2016/3/27

人事担当者向けセミナーに参加して  短歌

うららかな陽射しの今日は「採用&教育担当者向けセミナー」を受講してきた。今回は講師ではなく受講者である。というのは、今回の企画と講師を担当するのは5年前にキャリアカウンセラーの資格を取る際に共に学んだクラスメイトの女性であったからである。

最近フェイスブックで互いの消息がわかって会話していたら、彼女からセミナーの案内が飛び込んできたので、応援の意味もあって参加したというわけである。副題に「今どきの若者の傾向&優秀な人材に育てるために」というのが面白そうだなあと感じたのも参加の理由であった。

顧問先の企業さんにも声をかけたらそのうちの1社から最近人事総務担当に替わったばかりの女性社員も参加することになった。受講者は彼女を含めて6名で、うち4名までは女性である。あとの2名は60才過ぎの男性と私である。それを1女の母親でもある講師が指導をするわけである。

講義では、1987年から1995年に生まれ2002年から2010年まで続けられた「ゆとり教育」を受けて育った「ゆとり世代」の特徴と、彼らに対する接し方の説明へと移っていく。年代としてはおおむね20才代がその対象である。主に中小企業に所属するらしい受講者たちは、熱心にメモを取っている。

講義のあとは、受講者たちによる各社の課題の紹介や情報交換、相互アドバイスの時間となる。彼らの所属する企業ではそういう若手の育成に苦労しているらしい。女性を中心に、活発に様々な手法やテクニックの話が紹介されていたが、順番が回ってきた私は、そういう手段も大切だがもっと大切なのはトップのコミットメントを得られるようにしなければいくら担当者が頑張ってもうまくはいかないことをアドバイスした。

つまり、トップの経営理念を明確に示してもらい、それをもとに人材育成方針を作成し、それを人材育成計画や自社の採用基準に落とし込んでいかないと、トップの気まぐれを防ぐことはできないことをアドバイスしたら、各社とも思い当たることがあるらしく、皆、さかんにうなづいてメモを取っていた。セミナーの終了後の名刺交換の際にはさらに続きのアドバイスを求めてきた受講者が複数いた。

受講料を払って講師の助けとなる役割を果たした、という経験はなかなか清清しいものがあった。

「若者の特徴示すセミナーにいざ出かけなん気を引き締めて」

「今どきの若者気質を踏まえつつその育成に力尽くさん」
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2016/3/21

早世した友を送る  短歌

昨日は山歩きの同好会である「名山会」のメンバー達と六甲山に登ってきた。毎月の例会の一環ではあるが、昨日だけは通常の例会とは違う意味合いがあった。それは、先月51才という年令で急逝したある女性メンバーの追悼の登山であったからである。

前日の雨とは打って代わっての好天のなか阪急の芦屋川駅に集合したメンバーは11人である。歩き出す前に彼女のご冥福を祈って全員で黙祷をする。歩き始めるとあたりはもう春の気配で、今にも桜が咲きそうな陽気である。しばらく行くと軽く汗ばんでくるので、早速上着を脱ぐ。

コースは、風吹岩、ロックガーデン、雨ヶ峠を経て六甲山最高峰に至る標高差900メートルのタフなコースである。山頂では昼食を摂ったが、今回は追悼登山のため担当リーダーの厳命によりビールを飲むメンバーは一人もいない。口々に彼女の思い出話をしながら黙々と弁当をほおばる。

食後は彼女の住んでいた町の方向を向いて整列し、私のハーモニカ伴奏に合わせて全員で「穂高よさらば」と「いつかある日」を斉唱した。そうしたら、歌の途中で雲間から彼女の笑顔が見えたような気がしたのは私だけだろうか。思わず泣きそうになった。

自分より若い人を送るのは辛いものがある。ましてや、共に北アルプスを歩いた人を送るのは何とも言えず辛い。独身の彼女が残した5匹の猫達の食事代の足しにと、彼女が始めた猫愛護団体に寄付をしたことがせめてもの手向けであろうか。改めてご冥福をお祈りしたい。

「山友の早きに逝ける寂しさを山歌に変へ友に届けと」

「早春の好天のもと輩と六甲山に友送るなり」
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2016/3/12

「復旧」と「復興」の違い  短歌

昨日は東日本大震災から丸5年の節目の日であった。明日は大阪府国際会議場での震災のシンポジウムに出席予定である。そんな折、新聞に連載中の「私の履歴書」の大山健太郎さんのことばを思い出した。それは「復旧」と「復興」を取り違えるな、ということである。大切なことだと思う。

つまり、「復旧」とは元に戻すということであり、単に元に戻すのではなく元の状態以上によくする「復興」とは違うものである。「復興」とは震災やその他のトラブルによって壊れたりなくなったものを、この機会に従来以上に素晴らしいものにつくり換えたり再構築することである。

ところが震災からの復興を目指す地元の人々の願いや都合を無視して政府が支援すると言っているのはあくまでも「復旧」のための支援であり、「復興」のための施策にはお金を出せないというのが政府の基本姿勢だという。ここでもまたぞろ、市民や国民のためより自分達の都合を優先する官僚意識が本領を発揮しているではないか。真の「復興」を支えているのは、ここでもやはり個人や民間組織のようだ。

官僚と民間のこの発想の違いはどこからくるものだろうか?それは、何が起ころうと法律や予算など決まった枠組みの中でしか考えない、または考えてはいけないと教えられている官僚と、環境や状況が変われば少しでも早く対応して課題の解決にあたること、少しでもよりよい解決策を考えるように教えられている民間の違いであろうか?

私はそこに、自分主体で考えるか顧客主体で考えるかや、プロダクトアウトかマーケットインかの違い、ものごとを法律や手段から発想する官僚と本質や目的から発想する民間との違いを感じるのだが、いかがだろうか?どちらのほうが長期的に見て国や国民のために役立っているのだろうか?その違いは実に大きい。税金を払っている私達はそういうことに対してもっと口出しすべきなのではないだろうか?

「税金を払ふは民の義務なれど丸投げなれば無責任では?」

「人々の幸せ目指す人ならば先ず人々の願いをつかめ」
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2016/3/9

また一流の人を見つけた喜び  短歌

昨日は、20年近く続いている人事関連の研究会が一般社団法人になって初めてのイベントに、そのイベントの運営側の一員として参画してきた。私はその研究会の創立時からのメンバーなのである。その中で私はなかなか得がたいものを得た。それは、一流の人を見つけたということである。

神戸大学で開催された今回のイベントのテーマは「健康経営」であり、約150名の参加者は企業経営者、人事担当者、医師や保健師などの医療職、学者などであったが、そこに登場して基調講演とパネルディスカッションに登場したある産業医は、実に明快な話を聞かせてくれた。

一例としては、「いくら病気で悩んでいる人であっても、仕事をしたくないという人は私達のサポート対象ではない。給料をもらって仕事をしているからはプロフェッショナルであるべきなのにそれを放棄する人はプロではない。」「産業医の役割というのは、ただ単にやさしければいいというものではない。そこには経営感覚と一定の厳しさがなくてはならない。」と言うのである。

よくよく聞いてみると、その産業医は自力で経営やマネジメントや労働法などの勉強を積んだばかりでなく、労災や健康障害を抱えた人がいると必ずその現場に駆けつけるそうである。さらには、近年のメンタル不調者の増加は管理職の怠慢が主な原因だと喝破するが、その理由は管理職が部下を育てていないからだと言うのである。

「Eラーニングなどデジタルでは人を育てることはできない、アナログというか昔流というか、やはり現場で現物を前にして直接部下の行動や反応を確認しながらでないと人を育てることはできないのに、ほとんどの管理職はそれをサボっている」、というのである。

日ごろから漠然と感じていた内容ではあったが、それを学者や経営者や人事の専門家からではなく医師から聞いたことに爽やかで嬉しいショックを覚えた。真の一流、真の専門家というものは、ただ単に自分の専門分野で一流であるだけでなく、専門の壁を越えて勉強を続けそれを体得した人のことを言うのだなあ、と再認識した。

「人々に幸せ運ぶ一流の専門家とは壁を持たざり」

「人々を幸せにする秘訣とは人知り人を愛する努力」
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2016/3/6

五木寛之の素晴らしさを再認識した  短歌

短歌の会のメンバーから紹介されて、五木寛之の「大河の一滴」という本を読んだ。五木寛之というとすぐに思い出される作品には「青春の門」「親鸞」などがあるから小説家だとばかり思っていたら、随筆家でもあることを思い出した。そういえば、昨年だったか「下山の思想」という随筆も読んだことがある。

「大河の一滴」にしても「下山の思想」にしても、彼の作品には人間の生き方だとか人生観についてのものが多い。もちろん随筆とは本来そういうものではあろうが、彼の書いたものには一つのビシッとした考え方が貫徹しているように思われる。それは、他人とは一線を画した自分なりの考え方や行動があるということである。

例えばそれは、世の中やものごとには常に二つの側面があって、光があれば影があり、日があれば夜があある、プラスがあればマイナスがあり、生があれば死がある、我々はその両方を生きているとする考え方である。そう考えれば、自分の身の上に何が起こったとしてもそれを受け入れられるというのである。

彼のそういう考え方は「下山の思想」にも遺憾なく発揮されており、今の日本と日本人は、戦後から60〜70年間のようにやればやった分だけ右肩上がりで伸びたり増えたりする、という幻想から離れて、あたかも山歩きのように登りもあれば降りもあると考えようではないか、と投げかけてくる。確かに、今後は従来とは違う「ものさし」を当てないと現状を正しく捉えられないかもしれない。

これらの考え方は、長野県を日本一の長寿県にした鎌田実医師にも共通するものを感じさせる。彼の考え方も、世の中に正解は一つだけではなく無数にある、今後は一つの正解を探す生き方ではなく自分なりの正解を探す生き方がますます重要になる、というものである。これらに共通するのは、お手本や先例がない時代にあっては「自分自身で考える」「自分自身で切り拓く」ということではないだろうか。まさに時代を先取りする考え方であると感じた。

「これまでの延長上に未来なし切り拓きてぞ先の明るき」

「春やよひ三寒四温の今朝の雨 伊達の薄着の首をすくめて」

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