2012/7/28

備忘録−観念崩壊セミナー  カルト・宗教・犯罪

オウム真理教での観念崩壊セミナーは、勿論事件発覚後、1996年、1997年だったかな。
意外に体験談がないので、備忘録までに。

アーチャリー主導でリンチぎみた修行をし、重要なことには「修行」というには説得力ある話も無いので、かなりの人が離れたものです。

ゴムタクを長時間していて腎不全になり、救急車で入院した人もいた記憶。
−ゴムタクとは、蓮華座を組続けられるように、ゴム性の足を組んだままにする器具です。写真はどこかにあるかなあ、現物は?

*********
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1342447663/
から

425 :神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 08:21:38.46 ID:tmCoQhsJ
ちなみにおれは観念崩壊セミナーのとき、飲めない酒を無理やり飲まされて
血ヘドはいてのたうちまわるハメになった。
血へド吐いたらパティンジャハ・ムッターに
「なんで吐くんだ?!嫌悪しなかったら吐かないはずだ!嫌悪するな!!」
と思いっきり嫌悪のバイブレーションで怒鳴られた。
そのあとは、ハタヨーギーに1リットル一気に飲んだら死ぬと言われている醤油を250cc 飲みさせられた。
三日間何も食べていない状態で、無理やり車で富士宮の駅まで連れて行かれて
「帰依があるんなら道場まで歩いて帰ってきなさい!」とミッターに言われて、遠い道のりを道場まで
歩いて帰った。
観念崩壊セミナーではこんなめちゃくちゃなことさせられたサマナがたくさんサマナを やめることになった。
 あとでセミナーを開いたアーチャリー本人が
「サマナを引き上げようと思ったら、下向者がたくさん出てしまった。
 観念崩壊セミナーは失敗だった」と落ち込んでいたと聞いている。
 
 今サマナ・信徒はヤソーダラー・アーチャリーと上祐氏が仕掛けた「教団崩壊セミナー」を受講しているということだな。
************
4

2012/7/22

破壊的カルトの教祖論、限界論、治安の観点  カルト・宗教・犯罪

下記は、2012.4.30発行の「脱カルト協会会報−18号」に寄稿したものです。
ご参考までに。


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破壊的カルトの教祖論、限界論、治安の観点 
−−−−−−−−滝 本 太 郎

1 破壊的カルトの「代表」について。
 破壊的カルトの問題は、心理的には「集団における人間関係の病理現象」なのだろう、と感じます。人を肉体的、人格的、性的そして経済的に支配することに喜びをもってしまった代表と、自分で考え自分の人生に責任をもつということの辛さから逃れる、いわば「自由からの逃走」をしてしまったメンバーとが作っていく現象だと思われます。代表とメンバーとは「殿様と家臣の共振現象(浅見定雄)」を起こし、集団の異常性を増進させていくのだろう、と考えます。

 代表は多く人格障害者であり、中には統合失調症と診断される者もあろうと思われます。内部で財産の収奪、傷害事件などまで起こしていた女性代表がついに精神科入院し、数か月後には薬が効いたからか反省を深め、どうしてああなっていったかよく分からないなどと言いだした事例もあります。魅力的な患者さんもいるのです。課題は、正式な病名としてある「二人組精神病」が拡張したような事態だったのであり、それに巻き込まれていく人が少ないながらもいる、ということです。

 また、オウム真理教の麻原彰晃こと松本死刑囚は、反社会性・妄想性・自己愛性・演技性人格障害だったと言えるでしょう。幻聴や「世界没落体験」といった状況はないので統合失調症にはなっていないのですが、自己を肥大化させ演技をしていく中、社会への恨みを果たすべく反社会性の度合いを強め、感応した弟子からの情報とが妄想を高めていってしまった、というべきでしょう。

 この意味において、時に言われる「今ある宗教も宗派も、勃興時には熱烈に勧誘し、社会と軋轢を起こしているから、破壊的カルトだった」という論法は、決して正しくないことが示されます。たしかにすべての教祖は一般から比較すれば異様であったのでしょうし、中には人格障害なり統合失調症の人もいたでしょう。

 しかし、それぞれの時代背景と地域事情の中で、他者の一人ひとりを愛する方々であってのみそれなりに普遍性をもったのであり、時の権力と戦うことがあったとしても実質的に他者を害することをしてきたとは思えないのです。現在のような民主主義国家であれば選挙などを通じて「世直し」をしようとしたかもしれない方々が、教祖となっていったのではないか、と考えます。

 もちろん、宗教団体として成功した後に腐敗し、あるいは時代背景の中で権力と結びついて他者の人権を侵害したことも多々あるのですが、しかし教祖の問題でも勃興期の問題でもありません。

2 破壊的カルトの時間的・規模での限界
 この点は、上記以上に議論が熟していません。筆者独自の考えです。

 限界に関係する第1の要素は、代表の特質です。代表が当初から統合失調症であったような場合は、数十人以下の段階で限界がくると思われます。いったん崩壊して、また再興することがあっても、なにせ当初からトラブルが多くかつ代表も周囲も、悪い意味で合理的に対処できるはずもないからです。先に記載の、病であった女性代表が創った団体は2−30人止まりでした。

 反対に、代表の「隠された目的」が単に「経済的な利益を得たい」「名誉を得たい」というような場合は、合理的な計算ができる者を幹部に引き立てていきましょうし、巨大化していけば無理に金銭を収奪することも減り、金銭も名誉も得ることができていきます。代表が高齢化したり子どもへの平和的な権力移行を志向するなどするときは、より慎重になります。また、巨大化してきた団体の幹部メンバーらはその組織自体から得られる利益、経済的な基盤が大切となり、近づけば矛盾が多い代表を信じられなくなってきても、組織維持のために動いていく傾向が出てきます。そのような場合、破壊的カルトの度合いを次第に低めていく蓋然性があります。

 もとより、巨大化してきた団体であっても、「裸の王様」の教祖が演技性人格障害などの度合いを重くしていったり、独裁者の通例としての妄想傾向を嵩じていけば、大規模な分裂またはカタストロフと前後しての内外への事件が招来されましょう。

 第2の要素は、社会や行政、警察、マスメディアです。日本では「小集団の中の死亡事件」とくに「祈祷師・占い師が代表集団の傷害致死事件」といったものが毎年何件かは起こっていると思われます。すべてが報道されているものではなく、一般の刑事事件と思ったらその人間関係の有様が、カルト的だったということもあるからです。
 これら団体の関係者は、それ以前から子どもの虐待や金銭収奪などの関係で警察や行政機関に相談していることが多いです。それら機関が早期にまともな対応をとって来たか、マスメディアはそれら地域社会に警告を鳴らし続けてきたかが、問われるのです。

 第3の要素は、本山・本部や他の宗教団体の対応です。従前の教会や寺も指導者によってはカルト化することがあり、この場合本山などが毅然と対応することにより、当該団体の宗教的、時には財産的な基盤を崩すことができます。統一協会については日本基督教団やカトリック中央協議会がしっかりと批判したことにより、ようやく「説得」という脱会カウンセリングが広まってきました。日蓮正宗からは「顕正会」、浄土真宗からは「浄土真宗親鸞会」といった「議論ある団体」が出てきています。これらの場合、本山側がしっかりと宗教上の論争でも対応しそれを普及させてきたかどうか、もともと宗派が「風景」となっておらずエネルギーを維持してきたかどうか、が問われます。

 第4の要素は、家族や弁護士ら、そして裁判所の対応です。金銭の収奪などにつき家族らから相談を受けた弁護士がまともに対応したか、被害対策弁護団を組織したか、家族らは「被害者家族の会」といったものを作って諸々の活動を始めたかなども、大いに関係します。

 そして、裁判所がカルト問題を正しく認識して正しい判決をしてきたか、が問われます。違法性の判断は、多くは民事レベルから始まります。民事裁判において、裁判所がしっかり対応していない場合は、その集団を増長していくこととなるからです。
 「議論ある団体」は疑似医療を施したり、メンバーの子についてさえ輸血拒否などの現代医療の一部なりを拒否させることも多いものです。それによる損害賠償請求訴訟などにつき、民事裁判所が問題を直視して対応していかなければ、集団は増長していくばかりとなります。

3 最後に、筆者が関心を持っている「議論ある団体」のうち治安の観点から幾つかを述べます。

 「オウム真理教」の各派や、統一協会とその分派はもちろん注目されます。「アレフ」では麻原教祖の長男・次男が成人に近づいてきたことから、「正大師」である三女らの勧めでアレフ集団に公式に関与していくがどうかが、注目されます。子どもらは、母や姉お付きの信者らの影響下で成長し、時に精神的にも不安定です。松本死刑囚は無実だと思わされて育てられてきたのであり、信者を支配する喜び、そして外部に向けた行動が心配されます。反転して、自らの人生の桎梏となっているのは信者らであるから、内部での事件が発生する要因となるのではないか、も心配されます。「ひかりの輪」にあっては、資金難の影響がどう出るか、です。

 統一協会は、その教えの中に日本が韓国の僕(しもべ)になるべきとの設定もあるからこそ日本での金銭収奪が激しいものであり、日本の政治権力にどこまで浸透しているか、他の政治家はその危険性を熟知しているのか、地方政治ではどうか、が問われます。

 「ZX帝國=第四帝國=ザイン=古代帝国富士王朝」は、富士山麓での武装訓練など以前から注目され、後にグッズ販売と女性の卑猥な踊りによる集客といった道に入りました。が、その国家転覆に向けた思想は強烈であり、代表者の高齢化とあいまって何のはずみで行動を起こすか監視を怠れないと考えています。マッチとマッチ箱とガソリンがあればテロはおこせるものです。

 「顕正会」は、日蓮原理主義の色彩がある団体です。主に東日本で高校生から社会人まで対象に強烈な勧誘をし、警察から何度も逮捕・捜索など受けています。神奈川県相手に不当捜査だとして国家賠償請求訴訟を起こして敗訴もしましたが、なんら反省がないままです。日蓮の登場は鎌倉時代だったという時代背景を抜きにしてしまった国家論を貫く団体の行方は、迫害されているという感覚を共有している団体であることからも、無視することができません。

 「幸福の科学」は相当に大きくなり、先の衆議院議員選挙に混乱しつつも出馬しましたが希望は果たせず、教祖の「霊言」も異様さを増してきたと思われます。権力志向と妄想が相当に認められことからして、崩壊過程に至れば内部そして外部への事件がありえるのではないか、と心配します。

4 破壊的カルトが無くなることはおそらくありえないと思います。
 日本脱カルト協会や全国霊感商法対策弁連では、広く社会や大学などでのカルト予防策を推進しており、警察にあってもカルト問題についてそれなりに理解を頂けるようになってきました。しかし、人を支配することに喜びを持つ者は確実に出現するし、独裁者を待望するというか「自由からの逃走」は魅力あるものです。

 一方で、北朝鮮には破壊的カルトは存在しません。それは「国家自体が破壊的カルト」の状態すなわち「ファシズム」に支配され、他を支配したい者はすべて国家体制の中に組み入れられているからです。すなわち、破壊的カルトとの戦いは、予防策を推進しつつも、国家自体がそうならないように留意しつつなす「自由」を目指す闘いなのだろう、と考えます。

 「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」(ニーチェ)ものだからです。       以 上

[編集注] 本稿は、著者が月刊誌「インテリジェンス・レポート」の2012年3月第42号(インテリジェンス・クリエイト)に寄稿した文章「破壊的カルトの現状と対策―カルトの諸相から見えるもの―」に関して、理事会の要請に基づき、同社の了解をふまえ、標題に関係する部分を加工する形で、転載することになったものです。
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2012/7/21

パラノイアか統合失調症か  カルト・宗教・犯罪

パラノイアか統合失調か

下記のようなことを書くと、患者を差別するのか、なぞという抗議書が来るのかも、などとも心配するが、まあ書きます。

精神科の病気の場合、周囲が大変なことがもともとありますが、最近は、又ミニカルトの問題と絡むことが少なくなくない、と思う。

1つは、被害妄想であって、とある団体から集団ストーカーをされているとか、監視されてれているとか、操作されているとか。この類は引きも切らないままであり、最初からまたはかなり早い段階でわかるが、対応に苦慮します。
−今はいい薬も出ているようであり、統合失調症があっても上手にコントロールしている人もいて、なんとか早くそうなっていってくれないかなあ、と思う。

1つは、そんな感じの人が団体の中心にいて、ミニカルト化していく例がある、ということです。
−「二人組精神病」の拡大形というのかなあ、妄想集団になっているままにミニカルトとなっている事例が見られます。魅力ある患者さんもいるのです。−それが任意集団、株式会社のみならずNPO法人になっていたりしてることがままあります−

−また、パラノイアだろうと思われる場合、その誇大妄想は一見しては分からないことがあり、何かの権威とかの社会的な地位などある影響力ある方の場合もあって、弱ります。

−書籍の販売がかなり実質的にも自由になってきた、ましてインターネットという媒体がある今日、容易に、そして日本語圏内にひろく「同志」を求めることができる。その結果、それまではなかなか広がらず周囲の数家族がはまる程度だったのが、あっという間に広く「同志」が集まってミニカルトになっていく、と。−そんなホームページはやたら一杯ありますよね−

弱ったものだ、うーんうーん、と思う。
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2012/7/20

A被告−高裁で控訴棄却  カルト・宗教・犯罪

平田信被告を匿っていたオウム真理教元信者のA被告の件
午前10時30分、東京高裁第102号法廷で判決がありました。
以下のとおり報告します。この件については最後の報告になりましよう。

     ********
1 本件控訴を棄却する。
2 高裁の未決勾留日数中90日を算入する。
     ********
という主文でした。

地裁では、検察官の求刑2年に対して
・実刑1年2か月、・未決算入20日でしたので、
結局、これから先、実刑1年2か月、未決算入の合計110日ということとなりましょう。

裁判所は、主文言い渡しの後、本人を座らせて20分あまりか、判決文を朗読しました。比較的詳細に述べていましたが、私の耳には、要は「何がどうあっても実刑」というように聞こえました。

高裁裁判長は、傍聴人や記者も退廷させた後に、
「これからも色々あるだろうけれど、力強く生きて下さい。」
と声をかけました。
本人は深々と頭を下げていました。


記者会見の要請があり、(本人に地裁地下で接見した後に)対応しました。
「弁護人として、やはり重きに過ぎ、不当だと考える。」と述べました。特に、自首に関する政策的局面を考えなさすぎる、このようなことでは色々な逃亡犯についての出頭や、かくまっている人の自首などによる解決が期待できない、と強調しました。

また、本人からの言葉を下記の通り述べました。
「オウム事件の被害者・ご遺族の方々に申し訳ない気持ちで一杯です。これから刑務所そして社会に戻れてからも一生、罪を償って参ります。」

*******************
ちなみに、高裁での審理は、下記6月29日の所に書きました。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20120629/archive
−その正しい記録が到着したので、被告人本人質問の、弁護側質問の最後あたりの質疑を、下記に出します。

ところで、オウム真理教が名称を変えただけのアレフという団体がまだあることは知ってていますか。
−新聞を見るなどして知りました。

その団体に所属する人たちに対して、何か言いたいことはありますか。
−殺人は真理などではない、教団の存在自体が被害者を苦しめていることを自覚して、早く脱会してもらいたいです。

現役信者の心の中で、最も大きな問題は何だと思いますか。
−薬物体験、神秘体験から、現実感覚のない中で生きているため、命の大切さなどについての考えが希薄になっているところです。

上祐氏は、ひかりの輪という団体を設立し、麻原への帰依は捨てたなどと言っていますが、これについてはどう思いますか。
−教団を存続させるための建前のようで、しらじら々しく感じます。

オウム真理教は、完全に崩壊させなければならないと思っているのですか。
−そう思っています。人々に多大な被害を及ぼしましたし、教義には危険性があります。また信者たちにも、人生を棒に振ってほしくないからです。
(中略)

その他、何か言いたいことがあれば言って下さい。
−高橋克也が逮捕された際に、被害者の高橋シズヱさんが言われた「長い間逃げ回っていたことが被害に輪を掛けて私たちを苦しめた」という言葉が深く胸に刺さりました。オウムの信者だったこと、長い間被害者を苦しめ、罪を重ねたことをとても後悔しています。改めてオウムの被害者、私に関わった人たちに対して心からお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。

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2012/7/16

「教育長」と教育委員会  憲法・社会・官僚・人権

「教育長」と教育委員会

 大津のいじめ死亡事件(自殺と多くは報道されている)にかんして、諸々の情報が出ている。私は、これまでどうも書く気がしなかったです。

というのは
1−ほとんどの人が同じようなことを感じていようから、書く必要もないとも思い。

2−自分もいじめられてきた方でして、見聞きするのが、実は未だに辛いのでして。(いじめられている人、いた人は、詳細に見聞きする気が起きないと思う。トラウマだよね。現在進行形の人には、@「いじめられている」と親などに言う勇気を持とう、今の時代それは恰好いいんだよ。A学校なんで行かなくてもいいんだよ、B決して永遠には続かないのさぁ。後で見返してやればいいのさぁ。と伝えたい。)

で、各人の見解形成の補助として、標題のことを書きます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
に、教育委員会のこと、良く整理されています。

 今回の特徴は、あまりに酷過ぎる内容−報道内容通りであれば刑事処罰も十分あり得る−であることと同時に、当該中学校も市教育委員会の隠ぺい作業が実に酷いものだ、と言う点です。←市長がこの1月に変わらなかったら、未だ明らかになっていなかったのかも。
 
 その背景の1つが「教育ムラ」問題なのだろう、と。「かばい合い」です。今回はその他の要因もありそうだが、日本全国共通の問題であり、これ無くしても大津のこの問題も起きなかっただろうことは、「教育ムラ」のこと。あの大津市教育委員会の、余りに典型的な「教育長」の顔と言動に表象される。

 取材を受けている責任者側が「教育長」であって、教育委員会「委員長」ではないことは、本来はおかしなことです。ですが、確かにそれが実体。「委員長」は、まずは何も知らなかったんだろうから。

 教育委員会委員は、現在は首長が議会の承認を得て5人ぐらい決めているのではないかな。地元の学者やまあ有力者の人とか。非常勤であり、年数回、形上の会議をするだけ、と言う実態です。互選という形で「教育委員会委員長」とかを決める。

 一方、「教育部局」は「市長部局」とは別であり、教師の給料が市からではなく都道府県から出ることで分かるように、予算も人事もかなり独立してしまっている。

 で、委員5人の中には、必ず「教育長」兼任がいる。元教師かつ教育部局を長く経験した「委員」です。いわば「アガリ」のポストです。「委員長」との兼任はない。

 この人が、各学校を支配している教育部局の責任者であり、長くその自治体の先生やら官僚をしてきた人であり、あらゆる情報を握っている。すなわち「教育ムラ」の人。

そして
1−市長などは、多くしばしば変わるし、そうでなくとも教育畑には無知な人も少なくない
2−その他の教育委員会委員は、「委員長」を含めて素人ばかり。
3−教育委員会委員はしばしば変わる。
4−規則上も、教育委員会規則は委員会が作れる筈のもの、改正できる筈のものであっても、とうに「教育長」に日常のこととして委任する形というのがほとんどなってしまっており、いわば白紙委任の規則になっている。交替した委員の過半数が、仮りに規則自体を改正しなければならないと考えても、激しい抵抗にあい時間切れとなろうと。
5−そもそもそんな人が「委員」にならないように、教育部局は市長あてに慎重に推薦すべき人をもっていく、と。

その結果、
・教育委員会はいわば「お飾り」「教育長のしていることに権威を与えているだけ」ということになる。
・「教育長」とかしている人の多くは「教育委員会」なぞなくて良いと感じているのだろう。あるいは「形上は責任者でないままに権力を持てる自分の立場」が便利だと思っているかも。

上記の問題点から
A−一つの方向性は、教育委員会なんて無くしてしまって、むしろ首長が「教育長」に直接影響を与えることができるようにする方向性のようであり
B−一方で、戦後しばらくの間のように、教育委員会委員も、市民の中から公選で決めていくという方向性がある。

 そしてまた、文部科学省は、教育行政を、教科書の選定一つからして、上から支配したがるものであり、AもBも嫌なのではないかなあ、「お飾りの教育委員会」のままにしておきたいのだろう、と思う。


私は、Bの方向性が正しいと思っています。

戦後、類似の制度として「農業委員」の制度があり、今も公選で決まっています。農業資格者のみの間でだけですが、各市町村で、選ばれています。多くは名誉職化し、候補者は地域代表みたいな定数通りだが、時に村内で調整しあうこととなもなる。バランス感覚をあまりに失しているから「あの人はまずいよ」というような調整があることも聞きます。農地の宅地転用の許可その他について、実際の議論が行われることもある。

「教育」のこととなれば、「誰でも専門家」とも言えるのです。同時に、「裁判員制度」がむしろ「専門家」を一部では信頼しきるべきではない、市民感覚を取り入れるべし、としてこの所で成立したことからも分かるように、「そればかりしてきた専門家」にだけ任せている事態を変えなければならないのではないか、と思う。
 
 一件素人の人に必要なのは、自らの体験と感覚のみに頼らないようにすべく、数か月間は、やたら各地を見学し広く勉強してもらうなどすればよいと。

 教育委員の公選制が崩壊してきた背景には、日本における左右の対立に大きかったこと、文部省・日教組の対立が激しかったこと、があろうと思う。
 しかし、今やそれは、言うほどの対立でなくなってきたのであり、「教育ムラ」の問題自体を、市民代表の声を制度的に入れていくことによって、打破しなければならないのではないか、と思う。
 時に自治体によっては、意見の大きな対立があっても、トラブルではなく意見調整により解決していく委員会を作っていけるのではないか、と思う(宗教国家である米国のように「進化論を教えるな」なぞとする教育委員会が出てくるとは思えない)。
 すなわち、日本の各市民は、この点につき相当に成熟してきたと。


Aの方向性は、首長が変われば、ガラッとまた変わってしまう危険性をもち、不安定に過ぎる。また首長を選ぶとき、その教育絡みの意見によって投票するということはまずなく、市民の教育に関する意思が反映した市長とは言い得ない。

教育関係への市民の意見は、教育委員の選任においてこそ直接集約していけるのであり、日常的に「教育」「学校」への市民の関心と関与を維持していけると。
14

2012/7/5

サイエントロジー  カルト・宗教・犯罪

サイエントロジー問題につき、
紀藤さんの7月4日ブログが問題点を良くまとめている。
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2012/07/ethunder-cult-r.html


***以下、紀藤ブログの一部****
2012.07.04
■サイエントロジーの消費者問題=なぜ問題なのか?
サイエントロジーのコース勧誘行為には、次のような問題−科学的趣向を凝らしているものの、実際には輪廻転生を肯定する宗教団体
@ 全てのコース料金が事前に総額で明示されず、終了時期も明示されず、一生かかってもコースが終了しないことが教えられていない
A コースの進行や終了全てサイエントロジー側で恣意的に決める
B 宗教団体であることをはっきりと明示せず、セミナーを謳って勧誘を行い、実際には「輪廻転生」と、コースの全過程の終了が密接に
C コース料金が安くなるなどとして、多額の前払いを要求
D その時点では不必要なEメーター等の教材を売りつけられる
E 退会する手続が煩雑で結局、退会させない仕組み
*********


ああ、「日刊カルト新聞」も下記にとおり、かなり取り上げてくれている。
http://dailycult.blogspot.jp/search/label/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC

で、
1−この団体、友人らの勧誘の外、駅頭の「性格診断を」という所から始まっていく。
2−初めの段階で「カウンセリング」とか言って、秘密にしたいことまでいろいろ聞き出されてしまい、後に脱会しなくくなる。
3−プールに入るのは、キリスト教の洗礼みたいなイメージかなあ。
4−ビデオはまあ、夜テレビで見ることのできるアメリカの通販番組を想起します。本も読んだけれど、なんともそのぅでした。

紀藤さんのまとめと重複するだろうが、更に批判点や不思議な点をあげれば、
1−精神科医療への根拠なき批判が多いと思う。
−精神科医療には時に問題があるけれども、薬とか電気ショック(麻酔医をつけたものまでも)をなべて批判している。でそのためのダミー団体を作ったり、と。サイエントロジーの後に精神科医療に頼らざるを得ない人もいるのに。

2−販売しているビタミン剤?の類は、「薬」の類とは考えないのか、が不思議でした。

3−相談者層は自己啓発セミナーにはまる若い人が多いと思うが、中には長く金銭を出し続けている高所得者層もいるように思う。

4−離婚問題は、少なくない「議論ある団体」にあるものです。もっとも典型的なのは、これもアメリカ発の「エホバの証人」かと。

5−相談の件数比率でいえば、欧米では、日本の統一教会と同じくらいの重さがあるということをしばしば聞きます。

なお
6−契約書とか解約の関係が、実にアメリカ的です。やたら細かい字で、自らに有利な契約内容が記載されている。最後のステーシは示されないままに。解約の際も弁護士が入れば−裁判を避けるという「賢い」態度なんだろう−応じはするが、その文章をのまなければ裁判でもどうぞ、という態度となる。で、私はまだ裁判まで至ったことはない。
−これらは、ドーマン法の契約書とか、ダンヨガ(のフランチャイズ契約)と同じ感じ。内容全体やその後のことそして健康に与える影響を説明せずに、勧誘していくのは、決してインフォームド・コンセントではない。
4

2012/7/4

アレフのしょうこりもなさ、上祐のズルさ・非常識さ  カルト・宗教・犯罪

1−アレフ
********
昨年9月に土地と建物が競売
アレフの横浜施設(横浜市神奈川区)の貸主の男性が約1200万円で落札
男性は今年6月に引き渡しを受けた。
男性は、「アレフ幹部から『あまり資金はないが大きい物件が欲しい』と言われ、入札に参加した。アレフと正式な賃貸契約は結んでいないが、下見のために鍵を貸した」と。
公安当局によると、ビルには6月以降、アレフの幹部や信者が訪れているのが確認された。建て替えや増築などの許可申請はなく、内装などを補修する程度で、在家信者向けのセミナーなどを行う道場として使用するとみられる。アレフ広報部は「男性とは別の不動産物件で賃借関係にあるが、蓮田市の物件では、そのような話は一切ない」としている。(2012年7月3日 読売新聞 抄本)

蓮田市大字上平野字上綾瀬 604番地1
土地と鉄骨造陸屋根3階建建物
********

2−ひかりの輪、上祐
7月1日のブログ
http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11291163002.html
で、
http://kidoairaku2011.blog109.fc2.com/blog-entry-1382.html
の高橋シズヱさんの6月24日ブログを、そのまま利用している。

なんともはや。そんなことをしていい立場だと思っているのだろうか。権利義務もなにも、もちろん礼儀も分かっていない。上祐も、恥を知らないというか、「目的のためには手段を選ばず」というヴァジラヤーナの発想がそのままなんだな、と実に思う。

*******

下記は、6月29日、東京高裁で平田信被告を蔵匿していたA被告の尋問の最後の方の質問の回答です。概要下記のようだったかと。尋問記録が届いたらより正確に訂正します。

Q アレフの人たちはどう思いますか、または何かメッセージがありますか。
−「殺人は真理ではない」。事件は本当にあり、オウムは多くの人を泣かせた、死んだ人は帰って来ない。早くやめてほしいと伝えたいです。

Q 現役信者の心の中での、もっとも大きな問題はどこだと思いますか。
−現実感覚がない、現世は幻という感覚が問題です。自分の命も人の命も大切で無くなっているということ。

Q 上祐の「ひかりの輪」は、麻原彰晃は捨てたと言っていますが、どんなように感じますか。
−白々しい。本当に脱会して、反省もしたならば、あんな白々しい団体なんてできるはずがないです。
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