この直前の記事「ビルマでふたたび僧侶の行進!!」にある「慈悲の経」(Metta Sutta)について少し記しておきたい。
ビルマ僧侶が行う行進は「デモ」というより「祈りの行進」と言われる。「デモ」は、示威と訳されるとおり、もし威を示すものということであるなら、僧侶の行進はデモではない。あの行進は、たとえ暴虐をはたらく軍政の人々にも慈悲の心を持って彼らの救いを祈ろうというものである。それはまさに「祈りの行進」である。
その行進のときに唱える「慈悲の経」とは、全ての人、つまり敵・味方に関係なく、そのすべてに慈しみの心を起こせ、というブッダの教えである。たとえば敵だ味方だという思い・判断、その二律背反的な断定こそ人間の誤謬であるという。すべてのものに平等に慈しみの心を起こすことこそ真実を覚ったもののなすべきもの、そして智慧そのものであるということなのでしょう。僧侶はその教えをそのまま実践しているということだ。
以下に「慈悲の経」の和訳(中村元)を挙げておこう。『スッタニパータ』という古い経集のなかの"Metta"(慈悲)という名の経のことである(Sn 1.8)。(岩波文庫『ブッダのことば』)
「究極の理想に通じた人がこの平安の境地に達してなすべきことは次の通りである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。」
「足ることを知り、質素に暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、気負い立つこと少なく、諸々の人の家で貪ることがない。」
「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ。」
(中略)
「何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。」
「あたかも、母が己が独り子を身命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。」
「また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障碍なく怨恨なく敵意なき慈しみを行うべし。」
「立ちつつも歩みつつも座しつつも伏しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりと持て。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」
(以下略)

0