2016/6/30

「英国のEU離脱」の投票結果の意味すること  短歌

英国がEUを離脱するかどうかを決める先日の国民投票の結果は、EU各国はもとより世界中の国々に大きな驚きと落胆と様々な影響を与えている。何と、この結果には当の英国民自身が驚き、離脱に投票した人々の中には再投票を希望する意見すら結構あると聞く。無責任な話であり、あきれ返ってことばもない。

今朝の日経新聞にもこの関連の記事がいくつか掲載されているが、その中で私は二つの記事が気になった。一つめは英国人政治コラムニストによるもので、「離脱派に統治を、委ねよ」というものである。そもそも離脱を馬鹿げたものと考えているキャメロン首相には離脱のための作業を進める資格はない。それは、離脱派が責任を持って行うべきものである、という主張である。

しかもそれは、離脱が何を意味するのかについて食い違いのない説明ができる人たちでなければならない、とする。民主主義のルールから言えば、残留派が48%いたからといって主要省庁の48%を支配する権利を得るわけではない、すべての権利と同時に説明責任を含むすべての責任は離脱派が負わなければならない、とする。

二つ目は、今回の結果があのグレートブリテンがリトルイングランドに成り下がることを覚悟しなければならない、というものである。自分たちの下した決定を引き金として、数少なくなった強みであるロンドンの金融センターの世界での位置づけも下がらざるを得ないし、英国からの独立を目指すスコットランドなどの動きもまたぞろ活発化するということである。EUからの離脱を決めた人たちにその動きを否定する権限はないだろう。

それにしても、偏狭なポピュリズム、行き過ぎた民族主義が横行する気配が世界のあちこちに見られるのは少し気がかりではある。

「梅雨空を見上げ雨傘取り出せる我の行く手はされど明るし」

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2016/6/13

今年の税務申告からわかったこと  短歌

3月末で創業から6年半が経過し、今年も法人税の申告の時期が来た。ところが、本来なら5月末までにそれを完了していないといけないところ、今年は例年になくバタバタとしていて決算業務が大幅に遅れたため、税務申告は本日になってしまった。

恐る恐る税務署に行き、窓口で書類を提出すると担当官はあっさりと受け取ってくれた。おずおずと延滞料について尋ねてみたら、あなたの会社は納税の義務はないから延滞料もありません、との説明であった。実は当社の決算は2年連続の黒字ではあったが、その額は極めて小さく、かつ当初の4年間では巨額の赤字であったため繰越し処理により納税が免除されているのである。

そのあとは、県税事務所と市役所へ行き、県税と市税の基礎税を申告し納税した。一連の業務を通じてわかったことが二つある。その一つは、今回のように期限を過ぎての申告が5年間で2回あると重加算税の対象になるということである。二つ目は、繰越し処理の書類は新しいものから順に書くことである。

これらは、創業からの四年間は赤字であったため知らなかったし、知る必要もなかったのである。何ごとにも経験しないとわからないことがあることを再認識した。さて、いつか当社が累積赤字を解消した年度の税務申告ではどんなことが学べるのか、今から楽しみである。

さあ、懸案の税務申告を終えたので、頭と行動を切り替えよう。今日は午後からある得意先企業の中期事業計画検討の合宿だし、翌日は大学の基金室の仕事が私を待っている。

「合宿の疲れも何の和歌山へサザンから観る海おだやかに」

「はつ夏の泉州の海おだやかに淡路の島のとほく霞みて」

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2016/6/7

話せば通じるものだなあ  短歌

以前にここでJRのというか、新幹線の検札のあり方の変化について述べた。従来はチケットそのものの検札が主であったものが、最近は各種の割引チケットの根拠となる会員証などの提示を求めるのが主体になっているのである。今回の東京出張でもそれを体験した。しかも帰路では検札そのものがなかった。

前回のことがあるから予め会員証を準備しておいたので、慌てることはなかったのだが、その際に私は思い切って乗務員さんに話しかけてみた。「感想を2つ述べてもいいですか?」と。一つめは、関西の私鉄ではかなり前からやっている検札のやり方をJRもようやくやるようになって嬉しい、ということである。ITが進んだのでチケットそのものを検札することの意味は今や極めて少ないのである。

二つ目は、検札に来た乗務員が女性であったので、「こういう、感情が絡むデリケートな仕事にあなたのような女性が就いているのは適切な配置であり、効果的です。頑張ってくださいね。」というものであった。これに対する彼女の反応は、「そんなことを言われたのは初めてです。嬉しいです」であった。確かに、顧客と直接接する業務には体格のガッチリした男性や老年の男性よりは女性のほうがはるかに良く適しているように思う。

そうなのか、そうなのだ、そんな印象を持ったのは決して私一人ではないはずなのだが、そういう感想を率直に伝えた人はどうやら少ないようだ。「話せば通じるものだなあ、でもそれも話さなければ通じないなあ」とは改めて感じた感想であった。

「白雲のもくもく湧きて見下ろせり短き春は過ぎ既に夏」


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