ゴンドラの唄、「命短し恋せよ乙女」。
黒澤監督の「生きる」で出てきた歌ですが、もともとは、艶っぽい唄だったようです。
映画の中での使われ方は、恋せよ、とは、人生に恋せよ、ということかしら。
自分の満足できる生き方、人生に何か意味(生産性)を求める、信仰にも近い生き方。
生きる、とはどういうことか。本当に生まれる、ということはどういうことか。私は、ヘッセの「デミアン」と深く通じるものがあると思っています。
しかーーーし!
この価値観こそが、近代文明の束縛なのかもしれません。先日、「ツバル」の海面上昇についての映画を見に行きました。
裁判官のおじさんに
日本人「ツバルでは、どんな裁判を?」
ツバル人「無免許運転とか」
日本人「……他には?」
ツバル人「バイクの無免許運転とか?」
おじさんいわく、
「ここでは、生きるために働かなくてもいいんだよ、海にもぐれば魚がとれる、庭にはココナッツが生ってる。それに対して、日本人は、狂ったように働いている、ね?」
マナが降っている国がまだあった……。
胡蝶の夢のようにまどろむ南の国の「生きる」と、近代国家における「生きる」は、かくも違うんですの。。。
でも、私は日本人なので、ツバルへ行っても、あくせくいろいろ頭を悩ませてしまいそうです。