年老いた昭和天皇という自己イメージ。覚はそれを数ヶ月塗り替える事が出来なかった。
・・・だがある日、車の騒音も冷蔵庫の唸る音も聞こえぬ静謐な真夜中、何の因果か、覚の足は自然に全身鏡の前へぴったりと張り付いたのだった。
鏡の向こうに写し出されている自分の姿は、現役を退いてから半年分だけのみ年老いている、当時とさほど変わらない自分の姿。
「覚さんはまだ路上で通用する」最後の愛弟子CHILL君が遺した、血染めのダイイングメッセージ。。。
覚にとって、自分がもう一度路上に立つという事は、ダムに沈んだ幻の生まれ故郷の村へ夢の中で立ち入る様なものへと変わっていた。
信じられぬ程、思い出せぬ遠い過去への旅立ち。
夢見心地で、半年振りの路上へと覚は降り立った。
そこでは薄靄(もや)のかかったフィルター越しに懐かしい仲間と再会した様な気もするし、見ず知らずの女と二言三言、何か会話を交わした記憶も僅かにある。
なかには挨拶をしただけで人生の全てに失望したような表情で、こちらを一瞥する事さえなく溜息とともに頭(かぶり)を振る不幸極まりない婦人までいたが、その事も曖昧にしか思い出せない。
そして、肝心な結果ーーー覚には何も起こらなかった。
覚は英雄ではなかったのだ。
ジャック=ニコルソン主演
「カッコーの巣の上で」クライマックスシーン。
植物状態の人々が実は過度の痙攣によって動けなくっている、と気付き痙攣発作を抑える薬剤の投与をする事によって、それまでは動く事も意思を示す事さえなかった重症患者たちが次々と理性を取り戻していった。。。
病棟は天国になった。人々が完全に元に戻ったからだ。喜びも悲しみも全ての感情を自由に患者達が表現できるようになった。それは素晴らしい事だった。
・・・しかし、痙攣発作を抑制する薬剤の効用は極めて短く、効果は次第に薄れていった。
人々は再び痙攣し、硬直し、そして元の深い沈黙の中へ・・・。
覚の見た「復活」の夢も、全て覚の脳内の希望が作り出した幻想に過ぎなかった。
人類が陥る最後の病気は「希望」である。
再び絶望に打ちのめされるのなら、初めから希望など必要なかったのではないか?
重苦しいテーマが覚の心を締め付け続けている。
そして、覚が再び路上に立つ日は、これ以降本当に無いのかも知れない。
・・・・・
ところで、数年ぶりに覚の元へ神が降りてきた。
「念写」がイケそうな気がしてならなくてムズムズしたので、押入れから埃に塗れたポラロイドカメラを取り出し、二年ぶりに念写してみた。
嗚呼、これが現実であったなら!

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