2017/1/25

雪の和歌山城  短歌

一昨日は高校卒業50周年記念の同窓会の打合せがあり、翌日の昨日は大学のOB会の会議がいくつか予定されていたので、久しぶりに和歌山市内のホテルに泊まった。その日は久しぶりに再会した同級生と遅くまで飲み明かした。

翌朝目覚めて窓から外を眺めると、和歌山城が積雪で真っ白になっていた。しばらく見ていると、朝からまた降り出した。これではまるで雪国ではないか。

その雪景色を見ながら思い出したのは、学生時代の体育の授業でスキーを選択したことである。四回生になってふと思い出したのだが、本来なら二回生までに終えていなければならない必須授業の体育を受けていなかったのである。

卒業までに、柔道かラグビーかスキーを受講しなければならない。少しだけ迷ったが、答えは簡単であった。柔道は何となく臭いし、ラグビーは何となく危ないので、残るはスキーしかないではないか。

というわけでスキーを選択した私はその後スキーに夢中になり、会社生活に入ってまもなくの時期に大阪府スキー連盟が主催するスキー学校に入り、赤倉温泉スキー場で見みごとSAJ2級の免状をいただくまでになった。

そんな昔も思い出させる、故郷和歌山の雪景色であった。

「久方の和歌山城の雪景色 次に見れるはいつのことやら」

 雪の和歌山城(遠景)
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 雪の和歌山城(近景)
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タグ: 和歌山城 積雪 雪国

2017/1/4

江戸城無血開城  短歌

元日のBS特別番組「江戸城無血開城」は、英国の国立図書館に収蔵されていたアーネストサトウの詳細な日記に基づく「妄想」と断りを入れていたが、傾聴に値するものであった。その日記によれば、勝海舟など当時の幕府側の高官や薩長の中心人物との交流はすごいものがある。

極めて優秀な成績で外交官になった彼は、毛筆の腕もなかなかのもので、日本の風俗や習慣にも精通していたようである。そして、日本の政情にも精通した彼は、当時の英字週刊紙「ジャパンタイムズ」に、真の権力者は将軍ではなく天皇であることを匿名で投稿していたそうである。

そしてその「英国策論」という論文は日本語に訳されて、江戸や京都でも販売されていたそうだから、かなりの日本人にも読まれていたそうである。番組ではそれを読んだ志士たちがさらに討幕の意思を固めていったのではないか、という推論をしていた。そういう彼は、青い眼の志士と呼ばれたそうである。

しかしながら、当初はまるで革命を煽ったような彼の論調は次第に平和俚に改革を進めるようになっていったそうである。そして江戸城総攻撃まであと2日となったとき、降伏状態にある慶喜を攻めるのは国際公法に反するという理由で英国公使が薩摩への助力を翻すことをほのめかしたことが、膠着状態にあった事態を変えさせたという話である。その背景には、きちんと統制が取れた状態での日本との交易を望む英国の思惑があったのかもしれない。

アーネストサトウは、明治28年に駐日公使として再び日本を訪れることになったのである。彼の植えた桜は今も千鳥ヶ淵の桜として親しまれている。

「明治維新という過ち」という本においても、背景に英国の存在の大きかったことが示されていた。私もそうだと思う。しかしながら、日本の教育によればそういうことにはほとんど触れないで薩長人による活躍ばかりが美化され過ぎて伝えられている。明治維新から150年もたった今、この番組のようにもう少し多面的な真実が語られてもいいのではないかと感じた。

「初春の光のどけき朝ぼらけまだ生かされているありがたさ」

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