2005/5/31

2つのこと−戦前の裁判再審、「蛇足いかん論理」  憲法・社会・官僚・人権

1つは、5月6日の日記に書いた下記の本

 つまり、「裁判では審理も判決も主文を導くにあたり最低限のことを書けば足り、それ以上はなんら書くべきでない」という論理
への批判に関係して、です。
  >「司法のしゃべりすぎ」
  >新潮社新潮新書103
  >井上薫著 680円 2005年2月

 さて、27日東京地裁で言い渡しの、46年前の都立病院の新生児取り違えの判決です。
 これ、主文では、すべて請求棄却です。
・ 出産・取り違えから20年を経過しているから、除斥期間を過ぎているとして賠償請求は棄却
・ 社会保険庁への「自分と誕生日が近い人の氏名と住所を照会して」と調査嘱託の申し立ても、「心情は察してあまりあるが、個人情報であり、新たな権利侵害を生むおそれがある」などと述べて退けた

 この論理は、尋問や証拠調べをせずとも、互いの主張段階で直ちに導けることです。だから、上記の本の著者裁判官のやり方に従えば、なんら調べることなくまあ弁論2回目で結審、判決ができよう。そりゃ裁判は速いですよ。

 ですが、この裁判では、審理をし、へその緒ともと本人のDNAが一致しているのに両親のともDNAから親子関係が否定されることからして、産院での取り違えを明確に認定した。
 それは主文にはなんら影響しなかったけれどね。

 そのうえで、「実子を育てる機会を奪われ、また、実の親との関係を一方的に断ち切られるという損害は重大で、取り違えは産院では決してあってはならないものだ」とした。

 結果、石原東京都知事は、都がもつ資料について「当然、開示する。役に立つならばそれに越したことはない。訴訟を起こした人にすれば人生をかけた問題だ」などと語った。さらに「同じ生年月日に東京で生まれた新生児を捜す手だては国の資料にすがる以外ない。それを解禁するよう、国に迫る」と支援を約束した、のです。

 さて、結論を導くのに最短距離だけで、果たして本当に良いのか、石原都知事にこういわせる道をつくり、何とかこの男性の救済を図ろうとする裁判所はおかしいのだろうか。

 井上薫裁判官は考え直して欲しいところです。

 ちなみに、除斥期間は中断もなく、違法行為の後20年で成立するとされる。ですが、判明してからは20年を過ぎていないし、生きている限りそれが明確にならないという「心理的苦痛」を受ける。

 だから、除斥期間の進行開始を、取り違えの時におくのはやはりおかしいのではないか、東京都に数千万の支払いぐらいさせて何が悪いのか、と私は思う。
 酷い話ですよ、まったく。原告は上訴して欲しいなぁ、と。

 ちなみに、お父さんお母さんも共に原告になって良いのだが、それは難しいことなんだろう、と。ここはアメリカではないのだ。

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2つ目は、横浜事件の再審裁判
 これ、治安維持法違反で裁判。
 
事件は、
>1942年,総合雑誌「改造」に対して、神奈川県特高警察が出版法違反で検挙したが、情報局の検閲を得ている論文であったことから、さらに、友を検挙し始め,富山県泊町に《改造》《中央公論》編集者や研究者を招待したさい開いた宴会の写真から、これを共産党再建の会議と決めつけ,改造社,中央公論社,日本評論社,岩波書店,朝日新聞社などの編集者を検挙し,拷問により自白を強要した(泊共産党再建事件)。

>リベラルな伝統をもつ《改造》《中央公論》両誌は廃刊、労働問題研究家夫妻,世界経済調査会,満鉄調査部の調査員や研究者を検挙し,治安維持法で起訴した事件。

>拷問によって中央公論編集者2名が死亡,さらに出獄後2名が死亡した。その他の被告は,なんとこれが、敗戦後の9月から10月にかけて一律に執行猶予で釈放され,《改造》《中央公論》も復刊されたもの。
(戦後だが治安維持法が残っていたので判決を出しちゃったというものです、酷い話だ。とりあえず釈放して在宅で刑罰がなくなるのを待つべきだったはず)

詳細は下記
http://members.at.infoseek.co.jp/yoko_hama/main.html

で、再審裁判ですが、
 「治安維持法などは憲法違反だ、刑が消滅した」どころか「事件自体が治安維持法の構成要件としてももともと事件にならないものだった」として、起こしてきたものです。、何度も。

 そして、ようやくにして、地裁、高裁で再審開始が認められた。地裁の裁判長は実は退官直前の方でした、偉かったです、最後だからか自分の考えるとおりの判決を、国と言うものに追従することなく開始決定を出して。

 再審開始自体は、本来当たり前のことだが、近時の裁判の形式論理からして無理かな、と思ってもいた。それが、何とかできた。

 すると、横浜地検は、今月、再審の進め方について、「旧刑事訴訟法の規定に従って公判を開かず判決を下すべきだ」との意見を出していたのだと。

 戦前の刑事訴訟法は、再審事件の被告が亡くなっている場合、公判を開かず検察官と弁護人の意見を聞いて判決を下すよう定めているからだと。

 なんともまあ、形式論理だ。弁護側は、政治犯罪などの裁判を常に公開するよう規定した憲法82条2項などを根拠として、公判審理を求めるとのこと。

 そりゃあ、そうだよね、手続法でしかない旧刑事訴訟法についてそこまで厳格解釈をしなければならないという論理は正しくない、現行の憲法の趣旨を加味して解釈するのが当然と言うものです。

 検察庁は自ら、というより法曹人は自ら、明治憲法下で戦時体制に協力してきてしまったことを総括するためにも、
 検察庁・裁判所・弁護士がともに、この事件の真相を突き止め、最後に正しく「無罪論告」を検察庁はすべきものです。

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上記の2つは、司法に信頼を維持するために必須のことだろう、と。
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2005/5/30

カウンセラー  カルト・宗教・犯罪

うーん、いろいろなことで、
「心理カウンセラー」
ということが、話題になるようになってきた。

私は、どんなカウンセラーにしても、
 1 精神的な安定−本人が幸せであること
ということが、
 2 その経験・能力・知識
に勝るとも劣らず、必要だと思う。  

 知識などなくても十分カウンセラーみたいなことをしている方もいる(もちろん後に逐次知識を得ていくべきこと、先人の智慧と分析は学ばないと)のだから。

 もともと「心理」とかに興味を持つ方は、それ自体、
・ 人間関係の陥穽とか神秘体験にはいりやすい傾向をもつ方が多いのだろうし、
・ 心理的に必ずしも安定していない人が少しは高い比率にあると思われ、
・ 自分探しのために心理を学び、実は自分を救うために人を救うという傾向も持ちやすい

 です。一般事件で多く会う経営者、サラリーマン、よい意味の「おじちゃん」や「おばちゃん」と比較して、まさにそう思う。

 で、大切なことは、
・ 自分が幸せでない人は、人に幸せを分けることはできない」
・ 自分が心理的に安定していないまま、他の人の、何か桎梏からの脱却を図リ、また心理的安定を図ることはできない
ものですよね。

 もちろん、ここで「幸せ」というのは、世俗的に豊かだとか、五体満足だとか、家族友人間で何の悩みもない、というのとは違う。
 自分を客観視することもでき、人に迷惑をかけないままに、いろんな悩みがあろうとも、自らの判断で生き方を決めていて、「この人生、楽しいな」と真実感じられる「幸せ」です。

 それがないと、いかに知識や意欲があっても、
1 カウンセリングにおいて余裕を持てない
2 対象者からの影響を受けすぎてしまう
3 能力があるとき、自らの不幸の代償のために、対象者のグルになってしまう危険性がある

ものです。

(だからまともなカウンセラーは友人らも多く持ち、疲れたときに、自らも癒されるための方法を知っている。
 実は、逆に問題があるとしかいいようのない団体でも「カウンセリング」と称して、実は勧誘の窓口にしていることさえある、これは問題。その場合は、自らの信仰の正当性を確認する為の作業でもあるのでょうね)

 私として、
・ 自らが余りに不安定なままにカウンセラーを希望する人とか、
・ 突如訪れて泣き崩れるそんな知識あるはずの人とか、
・ 希望したが直ちに破綻する人とか、
・ 諸々の漏れ聞く話などをきくと、
時に感じることです。

 尊敬できるカウンセラーって、専門資格ある人も、また宗教者の場合も、精神的に安定されているなぁ、よい意味で俗人だなぁ、選民意識などとんとないなぁ、と感じます。

ああ、先日は、とある女子大学で、
  「仕事は、生きがいとか自分探しのためにするものではないです、まずは食うためにするんです」
 と言ってしまったなあ、その重さを分ってくれただろうか。
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2005/5/29

脱会者とは  カルト・宗教・犯罪

オウム真理教は、
 「オーム、グルとシヴァ大神とすべての真理勝者の方々に帰依します。私○○○○を解脱にお導きください」
 という、かねて一度も断続したことのない詞章に象徴できる。
 
 つまり「グル=麻原彰晃」を観想してマントラ、五体投地をすると。

 ですから「脱会」とは、麻原彰晃を観想しなくなること、です。

 その帰依する対象という重要なことにすら過去、男児2名に教祖を変えたとか、平気で「真理のための嘘」をつくのが、オウム真理教というものです。
 ですから、少なくない人が、騙されても全く不思議はない。

 そして「脱会者」の定義がなぜ大切かと言えば、その意味での脱会をしていない限り、麻原の桎梏を外れておらず、

・ 本人自身の「社会復帰」なぞありえない。

・ 麻原の教義−権力欲、社会への強烈な恨み、破壊願望−といったことの影響力を失っておらず、自傷他害のおそれがあるから、です。

 他害については、「サリンなど作れずとも、やろうとすればガソリンとマッチとマッチ箱で大変なこともできる」のですから、心理状態の把握こそが大切だと。

 なお、今年はいくつかの意味で、オウム真理教はハルマゲドンなんだなぁ、とつくづく思います。
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2005/5/28

井出氏は顧問にー従業員はやりきれないだろうと  憲法・社会・官僚・人権

 もう、ろくに新聞も書かないんですね、肝心なところで追求が弱いぞ、広告代金でも勿体無いのか。

こんな酷い事態なのに。

>井手氏退任、顧問に JR西日本
>2005/05/27 神戸新聞
>二十六日の取締役会
>井手相談役は完全に退陣せず、顧問として残る。

>南谷昌二郎会長(63)と垣内剛社長(61)は当面留任
>目処がついた段階で辞任する。

 井出氏は、1987年4月の国鉄の分割民営化で、3羽ガラスとか言われ、あまりに無理な合理化を図り、安全投資を怠ってきた人。

 んで、社長、会長の退任後は「相談役」になっていたが、社長よりも給料が多い状態で(これは週刊誌にあったが)、君臨していたと。「井出商店」とか言われていたとのこと。

 JR西日本の役員変遷だけ見ても明白

取締役相談役
井手正敬(2003年4月-2005年6月)

代表取締役会長
初代 村井勉(1987年4月-1992年5月)
第2代 角田達郎(1992年6月-1997年3月)
第3代 井手正敬(1997年4月-2003年3月)
第4代 南谷昌二郎(2003年4月-)

代表取締役社長
初代 角田達郎 (1987年4月-1992年5月)
第2代 井手正敬(1992年6月-1997年3月)
第3代 南谷昌二郎(1997年4月-2003年3月)
第4代 垣内剛(2003年4月-)

副社長
井手正敬(1987年4月-1992年5月)
金井耿(2000年6月-2001年8月)
平野直樹(2000年6月-2001年6月)
垣内剛(2001年4月-2003年3月)
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 国民とくに関西人は、JR西日本に侮られていることを怒るべし、と。

 ふざけた会社、だ。体質は変わらないだろう。

>人事はいずれも来月二十三日付。
>新体制では、新設する安全性向上担当の副社長に、
>山崎正夫氏(62)-JR西日本の元常務で鉄道本部安全対策室長を務めた。
>会長と社長が月額報酬の五割、他の取締役が
>三割を六月分から三カ月間返上する。

>垣内社長は会見で、井手氏の顧問就任を
>「取締役会には諮っておらず、経営陣の意向」と説明。
>「大所高所から意見をいただきたい」と述べた。
>井手相談役と坂田専務が対象となる退職慰労金は「留保する」と

井出氏の観点での「大所高所」が間違いだったんでしょうが、こらっ。
2

2005/5/27

「元信者」という表現  カルト・宗教・犯罪

 下記元信者さんの裁判は2005年10月28日結審したところ、その裁判内容から見て、昨年において脱会=麻原さんを観想しない=されていることが間違いないと判明したので、匿名にしました。

 (2005.10.30)。この点、お詫びして訂正します。

 なお、以上のことから、内容的にも2005.5.27の記事としては間違っていることとなりますが、当時は未だ脱会の真偽が他からは明確でなかったものですので、匿名化するにとどめます。

−−−−−−

 この表現、やめてもらえないかなぁと、とつくづく思う。

(本当の元信者=脱会者に迷惑。このカッコ書を追加書き込み)

>職業安定法違反事件、教団で経理担当の女性信者
>派遣された信者4人の銀行口座を事実上管理
>同日夕、主犯格とみられる元信者の-男性-容疑者(30代)
>逮捕者は5人
>同容疑者らが2001年以降、同様の手口で
>約20人の信者を数十社で働かせ、数億円の資金を得ていた疑い

 現役信者を雇っていて、「元」もあったものではないではないか。

 この信者、辞めたみたい、などと現役さんのほうから噂が出ていた人ですよね

 さては、わざと噂を流して取締りを避けようとしたのではないかしら、などとと思ってしまう。

 以前からも、アーレフを離れた形にしている、しかし集団生活をして麻原の本なども発見されている所の人を、「元信者」扱いしたり。

 あっ、アーレフから資本を出してもらって会社を始めたのに、元信者を名乗っていた幹部もいた記憶、あれはどうなったか。

 マスメディアにも困ったものだ。と。もとは、警察発表なのだろうけれど、警察も弱ったものだ、と。

 オウムは、何もアーレフだけではないのに。

 脱会したかどうかは、「麻原彰晃を観想するかどうか」なのだから。

 今年は、2004年を最後の予言としていたハルマゲドンも過ぎ、オウム真理教にとってこそ、ハルマゲドンだろうと。

 さて、どうしまょうか、各人それぞれに。

 「1人オウム」が増えていくものでもあり、対処はますます個別的にならざるを得ないだろうと。
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2005/5/27

備忘録−刑務官  他の本など紹介

>刑務官 新潮文庫
>坂本 敏夫 (著) 2003年5月 

 これ、いいですね、実にもう。(5月28日誤字訂正)

 ただ、ここまで書いていいのかなぁ、守秘義務に違反しないのかなぁと気になるところもある。
 公益のために暴露すべきところも多いけれど。

 私も、刑務所見学とかいくつか行ったし、拘置所や裁判所同行で何人もの刑務官と会う、刑務所交渉も時にある。
 そう、気になるのですよね、

・ 工場内はあんなに人数が少なくて平気なのだろうか、
・ あの腕を高く上げさせて更新するのは、何とかならないか、
・ 刑務官って、上下関係がやたらきつそう、住まいも周辺にされざるを得ない、つまり社宅ばかりだし、大変だろうなぁと。

 で、そんな内部事情、喜びと悲しみ、怒り、行刑というものを実地に感じられる本です。
 
 なお、気になったのは名古屋刑務所問題(放水で肛門裂傷、その他の事件、この関係もあって、制圧のための腰と両手への革手錠は無くなった)について、ああも、不当な処分、起訴だと断定してしまって良いのだろうか、と。 

 というのも、その他は直接経験したことを元に書かれてあるのだけれど、時期が時期とはいえ、
・ 1つの手紙を元に自分の経験からする判断を前面に出しており
・ 刑務所は、所長ら幹部の仕方で変わると、本の他の各所で書いてもいるのに、ここでは安易に、この手紙に則っている。矛盾。

 それでも、死刑執行のことについてなど、実に有益な本です。

 草々
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2005/5/26

備忘録−自閉症の子を持って  他の本など紹介

>自閉症の子を持って 新潮新書 (118)
>武部 隆 (著) 2005年5月

 出先で少し時間が空いたので、その駅ビルで本屋を探して見つけた本。(近頃キオスクにはろくな本が置いてない)。

 下記がアマゾンでの紹介抄本
>自閉性障害を有する人の数は、100人にひとり
>硬い内容を想像されるかも知れませんが、
>むしろ「家族の成長の物語」としても読める
>感動的なドキュメントです。

 うん、さすが通信会社記者の著作です。読みやすい、何より具体的でいいですね、関係ある方も、そうでない方も一読をオススメ。

 そうなんですよね、ウンチのこと、言葉のこと、夢のこと、身につまされると。

 ああ、突然、息子がしゃべりだす夢は、「抱きしめたい」という素敵なテレビ番組(原作は「私はもう逃げない」-自閉症の弟から教えられたことー講談社 島田律子著1600円)にも出てきてたです。「なんだ騙しやがって、悪い冗談だったんだ」と夢の中で思ったり、とかね。

 「私は逃げない」のことは、以前の日記の2002年11月8日のところに書いた。
 http://www2.diary.ne.jp/user/140664/
 
 さて、この本の方の子どもさんの自閉症程度は重度ではない。療育のおかげか、もともとその程度の障害だったのか分からないが。
 
 で、思ったのが、重度でないとき、却って大変なことも多くあるということです。ホント、軽度は軽度で大変と。

 高機能自閉症(8割方は併発する知的障害がなく、自閉傾向があるだけのとき。自閉症は認知障害ですから)のときは、それこそ一見して、また少しだけ話しても障害があるとは一般には分からなかったりして、それが却って社会でのトラブルとなる、と。

 それと似たようなことは老人介護とか、痴呆症でもありますよね。足が元気で痴呆症だと実に困る、という本音も聞こえる。まよい老人となってうから。

 老人介護でも、トレレを全く訴ないならないで、その方が楽という声も聞こえる。抱き起こしてトイレに座らせるのは油断するとぎっくり腰になるし。(いわゆる老人病院で寝たきりにして時間替えのオムツにするのはそのせいでもある)

 でも、自分がそうなったときも、やはり、トイレに座りたいなぁ。

 (痴呆症は、いま認知症とかいうのですね、痴呆と言う表現が差別的だからだと。それこそ誰だってなりえるのであるし差別的な用語とは思えない、馬鹿らしい、認知障害として自閉症の認識を広げるのにむしろ阻害することとなり、福祉制度全般のためには良くないと思いますが。

 「精神分裂病」とて同じです、すでに統合失調症が差別用語的にも聞こえる、言葉だけ変えてなんか変えた気になるのがおかしい、と。)

 申したかったのは、
・ これ、福祉の制度上、本当に考慮されていないです。だいたい「知的障害」だけでくくり「認知障害」の程度を見ないのだら。給付する福祉サービス、もっともっと決め細やかに出来ないのか、と思う。

・ それでも、やはり軽度で、少しでも意思疎通ができるようなるのは
親にとっても、とても幸せなことです。

ということ。 ではっ
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