2016/5/26

三菱自動車はなくなって当然  短歌

三菱自動車がまた揺れている。それもそのはず、この会社は14年前にもトラックのタイヤハブの破損により大型トレーラーからタイヤが外れて転がり主婦にぶつかって死亡させたりする事故を57件も発生させながらリコール隠しをして大問題となり、抜本的な対策を行ってきたと言われていたはずなのに、世間の期待を裏切ってまたもや軽自動車における燃費性能検査で不正を働いたのである。

前回の不正は、池井戸順によって書かれた「空飛ぶタイヤ」という小説のベースとなったくらいである。ああそれなのに、あの会社はまたしてもデータ偽装という不正を働いたのである。もうこれは、たまたまのこととは当然思えず、そういう風土、企業体質の会社としか思えない。

その会社が今回はどのような言い訳をするのか、またどのような対策を講じるのか、と関心を持って見ていたら、あらあら何とOEMの提供先である日産との電撃的な業務提携が報道されたではないか。両社の説明によれば、それは急に降って湧いた話ではなく、水面下ではかねてから進められていた話だとのことである。

しかしながら、その業務提携の記者会見の席上に現れた三菱自工の会長のこぼれるような笑顔に大きな違和感を感じた。肝心のデータ捏造問題や企業風土の抜本的改革には全く手つかずで、何らの兆しすら伝わって来ない中であの笑顔はないだろう。

そう感じたのは私一人かと思っていたら、「ダイヤモンド」誌が特集を組んだ中で、あの笑顔を批判していたのを読んで大いに溜飲を下げた。学生時代の記憶力を中心とした学力が優秀なため有力大学を出て大企業に入ったものの、顧客を見ず官庁のほうばかり向く仕事を長くやっていると、世間の常識とは大きくかけ離れた感覚の持ち主になることが多いようだ。同社の風土的課題もそれと無縁とは言えまい。

「五百年の歴史を誇る酒蔵に湯気立ち昇る朝ぼらけかな」

「薄霧のなか立ち昇る湯気白く造り酒屋の朝始まりて」
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2016/5/17

母校のお役に立てる喜び  短歌

この4月から、出身大学の研究や教育やその他の活動を財政的に支援する基金室の仕事を、特任助教という名の職員として担当することになり、今は原則として毎週一回は大学に出向いている。基金室とは、企業や個人からの寄付を集めることが主な仕事である。今のところその目標は2億円である。

初めての仕事だから、何をどのようにやればいいのか皆目わからなかったが、ふと考えると、出身企業の後輩がある公立大学の理事をしていることを思い出した。前から一度来てくれと言われていたので、大学のホームページで調べると、何と彼の担当業務の中には基金室も含まれていることがわかった。おまけに、その部下には、キャリアカウンセラーの資格を取った際の同期生もいるではないか。

いざ訪問してみると、彼らは実に丁寧かつ率直に実情やノウハウを話してくれた。ありがたいことである。訪問記録とそれを基にした活動方針や計画書を学長や担当理事、総務課長などに提出したら、たいへん喜ばれた。一番喜ばれたのは、担当業務の推進にあたっての方針を立てたこと、今年度の目標を立てたことと、寄付をしてくれた企業や個人への報告のやり方を提案した点である。

その方針は、寄付を集めるたけでなく、その効果的な使い方についても触れ、また寄付をしてくれた企業や個人へは顔の見える報告をすることを提案した。つまりは、業務のPDCAサイクルを回すということであり、また業務の「見える化」でもある。もちろんこれまでも多少はやられていたのだが、もっと徹底してやることである。これらは企業の経験者なら至極当たり前のことだが、大学の教職員にとっては斬新なものであったのかもしれない。

いずれにしても、この歳になって母校のお役に立てることは大きな喜びである。

「故郷の母校に尽くす仕事来て血をたぎらせる古稀前の我れ」

「古稀近く衰へ感ずるこの身でも役立つを知り眼の輝けり」

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2016/5/9

ある戦士のお別れ会  短歌

先日はある戦士のお別れ会に参列させていただいた。4月21日の誕生日を目前に2月10日に51才で急逝された女性のお別れ会であった。その彼女とは、数年前に我々の登山クラブに入会していた人であり、5匹の猫と同居していた独身女性のことである。

彼女は、1泊での遠征の登山に向かう私のマイカーでカーナビにも載っていない店をスマホで見つけ出して道案内してくれたり、おいしそうな食事の際は必ずと言っていいくらい写真を撮ってすぐにフェイスブックに掲載するなど、近代的な機器を駆使する女性であった。

元は航空会社の地上勤務員、そのあとすぐからは外資系の生命保険会社に長く勤めていた彼女の仕事ぶりは保険の商品を売るというよりは保険を必要としている人達の相談に乗る、アドバイスをする、というほうかしっくりくるような様子だったらしい。その証拠に、彼女は関西の自衛隊の隊員を主な顧客としながらも、その関係を越えたお付き合いをしていたらしい。

つまりは、単に自分の商品を売るためというよりは常に相手の立場に立ち相手の真の幸福と利益のための助言を親身になってやっていたようだ。信念が強いから顧客であっても、それが男性であっても、年上であっても、彼女の姿勢は何ら変わらないものであった。その働きざま、生きざまはまさに「戦士」と呼ぶにふさわしいものであった。

お別れ会は、スマホを駆使していた彼女のための会らしく、その一生を紹介するのに映像がふんだんに使われていた。そこに彼女の好んでいたらしいBGMが添えられて、彼女を偲ぶには十分な趣向が凝らされていた。それを一手に引き受けていたのは、彼女よりも一足先に登山クラブに入会していた妹さんである。

案内状には「香典ご無用、お気持ちのある方は姉が注力していた猫の愛護団体にご寄付を」と記載されていたので、そのとおりにさせていただいた。早世されたことは残念であり寂しくはなったが、往年の彼女を偲ぶための場としてはこれ以上ないものであり、何か爽やかさを感じさせてもらった会であった。

「往年の人を偲ぶる会合にありし日想ひ瞼濡らせり」

「亡き人を偲ぶに画像の力ありその時々の思ひ出巡る」
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