魁人は、王の正装である金色の刺繍が入った白い着物を着て、ただ部屋で佇んでいた。
「逃げないのかい?」
魁人の傍らに座る豪が彼を見上げて言った。
豪は全身に炎を纏った白狼で、火の神の一柱だった。
この国では、一人に一柱神が憑く。その神は守護神と呼ばれ、魁人にとっては豪がそれだった。
「ああ、いいんだ。あいつらがこの国を変え、新しい時代を迎えてくれる。そこに王は要らない」
豪は、迷いのない魁人の言葉にあきらめにも似た表情を浮かべた後、
「私は、君のそう言うところ嫌いだよ。もっと自分を大事にしたらどうだい」
無駄だと知りつつもそう言った。
「わかった。来世には、そうさせてもらう」
来世、と言い切った魁人に、豪は下から睨みつけた。
と、その時部屋の襖が開いた。
由菜と言う名の反乱軍の長が、魁人がまだそこに居る事に驚いて目を開いた後、一瞬だけ悲しげに眼を伏せた。
そんな彼女に、豪が困ったような顔を向ける。
由菜に続いて反乱軍の兵が入ってきて、無抵抗の魁人を乱暴に捕える。豪は、何もしない。魁人がそれを望んでいるから。
そして王は、処刑のその日まで牢で過ごすこととなった。
魁人が王になる少し前。日照りが続き、飢饉が国全体を襲った。
食糧の値段が急速に高騰し、貧しい者は飢えて死に、子や親を口減らしに捨てざるを得ないという悲惨な状況だった。
しかし、逆にある程度金のある者のところには食糧が豊富にあり、分配に問題があるのは誰の目にも明らかだった。
状況を打開すべく議会はさまざまな対策を打ったが、貴族で構成された彼らの出す案は、どれも現実味のないものばかりであった。
議員達自身は金があり、食糧も確保できたが故に、飢饉の現状を数字でしか知らないのも、その要因の一つだった。
いかに状況が危機的か実感の湧かない彼らは、さほど深刻な状況ではない、という共通の見解を持っていた。
そんな無能な議会に国民が憤りを覚え、反乱軍ができあがった頃、当時町人だった魁人が王となった。
この国で王は血ではなく、いかに強い守護神が憑いているかで決まる。
三年に一度調査が行われ、強い守護神が憑いていて、かつ十五歳以上の人間は、有無を言わさず王とされた。
そこに拒否権はなく、余程の事がない限り王個人の意思や性格は問題とされなかった。それを気にする必要がなかったからだ。
王にあるのは議員を決められるという権限だけで、政はすべて議会が行う。
その唯一といっていい権限さえ、議員や貴族の顔色を気にすれば滅多に行使できるものではなかった。
それ故、この国の王はただの飾りと化していた。
そんな中王となった魁人は、それから国を変えようと奮闘した。
彼は議員達に食料の分配を改善すれば、民を救えるという事を何度も訴えた。
しかし、議員達には政を知らない王の戯言だと言われ、その声は届かない。
魁人は議員の総入れ替えを考えもしたが、結局同じような頭がそろうだけで無駄だと気づき、やめた。
国民にはその努力は見えず、それを知るのはずっと傍にいた豪だけだった。
そうして時だけが過ぎ、結局魁人はなんの成果も出せず、やがて議会は反乱軍への対応に追われ、飢饉への対策は後回しにしてしまう。
結果、さらに国民の反感を買い、自らの滅びを招いて行った。
そして今日、城は反乱軍の襲撃に遭い、王は捕えられ、議会と王による政治は終わろうとしていた。
魁人が牢の中でただ座っていると、
「なんで逃げなかったのよ。馬鹿じゃないの」
泣きそうな声が外からして、魁人はそちらを見た。
そこには風呂敷を持った由菜が居て、泣きそうな顔で格子戸越しの魁人を見ていた。
彼女の足もとには豪と全身が水でできた猫が居た。
猫は、由菜の守護神である冷だった。
「王が死んだ方が、お前達にとっては好都合だろう。どうせ生きていてもすることがないんだ。
それに、お前がこの国を導くなら、俺はなんの心配もせず逝ける」
「あんたはこの国を変えようと頑張った。それを私は見てないけど、ずっと一緒だったからわかるわ。あんたの性格なら、そうしていた筈よ。
そんなあんたが、なんで殺されなきゃいけないのよ」
由菜と魁人は家が隣同士で、幼馴染だった。
気が強く、歯に衣着せぬ物言いをする由菜と、短気な魁人はことあるごとに口喧嘩をし、よく魁人は言い負かされていた。
けれど、それは喧嘩というよりどちらかというと慣れ合いに近い物で、決して仲が悪かったわけではなかった。
そんな二人の関係が壊れたのは、由菜が反乱軍を設立し、ようやく形にできた頃だった。
それとほぼ同時期に魁人は王となり、そして由菜の倒すべき敵となってしまった。
由菜は、魁人の幼馴染として彼を救いたいと思いながら、国を変えるために魁人を死に追いやる決断を強いられてきた。
それを魁人は想像することしかできないが、辛い決断を迫られていたのはわかる。
「私も魁人が死ぬ必要はないと思うんだがね。言っても聞かないんだよ」
由菜の足もとで諦めたように豪が言った。そんな豪を由菜は目に涙を溜めたまま睨む。
それから懐から鍵を取り出して、牢の鍵をはずす。重たい錠前が、静かに由菜の手に落ちた。
「由菜!?」
冷が、押し殺した声で叫んだ。魁人も豪も驚いて、由菜を凝視する。
そんな彼らの視線を受けながら、由菜は風呂敷を牢の中に入れて開く。
風呂敷の中には、地味すぎず派手過ぎない着物と山高帽が入っていた。
「これを着て逃げて」
由菜は、唯一言そう言った。
「本気なの?」
冷の問いに、由菜は力強く頷く。そこに迷いは一切ない。
魁人が、由菜を宥める様に言う。
「俺を逃がしたと知れたら、お前だってただじゃ済まないだろう。俺はいいから、お前は――」
由菜は、何か言いかけた魁人の言葉を鋭い視線で遮った。
静かに、けれど力強く由菜は言う。
「あんたが良くても、私は良くないわ。あんたは、この国の全部を私に押しつけて、満足して死んでいくんでしょう。そんなの無責任よ。ただの自己満足じゃない」
今まで由菜の目に留まっていた涙が、一粒だけ零れ落ちた。
魁人は困ったように由菜を見て、そして尋ねる。
「俺にどうしろというんだ。お前は」
静かな魁人の言葉に由菜は凛とした声で答える。
「逃げて、生き伸びて。そして、私が作り変えるこの国を見守っていてほしい」
魁人が由菜の目を見る。涙で潤んでいるというのに、そこには強い意志が宿っていた。
諦めたように魁人は、小さく息を吐いた。
「確かに、お前に全部任せて死んでいくというのも無責任な話かもしれんな」
そう言って、由菜の用意した着物を手に取った。
翌日、王が何らかの方法で鍵を開け逃亡したという記事が、新聞の一面を飾った。
それから数年後、国を変えようと奮闘する由菜の許に、補佐官になりたいという男が訪れた。
腰まで伸ばした髪にこけた頬が特徴的で、眼鏡をかけている所為か生真面目そうな雰囲気を持つ男だった。名は、勲。
由菜の部屋にやってきた勲は、由菜と二人きりである事を確認すると、いきなりこう言った。
「久しぶりだな。由菜」
由菜の肩の上に居た冷が怪訝そうに首をかしげる。
由菜の方は、勲が誰かを瞬時に理解して、信じられないと言った様子で勲を凝視した。
由菜はその顔に見覚えはなかったが、声には聞き覚えがある。もう随分長いこと聞いていない声だが、聞き間違えたりしない。
「かい、と?」
名前を呼ぶと、勲はそうだと言った。
「びっくりしただろう」
下から楽しそうな声が聞こえて、由菜はそこを見る。勲の足もとに豪が座っていた。
由菜は、もう一度勲を見る。よく見れば、目元に魁人の面影があった。
もう間違いなかった。勲は、逃亡したはずの魁人だった。
「な、何してるのよ。こんなところで」
半ば混乱しながら、小声で問い詰める由菜に、魁人は答える。
「お前が言ったんだろう。お前に全て任せるのは、無責任だと。だから、お前の力になる為にこうして来た。で、俺を補佐官にしてくれるか?」
由菜は、茫然としてすっかり変わった魁人を見た。
外見はすっかり変わってしまったが、けれど恐らくその中身はまったく変わっていない。
そんな幼馴染に由菜は小さく息を吐いて、
「いいわよ。でもね、何かを変えると言うのは口で言うより大変なの、後で雲隠れしといた方が良かったとか言わないでよ」
そう言って、笑った。魁人が王になってから初めて見る由菜の笑顔だった。
「もとより承知の上だ」
そう言うと、つられて魁人も笑った。
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