何年か前までは子が親を殺すことも、親が子を殺すことも大事件でした。それは今でも大事件ではあるのですが、どこかみんなが「またか」という気持ちでしか聞いてないところがあるくらい頻繁に事件が起こっている。
ある お父さんが「俺もうかうかしてたら殺されるかもしれないな(笑)」と冗談を言う。奥さんも笑って話してたけれども、こういうことが普通の家で普通に冗談ともつかず話される。私は怖い世の中になってきたなぁ と思うのです。
私たち大人が子ども達に何を見せてやって、何を聞かせてやって、どんな後ろ姿を見せてやって行かなければならないのかといつも思うのです。
話は変わりますが
この間、ある知的障害のお子さんが二十歳になったので、再検査を受けた。(※高校生になって愛の手帳をもらった場合は二十歳になると再検査を受けて、手帳を交付するかしないかを判断されるそうです by吉田)
愛の手帳って本当は関係なく生きて行ければこんなにいいことはないのですが、でもやっぱり何かある子どもにとっては時にはお守りのように役に立つことがある。
再検査では知能テスト、問診というか口頭試問のようなものがありますが、ある程度知能テストで点がとれたから、手帳はいらないでしょうと言われる事がある。
だからと言って明日から全く何事も無いように普通の人と同じように暮らせるかというとそうではないし、知能テストでは現れなかった、すごく不自由な事があったり、できないことがあったりと抱えていかなければいけないこともあるのです。
普通の人と同じことができなかったら職場でも、大変な扱いを受けてしまう。
(※手帳がなくなることによって普通の人と同じように扱われてしまうため、仕事ができない人とみられてしまう という複雑な問題があるということだと思います by吉田)
例えば、盲腸かどうかを検査をして手術をしなくてよかったわ という問題ではないということなのです。
手帳がいらなくなった成長を喜んでいいのか、手帳が無くなって本当の見えないところを理解されない事を悲しまなくてはいけないのか・・・とても複雑な気持ちになります。
(※診断を受けて知能テストの点が高いから手帳は出せません といったことを喜んでいいのか悲しまなくてはいけないのか、そばで支援をしている者としては、言葉に困ってしまうのです)
手帳を交付する人も、愛の手帳がどのあたりまでの子どもにやっていいのか大変なのでしょう。再検査では数値と、ちょっとした短い時間で測られることが多い。診断ではわからない 日常のことを正確に伝えて、もっと幅広い見地からの判定ができるようにしてもらえるようにと伝えるのがリエゾンの大きな仕事の1つ、リエゾンというものがなすべき分野ではないかと思っています。
語り手:青方美恵子
記者:吉田文雄
今回はかなり長くなってしまいましたがとても深い問題であります。
青方先生のメッセージが上手く伝わるように書き起こしましたが
至らぬ点はお許し下さい。 吉田