2015/10/31

革命的な喫煙方法  短歌

昨日、ある友人から革命的な喫煙方法の話を聞いて驚いた。それは「IQOS(アイコス)」という商品名の喫煙器具である。

実物も実演も見せてもらったが、その器具はパイプ状の吸い口とタバコ・カートリッジと吸い口の充電器から構成されている。充電器は小型の携帯電話くらいの大きさである。

どこが革命的かというと、カートリッジを吸い口に差し込むと、自動的に加熱されて煙は出ずに水蒸気が出るだけなのである。カートリッジにはニコチンが含まれているがタールは含まれていないので、他人が水蒸気を吸っても全く煙たくはない。

だから、この方法で喫煙しても周りの人に受動喫煙を強いることはないし、衣服や室内に臭いが移ることもない。喫煙していたころは寄りつかなかった小さな子供達やペットでも、最近は摺り寄ってくるそうである。

さらには、タールが含まれていないので歯も黄色くなることはない。灰が出ないから灰皿も要らない。窓やカーテンなど室内の掃除も必要がない。一本吸ったあとは吸い口の充電が必要なのでチェーンスモーカーにはなりたくてもなれない。

充電器付きの吸い口の代金は9000円程度と少々高価だが、これだけいいことづくめの商品だから決して高くはない。周りの人に大いにPRしたくなった。

「喫煙の器具は時代と共にあり臭ひもタールも出さぬ技術よ」

「喫煙のマナーも技術の助け借り煙も出さず臭ひも出さず」

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2015/10/25

「超高齢社会」の生き方  短歌

国連の定義によると、高齢者たる65歳以上の割合が人口の7%を超えると「高齢化社会」と呼ぶそうである。同様に14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」と呼ぶ。日本の現状は既に25%を越えていて、「超高齢社会」では世界の先頭を走っている。

かくいう私も立派な(?)高齢者の一員だが、その一員として感じることがある。これまでの高齢者は若年層に支えられて、世間に遠慮しながら生きていくのが普通だったのが、最近ではかなり変わってきているが、それは日本の歴史の中で初めてではないかということである。

すなわち、元気な高齢者がどんどん増えてきて、若年層に対して必要以上に遠慮せずに堂々と仕事をし、堂々と趣味や娯楽を楽しむ人が増えた、ということである。

適切なことばは浮かばないが、それは高齢者が若年層など周りに依存しないで自立している、ということではないかと考える。自立という点では、昔からそうなのかもしれないが、大切なのは堂々と、という点である。それが実に自然に行われているのが現代である。

一方の若年層も、周りに依存せず遠慮もしないでもっと自立してほしいし、堂々としてほしいものである。そのためには、高齢者の姿が若年層にとって魅力的な姿、なりたい姿、目指したい姿であることが肝要である。高齢者の、自己満足に終わらない一層の奮起を促したい。

「日本では超高齢のとき来たり仕事に趣味に打ち込める老ひ」

「自立さの要因枚挙にいとまなく中でも自信に勝るものなし」
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2015/10/23

作詞も自由になったものだなあ  短歌

最近の音楽を聞いていてつくづく感じるのは、作詞はずいぶん自由になったなあ、ということである。例えば、AKB48が歌っている今の朝ドラの「あさが来た」の主題歌にしても、「365日」などということばが何とも問題なくサラリと歌われている。

私が知る一昔前なら、作詞にはきちんとしたルールというものがあって、例えば一つの音には一つの文字が振りつけられていなければならない、というような暗黙のルールのようなものがあったと記憶している。

また、メロディーと歌詞の関係についても、そのことばが日常会話で話されるイントネーションと異なるメロディーは使わないことが原則だ、と聞いた記憶もある。そういう原則に沿うならば「365日」などということばは非常に扱いづらいものであったに違いない。ところが現実にはサラリと歌われているのである。

近年は様々なものが過去からの通例や法則を無視したり新たなルールで作られたりしている例を見聞する。しかしながら、これらのことは進歩や進化のためには必ずしも否定や非難をされるべきではなく、むしろ固定観念を外した斬新な試みと捉えるべきなのかもしれない。

何でもかんでも理屈や論理で捉えるだけでなく、新境地を拓くには感性で捉えることも必要なのかもしれない、と感じた次第である。

「いにしへの例やルールにこだはらず感性により境地を拓け」

「快感は理屈や論理によらずして感性により得らるるものを」
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タグ: 作詞 朝ドラ 主題歌

2015/10/10

創業6年目に思う  短歌

朝晩の冷え込みは厳しくなったが、それもそのはずでふと気づくともう10月である。世間では、秋冬の服装への衣替えの時期であり、学生にとっては後期の授業が始まる時期である。

私とわが社にとっては、さらにもう一つの意味がある。10月は創業した月であり、特に今年の10月はひときわ意味の大きな10月である。というのは、この10月でわが社は満5年を経過し、いよいよ6年目に入ったからである。

ある調査によると、起業から1年後に生き残っている企業は40%で、5年後には15%、10年後には6.3%となる。そして30年後に生き残っている企業は0.025%で、10000社のうち2〜3社しか生き残れないことを示している。これが「企業の寿命30年説」の根拠となっている。

この零細企業が15%の中に生き残れたのは、偏に顧客先の皆さまのご高配のおかげであるが、それにしてもよくもまあ5年間も生き残れたものである。これも顧客先のお役に立てることだけを追い続けてきた結果なのかもしれない。ありがたいことである。

折も折、私は公益資本主義推進協議会という団体の中で「100年企業研究委員会」の委員長を仰せつかっている。100年以上の企業数は世界で日本がダントツに多いのだが、その秘密を探求してより多くの長寿企業を残そうという趣旨で長寿企業の研究を担当している。

たまたまわが社のクライアントの中には、今年で90周年を迎え100年目に向かって力強く進んでいる企業があるが、その企業とて簡単には100年を迎えられるか微妙な時期にある。長寿企業の秘密を端的に言えば「不易と流行」である。守るべきは守り通すが、変えるべきは思い切って変えて環境変化に対応することである。「進化論」で有名なかのダーウィンも、「生き残れるのは強いものではなく、変化に対応できたものである」と言っている。

ともあれわが社は、次の節目である10年に向けて新たな一歩を踏み出した。10年目にも生き残れるのは社会から必要とされる存在であるか否かにかかっている。是非とも6.3%の中に残っていたいものである。

「起業してふと気がつけば満五年 生き残れるは価値あるからか」

「起業には大なる力要るものの生き残るには意義と価値こそ」
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2015/10/2

テレビ関係者の無能にあきれ返る  短歌

最近のテレビ番組を観ていてあきれ返ることが多い。原作が漫画やゲームであることが多いのである。ということは、とりもなおさず漫画やゲーム以外には大した作品がないことを示している。

先日終わった朝ドラも、何やらドタバタしたもので面白くなかったので、友人に話したら彼も同感だと言っていた。しかしあの番組も若者たちには一定の人気があったそうだ。

そういえば、電車の中でもスマホでゲームをしている人がたいへん多いし、何か本を読んでいる人がいてホッとしても、それは漫画であることが多い。

テレビの番組に話を戻せば、ドラマ以外ではお笑いやバラエティーが多い。NHKですら同じような傾向である。考えればこれは視聴者を軽視しているかバカにしているとしか思えない。

テレビ関係者、特に作家や制作責任者の大衆迎合と努力不足は無能となじられても仕方がないだろう。テレビでしか伝えられない、テレビだからこそ伝えられることをもっと真面目に突き詰めて考えてくれることを期待したい。

「人々の気持ちも知らで改良の努力怠る無能許せじ」

「世の中は挙げて漫画とゲームなりこの国進む行方気になり」
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タグ: テレビ 漫画 朝ドラ



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