2009/6/18

環境の色   

空の青さ

海の青さ

地球の青さ

水の青さ

木々は緑

山は青

静寂の色は

マグマの、燃えたぎる情熱を、優しく覆う

優しく包み、抱くように..

地球の色は

地球が長い長い生命の歴史と

その営みを支えてきた色

生命を紡ぎ、繋いできた色

あらゆる生命を育てて来た色

夜空の星

紺色の宇宙

それを明るく照らす月

そして太陽

内に秘めたる情熱の赤い血潮

何も、どこにも矛盾はない..

自然の中の色

宇宙の色


空(くう)の色





0

2009/6/16

夫唱婦随  

理性という主人(一)に一歩控えて感情が付いていく、理性と同じ法則で、理性の動きを良く観察し、理性という主人の動きを静かに、落ち着いて、良く見極めつつ、ゆっくりと、じっくりと、一歩控えて、感情は、理性に、従順に、信頼しつつ追ていく、そして、鏡のように感情は、理性とのバランスを取りながら、理性と同じように、自らの色を、理性とのバランスを丁度良く保ちながら信頼しつつ、追いて行きく、一日一日、そのように、新しく、美しく、男と女も、宇宙も人も、共に、相親みつつ、歩いて行く

理性は感情を決して強制しない、コントロールしない、感情は、理性を信頼し、理性は、感情を見守り、統合する、宇宙の、空と海の、人間の美しい姿、男と女の美しい歩み

信頼すべき優れたものと、信頼すべき優れたもの同士が、一歩控えて追従する。

共に愛し、愛されるもの同士が、守り、守られ、自然の理の中を歩む

感情が、理性の前に、出すぎないごとく、感情で理性を立ち塞がぬごとくに..

感情は理性に従い、追従していく、理性に守られる、美しい調和の取れた、統合され、洗練され、調和した情愛の姿

情が、理性の前に、決して、出すぎることのない、慎み深い美しい姿

易でいうところの17番 そして、天(一)と地(二)

感情が理性に牝牛のように追従する

星と月と日と雲、天と地、宇宙生命の美しい姿

赤という感情は、青という沈静の色、理性によって守られている。

青は地球の色

空と海の色

水の色

生命の色

宇宙の色

本来あるべき美しい姿 自然の姿

愛の姿


理性が、感情の行動を良く観察し、感情の動きを良く見守りつつ、感情の後を、一歩控えて、ゆっくりと、感情のテンポに合わせて、感情を見守るように、後ろから丁度良い感覚で理性が追いて行く、女と男の美しい守りかた、守られかた、互いを信頼しあい、尊敬しあう理想の姿、理想の守り、神のご加護の如く、保護のごとく..

人間と、神、親鳥と、ひな鳥、男と女の本来あるべき美しい姿..

生命が美しいのは、ミクロマクロの全ての宇宙にこの秩序の配列があるから

数字も、人も、生命も、宇宙も、科学も、この星も、全てのものに、これら、美の秩序、美の配列がある。

これが本来あるべき姿

人と人にも、神と人にも、夫婦にも、美の秩序というものがある..

それが歩むべき道

媚びず、諂わず、戦わず、自分を安売りせず、偽らず、礼節を良く知り
自らが尊敬に値し、従うべきものには、喜んで従いつつ..

(愛と尊敬、賢さ、礼節に、値するものに従いつつ、自身の身を守り、そして、守られつつ、幸福に、暮らすことの美しさ、幸福なる清らかさ..

やかましい銅鑼(煩いシンバル)は、愛ではない..

一人の人間の中、人と人との関係、空間、調和、親しみと、適度な距離 

愛は、無作法をしない。



0

2009/6/15

愛がすることは..  

愛がすることは、不快感や非礼を伴わない。

愛がすることは、時間空間をも超え、全体性に秩序をもたらし、統合されていく。

熱情、激情は、平和と相対するものと、実は地続きであり、これは、冷静に、客観的に、観察することで、(愛についての)ただしい理解が自然のうちに起こる。

0

2009/6/13

リムーバルディスク(I)  

ブログのパスワードを長らく忘れ去ってしまい、暫く更新も削除もすることができずにいた、ここ数日ようやく時間の余裕も出来た..

暫くあれこれと、したいことや、するべきことに忙しく熱中していたので、ひと段落ついたこともあり、心身を休めようと思っていた矢先、寝室やクローゼットを掃除する必要があると、いう理解が昨日の朝に起きた、その必要を感じ、一度雑多な物を整理し、不要なものは捨て、必要なものを綺麗に整理整頓した、昨日、そして、今日と、綺麗に整理され、したいことをしたので、気が済んで落ち着いた。

掃除の最中に、紛失していたUSBメモリーが、出て来たが、特に、必要性の感覚は、さほど見当たらず、昨日の午後も何ということもなく過ごし、作業の合間に、新たなファイルなどの保存等に使用したり、古いファイルを時々見返して削除したり、整理していた。

今日も、昨日に引き続き、いつもの作業をしながら、ふと、昨日に見つけたUSBメモリーを整理してみると、passと書かれた古いフォルダがあた、フォルダを開けると、このブログのパスワードが見つかった。

曖昧に記憶していたパスワードと、それほど大きな違いはなかった、それなのに、今日まで、開くことも、登録を変更することも出来なかった..メール変更してしまい、パスを手に入れられなかったのも動かせない原因のひとつだった。それで、何度かは、思い出した頃に、トライしてみたものの、何としてもこのブログを削除することも、更新することもどうすることも出来ず、諦めて放置しては、忘れた頃、何度か、トライしたりしていた、今日も、「まさかね..」と想いつつ、書き込めるとは、思ってなかったけど、これまでの流れと全く違う状況下の中での、整理整頓して出て来たUSB、何となくこれも開けるような気もした。。

1%の「予感」だった。

99%より、1%の予感という感じを頼りに何事も信じて突き進む相変わらずなこの性分..

2008年は、いろいろな事が、あった。

そして、ここ数年経験し、学んだベースを元に、最近になって見えて来た世の中の事、経済の事、人の事、宇宙の事、世界の事、個人の事、数字の事、物質のこと..見えない世界の事、見える世界の事、生命の事、地球の事..

そんな中で、あらゆる世界には、多次元に渡って多くの真実が無辺にあり、その多くの真実の中に、たった一つの共通する真理が隠されてあるのだと気づかされる今日この頃..

「真実」とは、見る方向、見る人、見る場所、見る意識、見方によって、変化するものであり、逆に「真理」は、どの方向から見ても普遍に変ることのない球形・球体のようなひとつの共通した真理があったりする。

例えは、真実は円錐や円筒のようなもので、縦横斜め、見る角度によって、全ての形が異なって見える。

これが人間、国家、宗教、思想、あらゆることにおいて、「真実」や「正しさ」と主張する、見解というもので、見たい真実が見え、見たくないものは見えないといった選り好みや、ご都合とされているものであったりと、思える今日この頃。

そんなこんな生活や、仕事や、いろいろな物事の中で行きたい方向や、やりたい方向に意識が素直に進みつつして学んだり、経験し、検証していくと、真理は、全てに矛盾なく、連動して起きているというようなことが起きて来るし、見えてもくるということが理解できるよになった。

この世界には、「からくり」があり、そのからくりを、自ら解いて行かなければならないというか、「課題」だのだと感じる。

からくりは、政治、国家、企業や、社会、組織、集団世界ばかりではなく、ありとあらゆる宗教、道徳、躾、教育の中にも潜入して、否、むしろ当たり前のように大きな顔で居座ってある。

そのからくりによって、人間は、自由を切り売りし、操られていることも少なくない。

魂の成長の為、学びの為、徳の為、その、耳に甘い、隠された自我の中の「欲」という、目に心地よく、香りに甘い、からくりに上手く騙され、操り、操られして、その甘さを求めて、がんじがらめの罠にハマっていくのが実は、人間自身であり、それもまた、神のやり方、学ばせ方、ゲームなのかもしれないが、それを操っている、この世界の張本人が、実は自分自身でもある。

そう、真実は無限、真理はその中に含まれるひとつ、そして真実とも統合的に共通するもの。

その事を良く理解し、目覚めることが、自由を得ることである。

法華経25品「観自在」とは、自由自在であり、全てを見通す目、目覚めた意識、財宝、現世利益、全てが矛盾しないところの象徴としたもの、つまり、どこから見ても完全で調和の取れた球体の象徴といえる。

虚空 愛 無我 真我 大我 大愛 沈黙 静けさ といったことなのだろう..(こんな軽い表現しかできなくなるので、黙る、静に、沈黙に移行しか表現がなくなる、表現そのものがなくなる、結果として、真理がたち顕れわれてくる)

(愛と激情・情動は違う)

完全に調和の取れた球体の象徴といえば宇宙、宇宙は、ミクロでありマクロも全てである

真実を越えて、真理に目覚めたとき、経済的なことから、精神的なことから、集団的なことから、個人的なことに至るまで、何かの奴隷になることから開放される、そして、本当の意味での自由を得ることができる。

そして、世界も、戦争、そして、貧困を終わらせることが出来るだろう。

だからといって、欲を否定し、欲を抑え、悪を否定するのは全く、この世界の、個人の、貧困の、無知の問題の解決にはならない。

また、あまりにも行き過ぎた情けや、優しさ、甘やかしは、問題の根っこにある部分の解決とはならないばかりか、かえって罪をつくることにも成りかねない。それらが、依存という病を生み出し、人間の自由と自発性を腐らせ、堕落させ、自ら、生きようとする力や、あらゆる能力の足かせとなり、挙句の果ては、支配や権力といった対極のものを生み出しかねない。

悪いこと、毒になりそうなものは、目に見えて判り易いが、その対極にあるものの弊害の方が気づきにくい、優しさや、善、暖かさ、思いやり、親切は、もちろん、なくてはならないものだが、行き過ぎれば、成長や、自由の妨げとなる。情愛は、なくてはならないが、際限なく与えすぎれば、かえって害となる、食べすぎる害の方が、飢えるよりも、深刻な場合があるということをよくよく理解していなければならない、一見善に見えるもの、正しく見えるものの中の支配関係や、依存の関係は外見逃しやすい盲点なのかも知れない。

だからといって、親切や、優しさや、思いやりの、全てがエゴということでは決してない、行き過ぎが、何から来ているか?という問題なのである。

軸がズレれば、ズレたままの真実という幻想がそこに映し出される。

真実という部分的な主張と、真実という別の部分的な主張が無用な分離や歪みを出す。

これが人間の内部で、社会の内部で、世界の内部で、これまで起きていたことである。

軸を正せば、直ちに、真理が真理として立ち顕れる。

これが「リアリティ」

そして、統合である。


戦わず、欲をなくし、幻想をなくそうとすること、善人になろう、徳を得よう、とすることは、また、それに囚われれば同じ穴の狢である。

これまで抱えて来た不要な概念を捨て、もういちど、まっさらな、自分自身の偽らざる目で、全てを見渡し、見直し、見通すとき、出会えるであろう、このリアリティに..

出会えるであろう、ほんとうの自分自身に..

− その時には、顔と顔を合わせて見るであろう..− コリント


             ☆★


まったきものが来るときには、 部分的なものはすたれる、私達が幼な子であったときには、幼児らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼児らしく考えていた..(略)

しかし、その時には、顔と顔を合わせて見るであろう..
私の知るところは今は一部分に過ぎない。

しかし、そのときには、私が完全に知られているように、完全に知られるであろう..



0

2008/3/20

供養  


コンドルは飛んでいく

http://jp.youtube.com/watch?v=jpJkDZ9g9z4&mode=related&search=
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ