2012/5/28

NHK放送−Kさん、高橋君ほか−感想はいかがでしたか。  カルト・宗教・犯罪

Kさん、高橋克也君ほか−感想はいかがでしたか。
NHKで、26日、27日と
スペシャル「未解決事件・オウム真理教」第一部・第二部、をやっていた。

うーん、私的には、
1−新実死刑囚の口唇裂の手術後は、あそこまでは目立っていないよ−これが新実被告の入信過程で教祖から突っ込まれていてとても重いことなんだが、強調し過ぎではないか、と。

2−随分と、はしょってしまっているなあ。−たとえば、薬物のイニシエーションのこととその上での松本サリン事件であること、もっとしっかり描くべきなんだがなあ。

3−教祖が「何も語らず」死刑が確定していった、という描き方はいかんなあ。−1997年4月24日の罪状認否−下記の所に保存してあります。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-7.html
にあるように、17件の事件自体は実質認めしかし自分は関与していない、止めようとしたというような言い方をしている、と紹介しないといかんですよ。「何も語らず」というような偽り、が国民の認識になってしまっては困るんです。

4−警察の問題が描き切れていないなあ。−たとえば、警視庁が1995.1.4の永岡さんVX殺人未遂事件を見過ごしたこととか大いに問題なのに、抜けているなあ。

5−上祐をあんな形で出すとはなにごとだ。−真実脱会したならば、宗教を伝える立場ましてオウムでの人的関係を使って団体なぞ作れる立場でないことは当然のこと。−出すなら出すで、上祐の70トン製造案は、大規模工場でつくるのではなく、クシティガルヴァ棟と同様の設備を多数造り多数の人間で作っていくべきというものであり、その方法だったら70トンまではいかずとも相当に大量に作れていただろう、と指摘すべきものだった。

6−よくもまあ、被害対策弁護団の活動や上九の住民らの活動を、一切描かないで報道したものだ。−前者は、後の「奇跡の詩人問題」では、私がNHKを徹底的に批判し国会質問にまでなってしまったのだから、私個人は海老沢元会長さんらからのブラックリスト表?は分かるけれど、それとこれとは別でしょうが。

7−より深いアプローチ方法があっただろうに。−大きなマスメディアには、熊本県警や警視庁と同様、それぞれ信者さんがいて中には薬物イニシエーション体験の人もあり、メディア自体としての悩みから描いていけば、もっともっと他人事でない重さがあったのに。


などとは思うが、しかし
1−警察の報告書を入手できた、さすがNHKと思う。

2−1990年選挙敗北での変化は突然ではなく、もともと教祖が描いていたことだったことの説明があり良かったと思う。−700本テープの紹介などで。

3−17年間を過ぎて、オウム真理教事件と実態を知らない人には、3か月の独房修行とか、ニューナルコのこと、しょもない発明のことも描かれていて、よかったと思う。

4−普通のどちらかといえば真面目な人が入っていったんだ、ということは分かりやすかったかも、


と思う。何より

1−Kさん、高橋君、見られましたか。
−来し方行く末を考えるとき、このまま出頭しないで今生を終えていいのかな、そんなことでいいのかな、と改めて思うんです。どうぞお気軽に。

2−現役さん、見られましたか。
−本当に「真理」をつかむために今生を生きるというならば、誰よりも見る立場だと思いますょ。−オウム真理教と事件の全容などは誰も知らず、内部にいればむしろ知らなかったことも多いのだから。

3−脱会者さん
−改めて色々と考えられたかと。罪滅ぼしがまだ終わっていないと感じられたならば、何より日々の生活をしっかりとしていくことをまずお願いし、できたならば被害者のための下記口座に寄附をして下さい。末端に近い人だったのにしばしば入金される人もいて、頭が下がります。
   みずほ銀行  銀座通支店 
   普通預金口座 2110016 
   オウム真理教犯罪被害者支援機構

−中心となった取材元信者の2人は、昔のホーリーネイムでいえば、マチク・ラプドンマさんとキレーサパハーナアーナンダさんだと思う。未だすっきりとしていない感じでしたが、それも率直でよかったと思います。再現ドラマのような感じで取材が進められたのだったなら、それは2人のためにも良かったかと。マチクさんはかなりの回数ニューナルコをされてしまったよね。下記がその一覧表。http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/naruko.html チオペンタールナトリウムを点滴された上で、質問を受けつつ頭に電気ショックをされ記憶を失わされるものです。その後遺症がそうはないようで良かったです。

−あの1994年秋以降は、内部で毎週1人ぐらいは殺されているかと思い、焦っていました。今回紹介された元出家者女性の山梨県警の拉致監禁事件(それが内部で言われた1994年の「11月危機」さぁ)や、宮崎資産家拉致事件での強制捜査を求め続けてきたがされなかった。残念です。ああ、山梨県警があれで捜査する用意は十分できていた、などと言っていたがそれは嘘ないし不正確に過ぎると。この事件は、まずもって新実被告を逮捕できる事件であり重要だったのですが、彼女の調書をしっかりとったのは、ようやく1995年1月末以降、保護していた私の自宅ででしたよね。当時、私と江川さんの自宅だけが24時間警備されていたから、殺されないためにはそうするしかなかった。


草々−NHKには問題ありとも、その維持存続の必要性はやはりあると感じて、数年ぶりに受信料を支払うようになった滝本より。
43

2012/5/20

森達也さん言説−メディアはどうするのかしら  カルト・宗教・犯罪

森達也さんの「A3」の弟子の暴走論への批判に関して、下記で森さんは、ようやく「創」PDFを全てアップしてくれていました。5月16日みたい。今度もまた連絡がなかったが。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html
5・6月号
http://www.tsukuru.co.jp/mori_column5.pdf
4月号
http://www.tsukuru.co.jp/mori_column4.pdf
3月号
http://www.tsukuru.co.jp/mori_column3.pdf

このブログを見られている方から、分かりにくいと言われてしまった。まあ少しの経緯があるのですが、順序立てて、なるべく簡潔に言えば、下記のとおりです。

1−主要な論点として−森さんは、麻原一審弁護団の弟子の暴走論について賛同するとしている。
−『A3』の485ページ「連載初期の頃、一審弁護団が唱えた「弟子の暴走」論について、僕は(直観的な)同意を表明した。二年半にわたる連載を終える今、僕のこの直観は、ほぼ確信に変わっている。」

2−一審弁護団の弟子の暴走論は、下記弁論要旨の抄本のとおり、地下鉄サリン事件について、麻原が「サリンを撒け」とは一切指示命令していないとするものです。「弟子の暴走」論ですから、そのようなことになります。
−『XI 地下鉄サリン事件、第1 事実経過、第2 争 点、1 被告人による指示の不存在、(5) 結論、ウ 以上のとおり、被告人が地下鉄内にサリンを撒布するよう指示をした事実は一切ない。』

3−そこで、2011年9月の抗議書2通では、弁護団の立場ならいざ知らず、まともに裁判資料にも当たらず、実行犯らからの批判も軽視していること、被告人の発言も分析していないことなどを指摘しつつ、そしてこれがオウム真理教の勧誘に役立ってもいることから、講談社ノンフィクション賞を授与したことについて、同社あて抗議しました。

4−すると、森さんからは、今年に至り『A3』には「サリンを撒けと指示した」と他の所に書いてある、と指摘し、次にそれは矛盾しないとしています(創の上記本年の3月号、4月号、5・6月号)。

5−たしかに、『A3』中盤には、何か所かサリン指示のことが書いてあります。
 しかし、上記は完全に矛盾していること、幼稚園児でもわかることです。サリンを撒けと指示したと認めるならば、弟子は暴走していないことになるからです。

 そこで、抗議書作成にあたっては、『A3』が月刊プレイボーイでの連載をまとめたものであって言説に変化があったと思われ、『A3』の終盤にて、最初の直感が正しかったとして、「一審弁護団での暴走論に賛同する」と明確にあり、その解釈に至ったと理解して批判していたものです。

 しかし、森さんは、そんな矛盾を平気なまま、「他の所にサリンを撒けと指示したと書いてある」と、言いだしたものです。

6−そして、森さんは、『創』の5・6月号では、下記のとおり矛盾していない、などと言うのです。
*******
そして何よりも、矛盾などしていない。麻原は指示をした。そして弟子は暴走した。なぜそれががわからないのだ。人は複雑な生きものだ。指示があったなら弟子は暴走しないとか、弟子が暴走したならば指示はなかったとか、自分たちの平面的な人間史観を安易に流用しないでくれ。弁論要旨はすべて読んでいる。読んだ上で、僕は同意を表明した。でも「但し……」と根本的なメカニズム解釈について違和感を書いた。3月号でも書いたように、相互作用であることは『A3』の重要なテーマだ。なぜそれがわからないのか。
*******


−しかし、森さんが、麻原が「サリンを撒け」と指示したと認めるならば、一審弁護団の主張である「弟子の暴走論」に、森さんは賛同していないことになります。
 でも、森さんは『A3』で、一審弁護団の弟子の暴走論に賛同した、と書いているのです。

8−また、「サリンを撒け」と指示して弟子が撒いたのならば、それは誰もが認める「教団の暴走」ではあっても、決して「弟子の暴走」ではないことになります。


 ちなみに、森さんが今さかんに使っている「相互作用」などと言った表現は、浅見定雄先生の言う「殿様と家臣の共振現象」や朝日新聞の降幡さんが言ってきたことであり、何ら目新しいことではありません。

9−だから、私は、そんな矛盾した話が理解できるはずがないではないか、屁理屈にもなっていない、と言っています。どうしてそこまで墓穴を掘れるのだろう、「乱雑な書き殴りの文章であって、矛盾だらけの本」だと認めたことになるのですよ、と批判しています。

10−その他、3人の抗議書では、『A3』では「中川被告の巫病論」を自分の説のように書いているが、それを言い書いてきたのは抗議者の一人藤田庄市さんですから、その引用ともせず参考文献ともしないのは、酷すぎる、その他の諸々の批判をしました。

下記の所にあります。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive
また、私のブログの下記本年3月16日の、後ろの方aからqにて、更に細かいところも批判してます。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20120316/archive

11−今回、森さんは改めてこう書いてます。無責任至極です。

「でも今度こそ、これからは絶対に、この2人を黙殺する。」−『創』89頁3段−

 森さんは、そもそも、昨年の講談社ノンフィクション賞の授賞式では「全て反論できる」と言いつつ、反論を始めたのですが、直ちにこんな状況です。

 私は、こんな下手な理屈を言う人がいることは不思議に思いません。「ああ言えば上祐、こう書けば森達也さん」であり、まあ上祐よりもさらに下手だと思いますけれど、屁理屈を言う人は世の中におり、一部は幻惑される人もいましょう。

 森達也さんの言説や取材については、その他の批判も読み聞くことができますけれども、私の知る分野はオウム関係ですので、それのみを書いています。

 不思議なのは、こんな言説を著したり言う方に、講談社ノンフィクション賞が授与されたり、なんと今年から集英社ノンフィクション賞の選考委員になったり、未だ使う一部のテレビ、新聞、出版社って何なんだろう、という点です。

 メディアはどう扱っていくのか、と行方を見ています。

以上
10

2012/5/19

ピーク時に、あるべき節電方法  大地震・原発・基地

焦点はピーク時でしょう−あるべき節電方法
−つれづれに考えることを書きます。

どんなものだろうか。メディアでは1を、言わないんだもんね。

1−テレビ放送の中止。
−厳しい2−3週間のピーク時前後4時間ぐらいを、全局で。
−関西電力管内では、尚更に、そうしたらいかがか。
←当番制では不平等、かつあまり節電にならない。地上波だけでも全局。
−ラジオというものがあり、特に不便はないものです。
−地震などの場合の緊急放送の際は別にて。
−放送設備とテレビ受電ができないことにて、相当な節電になる。

2−電車の間引き
−電車がかなり電気を食っているとのこと。
−出勤・帰宅時間を調整することをすすめ、間引2割くらいは対応できるものです。

3−バケイションの勧め
−新たな休暇とせずとも、有給休暇の消化率が低すぎ計画的年休消化を、労働順局が強烈に指導すべきです。
−官公庁や大会社しかできないかもしれないが、その影響で中小もかなり休むものです。

4−偉いさんやテレビに出ている人は、上着を着るな。
−ネクタイばかり言われているが、上着を着てクールビズもあったものではない。
−往々にして、結局は偉いさんが来ているから、他の人も着ることになる。
着るなよ。半そでYシャツネクタイ無しで、何がいかんのか、と思う。

追加−家庭向け電力について、ピーク時に値段を高くする−その選択枝をいれる−というのは、危険に過ぎないか(深夜だけ安いというのは良いけれど)。老人を中心に、室内熱中症死亡が、いつもより数十人は増加するのではないかな。
草々


14

2012/5/16

お詫びの言葉がない  憲法・社会・官僚・人権

お詫びの言葉が入ってないょお、と想った。

以下は、2012.5.15の野田首相の挨拶です。
********
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120515-OYT1T00819.htm
本日、内外から多数の賓客の御参列を得て、沖縄県との共催の下に、ここに沖縄復帰40周年記念式典を盛大に開催できることは、沖縄県民のみならず、すべての日本国民にとって意義深く、喜ばしいことであります。
 1972年5月15日。あの晴れがましい歴史的な本土復帰の日から、本日で40年を迎えました。
 この5月15日は、まず何よりも、「鎮魂と平和への決意」を新たにする日でなければなりません。先の大戦で奪われた、あまりに多くの尊い命。終戦後も、占領下に長く置かれた沖縄県民の言われなき苦しみ。沖縄が歩んでこられたそうした苦難の道のりを噛みしめ、平和で豊かな沖縄の未来を願い続けた先人の事績を決して忘れてはならぬ。そうした思いを改めて強くしています。
 5月15日は、これまでの沖縄県民の努力を称え、すべての同朋が沖縄に寄り添っていく思いを新たにする日でもあります。復帰後、今日に至るまでの40年間、沖縄は、県民自らのたゆみない努力によって、あまたの困難を乗り越えながら、力強い発展を続けてきました。政府としても、4次にわたる振興計画を実施し、様々な特別措置を通じて、県民の努力を全力でお支えしてまいりました。これらが相まって、この40年間で、社会資本の整備が着実に進み、生活水準も格段に向上してきたことは疑いのないところです。
 そして、5月15日は、沖縄の未来に思いを馳せる日でもあります。私たちは、世界の重心がアジア太平洋地域に移りつつある歴史の変動期を生きています。それはすなわち、アジア太平洋の玄関口として、沖縄が新たな発展の可能性を身にまとったことを意味します。豊かな自然環境や温暖な風土。琉球の輝かしい歴史に裏付けられた独自の文化。日本一若い県民の持つ清々しい活力。そして雄飛の覇気を持って海外にはばたき、世界中にネットワークを有するウチナーンチュ。こうしたすべての潜在力を発揮させることで、沖縄がますます輝きを増していく。そういう時代がやってこようとしているのです。
 既に、観光と情報通信技術は、沖縄経済を牽引しています。那覇空港は、いまや国内第3位の国際物流拠点に成長しています。いずれも、日本再生のために我が国全体で取り組もうとする方向性を先取りしたものです。
 「沖縄は、日本のフロンティアである」――私のその願いを裏付ける具体的な発展の「芽」が実際に次々と生まれているのです。こうした「芽」をきちんと育て、まさに21世紀の「万国津梁」の要となって、総合的な地域の発展につなげていく。私たちの世代は、そうした責務を負っています。平和で豊かな未来のために沖縄の潜在力を解き放ち、基地負担の軽減を着実に進めていくことは、私の内閣の最重要課題の一つです。
 今なお沖縄が直面する様々な課題の解決に向けて、最も大事なことは、沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾けることです。
 自由度の高い一括交付金の新設。過去最大の増額となる沖縄振興予算。種々の税制上の特別措置。いずれも、沖縄県からの御要望を最大限に受け止めた成果の一つです。
 また、新たな沖縄振興と基地跡地の有効利活用のための法律が、今国会において全会一致で成立しました。これらの法律は、沖縄の主体性に重きを置いた、画期的なものです。政府が決定した法律に基づく基本方針を踏まえて、県において、本日、「沖縄振興計画」が策定されました。私は、先ほど、仲井眞知事からこの策定されたばかりの計画の提出を受けたところです。この計画の実現のため、政府としても力を尽くしてまいります。
 さらに、この振興計画の着実な実行に加えて、那覇空港の第二滑走路について、平成25年度予算編成過程で財源の検討を行って早急に整備を推進してまいります。また、鉄道、軌道その他の公共交通機関の整備の在り方について、沖縄県と連携し、引き続き、必要な調査・検討を進めてまいります。そして、国営沖縄記念公園の首里城等の主要施設については、平成30年度をめどに沖縄県へ移譲することとし、その具体化のための協議に着手いたします。
 このように、沖縄は、その繁栄に向けた新たな展開を自ら切り拓いていこうとされています。政府としても、沖縄という大きなフロンティアを「夢」から「現実」に変えていくため、医療、環境、人材育成を始めとする各分野において、県と手を携えて、自立型経済を発展させ、潤いのある、沖縄らしい優しい社会の実現を後押ししてまいります。
 沖縄振興とあわせ、沖縄を含む我が国の安全を確保することは、国の基本的使命です。一層の厳しさを増す我が国周辺の安全保障環境の下、日米安全保障体制の役割は引き続き重要となる一方、米軍基地の集中が沖縄の皆様に大きな負担となっていることは十分に認識しています。抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進めていくことを改めてお誓いいたします。
 普天間飛行場の固定化は絶対にあってはなりません。その大前提の下で、先般、日米両政府は、普天間移設の問題と「海兵隊のグアム移転」や「嘉手納以南の土地返還」の問題を切り離すことに合意するとともに、海兵隊の国外移転を待たずに返還可能な土地や速やかに返還可能な土地を特定いたしました。これらは、基地負担軽減の「目に見える具体的な成果」につながっていくはずです。
 また、私は、この沖縄の本土復帰40周年の記念日を前に、4月末から米国を訪問し、オバマ大統領とともに、日米の「共通ビジョン」を発表しました。これは、沖縄を含むアジア太平洋地域と世界の平和と安定のため、大局的観点から、日米同盟の今日的意義や今後長期にわたる日米関係の在り方を確認するものです。こうした日米両国を挙げての取組が沖縄の負担軽減に確実につながるよう、これからも一つ一つ、着実に成果を積み上げていきたいと考えています。
 本土復帰から40年。日本全体を牽引し、アジア太平洋の時代を先頭に立って切り拓いていくのは、沖縄です。そして、そうした未来を担っていくのは、私たち自身です。
 平和を希求する県民の願いが、そして世界に飛躍を願う「万国津梁」の精神が、21世紀の沖縄を切り拓く大きな財産となることは疑いありません。我が国に未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの復旧・復興、日本経済の再生に向けた挑戦が続けられている今だからこそ、沖縄に期待します。そして、沖縄の一層の発展が、我が国及びアジア太平洋地域の発展に寄与することを確信します。
 最後に、改めまして、沖縄と日本、さらには世界の平和と発展を祈念し、私の式辞といたします。
平成24年5月15日
内閣総理大臣 野田 佳彦
*******


「お詫び」が必要な筈です。それも冒頭に必要な筈です。
お詫びの言葉が一切ない、冒頭には勿論ない。
それのみで、何ら心に響かないです。
訴える力がない。

ともかくも、冒頭

「まず日本国首相としてお詫び申し上げます。
1972年5月15日、日本国政府は、核抜き本土並みの返還とお約束しながら、懸案の普天間基地を初め、未だ沖縄県と県民に多大な負担を強いています。実に私どもの力不足であり、ここに深くお詫び申し上げます。
沖縄県は、江戸時代に薩摩藩が*****」

から、言うべきではないか。


そのうえで、「本日は、内外から多数の賓客の…」と続け、
最後に、「最後に、改めて沖縄県と県民の負担を軽減することをお約束し、沖縄県と日本、さらには世界の平和と発展を祈念し、私の式辞といたします。」とすればいいものを、と思う。

官僚らが作った文章を元としたのだろう、きっと。

17歳の時、昭和49年つまり1974年になるか、その3月末に沖縄に行った。
自転車で南部を回り、またぼろい観光バス中部を廻った。
自動車はまだ右側通行だった。
観光バスでは、あそこには原爆があるはず、と案内されていた。
ありがやユンタだったか、覚えました。
首里城はもちろん再建されておらず、
石垣には「琉球の独立を!」とも書いてあった。

自分は、神奈川県大和市という、米海軍と海上自衛隊の
・爆音に悩ませられ。
・墜落の不安を感じ
・ベトナム戦争も16号線を走るキャタピラーとヘリコプター音で実感し
・怖いYナンバーを知る者でものでもあったが、
沖縄の状況をかいま見て、これは何とも申し訳ないと、実に思った。


まずはお詫びが必要なのにぃ!!、とつくづく思う。

(そして鳩山元首相もいって、しょもないコメントをしている。大馬鹿行為にすぎる。)
10

2012/5/15

死刑制度と滝本−ウィキの間違い  カルト・宗教・犯罪

雨です。なんとも鬱鬱、とします。

さて、自分のウィキを見てみれば、下記の記載もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E
*******
死刑制度
滝本は元々死刑廃止論者であったが、親交のあった坂本堤弁護士がオウム真理教信者に殺害された事件をきっかけに死刑制度を容認する立場に転じた(ただしオウム真理教事件に関しては、滝本は麻原以外の死刑囚の死刑執行には反対している)。坂本、滝本が共に所属していた横浜法律事務所は、死刑反対の立場を取る日本共産党系の自由法曹団に加盟しているが、坂本弁護士一家殺害事件の後、横浜法律事務所の弁護士らは「麻原は絶対に死刑にしろ」等の発言を行い、多くの弁護士が死刑を容認する立場を取るようになった(ただし自由法曹団は従来の死刑廃止論を変えていない)。なお、殺害された坂本も死刑廃止論者であった。
*******


どうやって訂正してもらえば良いのか、よう分からない、どなたか教えて下されれば幸い。

>滝本は元々死刑廃止論者であったが、
−いいええ!!、1995年以前はたまたま死刑求刑事件の弁護にも当たらず、また被害者の代理人となって『求刑する』という制度も無かったから、態度を明確にする必要がなく、意見発表も、私的議論でも意見を明確にすること無く、ずっとペンディングでおりましたよ!

>横浜法律事務所は、死刑反対の立場を取る日本共産党系の自由法曹団に加盟
−うーん、あそこの弁護士は全員、入っているのかなあ。
−また、私は一応自由法曹団には入っているが、ちょうどどこでも政党に入っている人が、その全ての政策に賛成なはずだと言われても困ってしまうのと同じく、私は死刑制度の廃止に賛成していないものです。

>坂本弁護士一家殺害事件の後、横浜法律事務所の弁護士らは「麻原は絶対に死刑にしろ」等の発言を行い、
−誰か言っていたけれど、なんか大勢がそう言ったという書き方は違うだろうと

>なお、殺害された坂本も死刑廃止論者であった。
−うーん、どうだろうか。どこかに文章があるかな。よく共に呑んだが(もう22年前となる互いに33歳までのことだったなぁ)、死刑の話題は話さなかったな。

8

2012/5/14

森達也さんの反論状況  カルト・宗教・犯罪

http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html

森達也氏が上記の巻頭コラム154で、書き込んでおられる。月刊誌『創』の、3月号、4月号もPDFでアップされている。今回も連絡がなかった。4月23日付コラムとしているが、連休前には出ていなかった記憶なんだが、違ったかな。

いずれにても、大切な5・6月合併号も出してもらわないと、読者は容易に理解できないかと。私がアップするわけにもいかないんだろうし。上記コラムでは(5・6月号は数日後に)とあるが、未だアップされていない。

まして何回もお願いしているが、私のこのブログ内の各記事のURLを、記していない。森さん読者はそのコラムだけは読みやすいが、こちらにリンクしていないと、正しく両者の主張が分からないですょ。

今回の森さん書き込みも「とにかく『A3』は僕にとって、渾身の一冊です。ごまかしや捏造など一切ない。彼らの抗議が正当かどうか、麻原無罪などを本当に主張しているかどうか、あとは読む人に判断してほしい。」なぞと、最後に書いてある。

こちらをリンクさせないことにつき、あえてリンクさせていない、なぞとは思いたくないが、なんかなあと。

焦点は、
1−A3の最後の方で「一審弁護団の『弟子の暴走論』に同意する」としつつ「麻原はサリンを撒けと指示した」としている森さんの主張が、矛盾していると批判について、5・6月合併号のうちの下記文章

−だって、「サリンを撒けと指示して撒いた」のならば、それは「暴走」とは言わないのだもの。
−一審弁護団は「サリンを撒けと指示などしていない」と主張しているんだもの。


*******
そして何よりも、矛盾などしていない。麻原は指示をした。そして弟子は暴走した。なぜそれががわからないのだ。人は複雑な生きものだ。指示があったなら弟子は暴走しないとか、弟子が暴走したならば指示はなかったとか、自分たちの平面的な人間史観を安易に流用しないでくれ。弁論要旨はすべて読んでいる。読んだ上で、僕は同意を表明した。でも「但し……」と根本的なメカニズム解釈について違和感を書いた。3月号でも書いたように、相互作用であることは『A3』の重要なテーマだ。なぜそれがわからないのか。
*******


2−それから、当方の批判について、授賞式以来全てを反論できるとしつつ、「黙殺」としていた。ついに反論を始めたが、「弟子暴走論」絡みのみを書いていて、他の批判点は一切反論しない。そして、改めて「でも今度こそ、これからは絶対に、この2人を黙殺する」なぞと言われていること。

5・6月合併号がPDFで出たら、また書きます。4月23日の下記書き込みに加えて、となります。http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20120423/archive

草々
7

2012/5/7

死刑は「殺人」か?  憲法・社会・官僚・人権

死刑は「殺人」か?

なぞという議論が時にされる。

一般的にされる、宗教的にされるばかりではない。

法的にも時にはされている。法的には、
「殺人の構成要件には該当するが、正当業務行為だから違法性が阻却される」という解釈が一般的だろうが、うーん、たしか誰学者さんだったか、「死刑は(殺人の故意はないから?)構成要件的にも殺人に該当しない」とか書いてあった記憶なんです。

より調べればいいのだろうけれど、しょせんナンセンスな議論だと思う。要は「殺人ではある」と言うことを容認できるかどうかという、それぞれの人の哲学的と言うか、いやいや感情的な面での違いとしか思えないから。

で、死刑に関係する人の全てに、(よほどの反社会性人格障害とかでもない限り)死刑にかかわることそれ自体で、一つ一つ心の中にトラウマというか少なくとも澱(オリ)のようなモノが重ねられていく、という特徴があるものだろう、と。

私とて、麻原彰晃こと松本智津夫被告のすぐ横で、しかも傍聴席に娘さんのうち2人がいたときに、死刑を強く求めた際に、なんともいえん「澱」が心の中に降りた、と。死刑執行となれば尚更にそうなろうと。

そして死刑執行を直接担当する刑務官は、尚更に個々の中に澱が溜まっていくのだろうと思う。

 死刑存廃論議の焦点は、宗教的な論議や、刑罰の本質と言った思想的なこと、互いに証明不能な論議(犯罪予防いかんなど)は別として、結局は、下記2つに収斂されるだろうと思う。
 この第2について、あまりに議論されていないのが不思議です。死刑執行にかかわった刑務官著の本が時にあるけれど、すべての関与したことのある刑務官に実施したアンケート報告があればな、とも思う。

第1−どうしたって残る冤罪の危険性
第2−死刑執行人の苦悩 
       草々


追伸
「神は存在するか」などの論議もナンセンス。それは「神を信じるかどうか」と同意義の質問だから。
それらの場合、「神とは何か」「存在と何か」「信じるとは何か」の問いをこそ、すべきだろうと。
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