2017/1/7

初詣  寺社

松の内の1月7日(土)、JR品川駅の高輪口(西口)にある品川プリンスホテルへに行き、兄妹のお祝いの食事会をした後、港区芝大門の「増上寺」で初詣をし、久方ぶりに東京タワーへ行き大展望台から都内の風景を眺めて来ました。

芝大門の増上寺は、上野の寛永寺と並び徳川幕府(家)の菩提寺として知られていますね。私も東京タワーへは何度か来た記憶があるのですが。増上寺へは来た記憶がないです。

JR浜松町駅から増上寺へ向かってしばらく歩くと、芝の大門(今は改装工事中でした)が見えます。

大門から三解脱門(山門)まで108間(1間=6尺=1.82m×108=196.6m)あり、三門をくぐると108の煩悩から解脱する言われています。

山門から大殿(本堂)までは48間(87,4m)、18段と25段の二つの階段を登り大殿にて初祈願する。・・・「いいかげんに宝くじが当選するように」と願いました。

初詣の後は、境内を少し散策し観音山(増上寺の裏手、東京タワーが立っている所の旧地名)に向かい、東京タワーの大展望台に登り都内の風景を眺めを楽しみ、それぞれ家路に着きました。



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タグ: 増上寺

2017/1/1

謹賀新年  

明けましておめでとうございます。

Myブログご訪問(閲覧)の皆様、おだやかな幸せいっぱいの年になりますように、お祈り申し上げます。

今年もご訪問(閲覧)の程、宜しくお願い致します。


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       恒例、かにやの”干支プリン”と”干支饅頭”


*皆さん、昨日のNHK「紅白歌合戦」をご覧になりましたか? 昨日の紅白歌合戦ほど謎と言うか意味不明と言うか・・・タモリとマツコの行動がさっぱりでしたね。

それと紅組と白組の勝敗決定の仕方。・・紅組司会の有村なんか一瞬ポカーンとしてましたからね。

TV視聴者投票や会場視聴者投票で白組が圧勝にも関わらず、審査員投票の玉の数で紅組が勝利なんて理解に苦しみました。・・・放送中、TVリモコンの「赤ボタン」「青ボタン」を押して下さいなんて煽っておいて勝敗に反映されないなんて、ちょっと馬鹿にしてんじゃねー。

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タグ: 謹賀新年

2016/12/17

まだまだ続く予感!  映画

師走中旬の土曜日、イオンシネマへ昨日封切り(公開)になった「ローグ・ワン/スターウォーズストリー」を観に行って来ました。

スターウォーズだけは公開されるたびに必ず映画館へ観に行っています。

今回はシリーズ7作目で、スターウォーズが一番最初に公開された「Ep(エピソード)4・新たなる希望」の直前の物語で、帝国軍の究極の惑星破壊兵器「デススター」の設計図をどうして反乱同盟軍が手に入れることが出来たのかが分かります。

スタウォーズムービーストリーは、来年(2017年)「Ep8題目?」が、再来年(2019年)が「Ep9題目?」が公開される予定で、まだまだ続き楽しみですね。


Star Wars most new work "Roeg one"
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ローグ・ワンの意味は、宇宙要塞デススター設計図を奪う反乱同盟軍・奪還アウトローチーム(主人公は女戦士、ジーン・アソ)と解釈した方が頭の整理が付きますね。


Today's lunch
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         ”びっくりドンキー”で昼食


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          ハンバーグランチ+山盛りポテト

先月の旅行で金欠、でもびっくりドンキーのハンバーグは美味しいですからね。私は特にここの「みそ汁」の虜になってます。

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2016/11/12

黒漆塗の下見板が際立つ、岡山城!  旅行

旅の締めくくりは、後楽園に隣接する「岡山城」です。

豊臣家五大老の一人・宇喜多秀家が築城したのが「岡山城」です。

城造りは、足掛け8年にわたる大事業で、旭川の流れを変えて本丸の北面〜東面を巡らせ、堀の役割を持たせ、慶長2年(1597)に完成したそうです。

三層六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台で、関ヶ原合戦以前の古式を伝える天守です。

また、当時は築城技術の発達が著しい時期で、岡山城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭の先駆けとなりました。

その建築は黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。 戦前、国宝であった天守閣は戦災(空襲)で焼失、現在のは再建された城です。


月見橋(連絡橋)
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後楽園の南門から、旭川に架かる歩道橋を渡って、お城に向います。


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         橋の中央から眺める、岡山城

複合式望楼型三層六階の天守閣、外観の黒い下見板が特徴です。


天守に輝く金鯱
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       城門(廊下門)を抜けて、本丸へ

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苔むす石垣
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           月見櫓(国の重要文化財)

池田時代の二代目藩主・池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。
二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常の生活にも使用できるような構造となっているそうです。


不明(あかず)の門
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        石垣の、時代をまたぐ構築技法

岡山城は豊臣時代の城が、増改築をされて江戸時代にも引き続いて使われたため、石垣に構築技法の発達の様相が示されています。
築城時の「野面積(のづらづみ)」から江戸時代初頭「打込ハギ(うちこみはぎ)」、その後の「切込ハギ(きりこみはぎ)」と各時期の石積みが観察できます。特に本丸本段の野面積による高石垣は、この時期の全国有数の遺構といえるそうです。


烏城(うじょう)
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岡山城の別名。 黒い下見板の外観故、隣県姫路の白鷺城(姫路城)に対し、漆黒の城・烏城(うじょう)と呼ばれました。 この外観は、見る者を圧倒しますね。


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            天守閣・入口

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岡山城は、今年でお城再建50周年を迎えるそうで、入口の両側に綺麗な菊の花が展示されていました。

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天守閣内部
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1Fがお土産・食事処・備前焼体験工房、地階〜5Fが城の歴史と歴代藩主の紹介と資料が展示されています。


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歴代藩主変節

岡山城を築城した宇喜多秀家は、天下分け目の関ヶ原の合戦で西軍の主力だったため八丈島へ流刑となり改易、変わって入ったのがかの小早川秀秋でしたが入城2年後に急死し、嗣子がいなかったため小早川家は断絶。
姫路城主・池田輝政の次男忠継に与えられたが、幼少(5歳)であったので兄の利隆が「備前監国」として代政し、その後成人した忠継が藩主となる。岡山城は、忠継以降〜明治維新後の章政(岡山藩知事)まで池田家縁類が藩主を引き継いできました。


大名籠
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          天守閣、最上階(6階)

4階まではエレベーターで、5階・6階は階段で最上階へ。見ての通り最上階は狭いです。


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          岡山市街が一望できます。


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          最上階から眺める、後楽園


天守閣の金鯱
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            月見橋(全景)       


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        旭川沿いの歩道を歩き、駐車場へ



岡山空港
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          空港ロビーの陶板レリーフ ”走る馬”

備前焼作家・浦上善次作。 岡山空港の発展・飛躍をシルクロードの雄大な草原をかける馬で表現した作品です。
五頭の馬は、それぞれ備前焼を代表する焼成陶板を組合せて作り、背景は瀬戸地方の陶器の助けを借りて作られています。
          

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岡山のお土産は、やっぱり”桃太郎伝説”にちなんだ物ですね。後、美味しそうなシャインマスカットが売られていましたよ。


<投稿者後書>

4泊5日の広島・瀬戸内周遊旅行記と題し、26シーンの投稿が終わりました。
旅行は、初日の午後が雨だった以外は、連日好天に恵まれ絶好の旅行日和となり、命のせんたくができました。・・心に残る風景をたくさん眺めることができました。

今後も、一年に一度くらいは一週間程度の旅行が出来るように頑張りまっせー。まあ、年末ジャンボ宝くじが当たれば、毎日旅行ができるのですが・・・

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タグ: 岡山城

2016/11/12

ここを見ずして、庭園を語ることなかれ!  旅行

桃太郎伝説ゆかりの吉備津神社を参拝した後は、今日最後の観光スポット「岡山後楽園と岡山城」を見学するために、岡山市街に向かう。

備前・岡山と言えば、日本三名園(大名庭園)の一つ岡山後楽園と隣接する烏城(うじょう)と呼ばれる漆黒の城・岡山城は外せない定番の観光スポットですね。

岡山市は、中国地方の南東部に位置する人口71万の政令指定都市で、中国・四国地方で弟二位の人口を有しています。
吉備津から市街地が近くなるにつけ、車の数ががぜん多くなり信号も多く混雑してきました。

土曜日ですが、なんとか渋滞にも遭遇せず市中心部にあろ後楽園の河川敷駐車場に車を止めることができました。

時刻は、昼の12時半ですが不思議とお腹が空かず(朝飯の食い過ぎ)、午後2時半までの2時間で庭園と隣接の城を見学することにしました。



さすがあー、マスカット王国
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            岡山限定かなあー

後楽園正面入り口にある四季彩後楽園店で、入園前に一休み。


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            みどりのリズム 像


The admission ticket section
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              入園券売り場


Korakuen, Okayama of the Japanese garden
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後楽園は、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する日本庭園で、国の特別名勝(日本三名園の一つ)に指定されています。


Garden entrance
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               庭園入り口


色鮮やかな菊の花
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         ちょうど、菊花展が催されていました。


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岡山城と対峙する旭川をはさんだ対岸の中州に造られ、着工から14年の歳月をかけ、1700年(元禄13年)に完成しました。

藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で、岡山城や周辺の山を借景としています。


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         庭園に”和傘”、にくい演出ですね。


沢の池
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園内中央にある池。写真中央が「島茶屋のある中の島」です。


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         白砂青松が美しい、砂利島



五十三次腰掛茶屋
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         休憩にぴったりな場所です。


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           竹の格子窓からの眺め。


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            池に泳ぐ”錦鯉”


延養亭(えんようてい)と能舞台
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延養亭は藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で、築庭当時の間取りに復元したそうです。

園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めたそうです。


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    沢の池中央、島茶屋(しまぢゃや)のある中の島。


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     沢の池、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)


白鷺(しらさぎ)
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           こち(こちらは)、亀。


唯心山(ゆいしんざん)
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唯心山は池田綱政の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には、園内が一望できる唯心堂(ゆいしんどう)があります。


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    唯心山(唯心堂)から眺める、園内の景観

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井田(せいでん)
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昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。
井田とは中国周時代の田租法で、幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っているそうです。


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唯心山の斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。


流店(りゅうてん)
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中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。
藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。 戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。


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          水路に写る、逆さ松


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花菖蒲畑・八橋
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六月上旬には、白や紫などの見事な花を咲かせ、梅雨の季節に趣がありそうですね。
 
曲水に板を渡した八橋(やつはし)のそばには杜若(かきつばた)があり、『伊勢物語(いせものがたり)』の「東下り(あずまくだり)」の段にちなんだ、風雅な情景となっています。


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           蘇鉄(ソテツ)の畑



曲水(全長640mの水路)
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    曲水から眺める、花交の池(かこうのいけ)方角。

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曲水の”錦鯉(Colored carp)”
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        自分とにらめっこの?、”白鷺”。



廉池軒(れんちけん)
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戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。
この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。

<投稿者後書>
これで、水戸の偕楽園、金沢の兼六園、備前岡山の後楽園と、日本三名園を全て訪れ(制覇)ました。

実は、後楽園も20代の頃に山陽・山陰地方一周旅行で訪れているのですが、じっくりと散策した記憶がなく(たぶん若気の至りで、30分くらいしか居なかっと思う)、今回の訪問で完璧に制覇した思いです。


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       Next is 岡山城(Okayama-jo Castle)へ


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タグ: 岡山後楽園

2016/11/12

桃太郎伝説は、ここから始まった!  旅行

吉備路観光のシンボル、備中・国分寺五重塔を見た後、今度は岡山市北区吉備津にある桃太郎伝説ゆかりの「吉備津神社(きびつじんじゃ)」に向かう。

吉備津神社は、岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座しています。

吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。

本来は吉備国(古代日本の地方国家)の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされています。

吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿や総延長400mの見事な回廊など見応えのある神社を参拝できました。



松並木の参道
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              北随神門

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             拝殿

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吉備津神社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀しています。


本殿
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室町幕府の将軍・足利義満造営とされる本殿は、比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)。
入母屋造の2棟を1棟に結合した形態の建築様式のことで吉備津神社でしか見られない特殊なもので、「吉備津造り」とも呼ばれている。

本殿と拝殿は1425年に再建されたもので国宝に指定されている。平成20年秋に、約半世紀ぶりに葺き替えが行われました。

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吉備津彦命(桃太郎のモデル)が矢を置いたとされる矢置石や、温羅(鬼)の首が埋められたと伝わる御釜殿など、吉備津彦命と温羅にまつわる伝説が残っています。

また、「鳴釜神事」という炊き上げる釜の鳴る音で吉凶を占う神事があり、吉備津彦伝説によれば、釜の下に温羅(鬼)の首があるといわれ、吉凶をうなり声で占っていると伝えられています。


御神木のいちょう
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        黄色く色づいて、綺麗でした。

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         おみくじも、桃太郎です。


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    御札、お守り授与所の飾られていた、備中神楽面


廻廊へ
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 これが戦国時代の天正年間に建てられた、有名な廻廊です。

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        廻廊の総延長は、400mあります。

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         池の浮島に建つ、宇賀神社


願望成就札
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         かなえボーだって、面白いね。


他にも、「鳴釜神事」が行われるお釜殿など見たかったのですが、朝飯の食い過ぎでもよおしてきたので、残念だが見学を中断し直行。


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2016/11/12

大和しうるはし、備中国分寺五重塔!  旅行

朝の静寂な美観地区(倉敷川畔)を散策した後、一旦Hotelへ戻りCheck-outして、総社市にある「備中国分寺」へ向かう。

備中国分寺の五重塔は、のどかな里山の田園風景の中に建つ、吉備路観光のシンボル的な存在で、一度は訪れて見たいと思っていたところです。

梅、菜の花、さくら、桃の花、れんげの花、水田、黄金の稲穂、柿、夕日、日の出と四季折々の写真の題材に事欠かなく、岡山の観光ポスターなどで良く見かけますね。

実際に訪れて見ると、黄金の稲穂輝く田園の背後に五重塔がそびえ、まさしく大和(日本)の国の原風景を見ているようです。

国分寺周辺の田畑・集落(人々)は、この景観を後世まで保存するように日々努力されているのでしょうね。


備中国分寺、五重塔
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「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」・・・万葉歌碑より(古事記 中巻、作者・倭建命) 

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岡山県内で唯一現存する、江戸時代後期の様式を濃く残す五重塔です。



備中国分寺
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備中国分寺は、奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつで、当時の境内は東西約160m,南北約178mと推定されています。


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創建当時の建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ,全貌は明らかではないが南門や中門など,数多く残る礎石から創建当時の壮大さを偲ぶことができます。・・・備中国分寺跡・備中国分寺尼寺跡(ともに国指定の史跡)


木陰の休息場
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            赤米(古代米)


山門
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現在の寺院(建物)は、五重塔を含め江戸時代に再建されたもので、備中国分寺の後継寺院にあたるそうです。


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               鐘楼


備中国分寺、本堂
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      山号は日照山。御本尊は、薬師如来。


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高さ34.32メートル。南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50メートル。塔跡が残る)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始、弘化年間(1844年-1847年)に完成しました。

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3層まではケヤキ材、4・5層はマツ材が主体で造られており、国の重要文化財に指定されています。

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吉備路
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岡山県は、かつて吉備の国と呼ばれ、出雲の国などと同様にわが国が大和朝廷にまとめ(統一)られる以前から開けていた地だそうです。温暖な気候にも恵まれ、農作物も豊かに実り、交通の要衝として栄えてきました。

現在、国分寺周辺は、古の豪族の古墳が多く残っていて「風土記の丘、県立自然公園」に指定され、ハイキングやサイクリングコースが整備されています。


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           晩秋の五重塔(逆光)


吉備路おもてなし館
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備中国分寺前に建つ、食事処(レストラン)兼特産品販売所で、敷地 内には休憩コーナー・展示ギャラリー・特産品コーナーなどを設置した館と吉備路の風を 感じられる東屋があります。


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備中国分寺周辺の散策には、風土記の丘県営駐車場(無料)がベスト。
総社市方面から山陽道(国道270号)を岡山方面へ向かう中間点に来ると、のどかな里山の田園風景の右手に五重塔が見えてきます。

五重塔が近づいて来ると、左側に「吉備路おもてなし館」があり、左折して県営駐車場へ車を止めます。


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2016/11/12

柳並木の川面に、白壁土蔵が映えて!  旅行

旅行もはや5日目、今日が最終日です。今日は、Hotelで朝食後、

@倉敷、美観地区(倉敷川畔)

A備中、国分寺(五重の塔)

B備中・吉備津神社

C備前・後楽園(大名庭園)と岡山城

を見学・散策し、PM3:30までに飛行機岡山空港に行きセダンレンタカーを返して、同4:40発のJAL便と同5:00発のANA便に分かれて搭乗し、帰京します。



       倉敷、美観地区(倉敷川畔)

江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として活気を帯び、発展した歴史を持つ町が倉敷です。

特に美観地区には、往時の風情が色濃く残り、伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)と伝統美観保存地区(第二種美観地区)に指定されています。

土曜日ですが、まだ朝が早い時間帯(AM8:30)なので、美観地区には人も少なく、柳並木の倉敷川の川面に白壁土蔵が映え、歴史ロマン漂う風情を見ることが出来ました。


Breakfast(Wa-syoku)
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今日も、朝食はガッツリと・・・なんたって一日の糧ですからね!

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んっ、何か違うと思ったら、岡山名物「祭り寿司(備前ばら寿司)」の具材を、おかずに取ってしまいました。 まあ、腹に入れば一緒ですから・・・




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           美観地区への入口(土産物店)


倉敷・美観地区
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今橋を渡り、倉敷川畔の左岸を中橋・高砂橋と歩き、高砂橋から折り返し右岸に出て一周してきました。


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             大原家住宅(町家)

備中の大原家は綿仲買商人として大いに発展しました。主屋は、倉敷川の終点に位置し江戸時代後期の建築と推定されています。

1889年(明治22年)大原孝四郎は倉敷紡績(クラボウ)の設立に参加した。これらをさらに発展させたのが大原孫三郎であり、このとき大原家は財閥ともいえる発展を遂げました。

そこで得た富で息子の総一郎と共に、倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)や大原美術館など数々の施設を造営しまた。


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               今橋


大原美術館
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倉敷の実業家・大原孫三郎(1880年–1943年)が、収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館しました。 西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものだそうです。

コレクションにエル・グレコ『受胎告知』(17世紀初頃)があることで、同美術館を世界的に有名にしていますね。

開館が午前9時なので、今日は他に周るところもあり時間がなく入館しませんでした。


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            柳並木の倉敷川

川岸の柳の木が大きく成長した以外、20代に訪れた時と変わらず同じ景観でした。まあ、伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)に指定されているので変わる訳けないかあ。


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          美観地区、中間点の中橋


倉敷館(観光案内所)
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1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築です。
現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。 また、建物は国の登録有形文化財に指定されています。


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            倉敷民芸館

江戸時代末期の米倉を改装したもので、白壁と黒の貼り瓦が美しいコントラストを描いています。
館内には古今東西の民芸品約700点が展示されており、東京の日本民藝館についで2番目に開館したという歴史を持っています。


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        倉敷川畔(左岸)の町家


柳並木の川面に、白壁土蔵が映えて!
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            地酒造りの町家


高砂橋(折り返し地点)
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         倉敷川畔(右岸)の町家

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川舟流し乗り場
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    乗船チケットは、倉敷館(観光案内所)で扱っています。


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      倉敷川畔の土手に咲く、萩の花


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   道が、未舗装の砂利や土道ならまさしく江戸時代


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       倉敷川畔の紅葉した”もみじ”


レストラン亀遊亭
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明治時代に建てられた建物で、瓦屋根の外観を そのまま生かした、倉敷国際ホテル直営の地産地消のレストランです。


<投稿者後記>
江戸時代の町家や土蔵、その後の明治〜大正にかけての貴重な建築物群が、現在まで残っているのは、ひとえに第二次世界大戦(太平洋戦争)での米軍による倉敷空爆が無かったことが幸いしていると思います。
また戦後、これら歴史的建築物群の保存に力を入れた倉敷の自治体や市民の努力の賜物と思います。是非、今の姿を後世まで残して欲しいですね。

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