「最も不幸な幸福の中に暮らしている、或る阿呆」覚である。
近頃ではいつにも増して、覚の断筆に説明責任を求める声が大きい様だ。
殊更、中国の遼寧省の山村で日記の更新を求めた暴動が起き、北京では日本大使館への投石が相次いでいる様である。
覚が担う社会的責任は重大だ。
とある本屋で、覚は春画を手に取る老人の背中を眺め、書籍化されたケータイ小説の横文字日本語をぺらぺらとめくる女子高生の太ももを、少し離れて斜め後ろから凝視していた。
覚は歩いて女子に並んで、手にとってケータイ小説を眺めた。薄肌色の用紙に並ぶ横文字の日本語はポップで、どこか軽妙なのが寒々しかった。
本をそっと元の置き場へ戻すと、続いて、ネットに蔓延する刺激的な画像集という内容の書を覚は手に取った。
「お前達の出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。」
アウシュビッツ収容所で死を迎える獄人たちに掛けられた最後の言葉を、覚はそこに見付けた。
覚の軟派師としての選手生命も、焼却処分された後に、風に舞う程軽い灰と煤になって、焼却炉の煙突から秋の曇天へ、吹き飛ばされるに違いないのである。
(・・・・上の画像は、先日部屋へ遊びに訪れた友人が忘れていったデジタルビデオカメラに遺されていた記録である。
友人に尋ねたところ、日記へ載せても好い、とのことであったので、覚はこれを自分の手柄の如く得意気にここへ掲載してみる事とする。)

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