2011/7/3

序  

サロマは、2004年に初めて出場して今年で6回目となる。
出場できなかった年も含めて、私のラン人生を彩ってくれたのは間違いなくサロマ。
だからこそ思い入れも深い。


今年のサロマは、一生忘れないサロマになった。
スタートラインに立つまでも、立ってからも・・・。

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さくら道でぶつけた右膝は、5月に入ってからもプックリ膨れたままだった。
痛くて立膝をつけなかった。走ることもままならない。
5月半ばに整形外科に行ったが、骨は異常なしということで、膝の筋肉が痛んでいるのだろうという診断に落ち着いた。この時点でサロマまで一ヶ月余り。それまでには何とかなるだろうと自分に言い聞かせた。
しかし、その翌々日。雨の中自転車をこいでいたら、見事にステンレスの側溝で滑って転倒、今度は左膝を強打してしまった。あまりの痛さに涙。しばらく座り込んだままだった。雨が降りしきる中、誰もいない暗闇の歩道で独り、激痛に耐える自分が惨めだった。

これでさらに走れなくなり、鎮痛薬を膝に塗りたくる日々だった。左膝は右膝と同じようにプックリ膨らみ、ぶにょぶにょ。痛くて走れない。
とにかく5月いっぱいは足を休ませよう。6月から走り始めよう。サロマは6月最終日曜日、それに間に合うのを信じるしかない。

気持ちを前に持っていこうとするが、一方で、もう疲れたというシグナルがあちこちで鳴り響いていた。

ハッキリ言って辛かった。

自分で決めたことだけど、苦しんだ。
さくら道を全力で駆け抜けた時点で、もう私の電池は充電切れを起こしていたのだ。

まつたけくんは・・・
彼も辛かった。さくら道の激走の疲れと痛みがようやく取れたかと思ったら、1週間前に左足を痛めた。疲労骨折の色が濃いという。
我が家は、湿布と鎮痛薬のにおいが立ち込めた。
まつたけくんは通勤ランができずにジテツウに。その時点で100kmも走れるわけがないと思えた。例え痛み止めを飲んでも最後まで持たないだろうし、やめたほうがいい。むしろやめるべきだと思った。
しかし、彼は「気持ちは最後まで切らさない」と宣言した。これ以上言っても彼は走るだろうし、痛いほど気持ちは分かる。せっかく切れていない気持ちを私は裂けない。


ジブラルタルの世界大会で2人とも撃沈した後、「もう一度2人で世界大会に行こう!」と
夢を共有した。
しかし、このような状況下では世界大会以前の問題だ。

毎日、堂々巡りだった。
考えられることとして

(A)どちらも北海道へ行かない
(B)どちらも北海道へは行くが、サロマは走らない
(C)とりあえず走るが、どちらもリタイヤ
(D)どちらかは完走、どちらかはリタイヤ
(E)どちらとも何とか完走

それぞれにシュミレーションしてみる。
飛行機のチケットや宿は取ってあるし、今更北海道に行かないわけにはいかない。
北海道に行くからにはサロマを走りたい。
そうすると、やはりスタートラインに立つしかなさそうだ。
でも、どうしても完走のイメージが湧かない。不思議だ。これまでなら当然のように思っていた完走の予感が全くわかない。
サロマに会いに行くんだぞと言い聞かせても、何とかなると割り切っても、すぐに巨大な不安に飲み込まれる。

スタートラインに立つか立たないか。

誰かに相談しても仕方ない。
最後に決めるのは、自分しかいないのだ。

悩む理由にはもう一つ。
連覇のことは、愛するサロマに会いに行く前には塵に等しかったが、見えない重圧があったことは否めない。
何しろ走りきる自信がない。ボロボロの醜態をさらすくらいならば、いっそ走らない方がいいのではないか?

このサロマで、一区切りをつけようと思っていた。ボロボロになって区切るより、綺麗な形で区切った方がいい
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