土佐つむぎの復活を目指して

2017/1/22 
久しぶりの投稿です。
さて、本日のお題は「土佐つむぎの復活準備」です。
土佐つむぎというのは高知県の香美市赤岡町に嘗てあった古い機械織りの紬のことです。この土佐つむぎはもう10数年間に製造中止となってしまったもので、Hさんが10数台の機織り機を使って生産していた紬です。この機織り機は豊田自動織機のもので、今から50年も60年も前に製造していた製品なので、折に微妙なムラが出るため、そのムラが に妙は手触りの違いとなり、色反射の違いになって味わい深い布地になっています。
 私は10年以上前この工場が閉鎖になるというその直前に10数本、ワイシャツ2枚は作れる程度の量のストライプや格子縞のものを入手しました。これはそのまま、現在も保管していますが、これを何とか復活させたいと願っていました。
 先日、香美市岸本にあるそのもと工場主に久し振りにお会いしました。現在84歳になられるそうですがかくしゃくとしており、当時織った布の見本帳を久しぶりに見せてもらいました。お話を伺う中で既に当時の染料そのものがあるかどうかわからないこと、織機は廃棄処分になっていることを再確認しました。しかし、手染め手織りで復元するなら可能性があり、なおかつ機械織りよりさらに味わい深い布が織れそうなのでこれを復活させるめどが立ちました。
 あとは、若いジオテキスタイルの織姫を見つけ、これを育成しながら一緒に研究すればいいと思っています。
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自家消費型有機農業

2016/3/23 
私は仁淀川町でアトリエを構えてはや数年、やっと先日3月21日ですが、終日アトリエ横の40坪ほどの畑を手動耕運機で耕しました。
3月18日には高知市内の自宅近くの10坪農園は、貝殻石灰を20s投入して土壌消毒をしました。貝殻石灰は消石灰と違って土がカチンかちんにならないよと、これは、オーガニックマーケット主催者のYさんが教えてくれたことを忠実に実行しました。
 最近私は農業に関しては先達の意見を取捨選択しながらやるようになりました。

放棄農地についてもちょっと考えが変わってきています。放棄されることは一見マイナスですが、まったくの赤の他人が引き継ぐ可能性が出てくるということです。
 現に私の周辺ではこうした棚田を借り、現地に居住して頑張る若者が出てきています。彼らのうち定着するのは1割いるかいないかでしょうがそれで十分なのです。
 農業人口は5%の横這いで十分です。その5%が後継者なのです。彼らが百姓ならぬ百笑になってくれれば十分です。



さて、いま日本は地方創生と言って地方に若者を送り込む戦略を実行しています。しかしみんながみんな残るわけでなし、せいぜい1割り2割十分と思いますが、仁淀川町の移住者定着率は現時点で7割を超えているようで素晴らしい定着率です。 

この差は何なのか。というと人です。人が決め手だというのが私の持論ですが、具体的にどんなことなのかは軽く睡眠後また、続きとして書き込みます。

2012年末平山をリタイアしてから5年を経過しようとしています。2011年にはメンバーの脱退騒ぎがあり、脱退メンバーが平山で継続活動したいという意向を尊重し平山から完全撤退していたのですが、2014年には自宅そばの10坪市民菜園を借り、2015年には仁淀川町にアトリエを借りました。2016年には今の場所に移動し、今年、アトリエ横の40坪農地で多品目の自家消費菜園を作るべく、手動耕運機を使って第1回耕転を終わったところです。
 第二回は3月末ぐらいを予定していますが、貝殻石灰と油粕で土壌の消毒と改善をする予定です。前回の苦い体験を生かして、集団活動はしません。というより、メンバーとは別に単独で楽農に加えて、有機農業で種代ぐらいは稼ごうという心づもりなのです。
 
アトリエ前にはKさんというおばちゃんが住んでいます。このおばちゃんは茶畑を複数持っており、その1つが放棄茶畑になっています。
これを4月以降剪定して茶畑を復元する予定です。100坪程度なので2日もあれば完了でしょう。


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八橋蒔絵硯箱にたどり着いた

2016/2/23 
結局私がやりたいと思っていた表現の最終的な先進事例はここにあった。
尾形光琳の「八橋蒔絵硯箱」である。


私と尾形光琳を比べるのはおこがましい限りですが、作品を比べるということではなく、技法と素材を比べるというということです。
硯箱は木+漆+貝(螺伝)+金属(たぶん銀:追記・・本当は鉛)です。
金属で何を表現しているかというと八橋です。

表現の違いで言うと硯箱は木の部分は漆と螺鈿と金属で完全に覆われており、木の部分は全く見ることができません。


また、この時代に抽象表現はありませんので、「八橋蒔絵硯箱」は図案化されていますが、カキツバタ池とそこに掛る八橋をはっきり表現しています。

それに対してわたしは抽象表現を採用していますので、具体のイメージはありません。作業をしながら何をイメージしたかというと、縄文時代におそらく風習としてあったタトゥ(刺青)を意識しました。

 赤い部分は焼き物の地の色です。これを生かしながら、白い部分に漆を施し、部分的に銅板を貼りました。銅版は私の気持ちでは現代を表現したつもりですが、見る人がそう感じるかどうかはまた別です。

しかし、作る時は八橋蒔絵硯箱は全く意識にありませんでした。しかし、第二作ははっきり意識して作る予定です。それが伝統を踏まえるということだからです。


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縄文人たちの生活を想像する

2016/2/20 
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写真は遮光器土偶と注口土器です。この土偶を改めてみると、赤漆が塗ってあるように見える。土偶にいつも漆を塗っていたかどうかはわからないが、注口土器に赤漆を塗っていたところをみると、土偶に塗ったとしても不思議ではないと思う。

注口土器はどう見てもお酒を注ぐものに見える。目を閉じて、カラムシの草木染めの衣服に身を包んだ女性が祭事を行っている姿と、収穫したクリや魚を魚醤で味付けした供え物を思い浮かべると縄文人の心が伝わってきます。

 縄文人は本格的な稲作に取りつかれることはなかったようで、労働時間はさほど長くはなかったといわれている。ゆっくりと流れる一日の中で土偶をはじめとする祭器に囲まれた彼らがどのような日常を過ごしていたのか、何となく見えてくるような気がする。

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焼き物と漆と金属のコラージュ

2016/2/20 
 陶胎漆器は一般的には本焼きした器に蒔絵の技法を用いて、むらなく描くのが一般的のようです。
私は蒔絵風に絵を描きたいのではない。むしろ漆を抽象的な表現手法に使いたいのである。
 
しかも生地である土をどこかに見せたいのである。

何故そうしたいのかはよくわからないけれど、思い出してみると、つるつるの中に凸凹を挿入したり、まったく違う素材をくっつけることによって新たな表現をしようとするコラージュに魅力を感じる私自身の精神的な傾向がある。

はたして、焼き物と漆と金属という3つの素材の組み合わせが新たな表現として昇華され、現代の中で評価されるかどうかはわからないが、私の心がそれを求めている以上、継続していくしかない。

 あと何年の命か知る由もないが、一つの目標として「陶と漆と金工が出会って発する放電現象」と呼べば自分としてはしっくりくるように感じる。
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