――死ぬのか。
血が減った所為で体が冷たくなっていくのを感じながら、カイトは他人事のようにそう思った。
職業柄こういう事態はある程度覚悟していたからなのか、それとも未だに現実味が湧かないのか、カイトは、あっさりとその事実を認めていた。
「ふむ、なかなかやりおるな。我をここまで追い詰めたのは、主が初めてじゃ」
そう言ったマーラカの姿が、カイトの目に歪んで映る。
マーラカは傷だらけで、カイトの手によって右目が潰れていた。しかし、それもすぐに戻るのだろう。彼女は吸血鬼なのだから。
「主はきっとまだまだ強くなる。このまま殺してしまうのは惜しいの。どれ」
そう言って笑いながら、顔を近づけてくるマーラカの姿をカイトはただ見ていた。
屋敷に入ってカメリア・ローレンスが最初に見たのは、見知った男の姿だった。
その男は、大量の血を流しながら床に倒れている。明らかに致死量を超えていることから、死んでいるのは間違いない。
男の名は、カイト・ヘルド。
大陸に名を馳せる吸血鬼専門の退治屋だったが、最近はめっきり姿を見なくなり、死亡説が流れだした男だった。
カメリアは、彼と幾度か仕事を一緒にしたことがある。その中で分かったことは、彼は正義感が強く、愚直で短気、とにかく分かり易いということだった。
そんな性格の所為なのか、実力はあるのに後先考えず行動し、故に幾度か窮地に至ったりしている姿をカメリアは見たことがある。
これではいつか死ぬなとカメリアは思っていたが、いざ死なれてみると実にあっけない。
同情はしなかったし、悲しくもなかった。職業柄、こういう事態はお互いに覚悟しているのだから。
ただ、少しだけ彼が居なくなるのは寂しいかもしれないと、カメリアは思った。
カメリアはカイトから視線を少し右へと移した。そこには、少女の姿をした吸血鬼が、歪んだ笑みを浮かべている。
彼女は有名な吸血鬼で、容姿は幼いが何百年と生き、強い力を持つ。名はセイル。
カメリアはセイルの姿を認めると、鋭く睨みつけた。
「お前がセイルだな」
カメリアは、セイルの言葉を無視してそう言う自分の声が、思ったより怒気のある物だったので、内心苦笑した。
何故なら、その怒りは、カイトを殺されたという事に対してだったから。
誰かが死んで怒るなど、父親を吸血鬼に殺されて以来だと、カメリアは思った。
それを気取られないようにしながら、カメリアは父親の形見である剣に手をそっと添える。
通常の剣ならば吸血鬼には無意味なものだが、教会で祝福されているそれは、吸血鬼には有効だ。
実際、カメリアはこの剣でいくらか吸血鬼を倒しており、その力は実証済みだった。
「そうよ」
どこか楽しそうに、無邪気な声でセイルは短く答える。
それを聞いて、カメリアは片足で跳んで相手との距離を縮めた。
そして、間合いに相手が入ったのを確認すると、剣を抜き、その流れを活かしながら横なぎに剣を振るう。
セイルがそれをしゃがんで交わす。空気を切り裂く音だけが、むなしくカメリアの耳に届く。
「ちっ!」
勢い余ったカメリアは、セイルの上を飛び越えて、少し離れた位置に着地した。
「あっぶなー」
セイルが、緊張感の欠片もない声で楽しそうに言う。
カメリアは、ただ彼女を睨みながら、剣を構えた。
「じゃ、今度はこっちの番ね。っとぉ」
セイルは楽しそうに走りながら、間合いを詰める。
――速いッ!
人間より高い身体能力を持つという彼女の足は、瞬く間に二人の距離を縮めた。
そしてセイルは、鋭く伸びた右手の爪でカメリアの喉をひっかこうとする。
それなりの強度を持ち、鋭いそれは、もはや凶器と言っても過言ではなく、食らえばカメリアの命はない。
カメリアは、半ば条件反射でそれを剣で防ぐ。すると、今度は左手が飛んでくるのが見えた。
「っらぁ!」
カメリアは足を前へと蹴りだす。当てる気などはない。ただ、相手との間合いを取り、体制を立て直す時間だけを取られれば良かった。
そんなカメリアの考えを読んだのか、セイルは彼女の予想に反して上へと飛んだ。
そして、カメリアの間後ろへと着地する。
――背後を取られた!?
瞬間、カメリアの息が止まった。カメリアの頭にカイトの死体と、死という文字が浮かぶ。
彼女はそれを必死に振り払いながら、振り返る。
彼女の視界の中で、長い爪をこちらに向けてくるセイルの姿があった。その爪が、今まさにカメリアの喉に触れようとしていた。
――やられるッ!
カメリアが咄嗟にそう思った刹那、一発の銃声が鳴り響いた。
セイルが驚いた表情のまま倒れる。見ると、彼女の頭から血が流れていた。
「…………」
カメリアは、静かに視線を右へと向ける。そこには、
「大丈夫か?」
拳銃を撃ったカイトが立っていた。
体中に大量の血痕があったが、良く見るとカイトにはどこにも怪我がなかった。
生前と同じ姿をしていて、不老不死。そんな化け物をカメリアは一つしか知らない。
「お前……吸血鬼になったのか」
カメリアは、剣の血を払って鞘に納めると、呆れたようにそう言った。
「貴様、助けてもらった人間に礼もなしにいきなりそれか?」
「吸血鬼に礼を尽くす必要がどこにある」
不機嫌そうに言うカイトに、カメリアは冷たく言い放った。カイトは、確かにそうだが、と妙に納得してみせるが、どこか釈然としないという顔をしている。
「大方ヘマして、セイルに血を吸われたんだろ。情けないな。ミイラ取りがミイラになるなんて」
「ッ! 貴様だって、やられかけてただろ! 人の事言えるのか! それに俺をこんな体にしたのは、マーラカだ」
マーラカというのは、この国で、いや大陸で名を馳せ、世界最強と謳われる吸血鬼だ。
血を吸わないでも生きられ、数多くある吸血鬼の弱点を克服したという彼女は、退治屋の間では、決して相手にしてはいけない化け物の中の化け物として知れ渡っている。
そんな彼女は、長年生きてきた所為か退屈でしょうがないらしい。
故に、暇つぶしに強そうな相手を見つけては、一方的に戦いを挑んだりするという噂だ。
それが、彼女が唯一人間を襲う時。しかし、マーラカのお眼鏡に適う人間なんてそうそう居ない。だから、彼女が現れたという話もあまり聞くことはできない。
そんなわけでさほど大きな被害がでてないということもあり、余計な死者を出さない為にも手出ししないのが暗黙の了解になっている。
「なるほどな。マーラカに勝負を挑まれて、血を吸われて吸血鬼にされたわけか。ところでお前、今までどうやって栄養取ってたんだ」
カメリアは、鋭くカイトを睨みながら、そう言った。
吸血鬼の栄養源は、人間の血だ。
それ以外の動物の血は不味い上、十分な精力が得られないと非効率的なので、滅多に吸われない。
正義感の強いカイトに限って人を襲う事は無いだろうとカメリアは思うが、だがしかしもし人を襲っていたのなら、彼女はカイトを見逃す訳にはいかない。
「動物の血でなんとか、な。だが、今一力がでなくてな。おかげで、セイルに一回殺された」
「だと思った。お前らしいな」
カメリアは、素直にそんな感想を述べる。
「どういう意味だ。それは」
侮辱されたと感じたのだろうか、カイトが不愉快そうにそう言った。カメリアは、そのままの意味だ、とだけ答える。
カイトは複雑そうな顔をしながらも、話題を変える。
「……まぁいい、そんなことより、マーラカの居場所を知らないか?」
「知らない。あいつを探してどうするんだ」
カメリアが不思議そうに尋ねると、
「あいつを今度こそ倒す。いくら被害が少ないからって、他の退治屋に俺みたいな思いをさせるわけにはいかんだろ」
きっぱりとカイトは、断言した。そんな彼に、カメリアはカメリアたく事実を吐きつける。
「セイルにやれてるようじゃ、マーラカになんか勝てやしないだろ」
「……ッ! だが、それでも誰かがやらなきゃいけない」
そう言うと、カイトは妙に神妙な面持ちで続ける。
「マーラカに退屈しのぎで血を吸われた強い人間は、とりあえず人を襲うのを耐えるだろう。
だが、それがいつまで持つと思う? 吸血鬼が人の血を吸うのを耐えるのは、砂漠でオアシスを目の前に手出ししないのに近い。
いずれ耐えきれなくなって人を襲うに決まってる。そして歯止めが利かなくなって、そいつは人間の大きな脅威となる。それを放っておくことはできない。
俺だって今は耐えているが、いつお前を襲ったっておかしくない。いつ俺が俺で無くなったっておかしくないんだ」
そう言ってカイトは、泣きそうな顔をした。
それが、彼なりに見せた弱さだと、カメリアは気づく。
顔見知りとはいえそこまで親しくないカメリアに弱音を吐くくらい、カイトは追い詰められているのだとカメリアは思う。
「でも、お前は偉いんだな」
カメリアは、素直にそんな感想を漏らした。
砂漠でオアシスを目の前に永遠に耐え続ける。無限に続く、終わりの見えない自分自身との戦い。
誰に褒められるわけでもなく、勝ったところで見返りなどない。
カメリアはそれを想像して、自分には耐えられないだろうなと思った。
カイトが怪訝そうにカメリアを見る。カメリアはその視線を無視して、小さく溜息を吐くと、告げる。
「安心しろ。お前がどうしてでも耐えられなくなったら、俺が止めてやる。さっきの借りは、それでチャラだ」
――それに、今のお前を一人にしておける訳ないし。
カメリアは、声に出さずにそう続ける。
正直なところ、今の状態のカイトを止められるかどうかは、五分五分だった。
きっと人間の血を吸えば、人間だった時以上の力を持つのだろう。そうなれば、カメリアの手に負えない。
それをすべて分かった上で、カメリアはそう言った。
「…………」
驚いてカイトはカメリアを見つめる。そんなカイトにカメリアは、安心させるように笑みを浮かべた。
それが、カメリアがカイトに見せる初めての笑顔だった。
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