2009/11/22

政権交代という形式を大切にし、混合物からいかに理念を紡ぎ出すか  

○11月20日、東京の椿山荘で全労連結成20周年記念講演会とレセプションが開かれ、第2代目の委員長である国松さんと2人で出席してきた。
 記念講演会では、神戸大学の二宮厚美教授の「激動の時代の日本の進路と労働運動」が示唆に富み面白かった。
 また、翌日は春闘討論集会。資料として配られた「学習の友」社の春闘別冊には、一橋大の渡辺治教授の「どう考える、新政権誕生と政治の動き」が掲載されている。
 基調は同じ。民主党が強行採決などするものだから、「それ見たことか、自民党と同じじゃないか」「やっぱり闘いが重要」というような「ゆり戻し」の意見が多数になる。
 それらに対して基軸となる考え方を両氏は提供してくれる。

1.まず、第一。先の総選挙の総括。
 格差と貧困をもたらした新自由主義に対する厳しい審判が下された。OK。
しかし、政治の表舞台から退場させられたのは、それを政治的に担ってきた自公の政権。
 その思想と政治手法が同時に一掃された訳ではない
2.鳩山政権の政治的特長。1とも関連して。
 「生活者主義」と構造改革路線の混合物。まとまった、思想的統一性はない(少なくともまだ)。
 鳩山も前原も岡田も元々は、新自由主義者。自民党と改革競争を主張していた思想の持ち主。
 それを「変えた」のは誰か。小沢一郎。元々は田中派直系で利益配分主義者。それ変身を遂げる。「日本改造計画」(1993年)で新自由主義的な構造改革を唱える。しかし、細川連立政権の挫折、2005年郵政選挙での自民党の大勝を受け、地方行脚、先祖帰りを果たし「生活者第一」のスローガンを唱え、2009年選挙で政権に。
 従って、民主党の下半身は小沢一郎的な「生活者主義」。上半身は依然として「構造改革」志向。渡辺氏は「手足」は、国民要求・国民の意思を反映せざるを得ないとしている。
 反貧困のセーフティーネットの整備では、「生活者主義」だが、公共事業削減、予算カットの考え方は、自公政治そのもの。本来主計局がやるべきものを「政治主導」を前面に、公開の場でやっているものだからいかにも新しいもののように国民の目には演出されてはいるが。
 前原氏などは、「限界集落には投資できない」「つぶれても、国民には移動の自由がある」というような考え方。
3.しかしながら、「政権交代」という形式が用意された意義は大きい。
 従来型の政治手法を相対化し、新たな政治の可能性の地平を切り拓いた点
 この政権交代という枠組み自体は、強く大きく育てていく必要がある。それを「二大政党制」に収斂させてはならないし、ましては、「民主党不信」から「政治不信」を通じて、旧来の枠組みに戻るというようなことにしてはいけない。
 そこに、知恵の使いどころ力の発揮のしどころがある。
 民主党は、統一した国家の将来像を持ちえていない。「生活者第一」をヨーロッパ型の自由、平等、セーフティーネットの確立した社会像へと収斂させることができるか。 国の形、国民の幸せ感を運動の側が積極的に提示し、民主党の土台部分を補強し、新自由主義、構造改革的手法を一掃する動きを作り出していかなければならない。
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2009/11/11

宇沢、内橋氏のすござ−2つの回刺、2つの9・11  

○11月8日、国民大集会が開かれる代々木公園に朝一番の飛行機で向かった。バッグの中には、数日前に本屋で購入した一冊の本を忍ばせていた。宇沢弘文、内橋克人氏の「始まっている未来−新しい経済学は可能か」(岩波書店)。集会名が「新しい未来へ」だったのは偶然だが、そこに流れる思いは同じ、新自由主義への痛烈な批判だ。
 11月9日は、ベルリンの壁が崩壊して20年。その日の高知新聞「現論」には、イニャシオ・ラモネ氏が寄稿。ベルリンの壁崩壊を「資本主義の勝利」と評価した権力者の誤りを批判(2年前のブラック・マンデーに起因する深刻な経済危機に見舞われていたにもかかわらずだ)。「ベルリンの壁崩壊が開いた歴史的チャンスは失われた」と指摘。資本主義は「好敵手」をなくし、「平和への配当」も忘れ、暴走を始めたと。
 宇沢氏は、ローマ教会の2つの回勅を紹介している。1891年にレオ13世が出したそれの副題は「資本主義の弊害と社会主義の幻想」であった。それから100年後、1991年にヨハネパウロ2世が出したそれの副題は「社会主義の弊害と新本主義の幻想」。
 後者には宇沢氏が深くかかわっている。1891年には「共産主義の妖怪」が跋扈し、100年後には、資本主義が妖怪と化していた。
 また、宇沢氏は1973年9月11日、チリで起きたピノチェトによる軍事クーデターを「もう一つの9・11」として紹介している。その背景にはアメリカの関与があり、思想的淵源としてのフリードマンの新自由主義があった、と。
 その新自由主義の非人間的な奇形さを示すエピソードとして宇沢氏が実体験を紹介している。
 フリードマンの弟子のシカゴ大学のB教授が、家に帰ると奥さんが22階の屋上から飛び降り自殺して雪の上に横たわっていた、まだ温かかった。それで彼は次にこう言ったんですね。「今度自分は自殺の経済学をやりたい」。彼の理論−それはフリードマンの理論でもあるのですが−ですと、奥さんは彼と一緒に生活する時の苦痛と飛び降り自殺した時の痛みとを比較して、自殺したほうが痛みが少ないから合理的に自殺を選択した、と。さすがのフリードマンも、その時はじっと黙ったままでした。
 貧困も社会的格差もすべて「合理的選択」で解釈してしまう「強者の経済学」。その行き着く先が、「自殺の経済学」なのである。
 新自由主義に対する強い怒りと侮蔑の裏には、人間と人間の営みに対する深い洞察と暖かさがある。
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2009/11/6

労働運動における「別の風景」−不況だからこそ賃上げ  

○11月に入って景気回復を伝える記事が目立ってきた。「欧州委予測EU『景気後退から脱出』」(高知新聞11月4日)。「粗鋼生産、世界で急回復」(日経11月3日)。「新車販売 復調鮮明」(日経11月3日)など。
 しかし、雇用情勢は依然厳しい。9月の有効求人倍率は0.43%と2年ぶりに改善し、完全失業率も5.3%と2ヶ月連続改善したとは言え、厳しい状況には変わりない。
 高知県内の9月末の高卒求人数は、前年同期比で47.3%減。県外は54.6%減。内定率は36.2%に過ぎない。
 輸出頼み(特に中国)、「雇用なき景気回復」に変化はなさそうだ。
 そんな中、面白い記事を見つけた。「ドイツ 経済危機でも賃上げ獲得」(赤旗11月4日)。今年のドイツの国内総生産(GDP)は、マイナス5%。その中で23の産業分野で賃上げを獲得し、ボーナスも1.5%〜7.3%の上昇。その背景には、「内需拡大で景気回復」を掲げるドイツ労働組合総同盟(DGB)の運動方針があるとのこと。
 一方、日経11月3日付けは、「賃金より雇用 際立つ日本」「給与16ヶ月連続減 欧米は上昇傾向」という記事を載せている。「日本企業は人員削減を抑える代わりに、給与や賞与の削減で景気悪化に対応してきた」と記事は述べている。
 賃金が下がっていることは確か。問題は、日本企業は人員削減を抑えているのかどうかだ。人員削減が、非正規から正規社員にまで及ぶことが懸念されている。「賃下げも」「首切りも」やっているのが、日本の大企業の実態ではないか。
 「連合」は11月3日、中央委員会を開き、ベア見送り方針を決定した。
 「不況下でも賃上げ」、「賃上げで不況から脱出」という(「連合」とは)別の選択肢はあり得るのか。政治の世界と同じように。
 労働運動においても「別の風景」はあり得る。労働者にそう実感させるだけの組織力量を全労連が持たなければならない。
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2009/11/2

政権交代の深い意味−弁証法の真の理解者は?  

○ブログの更新が一月以上も滞っている。前回更新直後にPCがチャガマリ、ハードディスクのデーターがとぶ惨事。悲痛のうちにユニオンセミナーを準備。息つく暇もなく20周年レセプションが待ち受ける。記念パンフレットにスライド作り。幸い一部のデーターはバックアップしていたため、最悪の事態は避けられた。文明の利器は、まさに諸刃の剣。
 
 まだまだ、大会でのあいさつが続く。そこで、話すのは「政治の風景」が変わってきたということ。個々の政策を巡るゴタゴタも、かえって政策の可能性を示すものと私には映る。役職であいさつをするのだから、個人的な見解はひかえて話さざるを得ないが、大きな判断は示す。
 山口二郎氏。「何よりも強調したいことは、政権交代によって日本人も初めて、『政治は可能性の芸術』という言葉の意味を体感しているという点である。」(週刊金曜日10月23日号)。まったく同感である。
 その山口氏、「岡田克也外相が普天間基地の県外移設を断念すると発言した時、私はたまたま沖縄にいた。地元の失望、落胆は極めて大きい。政権交代という千載一遇のチャンスさえ生かせないとすれば、沖縄の基地縮小は永久に不可能ということである。」(東京新聞10月25日)
 そこで注目が、共産党の志位委員長の代表質問。政権交代による変化も「軍事費と大企業・大資本家優遇」には及んでいないと批判。沖縄の基地問題では、「対米従属外交」が続いていると。
 私には、民主党を「第二自民党」どころが、「それ以上にタカ派」と批判していた共産党の政策が、民主党による政権交代によって皮肉にも光りだしたように思える。
 民主党が、自民党以外の政策の可能性を政権交代によって国民に示したことによって、共産党の政策も「荒唐無稽」「非現実的」という(マスコミによる)汚名を返上して、第3の可能性として国民に映りだしたように思う。
 問題は、その可能性を現実のものにするためにいかに政権にアプローチするのかという方法論だろう。

 日経10月5日付けの「国体政治なれ合い招く」の特集は面白い。また、昨日からNHKで「NHKスペシャル 永田町 権力の攻防」が始まった。
 国体政治、馴れ合い政治に社会党がどのように取り込まれていったのかが、リアルに描かれている。
 だからこそ、その馴れ合いの真の姿を暴き出すためには、まず、「政権交代」が必要だったのだ。
 日経の特集は「国体政治の全盛期に共産党は与野党折衝の場から排除された。これは共産党だけがなれ合いの国体政治の枠外にいたことを物語っている」と書いている。
 そのなれ合い政治の実態を暴き出しつつあるのも、その片棒を担いだ「主役たち」であることも皮肉である。
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2009/9/23

民主党勝利の民主主義における意味−21世紀の憲政の常道の構築を  

山口二郎氏のHPを久しぶりにチェックしてみた。民主党応援団を自認する氏が、民主党政権にどういう注文をつけているのか興味のあるところ。
 まず、今回の選挙をどう見るか。2005年と2009年との間に非連続性だけではなく、連続性を見る。
 2000年の密室による森内閣の誕生以来自民党へ見限りが始まっていた。同じ自民党とはいえ「自民党をぶっつぶす」では連続性あり。反利権=官僚、族議員、業界の利権体質から公正な社会への期待では、連続性あり。ただし、小泉時代には、規制緩和・小さな政府により実現しようとした。それが、格差と貧困を拡大し、本当の意味で自民党支配を終わらせることにつながったと。
 危惧。民主党への幻滅、そしてそれが政党政治への拒絶・不信、さらにはメディアにおけるパフォーマンスだけが得意な怪しげな政治家、扇動的な手法の政治家の登場へつながらないようにする必要があると。そうしないために・・・、
 第1に、民主党は統治システムの刷新=政治主導の確立を唱えて選挙に勝利した。その点で必要なことは、政治家の意思。何を実現したいのかという意思を明確に示すこと。そこが「怒りも興奮もなく」仕事を淡々とこなす官僚(マックスウエバー)との違い。明確に意思を示すことで、行政官の貢献を引き出すこと。そして、情報公開によって統治システムを刷新することが必要。最初の100日を集中的な情報公開期間と定めることも必要だ。
 第2に、実体的な政策論議において、数値目標や財源の過度の強調は避けるべき。なぜなら、政治家が本来持つべき構想力が凋んでしまい、官僚的発想に近づいてしまうから。
 大きな社会ビジョンを提起することこそ政治家の使命。
 第3に、日本に本当の意味での競争的な政党状況を作る必要がある。(政権交代を前提に)21世紀の新しい「憲政の常道」=民主主義のルールを築く必要あり。その原理は・・・。
 第1は、多数の専制に対する自制。国会におけるまともな論戦の構築。第2は、野党を尊重すること。例えば、比例代表部分の定数削減は棚上げし、与野党で新たな議会政治の慣行を作り上げる。第3は、批判的なメディアの自由な活動を活発化させる。
 この競争的政党状況に関する論点にこそ、単なる民主党の応援団に堕さない、日本における民主主義の発展を願う氏の意思が表れている。政策選択以前の問題として、「国民の手によって権力の担い手を入れ替えること、そのこと自体が民主政治にとって不可欠」との思いがあふれている。
 氏は、「民主主義とはそもそも革命の制度化であり、昨日の少数派が今日の多数派になるというダイナミズムこそ、民主政治の本質である」と主張する。
 この少数派には、比較少数派だけではなく、絶対的少数派も含まれるだろう。そうでなければ、真のダイナミズムは生まれないから。その制度的な仕組みを民主党が多数派の時にこそ構築せよと氏は言っていると敷衍して解釈したいのだが・・・・。
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2009/9/23

常識を疑うために−「脱・奴隷の生き方」  

自民党の総裁選挙のマスコミでの扱いは、極めて控えめである。1年前の扱いと比べれば雲泥の差。各候補者としても金欠病で、派手なパフォーマンスができないという側面もあるだろう。
 野党に転落し、「自民党総裁=首相」という構図が崩れ、その持つ社会的な意味が低下した結果といえばその通りなのだろうが、マスコミによる世論形成の恐ろしさを露骨に実感させられる
 マスコミへの露出の頻度が、価値の高低と比例しているかのごとき認識。枠組みが変わって初めて錯覚であったことに気づかされることかもしれない。
 苫米地英人氏の「テレビは見てはいけない」(PHP新書)は、多くの気づきを与えてくれる。
 「テレビによく出る政治家が当選するのはなぜか」という問いに、「ストックホルム症候群」で説明する。「臨場空間」の共有。しかも、その空間を支配している人に対して「ラポール」(心の架け橋)を感じる。それをテレビが演出しているという。権力者に都合の良い「洗脳装置」。
 
 面白いのは実はそこではなく、「電波利権」について。大手広告代理店と民放テレビ局がつくりあげた、コマーシャル価格のカルテル。キー局のプライムタイム(PM7〜11)のコマーシャル枠は、軒並み大手広告代理店が押さえており、そこを通さなければ買うことができない仕組みになっているという。広告収入がリーマンショック以来激減したとはいえ、テレビ局の社員の平均年収は1千数百万円をキープしている。
 視聴率調査は、わずか1000世帯に機械を置いて計ったもの。これも視聴の傾向調査のためではなく、「特定の時間帯のスポンサー枠の値段を吊り上げること」を目的としていると。

 もう一つ面白い概念が、「コンフォートゾーン」(快適な空間)の考え方。これは、物理的空間を意味するだけでなく心理的な空間をも意味する。これは長い間に両親とかマスコミによって刷り込まれる。いったん刷り込まれると、その枠内の物差しでしか物事が見えなくなる。「スコマート」(心理的盲点)が生まれてしまう。そこでこのコンフォートゾーンをズラス必要が出てくる。
 このズラス作業は人間の成長にとっても重要となる。コンフォートゾーンをより高いものに移動させ、かつより臨場感を持ってイメージできるようにする。これによって、現実とのギャップを認識させ、人間に備わっている「ホメオスタシス」(恒常性維持機能)が働き、ギャップを埋める動きをするというもの。
 TVなどによる世論操作もこのコンフォートゾーンの形成と見る。しかも、低位の快適空間を作り出し、スコマートに気づかない国民を作っていると。
 この本の副題は−脱・奴隷の生き方−である。
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2009/9/20

新政権をみる「長い目」と「鳩山」「一郎」内閣の二重権力  

○ようやく、県労連の第22回定期大会も13日に終わった。新たな運動のスタートだ。
 15、16日と全労連の組織拡大の会議に出席。それにも刺激を受け、秋の組織拡大強化の方針案を書き上げ、18日の執行委員会に提起。10月3、4日の県労連主催のユニオン・セミナーで本格論議し、12月末までの「拡大月間」に入る。
 大会のときにもドラッガーを紹介しながら言ったが、幹部に求められるのは成果だ。キレイな方針を提起するだけに終わりがちな労働組合の方針を如何に成果に結び付けていくか。より具体的な方針PDCAとの結合。ベルトがかかっているという手ごたえが感じられる月間にしなければならない。

 このところ当然といえばそうだが、新聞、TVとも政権移行の記事で溢れている。その中心は政治主導。官僚主導からどう脱却するのか。そして、どう公約を実現するのかに関心は集まる。
 日本経済新聞の9月20日付の「中外時評」でオバマ米大統領の施政方針演説の言葉が紹介されている。「予算案の文書は数字を羅列したリストと見なされがちだが、そうではなく、米国のビジョン、将来への青写真だと私は思う」。
 新政権に求められているのは、ビジョン。子ども手当の創設問題しかり。恩恵を受ける人がある一方、負担増となる人もいる。財源の一つである扶養控除の廃止は、その適用を受けているのは民間だけで1000世帯。大きな支出増となる。少子高齢化、男女の均等待遇社会を展望しながら、どういう制度設計をするのか。その場合の男女の働き方、家庭モデル。働く場の確保。それを支える社会インフラの整備等々。財源問題を超えた総合的な施策とビジョンが必要となってくる。
 高速道路の無料化しかり。当面は、首都圏は除外され、地方から試行されることとなるようだが、フェリー、バス事業、環境問題など複雑に絡み合う。
 鳩山首相が就任会見で「長い目で見てほしい」と国民に求めたのは、時間軸だけではなく、このような「総合的な目」でも見てほしいということではないか。

 田勢康弘氏の「指導者論」(新潮社)が面白い。1996年刊行だが、代議制、政治家論、官僚(依存)論といまの政治状況を読み解く上で格好の武器となる。
 例えば、小沢一郎の評価。「鳩山」「一郎」(砕いて表現すれば、「鳩山」&「一郎」)政権と権力の二重構造が懸念されているが、面白いエピソードが紹介されている。
 94年当時。記者とのやり取り。「政治は所詮権力闘争です。権力の源泉は国民ですよ、国民主権だから。最高の権力者たる国民の信頼を、どちらがより多く得られるかによって、国民の権力である政権を行使するんだ」「権力そのものが目的になったら意味がないと、いつも言ってるでしょ。国民に代わり国民の権力を行使して何をしようとしているのか、それが大事なんだ。あんた方間違えて、反権力なんていきがっているが、反権力ということは反国民ということだよ」と記者をたしなめた。
 8月30日の開票日当日、NHKの記者が「政権交代が実現しましたが」と水を向けると「まだ、開票は終わっていない」とぴしゃり。「特番」冒頭で「独自取材を踏まえて開票前でも当確を出す」と前のめりのNHKへの痛打として溜飲が下がる思いがした。しきりに、「政権交代が実現した」という表現を記者とアナウンサーが使うのを「何を浮かれているんだ」と不快感を覚えていただけに痛快だった。
 これは元々NHK側に理がないのであって、単純な「こわもて」批判は当たらないだろうが、次の「小沢チルドレン」の表現を使った質問には、「マスコミはすぐに、そんな見方をする。だからダメなんだ」と一蹴というか一喝。NHKの記者は二の句がつげなかった。
 代議制の下では、民意によって議員が選ばれ、政権が作られるが、一旦作られた政権は独自の力として作用していく(少なくとも危険性をはらんでいる)。それをいつまでも一体であり、選ばれたものの意思が即国民の意思であるかのごとき考えは、独裁政治につながりかねない。「小沢チルドレン」も選対責任者として候補者選定しただけかもしれないが、150人になんなんとする「小沢派」は大政党としての陣容である。
 国家戦略局各大臣の権限の縄張り争いを繰り広げているうちに、小沢支配が民主党内は言うに及ばず、政府にまでも浸透する危険性はないか、監視が必要だ。
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2009/9/12

全建労四国地本大会であいさつ−8月30日考  

○今日(12日)は、全建労四国地本の定期大会が、高知市の春野町で開催されたため、あいさつに伺った。
 まず、議案書が緻密なのに感心した。特に、組織方針が別立てになっており、組織分裂の攻撃をかけられ、そこから這い上がってきた組合だけのことはあると興味を持って読ませてもらった。参考になる点が多々ある。
 さまざまな方々が来賓あいさつされたが、やはりどなたも8月30日の選挙をどう評価し、今後をどう見通すかに触れていた。
 私は、選挙結果は第1に格差と貧困を拡大してきた自公の構造改革路線、新自由主義の政策に国民が審判を下した(自民党支持者によるお灸も含め)。と同時に、55年以来続いてきた自民党政治の終焉を意味する。第2に日本も政権交代可能な民主主義の時代に入ったこと。「朝日」の言葉を借りれば、「2009年体制」。政権交代よりも政治の中身が問題という指摘もあるが、政官業の鉄のトライアングルが崩れ始め、新しい政治の風景が見え始めた点をとっても、政権交代の威力は明らか。しかし、これが、2大政党制に収斂しアメリカのようになっては危険である。少数者の意見をどのように政治に反映させるのか、また、少数政党がどのようにして政治的な発言力を確保するのかの模索が必要。第3に民主党の評価。「鳩山」「一郎」内閣と揶揄し、権力の二重構造を指摘もされるが、政策の上では労働者派遣法の抜本改正、最低賃金の引上げ、高校授業料の無償化、後期高齢者医療制度の廃止、そして核密約疑惑の解明など積極面を持っている。しかし、一方で地方分権の推進による公務員の削減の方向を打ち出しており、FTA(自由貿易協定)の推進といった危険な側面も併せ持っている。さらに、新国会の改憲派は64%と3分の2を割り込んだとは言え、改憲への傾斜の懸念も消えない。
 そこでこの秋の闘いは、自民党、財界による巻き返し攻撃も予想される中で民主党を挟んで、政権交代という新たな政治状況を如何に要求実現に結実させるのかが焦点になる、といった趣旨の話をした。
 「自民党への反対票」であって「民主党への賛成票ではない」といった主張からいかに評価を深められるかに、現実政治を動かすためのカギがかかっているだろう。
 
 「官僚依存」から「政治主導」へ。これに対して「官僚が自民党政治を動かしてきたのではない」、主犯格は自民党という批判ももっともであるが、主犯の罪を暴くために共同正犯の罪を指摘する。主犯が縛に付いた後は、共同正犯の罪を糾すという手順で良いのではないか。いまは、その段階に来ていると思う。
 事務次官会議は、火曜日と金曜日に行われる閣議の前日、つまり月曜日と木曜日に首相官邸で行なわれる。各省庁の事務次官全員が法案など閣議にかける案件について調整作業を行う。民主党は、この事務次官会議と同時に事務次官の記者会見も止める方向だという。
 公務員の中立性の徹底。政官業のトライアングルを崩すための一つの手段になると思うのだが・・・。
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2009/9/10

自民党は健全野党になれるのか−常識の転換  

 この数日は、連立協議についての報道でにぎやかであるが、併せて「政権引継ぎ」のあり方の報道も目立ってきた。それに触れようと思っていたが、まずは、野党自民党について。
 「日経新聞」9月6日付け「風見鶏」。見出しは「野党担当の力はあるか」。
  93年に続いて2回目の下野。しかし、93年当時は衆参両院で圧倒的な第1党であった。与党は「8頭立て馬車」。そこで「最強の野党」たりえた。金権スキャンダルで細川首相を退陣に追い込む。
 ところが、今回は両院とも第2党。衆議院では民主党の4割弱。弱り目に祟り目は、政党交付金の53億円の減(105億円になる見込み)。議員秘書は勿論、本部職員の減給、解雇も検討中。
 来年、来年7月の参議院選挙は初めて野党として戦うことになる。業界団体の自民党離れは顕著。公明党との選挙協力で足腰が弱っている上に、公明党は既に新「与党」に秋波を送っている。
 イギリスのサッチャー元首相の「民主主義にとってもっとも必要なものは、健全な野党」という言葉を紹介している。
 政権奪取のためには「健全な野党」への関門があり、その前に「党再生」の課題が突きつけられている。
 田中秀征氏の日本記者クラブでの講演を紹介している。「自民党は再生しない」「なぜなら、政党に必要な2つの条件、すぐれた指導者とすぐれた指導理念がともにないから」。
 9月7日付けの「日経新聞」の特集「政権」は、8月30日を境に「ヒト、モノ、情報の流れが変わった」と書いている。カネの流れの一つとしてのエピソード。自民党はりそな、三井住友、三菱東京UFJ、みずほの4銀行から63億円を借りている。政党交付金の裏づけのある正常先債権のはずが・・・。国有地の上に立つ自民党本部。いつでも担保に差し出すとの念書があることを橋本元首相が国会答弁しているということ。
 身の丈にあった建物に引っ越すこともあり得ないことではない。

 自民党的常識が、いかに特定の見方であったかは明らか。政官業のカネと権限と票を中心としたトライアングルが築いてきた幻想風景。それに国民も馴らされてきていた。そういう意味では8月30日は、「常識の転換の日」でもあった。このことの認識を忘れることがないよう胸に刻み、政治の中身の変革に進みたい。
 数があっての変革への第一歩。これも胸に刻む必要がある。
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2009/9/5

政権交代可能な民主主義−政党支持自由で対応できるか  

○ブログ更新を1月半ほどサボっていた。大会準備等、「理由」は様々挙げることはできるが、「人間楽な方に流れやすい」ということか。
 最賃の引上げ額が9月1日、出揃った。加重平均で713円。昨年比で10円アップ。新潟、岐阜では引き上げゼロ。高知など20県ではわずか1円のみの引上げ。東京25円、神奈川23円など大都市圏の引上げで底上げされた数字。生活改善どころの話しではない。地方と都市部との格差は開くばかり。
 8月30日は時代の転換点の日となった。日本もようやく「政権交代可能な民主主義」の戸口に立った。
 「政権交代」に対して冷ややかな見方もあった。中身が問題であると。
 その中身を変えるためにこそ、枠組みの変化が必要だということ。
 自公政治への審判であると同時に、55年体制の終焉。90年代初めの冷戦構造の崩壊で歴史的役割を終えたはずの自民党が、細川連立内閣の自壊とその後の連立のやり繰りで政権維持のための票を確保してきた。短期的にはカンフル剤の役割を果たした小泉政治も、長期的にはその目標通り「自民党をぶっ壊した」。
 8月31日の「朝日」社説は、今回の選挙結果の意義を政権交代の可能性が常に開かれた『2009年体制』への一歩にできるかどうかに置いている。
 財務省は8月31日に92兆円の「概算要求」を発表し、新政権の手足を縛る姿勢を示したかと思うと、翌日には事務次官が民主党幹部を訪れている。
 各省庁幹部の民主党詣でも始まっている。
 これを官僚の処世術、狡猾さとだけ捉えるのではなく、これがまさに「政権交代効果」の一つと見るべきだろう。
 民主党の公約が100%実現されるかどうかが問題ではなく、政権が代われば風景が変わるという実感を国民が持つことの方が大切だと思う。自民党長期政権下では、非現実的、野党的発想と一蹴されていた要求や政策が、政権が代われば当然のごとく検討のテーブルにのるものだという認識を国民が共有することこそが重要だ。政権与党や官僚の目くらましにあっていたとの目覚めが大切だ。
 恐らく公約の断念、変更も必要になってくるだろう。そこで大切なのは、「それ見たことか」「どちらがやっても同じこと」という発想に陥らないこと。
 問題の基本は、どちらがやるかよりも、どちらがやるかを国民が選択できる政治の枠組みができたということ(それをどう維持するかということ)。
 しかし、時代遅れの新鮮さも、2大政党制の枠組みの中での政権交代に収斂していくとしたら、早晩色あせる。政権交代可能な政治の新鮮さをいつまでも失わせないためには、政党のあり方、政権の枠組みも含めたダイナミズムが必要だ。特に小政党の知恵と努力は、小選挙区制の制度批判のみに終始しない現実的な方向が求められるだろう。
 「政党支持自由」の枠組みで、そのダイナミズムにどうかかわっていけるのか、全労連系の組合としての模索も必要だと思うが・・・。
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2009/7/21

活動の中で心に残る言葉−露よ明けよ  

○7月16日、年金者組合の会合に樫原労働相談センター長と出席し、労働相談活動や地域運動の発展のために「先輩方の知恵と力と経験を貸していただきたい」と要請し懇談した。
 県教組の郡教組会館(県下6箇所)を地域運動と組織拡大の拠点にしたい。そのために地域労連の活性化をはかり、この秋に全組織で大会の開催にこぎつけたい。また、これとセットで労働相談センターも地域につくって行きたい。更に、「地域で新婦人、民商、医療生協などの皆さんとつながり、地域運動を大きく展開したい」と思いを伝えた。
 竹村委員長は、勤評・安保の経験にも触れ、「そんな提起を待っていた。いろんな組織が地域でつながれば、大きな力になる」「現役組とつながることによって年金者組合も強く大きくなる」と応じてくださった。岡田書記長も「県下に9支部ある。支部はまだないが、幡多地域にも元気な組合員もいる。声をどんどん掛けてもらいたい」と積極的に応じていただいた。
 会合の後は、いつもの懇親会。懇親会にもお邪魔して、書記長から燗元の仕切りの大切さなどを伝授してもらった。

○7月17、18日と自交総連丸栄運輸労組の件で、会社への申入れや意思統一の会議。組合立ち上げの時期は何かとギクシャクするもの。
労使関係の安定のためには、前提に相互の信頼関係がなければならない」と常々言ってきたが、ちょっとした行き違いで芽生えた不信感を払拭することは容易ではない。気持ちを解きほぐすための努力は惜しまない。
しかし、一方では組合員は断固として守らなければならない。あらゆる場面を想定して対応策は一応検討してある。
この両者の兼ね合いと統一が、事態の打開を左右する。

○7月18日、武田律子さんの訃報を聞く。県労連の草創期の役員であり県下の労働運動に大きな足跡を残した人。すぐに、傘下組合に訃報のお知らせをした。
 19日の告別式には多くの方たちが参列されていたが、友人代表で西岡るり子さんが武田さんの最後の言葉を紹介した。「組合員を大切に、組織を守ってほしい」と。組織を預かる者として胸にしみた。
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2009/7/15

解散総選挙、イソ弁−共感から行動へ  

解散総選挙の日程が、7月21日解散、8月18日公示−8月30日投票でほぼ固まった。1年間引っ張った挙句の「追い込まれ解散」。しかし、自民党は麻生の看板で闘うのか、看板の入れ替えがあるのかは不透明
 7月13日付け「日経」に「鴻毛のごとく軽い総理の座」という田勢康弘氏のコラムが乗っている。記者団に突っ込まれる首相。それは、権力に斬り込む日本のマスコミの「水準の高さ」を示すものではなく、侮辱的な質問にも緊張感なく答える首相の『軽さ』の表れだと。
  「総理の座」を軽くした責任は、本人は勿論、マスコミだけではなく、そんな人物をリーダーに選んだ政党にもある。
  返す刀で某県知事のこっけい話を斬る。民主主義の時代だから、誰が首相をめざそうと勝手だ。しかしながら、と続ける。「総理大臣をめざしていい人と、めざすべきではない人がおのずといるはずである」と切れ味鋭い。
「いかなる職業やポストにも積み重ねた経験や見識が必要だ」と某県知事だけではなく、この間の1年交代の首相経験者にも当てはまる至言である。

○「PHP」2月号には「誰のために生きるのか」という宇都宮健児弁護士のインタビュー記事が載っている。
  「現在、いわゆるサラ金といわれる消費者金融の利用者は1400万人、そのうちの230万人から300万人が多重債務に陥っている。
  弁護士や司法書士の窓口に相談に来てくれる人は約40万人。8割の人が救済の窓口にも辿り着けずに、7000人から8000人の自殺者、10万人以上の夜逃げする人が出ている。
  ここにも年間5千件ぐらいSOSの電話がかかってくるんですが、一人の弁護士が引き受けられるのは100人が精一杯。40社から50社に及んでいる多重債務者もいますから」
  先日、高知における多重債務の被害者の会である「うろこの会」の塩谷さんに話しを聞きに行った。生活保護の相談が年間100件近く。多重債務の相談は年間150件あまりとか。
  紹介したいのは、実はこの数字ではなく「私は、落ちこぼれ弁護士なんです」というくだり。
  普通イソ弁(居候弁護士)を4,5年勤めて独立となるらしいのだが、「ロータリークラブなどに出入りして営業活動をすることができない」「名刺すら配って歩けない」宇都宮氏は8年勤めた1度目のイソ弁をクビに。2度目のイソ弁で「万年イソ弁でひまそう」なのを見込まれて、誰もが嫌う「高利の取立てに悩む相談者」を引き受けることに。
 そして2度目のクビ。13年目の遅すぎた独立。
  「私は度胸はないけど>、私の後ろに怯えている人がいると思うと、引き下がれない。脅されても、弁護士の 裁判だから、そっちがケンカする気なら訴訟を起こすと突っぱねる。私の依頼人は、明日にも死にそうなヨレヨレの状態で、まさに生き死がかかっているんですから。やりがいも感じました」。
柔の中に本当の強さを感じる。

○昨日(14日)、高知大学の学生の人たちを相手に最低賃金のはなし」をする機会があった。自治体問題研究所の理事長をしておられる高知大学の霜田先生の依頼。
 「友達感覚」で和気あいあいと、しかも社会の問題にまで自然と入り込んでいくゼミの雰囲気が伝わってきた。
 「時給1000円以上に」は共感を得るところ。時給648円で働いているという女子学生。昨年最賃が8円上がったのにともない、時給が8円上がったという。
 「時給1000円」は実現可能なのか?現在全国平均が703円。そのために「共感」から「行動」へどう踏み出すのか。そのことを少しの時間であったが話し合った。
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2009/7/6

抵抗する気概−企業社会に何によって抵抗するのか?  

○7月4日、5日と「働くもののいのちと健康を守る中四国セミナー」が高知で開催された。セクハラ、パワハラ、メンタルヘルスが一つの中心テーマ。今年の記念講演の演題も「パワーハラスメント」。
 県労連の労働相談センターへの相談内容の圧倒的多数は解雇問題だが、パワハラ、メンタルヘルス絡みの内容が増えている。
 厚労省が6月8日に発表した「平成20年度における脳・心臓疾患及び精神障害等に係る労災補償状況について」によると過労が原因でうつ病などの心の病になり、2008年度に労災認定されたのは269人で3年連続で過去最多を更新した。そのうち自殺者(未遂含む)は66であった人。
 脳・心臓疾患による労災認定は377人で、そのうち過労死は158人と過去2番目に多かった。
 警察庁発表の自殺の統計によると08年は32,249人で11年連続3万人を超えた。そのうち失業者は1,890人で前年より7.6%増えている。
 5月の完全失業率は5.2%だが、雇用調整助成金の需給状況からすれば、10%を超えるという見方も出ている。
 一方に大量の失業者を生み出し、それを苦に自殺する人も出ている。他方には「カロウシ」。職を得ている者も、失っている者もともに死に追いやられる危険性に向き合わされているという現実。成果を求めるシステムがストレスを心に蓄積させていく。
 「抵抗なくして安全なし」とは全国センターの今中事務局長の講演の一節。
 分科会では「盗み撮り」が一つの議題になった。弁護士によると証拠能力としては法的には問題なし。証拠がなければ、裁判には負ける。毎日の記録、走り書きなども勿論重要。しかし、いざとなれば、「目には目を」。防衛手段、対抗措置としてそのようなことも必要。「お人よし」では、対抗できない。「抵抗」する気概も必要。
 「ウソをつくこと、疑うこと、逃げることを卑怯だと教える日本の学校教育はおかしい。ウソをついたり、逃げたり、疑う、これらは手放してはならない武器である」(佐高信)
 佐高氏はまた、「労働災害を積極的に認めることが、労働省の存在価値を高めることになる」とも語っている。
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2009/6/25

誤差の範囲内から抜け出せるか−人材流出の深刻さ  

○現在、23回大会の議案を執筆中。
県内情勢を書くため、統計資料などを探している。

 「県内総生産(名目)は2006年度で2兆3千億円(全国46位)。全国合計518兆8千億円の0.45%。1996年が2兆5千億円で0.48%であったので額率共に低下傾向にある。ちなみに四国計が06年度で13兆7千億円、2.65%となっている。」
 とここまで書いたが、この%を見る限り、中央の官僚からすれば高知、いや四国は誤差の範囲内か?中山間で先祖伝来の土地や墓を守りながら、日々暮らす人たちの姿は数字の陰に隠れてい見えないのかもしれない。
 更に、県内総生産の内訳を見ると深刻さが増してくる。

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 数十年前までは高知県の経済は政府サービスと建設業で支えられていたが、今でこそ公共事業削減で建設業は全国並みに後退したが、政府ケービスは健在である。
 製造業が弱く(この中には食品加工も含まれている)公経済への依存体質がくっきりとしている。

 有効求人倍率の動きが面白い。
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 昨年9月のリーマンショック以降、全国の急激な落ち込みとは対照的に、高知県の落ち込みは緩やか。高知県は「百年に一度」の景気後退がこの間毎年訪れていたことになる。対処療法だけでなく、体質改善が必要な所以である。
 それから抜け出す方策の一つが人材。

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 高卒者の半数以上は県外に就職する。ところが、もっと深刻なのが4年生大卒者。「県内4年制大学の21年3月卒業生1,055人中845人が県外就職」なのだ。
 高知大の約8割は県外出身者なのでその単純な反映なのか、そこまでの資料はないが、深刻な数字には違いない。
 一方、高卒段階で県外の大学に行ってしまう8割の卒業生のその後の「帰郷」の実態が知りたいところだ。
 その実態次第では打つ手が異なってくるだろうから。
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2009/6/22

県労連機関紙の針路−Around 50は何ができるか  

○県労連機関紙の針路の原稿を仕上げる。政治学者の山口二郎氏は、新聞や雑誌に載せた自分の原稿をHPで公開している。それを真似るわけではないが、こんな雑文を書きました。

 アラフォーとアラカンにはさまれ「Around 50」は影が薄い。略語もない。それだけ年代的特長がないのか。
50にして天命を知る」とは孔子の言葉だが、これとは程遠いのが現実。見えてくるのは「先」。先が見え、定年までの残りを数え出す年代。
 50代前後が集まれば、「子どもの“愚痴話し”」が始まる。「○○でアルバイトをしている」「大学に滑って、勉強も仕事もしていない」・・・。
しかし、考えてみれば3人に1人以上が非正規。若者や女性では2人に1人。こんな話しはそう珍しいことではないのが当然。
 相談相手のことではなく、自分の周りにも出て来たに過ぎないということ
 しかし、そこは「組合幹部」。愚痴では終わらず、「子どもの力を信じるしかない」 「子どもが一番つらい」「何とかなるもん」と「前向き思考」で落ち着く。
 学校統廃合問題の討論会に講師として来高した埼玉県鶴ヶ島市の元教育長の松崎頼行さんが、「家族からお父さんは家(ウチ)でできないことを外で言うと言われるが、人間は不完全な存在。完全にはできないことは承知で、道理に基づいて正しいと思うことは勇気を持って言わなければならない」と話されていた。心に滲みる。
 「偽善的」と自分を責める「青臭さ」は枯れた年代。言ったことに自分と現実を近づける努力が、できる年代でもある。
 人間放っておけば、現実を既成事実として「受け入れ」、理念や信念をなし崩しにして行き勝ち。若者の働かされ方、憲法九条のあり方についてもしかり。
 「できもしないことを言うな」という内外の声に負けず、頑固に主張し、行動する「Around 50」でありたい。
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