<軟派師にとっての戦場とは、のどけき美術館の回廊にあるのではなく、今目の前で銃撃戦が行われんとする、市民戦線のバリケードの内側にある。>
・・・春先の肌寒い日に、才気ほとばしるVAN君と覚は出会った。若々しいVAN君の艶やかで生気溢れる表情に、遠い過去の自分の面影を覚は見出したのだ。
尖った存在で在りたい、「気鋭」で在りたい、若き日の覚もVAN君も、心からそれを切望していた。しかしそれは”覚には”叶わぬ夢だった。
(VAN君ならこれからそれをきっと叶えられるだろう。)
覚にとってストリートは戦場だった。特別な存在たらんとする「若気の過ちの残り火」を、ぶっつけるには格好の最後の舞台であったに違いない。
牛歩の如く成長した覚だった。しかし、年齢と共に訪れるルックス相対評価点の退化によって、覚の成果も目に見えて終息へ近づいて行ったのだった。
S&R最後の愛弟子ーーーと呼ばれたCHILL君が成長した姿を見せ、そして名古屋と覚の元から去ってしまった事によって、最早覚が路上に立つべき理由は完全に無くなったのだった。
「赤軍派の残党」「安田講堂が陥落した時点で覚の人生のピークは終焉を迎えていた」等、散々の揶揄を頂戴した事もあった。
「手淫常習犯」の覚はそして、「もう迷わせないアトランティカ」と自涜(マスターベーション)に没頭し、路上に立つ事を忘却の彼方に葬り去った。
それを「若気の至り」として忘れようとしたのだ。罪深き過去から目を逸らし、路上から逃亡したのだ・・・・恐れも知らぬ事で「運慶・快慶」と仇名された覚が、である!
そうして路上に立たぬようになって、覚はすっかり牙を抜かれてしまった。
ストリートを闊歩する雌豚共と、声かけから30分後に和姦する。そんな突飛な行動を果たして自分が本当にしていたのかどうか?
それが心から疑問に思えるほどに、覚の現役時代は思い出という引き出しの中へ閉じられていったのである。
そのせいで、覚の自己イメージはいつのまにやら老人の姿へと変換されていた。鏡の向こうでパントマイムを演じるもう一人の自分の姿は、崩御される直前の昭和天皇の如く、老け込んだ上に憔悴しきっていた。
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