2017/9/30

「トレランス」という考え方  短歌

先日の五木寛之の話の続きになるが、彼の本の中で「トレランス」ということばを見つけた。「トレランス」とは免疫学の概念、考え方であり、「寛容」という意味があるそうだ。

五木さんによれば、「寛容」とは許すこと、欠点を認めることであり、激励ではなく慰めであると言う。つまり、がんばらなくていい、がんばれない人にがんばれなんて言うことはないよ、ということだと言うのである。ということは、これも以前に書いたように、医師の鎌田實さんの「がんばらない」や「◯に近い△を生きる」という本と全く共通するではないか。

最近では人生や生き方に関しても様々な考え方が紹介されており、かつての「スポーツ根性もの」のような、「ひたすらがんばれ!そうすれば結果はついてくるものだ!」という士気高揚、叱咤激励方式のやり方はなりを潜め、一見優しいやり方がはびこっているようにも見える。

しかしながら私はこれがただ単に優しいとか甘いやり方だとは考えない。「トレランス」を支持する人たちも、みんなが頑張ってはいけないということを主張しているわけではない、頑張れる人は頑張ればよいのである。しかしそれがやりたくない人や何らかの事情でやれない人に関しては、頑張らなくてもいいんだよ、ということを言っているのだと思う。

これは決して甘くて軟弱なやり方、考え方だとは言えない。肩の力を抜いて取り組んだ方が結果として成果に結びつくというパターンもあるのだということではないだろうか?つまりはここでも、「一律」ではなく「多様性」ということに着目して、それに応じたやり方考え方を推奨しているのだと考えたいものである。
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2017/9/25

フードバンクという活動  短歌

「食品ロス」を防ぐ取組みが話題に上ることがある。今朝の日経新聞の社説にもこのことが論じられていた。食品企業や外食、家庭で食料を捨ててしまう「食品ロス」を政府や自治体が呼びかけ、イオンなどの企業が対策に乗り出した、という内容であった。この問題は私自身も気になるものであり、以前からこの関連の報道にはそれとなく注目している。

国内で発生する食品廃棄物の量は、2014年度で2775万トンで、その内まだ食べられるものは22%の621万トンもあったそうだ。これは国民1人が毎日お茶碗1杯分の食料を捨てている計算になる。世界では生産量の3分の1にあたる13億トンもの食料が毎年廃棄されている。これは世界的な問題でもあるようだ。

統計によれば、地球上で食糧が足りず飢餓状態にある人口は8億5千万人である。現在の世界人口は65億人(2006年2月時点:アメリカ合衆国統計局)だから、実に7.6人に一人が餓えていることになる。日本では実感しにくいこの現状であるが、例えば小学校の1クラス20人に置き換えれば、20人のうち2〜3人は飢え死にしそうな状態と言うわけである。

では、飢餓の原因は何か?原因は食料不足だけではなく、食料の配分の不公平によるところが大きいのだそうだ。原因は人間であったり、社会システムであったり、不平等な文化にあるのである。飢餓状態にある子供の80%は、余剰食料を生産している国の子供たちだそうだ。輸出用(つまり日本などの先進食料輸入国向け)の食料(たとえば牛などの家畜)を生産している隣で、飢えでものを食べることがままならないという状態で過ごさなくてはならない子供たちが大勢いる、ということである。

一方で、以前の報道で知ったのだが、日本には「フードバンク」というNPOがあり、流通過程で廃棄されてしまうまだ食べられる食品や、出荷時にはじかれる流通規格外の農産物などを集め、安全性を確認したうえで、生活困窮者や被虐待児童などの福祉施設に提供する取り組みをしていると聞いた。缶詰など加工食品が主な対象で、コンビニのお弁当などは対象外だそうだ。

この問題は、行政や企業だけに任せるのではなく我々消費者個人個人も何かできることを見つけ出して、一つでも取り組まねばならない問題ではないだろうか。
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2017/9/22

高速道路が新宮まで開通していたぞ  短歌

今日は母校の和歌山大学の校友会のイベントがあり、私も世話役として南紀の田辺市まで出かけてきた。そのついでに、田辺や白浜の企業を回って大学への寄付をお願いするため、今回は電車ではなくマイカーでの移動となった。

今年の4月にも家族全員で白浜のサファリパークへマイカーで来たので、高速道路が田辺まで開通していることは知っていたのだが、道路標識を見ると道はどうやら白浜どころか新宮まで開通していることがわかった。

和歌山の中・南部は高速道路の開通が遅く、陸の孤島と言われて久しいが、どうやらそれもようやく解消したようだ。JRの紀勢本線の全線開通も本州の中では一番遅い方だったが、道路の方も同じく一番あとの方まで取り残されたようだ。

鉄道においても道路においても、和歌山がこれほど取り残されたのは、何も地理的な理由だけではなさそうだ。原田伊織氏の「明治維新という過ち」などによれば、明治政府は官軍派の県と徳川幕府側の県には明らかな差別をしたようで、一例としては原発の設置された場所からみても明らかなようだ。

和歌山市は、明治の初年には人口が全国で6番目であった。それが40万人を切るほどに減少したし、和歌山県の人口も数年前に100万人を切った。明治維新から既に150年が過ぎたのに、まだ明治政府の亡霊がさ迷っているのは、何とも嘆かわしいかぎりである。
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タグ: 白浜 和歌山道 新宮

2017/9/9

中高年の山岳遭難が増えている  短歌

新聞によると、警察庁の調べでは今年の7〜8月の山岳遭難件数が611件であったそうだ。5年連続で過去最多を記録した前年同期に比べれば49件下回ったそうだが、600件超えは年連続の高いレベルである。年代別では60代以上が51.3%を占め、過去初めて過半数となった。遭難者のうち、死者・行方不明者は20人増の68人となり、過去3番目に多かったそうだ。

私の所属する登山クラブでは「安全第一」を基本理念としており、「山で死んではいけない」という「山と渓谷社」の本を共通の教科書としている。文字どおり安全な登山を最優先して、決して無理はしない、一番体力のない遅い人に合わせた計画作成と当日の実行を心がけている。

先般の東北遠征登山においても、日本百名山4座のうち最後の鳥海山だけは、登山日を前後2日間くらいずらしても悪天候が回復しないことがわかったため、登るのを断念し1日繰り上げて帰ってきた。特に4人のうち私だけは、岩手山においても自分のペースで登っていては元々11時間半の計画がもっと長くなるなど、3人に迷惑をかけるのではないかと判断して、一人だけ5合目で引き返してきた。

山を愛するかぎり、と言うとカッコよすぎかもしれないが、高齢になってもできるだけ長く山歩きを楽しみたいのならば、「せっかく時間とお金をかけてここまで来たのだから」などという、その時の気持ちだけで判断・行動してはいけない。無理をすれば、遭難をして周囲に心配や迷惑をかけたり、ひどい場合には大切な命を失いかねない。一旦は遠回りするくらいの余裕というか覚悟が必要なのだとつくづく思う。
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2017/9/2

あれから1年経ったのだなあ  短歌

9月に入り急に過ごしやすい天候に変わったが、私にはもう一つ別な感慨がある。それは硬膜下血腫を引き起こした怪我をした日が8月31日の深夜だったからである。早いものであれからもう1年が経ったのである。頭の右前部を指で触れてみると、今でもレールの角なのかちょっとしたくぼみが感じ取れる。

思えば痛い思いをしたものである。持ち前の正義感からなのか、不正乗車を見過ごすことができずに注意したことからすべては始まったのであるが、以後はそれに懲りて、直接的に注意することはあまりやっていない。でも不正者がいたらじっと見つめることは時々ある。

それにしても、気のせいかあれ以来、一分駅での不正乗車は随分と減った気がする。それはそうだろう、そうでなくては困る。あれだけ痛い思い、命を落とす直前までの怖い体験をしたのだから減ってもらわなくては立つ瀬がない。見ていないようでもみんなはあの事故のことを見て知っているのだろう。

でもまあ、あの手術と入院を契機として、多くのことを断捨離できたのは副次的効果であった。まずゴルフは全面的にやめたほか、短歌の会、ハーモニカ同好会は脱退したし、仕事のほうも収入面で言えば半分に相当するものを辞めさせていただいた。

おかげで、親友達との山歩きや難病を抱える妻との時間も確保できるようになった。先日、平日に6日間も東北まで登山に出かけることができたのも、妻と時々は日帰りバス旅行や1泊程度の旅行に行けるようになったのも断捨離のお蔭である。

人間万事塞翁が馬とか・・・。何かよくないことが起きても、それが何かいいことにつながるものかもしれない。
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