2011/8/30

ロンジーを着た後輩  ストーリー

ロンジーを着た後輩

木漏れ日が地面にくっきりと照らされたポプラ並木の道をのんびりと歩くと、その先に一面緑の芝生と、ひと際目立つ白く明るい近代的な校舎がある。
学生達の笑い声がそこかしこで聞こえてくるキャンパスを、健吾は学生時代を懐かしむように歩いている。

並木道を超えたあたりの、小さな池のそばに点在してある白いベンチのひとつに腰を掛け、日焼けした腕をゆっくりと上げ、大学入学祝いに父から貰った腕時計を覗いた。
暫くすると、深緑の柄模様の巻きスカートに白いカッターシャツを着た、いかにも東南アジア生まれの青年がニコニコと近づいて健吾と目を合わせた。
『カワムラさんですか?』
健吾は、立ち上がり、
『はい、マウンさんですね。呼び出して済みません。』
と、差し出された手を握り挨拶を交わした。
黒い肌に大きな目、東南アジアでよく見かけた懐かしい着物を着た青年を、健吾はにこやかに微笑み返した。
自分の姿に見入られた感じを察し、マウンは、
『この巻きスカートはロンジーと言って、ミャンマーの学生が普段は着ているものです。日本に来てからは、いつもはスラックスを履いてますが、今日はカワムラさんが分かるように着て来ました。』
と、しっかり巻き付けたロンジーを引っぱり、健吾を見つめ返した。
『すぐに分かりましたよ。それにしても、日本語が上手いので助かります。』
ふたりはすんなりと気が合い、校内の中程にある学生会館の方へ自然と歩き出した。

『今度、ミャンマーへ行かれるのですか?』
『うん、実家の横浜に一度帰って、パスポートの更新と渡航手続きやビザの発行を済ませてからだけどね。そこで、その前にでもミャンマーの人達から、少しでも興味が湧く情報をもらって出掛けようと思ってね。』
『アィア〜、準備がいいですね。私の教えられるコト、何でもお答えしますよ。』

学生会館の中にある広い食堂脇のソファーに腰掛け、健吾はリュックの中から地図とノートを取出した。

そしてミャンマー滞在の大まかなスケジュールを話すと、滞在都市のさまざまな現状や日常的な生活の事、通貨の問題、地域の風習や治安の事、それにバイク購入の方法や安宿の見つけ方など、次から次にマウンの解る範囲内でここぞとばかりに質問を投げかけた。
マウンは政治的な事は詳しくは話さないまでも、しっかりと健吾の質問に丁寧に応えて話してくれた。
ふたりは話が盛り上がり、学食でカレーを食べながらも雑談を交えて意気投合し、お互いの将来の夢まで話し合った。

マウンのおじいさんは昔、日本兵と互いに助け合い励ましながら、ビルマ独立のために戦ったらしく、退役後、役所で農業の開発担当をしていたが、二十年程前に亡くなったそうだ。父親は高校の教師をしており、おばあさんと母、そしてマウンの妹と弟が平和に暮らしている。ミャンマーでは中流の比較的平穏な家庭なのだろう。

ヤンゴン(ラングーン)ではバイクに乗っている市民が少なく、禁止区域があり、自由には走れないらしい。政治の中心は今やヤンゴンではなく、国土の中央部に位置するネピドーであり、現在の首都である。区画が整備され新たなパゴダや住宅などが次から次に開発されているようである。

バガンは観光地として有名だが、オールドバガンの隠れたスポットを教えてくれた。

バゴーという都市で運送業をやってるマウンの叔父さんは、片言で日本語が話せる事や、知り合いのモーターバイク店の紹介など、健吾は手帳サイズのノートに次から次に落書きのように書き取り、ミャンマーで美味しいと言うチャーハンや焼きそばの店まですべて書き留めた。

『へぇ、六十円くらいで食べれるんだ。』
『たぶん、ミャンマーでは食事には困らないですよ。日本人の口に合うと思います。』
『一日、宿と食事合わせても、九百円くらいで過ごせそうだな。』
『はい、アッ、そうだ、高田馬場にあるこのお店、行ってみて下さい。』

シャツのポケットから用意されていたメモ紙を取出し、健吾へ手渡した。そして、マウンは時計を見て、人類学のゼミの時間に遅れないようにと立ち上がり、

『もっと話したい事いっぱいあるから、カワムラさん、必ずまた連絡ください。』
と、手を合わせながら微笑み、惜しみながら講義室へと向かって行った。
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2011/6/10

明るい画廊  ストーリー

健吾と利之の二台のバイクは、街中の公園を横切り、門司と小倉の境界を分ける小さな短いトンネルを通り抜け、繁華街の途中にある事務所ビルの片隅の小さく地味な感じの画廊の前で止まった。

ギャラリー”ハーヴェスト”と書かれた入口の脇には、“青木善太郎作品コレクション“と題した看板が貼られてあり、ガラス扉越しに数人の女性が、色とりどりの奇麗な盛り花の周りで、何やら親しげに笑いながら会話をしている。

利之がその扉を開けるなり、『こんにちは!』と大きな声で中に入ると、

『まぁ、トシちゃんとケンちゃんじゃない。ようこそ。』と、奇麗な盛り花のそばにいたバンダナ男の奥さんが、両手を広げ微笑みながら近づいて来た。

『是非、一度は見ておかなきゃと思って、二人で来ました。』
『あいにく、ダンナは工房で作業中なの。また新たなアイデアが出たとか何とか言っちゃって、今日は私が画廊番してあげてるのよ。』

画廊の壁面には、奇妙な流線型の流木と、竹細工のスクリーンに布を絡めた額縁のフレームが飾られ、それぞれの前には、不思議な形をした椅子やテーブルが主役として毅然と並べられている。そして、部屋の中央の天井からは、ガラスやアクリルで作られた幾何学的な形状の照明器具らしき物が、高さ違いに幾つも氷のつららか無数の風鈴のように、キラキラと光を放しながら吊るされている。
その脇には少し大きめの透明のガラスボウルに、ぎっしりと飾られた生け花が丸いアンティークテーブルの上に置かれてあり、そこに二人の若い女性がこちらを見て立っている。そのひとりが驚いた眼差しで健吾を見ているではないか。

『やっぱり、ケンちゃんじゃないの。』
『みっちゃん』
あのおじいさんの孫の美千代が、白いスカートとライトグリーンのブレザーを着て、薄い化粧に落着いた眼差しで立っている。

『青木先生の所に祝い花を届けに来たついでに、いろいろと生け花の話が弾んじゃって、、、。』
しなやかな髪型に優しい香りを漂わせ、連れの女性を紹介した。
『こちらは、一緒に手伝ってくれてる有吉さん。普段は銀行の窓口にいるけど。今日は私のお手伝い。青木先生の教室で仲良くなったの。』

つかさず健吾は、側にいる緊張気味に固まった利之の肩に触れて、
『こいつは、バンダナ、いや、青木善太郎さんの工房で、僕と一緒にアルバイトしていた、栗原君です。』
と、紹介して、ペコッと頭をさげる利之を眺めながら、バンダナ奥さんこと青木先生は、若者達の間に入り、口を挟んだ。

『何なの?お二人は知り合いなの?』
『訳ありの知り合い。変な意味じゃありませんよ。彼は、私のおじいちゃんちの近所に住んでる方なの。』
『おじいちゃんって、新聞社の事業部に勤めてた、あの功吉さん?』

青木先生はにこやかに微笑みながら、
『あの功吉さんのご紹介で、新聞社のカルチャーセンターで、お花の教室の講師をやる事ができたのよ。もう、かれこれ十年になるかしら。お元気でいらっしゃる?』
『はい、お陰様で。でも、昔に比べたら弱くなっちゃって。』

バンダナ奥さんは、フラワーアレンジメントの講師をしている先生らしい。
夫婦共にライフクリエイターとでも言うのか、熱心に活動しているようだ。

画廊の扉を開けて新たなお客さんが入ってくると、『いらっしゃいませ。』と、奥さんは、優しい口調で出迎えに行った。

健吾と利之は、部屋の中を歩きだし、あるテーブルの作品を見ながら関心していると、美千代が近寄って来て、
『おじいちゃん、何だか、健ちゃんに会いたがってるみたいよ。』と告げるなり、
『先生、ありがとうございました。また来ます!』
『功吉さんに、よろしくね!』
と、奥さんと挨拶を交わし、二人の若い女性は、明るく画廊から出て行った。

『あの人が、あの娘?』と、利之は健吾を横目で見ながら、『言ってたのと違うじゃん。』と意味深げに呟いた。

少しにぎやかで、少し明るい雰囲気だった画廊は、若い二人の女性がいなくなった途端に、抽象と無口な画廊へと変わり、二人は取り残された異次元の空間で、考え深げにバンダナ男の作品に見入ってしまった。
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2011/4/20

海岸線の風 2  ストーリー


マスターのレコード盤を扱う手慣れた動作を見ながら、健吾は利之の顔を見つめ直し、会話を続けた。
『旅行の事だけど、今度はミャンマーに行こうと思ってるんだ。』
『やっぱり、そうか。』
『来週、横浜に帰って、いろいろと準備しようと思ってる。』
『羨ましいなぁ。俺も行ってみたいけど、到底無理だな。』
『今回も一人旅だけど、一ヶ月程、バイクで各地を回ろうかと思ってね。』
利之はバイクの言葉に反応して、身を乗り出し興味を抱いた。

『バイクで走るって、ミャンマーは危険じゃないのか?』
『規制地域はあるけど、なんとかなるだろう。と、思ってる。タイで中古を買って入国するか、現地で調達するか、まだ決めかねてるけど、ま、なんとか、なるだろう。』
『軍隊に監禁されるか、ゲリラに捕まって身代金を要求されちまうぞ。』
『今までもそうだけど、無謀な事はやらないよ。とにかく、いろいろ調べなくちゃなぁ。』
『ふぅ〜ん、面白そうだけど、俺にはちょっと怖いな。もっと安全な国を回った方がいいんじゃないか?南の島のリゾートなら少しは俺も考えるけどなぁ。』
『今はリゾート気分より、未知の国に惹かれるよ。ミャンマーから帰って来たら、今度こそ本腰入れて、就職探しさ。』
『相変わらず、カルチャーショックを味わいたいんだな。』

コーヒーをすすりながら思い出したかのように健吾は話を代えた。
『ところで、イタリアに出品するはずのあの家具は、もう完成したのかなぁ?』
『ちょっと前に工房を覗いてみたら、あのテーブルはすっかり挑発的なスゲー色柄に染まっていて、今度は、一連の照明器具を作ろうと張り切ってたぜ。』
『あのバンダナおじさんの発想は、いつも突発的に爆発してるからなぁ。』
『そう言えば、この先の町でこれまでの作品を展示してるらしいぞ。今から一寸覗いてみようよ。』

二人はおもむろに立ち上がり、マスターがいるカウンターの上に小銭を置いて、古い扉を開け眩い光に目を凝らしながら喫茶店をあとにした。
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2011/3/6

海岸線の風 1  ストーリー


ある日、健吾はバイト仲間の利之と会うために、雨上がりの国道線をバイクで走り、門司の港町から小倉に向かう途中の海岸沿いにある、焦げ茶色のブリックレンガにツタのツルが絡まる、古く落着いた小さな喫茶店に向かった。
扉を開けると中は薄暗く、数カ所ある窓の隙間からの木漏れ日と、ヌーヴォー風の照明のみの灯りで、壁には煙草のヤニで古く黄ばんだモノクロの演奏家の写真と、サインの入った色紙が隙間なく貼り詰めてあり、カウンターの後ろにはジャズのレコードがびっしりと収納されてある、昔ながらの懐かしいジャズ喫茶である。
健吾は分厚いチークで作ったカウンターの奥で静かにグラスを洗うマスターに、『キリマンジャロ』と一言いい、奥に座っている利之の所へ行った。
『うっす!』
『久し振り。』
『今日は、火曜日だからコルトレーンか。曜日によってサックスやピアノやトランペットでミュージシャンを分けて流してるんだな。』
『でも、土日の午前中だけは、なぜか交響曲なんだぜ。それで、先週やっとCDでジャズを流すようになったらしいんだ。』
『あれだけレコード版で頑張ってたマスターも、デジタル化に負けてしまったか。今さらメディアプレーヤーじゃなくて、CDも遅いと思うけどね。』
『僕は、あのパチパチ音のするLPレコードが、妙に好きだけどな。DJ以外でも使用してる所って、なかなか無いぞ。コーヒーだって、手で豆を挽いてサイホンで作ってくれるんだからなぁ。』
カウンターの奥から、少しツンとする香りがして、ポコポコと泡立つ湯気が漂ってきた。ファーストフードで育った若い二人には、異次元の不気味な体験であり、未知の世界に憧れる世代として、それが二人には虜になる要因がここにはあった。
『トシは、今、働いてんのか?』
『週に三日程、バイク便の手伝いをやってる。あとは、CGやCADの勉強ぐらいかな。健吾はその後、どうしてるんだ?』
『看板の取付けをやったり、ディスプレイ用の小道具を作ったり、相変わらずさ。ぼちぼち本格的に就職活動しなきゃって、思ってはいるんだけど、ちょっと調べる事があってな。』
『調べ物って、また旅行の事だろ?』
二人の間をマスターは静かに挽きたてのキリマンジャロと水を置き、黙ってカウンターの方へ戻った。
『マスター、あれだけあるレコード版はもう使わないの?』
表情を変えずに、煙草をくわえながら、
『レコードプレーヤーの気に入ってた針も無くなってしまったからね。徐々にCDに代えて、ジャケット表示用に使ってますよ。 今まで通りに全て買い揃えるのは、無理に等しいし、でも、名曲はレコードで聴くのが、ここでは似合ってるからね。まだまだ使うよ。』
と言いながら、たくさんあるレコードの中から、サッとソニーロリンズのアルバムを一枚取り出し、丁寧にプレーヤーの上にセットして次の曲の準備をした。
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2011/2/25

戦場の雫4  ストーリー

雨と湿気で蒸せ返る泥道の中、高くそびえる樹木が生茂った山林を何日も歩き続け、現在地も進むべき方角も、また全ての状況すらも確認出来なくなってしまった。ただ遠くから聞こえてくる銃声や爆音を頼りに功吉らは、前に進むしかなかった。
しだいに足の指先までがブヨブヨに腫れただれ、予備の食料までがまったく無くなり、誰もが栄養失調で痩せこけてハエが集ってしまう有様だ。ある日、輸送船から一緒に苦境を共にしてきた親友の山本までもが、衰弱し体中にうじが湧いてしまい、体が変形していく姿が無惨で仕方がなかった。

『高橋君、これをやるけん、どうか、わしを助けてくれ。』
ボロボロになった軍服の懐から、泥だらけの布で幾重にも巻いた硬い固まりを取出し、震えながら功吉の手に渡した。
その布の中から子供の拳ほどの透き通った赤茶色をした柘榴石が、きらきらと輝きながら目の前に現れた。
『もう、駄目かもしれん。頼むけん、日本のかあちゃんちに、連れて帰らしてくれ。』
『なんて事言いよるか、これからもわしらと一緒じゃないか。大丈夫じゃ後方から救護班が来るはずじゃ。これは、キサマが大切に肌身離さず、かあちゃんがおる日本に持って帰るったい。』
震える山本を抱きかかえ、頷きながら歯をくいしばり、しっかりと手を握って言った。
彼が大切そうに両手で握ったこの紅く美しく透き通った宝石の入手の過程の事など、今はどうでも良い事だった。
「二日程、彼を抱えて歩いたが、だめじゃった。」

全ては暗く重い記憶を淡々と話しているようだったが、功吉の目はいつしか充血しているように見えた。

「その後、連合軍の勢いは確実に強固なものとなり、わしらは散らばった残留兵と合流し、騰越守備隊の玉砕の報を聞き、サルウィンを抜ける途中だったか、再三、重慶軍と交戦しつつ、銃の玉などとっくに無くなってしもうて、仲間六人で銃剣を装着し、決死の斬り込みを覚悟し、立ち上がって駆け出したんじゃ。泥や玉も容赦なく飛び交う中を走りきり、敵の姿が見えた時じゃった。立ちこめる噴煙を突き抜けた時、敵の射った迫撃砲が目の前で炸裂し、歪な黒い破片や土砂の固まりが一瞬にして飛び散らばって、そのうちのひとつがわしの顔に向かって飛んで来たんじゃ。閃光が目に突き刺ささったかと思うと、全ての状況がゆっくりと動いてるように感じた。何が起ったか分からぬまま、仲間が叫びながら走り回る姿が地面から見えたような気がしたわい。もう終わった。悪夢は終わったと。わしはその後、分からぬまま三途の川岸まで歩いたようじゃった。」

「しばらくして別の連隊の者に助けられたらしく、気が付いたのはチェンマイ近くの野戦病院らしき所じゃった。搬送中、スピットファイアの機銃掃射に狙われ、皆一目散に逃げ隠れ、置き去りにされたわしの上をダダダダダッと撃ち過ぎて行ったそうな。置き去りにして避難した仲間は、死んだと思うてわしの所へ来たら、まだ息があってな、体の両脇に銃跡があったそうな。その戦友は置き去りにした事をひどく後悔して、何度も謝っとった。そいつは、今でもわしの親友であり、恩人じゃ。わしら二十四才の時じゃった。」

健吾は今の自分と同じ歳である事に愕然とし、事実を落着いて語る功吉の顔を心に刻んだ。
功吉は、目の前に置いてあるおしぼりを手に取り、ゆっくりとそれを広げ、黒く日焼けしたか細い首に浸った汗を拭い、しわに滲む老いた額に押しつけた。

「そして敗戦となり、木の枠で簡易に作った馬車の荷台に、負傷兵らが乗れるだけ乗らされて、わしの顔はまだ腫れたまま、うずく包帯を押えながら、運ばれてたある日、皆が外を眺めながら涙したんじゃ。それは、夕日が沈むバガンの光景じゃった。だれもが手を合わせ拝んだ。全ての辛い気持ちを吸い取ってくれるかのように、仏様がわしらに慈悲を与えてくれたかのように、あの光景が、静かにじっとわしらの心にしみ込んだようじゃった。」

手に持ったアルバムには、モノクロの若い兵隊さん達の写真と、座敷部屋の壁には茶色の城壁と白い僧院、朱色に染まる幾つものパゴダ群の写真が、飾られてあった。

窓越しに庭を眺めると、外はすっかり陽が傾き、庭の夜香樹の白い花びらも西日で黄色く揺れていた。



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2011/2/22

戦場の雫3  ストーリー

中国重慶軍の圧倒的な兵力による攻撃と、空からの猛爆撃は何度となく繰り返され、不意を付いて師団根拠地の龍陵が数十倍の兵力により集中的に攻撃を受けて潰れてしまった。守備に就いた龍兵団の各連隊は、拉孟と騰越を固め、自らの部隊の中で救援合流を余儀なくされ、残留全部隊での死闘戦を続けざるを得なかった。
怒江を渡ってきた重慶軍は西岸各都市周辺に押し寄せ、功吉らの部隊は騰越の市街地どころか、山間から先へ進む事すら容易に出来なくなってきた。

立ち上る黒煙の空から、悔し涙の如くに雨が降り始めた頃、しだいに無数の敵に包囲され、一旦、後退を余儀なくされたものの、迂回して連隊に合流するような策を取ることとなった。
雨足はひどくなり、降り続く大雨の中を敵も見方もわからぬまま、森の中を必死に応戦しながら、木々の間を容赦なく銃玉の火花が飛び交った。
泥まみれになりながら辛くも逃れはしたが、敵は追撃に手を抜かず繰り返す波々のように功吉らに迫って来た。
山林を駆け抜ける時だった。仲間の白石兵長が、一瞬にして敵の機関銃で背中を貫通され、血や肉片がそこら中に散らばった瞬間、ドスッと地面に体が崩れながら、崖に吸い込まれるかのように転がっていった。
無我夢中で応戦しつつも、数倍の砲弾と銃声が容赦なく周辺に飛び交ってくる。
『白石がやられた。』
『今はこの山を越えるしかない。』
皆は、敵の追撃が収まるまで一目散に山を駆け上がって行った。

その日、功吉ら残った十二名は暑く湿った山林の大きな倒木の脇で、身を潜めて夜を明かした。雨はあがり、樹木から落ちてくる雫を額に受けながら、泥と涙と恐怖を洗い流がそうとも、それらは決して思い通りに流れ落ちる事はなかった。
暗闇の木々の隙間から唯一差し込む、揺れる月の明かりをぼんやりと見つめながら、逃れる事の出来ない現実の中を、夢のように静かに目を閉じてみた。

『高橋、わしらは連隊に合流出来るやろうか? いや、我々は祖国日本に帰れるだろうか?』
泥まみれになった顔を、素手で拭いながら同僚の安田はつぶやいた。

『ビルマに入って二年と八ヶ月。戦況はまったく変わってしまったようだな。』
『援軍も物資も来ないウ号作戦なんぞ、米式戦闘には到底歯が立たぬ、先々難しいに決まっとる。』
『わしらは、どうにかして一日でも長く戦い続けるしか無かばい。』
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2011/2/21

戦場の雫2  ストーリー

「それから、ひと月ふた月経ったろうか、ミートキーナが攻撃された数日後、真夜中に起床ラッパが鳴り響いた。」

『怒江方面に敵襲あり。』
連日、戦闘態勢ではあったが、隊員全員、慌ただしく広場に集結し整列した。
功吉ら一大隊は、龍の松井連隊長率いる百十三連隊が守備する雲南省拉孟に向かった。
昼夜の山々を黙々と登り、険しい山林を超え、中国領内に入り見晴らしのいい山の中腹を超えると、はるか怒江上空を敵機が、無差別に爆撃を行い、拉孟と騰越の街に砲弾が次々に飛んでいる。
もはや火の海と化し、黒煙が空高く舞い上げっているではないか。
騰越に於いては、功吉らの百四十八連隊の本部が置かれている守備隊本拠地である。

『なんて事だ、我ら蔵重連隊長殿の騰越までもが攻撃を受けているぞ!』
『騰越を守るんだ!我々は、連隊に合流するんだ!』
『援軍はまだか! 隼は飛んでないのか!』
功吉ら周辺警備の一大隊は、機動力を活かし、中国軍の侵攻を遮り、迫ってくる敵兵団と応戦しながら、城郭都市である騰越に向けて、先へ先へと急いだ。

中国重慶軍と米英雲南遠征軍の全面的総反撃が開始されたのは、昭和十九年五月中旬の夜半から始まり、昼夜を問わず幾度も幾度も猛攻が続いた。
敵は、次々に怒江を渡り、空からは連合軍の空挺部隊が降りてくる。
近代兵器を手に入れた中国雲南部隊は、今までとは見違える程の戦力と戦術で、我が日本軍に猛攻撃を仕掛けてくる。

必死に死闘を繰り返して来た功吉達ではあったが、これまで以上の恐怖と圧倒的な重圧を感じる日々が、これから何日も続く事になる。
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2011/2/6

戦場の雫1  ストーリー

バガンの夕日と朱色の轍
戦場の雫

功吉の部隊である第五十六師団は龍兵団と呼ばれ、第十八師団の菊兵団と共に、北ビルマ方面および中国雲南方面の早期攻略防衛に徹した。
両隊は、マンダレーから約二百キロ北東にあるラシオを占領後、ワンチンからミートキーナへ向かい、ことごとく攻略を続けイギリス管轄の都市を占領した。
ビルマ北部に位置するミートキーナは、中国重慶遠征軍と英印軍両司令部があり、飛行場を有するインドと中国の空輸中継地点として、戦略上最重要都市のひとつである。ここを占領し、さらに怒江方面拉孟(ラモウ)へ向かった。

各隊は残存兵による編成による編成を繰り返しながら先へ先へと侵攻し、雲南中国守備隊の抵抗をことごとく撃破しつつ、ついに、中国軍は自らの手で日本軍の渡河を遮るため、恵通橋を爆破し退却して行った。これで日本軍は雲南省怒江西岸までを制圧したのである。

龍兵団による侵攻は拉孟、騰越、龍陵を占領しながら中国雲南省まで達し、功吉ら龍兵団は精鋭部隊百十三連隊を拉孟守備防衛に残し、また、城郭都市である騰越を百四十八連隊が守備防衛をする事となり、功吉ら一部隊は怒江西岸の警備を続け、再編成のため一時、ビルマ領内に南下する事となった。
しかし、後になって思えば、すべて米英中連合軍の一時的な後退劇に過ぎなかったのである。

『高橋伍長、なしてかビルマは落着くばい。』
三八式歩兵銃の手入れをしながら白石兵長は言った。
『蒋介石も日本と同盟ば、結べば良かち思うけどのぅ。』
安田伍長が無理を承知で功吉の顔を伺った。
『怒江方面は航空部隊の爆撃援護で、なんとかやってこれたけれど、この戦はどこまで続くやろか。』
功吉らは、ビルマの美しい寺院や建物が無事に残された事に安堵しながら、大東亜共栄圏構想を信じつつも、これから続く戦争によりこれ以上破壊され、各地で同胞が死んでいく事を信じ難く、想像したくはなかった。

彼らがいる小さな村でさえ、ビルマ義勇軍の若者達も、長い植民地時代から開放され独立を祝いながら、村中が活気に満ちているかのように感じた。

間もなくすると、今までにぎわっていた村の市場も後片付けに入り、遠い西の丘に沈んでいく紅く大きな夕日を眺めながら、どこからともなく漂ってくる清らかな甘い香りが、そよ風と共に彼らの周囲を包んだ。


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2011/1/30

記憶の欠片4  ストーリー

日本帝国陸軍は、英国領ビルマのラングーン(現ヤンゴン)を占領した後、中部マンダレー、西岸アキャプを次々に占領し、ビルマ制圧を完了させた。これと前後して太平洋南方方面軍は、蘭領スマトラ島、ジャワ、英領東部ニューギニア、米領コレヒドール、ミンダナオ島を占領し、南方作戦を完遂させ、一気盛んに怒濤の快進撃を走るかのように思えた。

日本軍ビルマ部隊は、英国領インドから中国雲南省を抜ける重要物資輸送路である援蒋ルートを遮断するため、ビルマの主要都市を占領し北上してきたが、二十一号作戦構想からしだいにアジアの戦況は複雑化し、攻略を急ぐ一部の上層部は、イギリス軍の主要拠点であり最重要都市でもあるインパールを占領するために、慎重派を押しのけ、強行かつ無謀なウ号作戦を推進し実行する事となった。これが、インパール作戦である。

蒋介石軍を援助するために米英が陸路として使ったこのルートを遮断する事で、中国の弱体化を招き、大東亜共栄圏を一方的な解釈のもと、戦況有利へと一気に決着を企てようと計画してきたが、ミッドウェイ開戦後、太平洋南方方面での相次ぐ敗北により、航空兵力の減少のみならず、ビルマ方面軍への物資と兵力の増援は期待されぬものとなる。

また、連合国軍の反攻は日増しに強化され、中国蒋介石軍は米英の空輸による近代兵器を活用しながら、空陸からの砲撃援護によって巻き返しを図った。それに対し、日本軍は自らの物資の補給、軍備兵力の増員も皆無となり、気候風土の厳しさに加え、マラリア感染や飢餓寸前の兵隊が日増しに増えて、現状把握の認識逃避に、撤退命令も出ず、司令部および師団長の意志の不調和音が囁かれた。
戦場において兵士達は、もがきながらも必死に戦った。次第に士気の低下と共に玉砕の覚悟を持って応戦し続ける他はなかった。もはや、精神論と大和魂の意地でしか戦闘気力を向上させる手段しかなかったのである。

結果、ビルマからインパールへ向かう街道も、周囲のジャングル地帯も、無惨にもおびただしい死体の山と化し、白骨街道として名を残す事となる。



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2011/1/23

記憶の欠片3  ストーリー

『お待たせしました。お昼の用意ができましたよ。』

大きなお皿に盛り上がるほどのカラフルな野菜サラダと、木皿に入った明太子とイクラのスパゲティ、チーズがたっぷりかかった焼きたてのピザ、そして具が一杯入ったクラムチャウダーと、次から次に運んで来てテーブルが一瞬にしていっぱいになった。

『お昼からすげ〜っ。美味しそうで、こんなに食べられるのって何年ぶりだろう。』
『美千代は、お花屋さんが休みのときは、よくここに来て料理をしてくれるんですよ。』
美千代はニコリと微笑み、お茶を注ぎながら、
『へ〜え、おじいちゃん、ビルマの話が出来るなんて久し振りじゃない。』
『おぉ、久し振りじゃなぁ、人に話をするのは。健吾君、遠慮はいらんから、いっぱい食べなさい。』
功吉は、孫のような若者に気を配りをしながら、語り始めた。

当時のビルマの子供達と手作りのメンコで遊んだ事や、食事班から一握りの米をこっそり貰って、黄色の衣を着た小さな僧に与えた話、ジャングルの中で見た事もない生き物と遭遇して驚きと不気味さで困惑した事、広い大地に大きな夕日が沈んでいく光景がこの世の物とは思えない程の壮大さを感じた事、そして関西方面から来た兵隊たちと夜襲攻撃で敵陣へ乗り込み皇軍旗を掲げた事など、悲惨な出来事とは思えない話しを、功吉はあたかも良き思い出かのように健吾に話し始めた。
遠い昔を振り返り、自分と同じ年頃の出来事を思い出しながら話す目の前の老人を、健吾は黙って聞いていた。

『しかしな、それらはビルマに入った始めのうちだったわい。』
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2011/1/18

記憶の欠片2  ストーリー

『ちょうど、私が玄関の枯れ葉を掃除してたら、目の前を通りかかってね、そのまま無理矢理に庭につれて来たとよ。』
唖然とした美千代を眺め、笑いながらおばあさんは言い、
『これから、丁度お昼にするから、美千代も一緒に食べんね。』
『えっ? 今日は私が、二人にお昼を食べさせようと、お母さんに言われて、材料を買って来たとよ。』
ほっぺを膨らませ加減で健吾を睨んだ。
『僕やっぱり、帰ります。』
『私が来たからって、なんで帰るとっ? もう三人も四人も同じだわ。イクラと明太子のスパゲティを作るから、おじいちゃんと話ば続けときっ。』
『はっはっは、ま、そう言う事で、折角だから食べていかんかね。美知子の作るスパゲチィーは美味しかばい。』
戸惑う健吾を見ながら功吉は言った。誠実そうな若者と、久しぶりに話しがしたかった。
それを感じているおばあさんは、嬉しそうに美知子と何やら楽しそうな話しをしながら台所へ向かった。
『健吾君や、すまんが皆が食べられるように、テーブルの用意をしてくれんかな。』
庭の景色が見える座敷に、大きく重厚な紫檀の唐木座卓を部屋の中央に置き、肘掛けの付いた座椅子を正面に、そしてふっくらとした深緑色の座布団を三つ配置し、二人は座卓を挟んで向かい合わせに座った。

言われるがままに、健吾は、今日の一日を面識もまだ浅いこの老人と共に、向かい合って話を聞く事を決意した。



 
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2011/1/8

記憶の欠片1  ストーリー

バガンの夕日と朱色の轍
記憶の欠片

『わしのこの額にある傷は、敵の迫撃砲が目の前で破裂して破片が突き刺さってしもうた痕じゃ。幸い死にはせんかったが、一時、記憶がないんじゃよ。終戦間近じゃった頃じゃ。』

よく見ると、その老人の額のしわの奥に、深く何かで押されたかのような痕があった。
健吾は一瞬、目を大きく開いて、無意識に謝った。
『すみません、嫌な事を思い出させて。ごめんなさい。』と、むやみに立ち入ってしまった事に気がついた。

奥からおばあさんが、箱に入った小菊まんじゅうを持って来て、ひとつ健吾に渡しながら、
『「この傷は、栄誉の傷跡だ!」って、いつも言ってるんですよっ。今じゃ、しわが多くなって、分からなくなったわねぇ。』

『自分はもう、そろそろ帰らなくちゃ』健吾がそう言うと、

『ビルマの雨季は大変なもんで、ジャングルを抜けて一休止すると、足や背中にヒルがぺたーっと貼り付いておって、仲間同士、煙草で取り合ったものじゃ。』
功吉はニヤッと笑い、健吾を引き止め、
『昼飯でも食って行きなさい。おい、メシの用意をしてくれ。』
と、おばあさんに告げたところで、
『おばあちゃん、おじいちゃん、こんにちはっ!』
玄関から、あの女の声がした。
たったったっと、廊下を急ぐ音がしたかと思うと、縁側の居間に入り、健吾と目が合った。
『えっ?』
縁側に腰掛けていた健吾は、素早く立ち上がり頭をかきながら、
『うっす!』と会釈した。


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2010/12/30

風のない休日6  ストーリー

遠くをぼんやり眺めている功吉を見て、健吾は言った。
『祖父は自分が中学の頃亡くなったし、おやじは戦後生まれなので、戦争の話しなど聞かされる事もなかったし、日本が戦争した事など、歴史の教科書や映画やドラマでしか分からないです。』

座敷の奥でちょこんと座ってみかんを頬張るおばあさんが、
『そう言えば、このおじいさんは遺骨収集団でビルマに行ってた頃は、毎日のように戦争の事ばかりを話してたけれど、かれこれ十年以上はまったく話さなくなったわねぇ。』
『はっはっは、息子も娘も、もう話を聞いてくれんからじゃよ。』 お茶を足し、庭を眺めながら功吉は言った。

『戦った敵は、イギリス兵だったんですか?』健吾はミャンマーの事よりも、当時の戦争の事に興味が傾いた。
『イギリス兵、インド兵、そして蒋介石の国民軍たちだった。』
『それで、日本兵だけが戦ったんですか?』
『英国から独立したいインド人や、ビルマ族の若者たちも我々と一緒に戦った。しかし、悲惨な目に遭わしてしもうた。』
『もし、よかったら、もっといろんな話を聞かせて下さい。』

これまでもそうだが、功吉は、どんなに語っても、どれほど聞かせても、その状況を現代の若者達が分かるはずもなく、また、分かってもらうつもりもなかった。ただ、思い出したくもないあの辛く苦しい悲惨な戦場の記憶に、再び触れる事を拒んでいた。
功吉の顔が少し険しくなりかけた時、庭の隅にある夜香樹の白い花の枝が、再び風に優しく揺れ始めた。



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2010/12/28

風のない休日5  ストーリー

『お国の為に、お役に立つ戦いをしてきなさい。』

港の盛大な声援の中で三つ年上の姉が見送る姿を、輸送船の甲板から見下ろしながら、遠ざかっていく群衆の中の姉を姿が霞んで見えなくなるまで、歯をくいしばり眺めていた。
まだ勢いに盛り上がっていた日本ではあったが、これから何が起るかも分からず、祖国のためと周りの人々に感化され、時勢に押し流されるままに、自分の未来もやりたい夢も自分の意志も遠のいてしまった事を悔やむ事もままならず、暗く黒い油の臭いの中で数ヶ月も大勢の若者と共に海を渡り、目がくらむような太陽の日差しを浴びながら、初めての異国の地、タイの港へ降りたった。

市街地を抜け、日ごとに増える連隊の数はしだいに長い列を作りながら行進し、ビルマ国境近くまで差し掛かった。
現地の人々は、日本兵に好意を持っているのかどうか、本心を計り知る事は出来なかったが、日本兵を見つめる目の奥には悲壮感とある種の不信感をも感じるような気配さえした。沿道で手旗を振る女や子供達を見ていても、明暗の分からぬ未知の世界へ入って行くやるせない気持ちを苛めるように感じてしまう。

『第五十六師団、久留米歩兵 第百四十八連隊は、第15軍に編入し、これより英国領ビルマへ入り、マンダレー攻略のためラシオへ向かう。』

上空をプロペラ音を響かせながらセスナ機が通り過ぎた。はっと、我に返った功吉は、うっすらと目の前で美味しそうにお菓子を頬張る、若くあどけない健吾の姿を見て安堵を覚えた。


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2010/12/26

風のない休日4  ストーリー

九州の直方にある御徳という小さな炭坑街で産まれた功吉は、炭坑長を役職とした厳格な父親と、凛々しく気強い母親との、男四人女四人の八番目の末っ子として、少年時代を自由奔放に大人の男の世界で育った。

幼少の時から、忙しい両親の代わりに、二十以上も歳が離れた長男の太郎が面倒を見、可愛がられ育てられた。
過酷な労働ではあるが活気に溢れ、威勢のいい炭坑夫の男たちを仕切る立場と、国からの要請に炭坑主との調整を議論する立場の両立をこなす多忙な父親とは、親子としての時間を共に過ごす事は、家族揃っての朝食以外には殆どなかった。

長男の太郎は医者の道に進み、我が子のように可愛がった功吉を、東京の大学へ進学させたものの、ある日突然、度重なる過労のために父親が病に倒れ、家庭を養う太郎からの仕送りもしだいに途絶えてしまった。
一時は、上京して大学に入り映画作りを夢見た功吉であったが、やむなく大学を中退して御徳に帰らざるを得なくなった。
九州へ戻ってからは、地元の新聞社で見習い小僧として駆けずり回り、朝から晩まで必死に働きながら、兄弟全員で家計を助けた。

それから暫くした初夏のある日、召集令状の赤紙が功吉のもとへ届いた。
三人もの息子たちが次々と召集され、母親は辛く寂しい気持ちを堪えながら、愛する息子たちを日本のためにと戦場へと送り出した。

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タグ: 召集令状 炭坑 御徳



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