本で、残されているのは農業と原発事故処理。
うちらの地域はこの両方と一緒に生きてきたんやでえ。

原子力安全・保安院。
低姿勢なのか、高姿勢なのかわからないのはどの人も同じだなあ。
規制庁の組織を絵にして自信満々・・に見えた。
いざ事故が起こったら・・という原子力防災計画を見直し、避難先を決め、避難経路、各自治体の避難がスムーズになるよう原発に近い自治体から避難できるよう段取りし、半年後には完成するように・・と。
東を向いても西を向いても原発が林立する中で、いったいどれくらいのパターンが必要になるんだろう。自治体間の調整は県がしてくれるのかなあ。
うちの地域、うちの集落は、どの手段でどの経路で、どこの町のどこの体育館に避難する?
そんなこと・・半年で出来るんだろうか。
国の人って、人が見えてるのかな。県単位くらいでしか見てないんじゃないの?
町に戻って担当課に話したら、既に県が調整に入っているとの返事。
ふむ。嶺南からぐっと離れた県の職員さん方、遠くて来にくいかもしれませんが、出来れば、現地を知ったうえで調整頂けるとありがたいんですが。
文科省。
あのSPEEDIの説明。
気象情報と放出源情報を計算して放射性物質の拡散状況を導き出すこのシステムはやっぱり必要。
3.11は放出源情報が得られなかったとして仮の情報を入力して導き出したために公表されなかったとのことは、以前から言われている通り。
これも、放出源情報が得られないほどの重大事故が起きると思われてなかったってことか。
また、SPEEDIは文科省の管理ではあっても、国民への情報提供や広報活動は文科省の役割でなく、現地対策本部や保安院の仕事だったそう。なのに、現地対策本部が機能せず、その上部の原発災対本部も保安院も、SPEEDI情報を広報するなんてことは頭になかったらしい。
宝の持ち腐れって、ほんとにピッタリな話で。
各自治体の防災計画も作るには作るけれど、住民はおろか職員でさえも読んでないんじゃないかと不安になるけれど、国でも、作っても知らない法律や決まり事ってたくさんあるんもんだと・・思いました。
翌日は楢葉町の職員の方にバスに同乗頂き、バスの中で当時の状況を聞き、立ち入りが制限されている20km圏内もご案内頂きました。
楢葉町は沿岸部で津波の被害も受けており、3.11は津波と地震の対策に追われ、12日からはここもTVの情報で10km圏内避難、20km圏内避難と続き、災害協定を結んでいたいわき市に順次避難を続けたそう。

逃げる時には、どの町も役場が所有するスクールバスや社協のバスを利用し、ピストン輸送を繰り返す。
避難先は遠すぎても大変なんだと気づきました。
人気(ひとけ)のない20km圏内の楢葉町は、夢の中で歩いているような孤独感を感じました。
良かった、大勢でわいわい言いながらの視察で。
話してないと、気持ちが持たない気がしました。
ずっと、原発立地のことをぼやいてたけど。
そうそう、Jヴィレッジにもお邪魔し、その役割などについて説明を受けました。
ここで着替えて、20km圏内と圏外を区別する場所なのですが、作業後の使い捨ての防護服などの廃棄物がコンテナに入れられて山のように積んでありました。
ここにも放射性廃棄物か。
放射性廃棄物、処理するなら、原発で作った電気を使ってる場所で処理してくれ・・と、地元の人が口にした。そうだ、福島は東電の電気使ってなかったんだ。
危険だから人口の少ないところに作り、人が多く住んでるところには生産された電気だけ送って、使ってる人たちは作っている町の人に危険を味あわせていることを知らなかった。
悲しい。
以上、福島での視察研修の報告でした。
資料もたくさんいただきましたが、ここにはここまでとさせていただきます。

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