2015/8/30

日本の若者はどうなっているのか?  短歌

先日ここに、電車内での座席譲りのことを通して、日本人の若者のマナーが中国人にも負けているのではないかと書いたが、昨日も大学OB会の六甲山ハイキングに行く途中の阪神電車内で中国人の若者が年配の夫婦に座席を譲っている風景を見た。彼女は老夫婦が電車に乗り込むや否や、ためらいもなくごく自然に自分が席を立ち座席を譲ったのである。

やはりこのことはたまたまの偶然ではなく、平均的な中国人のレベルを表わしているのではないかと感じられた。(もっともある人に言わせると、マナーのいいのは台湾人であって大陸の人は必ずしもそうではないという話だが) そんな折、先日の新聞には「自分はダメな人間だ」と考える日本の高校生が72%と、中国(56%)、アメリカ(45%)、韓国(35%)の4ヵ国の中で一番多いという記事が出ていた。

一方で、「人並みの能力がある」と答えた割合は、中国とアメリカでは約90%、韓国も68%であったのに対して日本の高校生は56%であったそうだ。これは何を表わすのだろうか?少なくとも、自分に対する自信や「自己肯定感」が低いことだけはわかる。ではそれはどういう背景から発生するのだろうか?

調査結果を分析した大学教授によると、「自信や自己肯定感というものは、自然体験や社会体験を通じて、『達成感』を得ることで育まれる。日本の高校生がこうした体験をする機会を増やす必要がある。」ということらしい。確かにそうだろうと感ずる。マナー、道徳の向上と合わせて、日本の教育を見直すべきだと考える。

「この国の若き人らの道徳のレベルをいかに高めるべきや」

「道徳のレベルの低さはいつからか教育により地に落ちたるは」
0

2015/8/21

「人生時計」という考え方  短歌

ある大手企業の50歳社員を対象としたセカンドキャリアを考えさせる研修の講師とカウンセラーをお引き受けして今年で5年目になる。今年も、京都市内や滋賀県の会場で1回につき2日間の研修を、5〜6回実施することになっている。

内容的には、60歳以降の人生を展望して、「では60歳までの会社人生をどう送るのか?」ということに向き合ってもらうものである。その中では、自分の経験や強みや価値観といったものを棚卸して、いわゆる「自己理解」を深める内容になっている。

その中の一つのコラムとして、私は数年前から「人生時計」という考え方を受講者の皆さんに紹介している。人生を80年として、そこに1日の24時間を重ね合わせてみる考え方である。そうすると、大学を出て実社会に出る年代の23歳が朝7時、定年の60歳が午後6時で、受講者の50歳は午後3時くらいとなる。人の一生と1日の時間の感じ方が何と共通しているのか、ということに気づく。それをベースとして80歳までの30年間をどう過ごすのかということを考えてもらうようにしている。

研修では「40歳定年制」説も紹介して、年金制度の変更も考慮すれば日本では70歳まで働くのが当たり前の時代がやってくる可能性についても触れている。ということは大学卒業後50年間も働き続けることになる。

そんな時代に近づいている現在、一方では新興国の追い上げが激しく業界のボーダーレスが進行し技術革新が猛烈なスピードで進む世の中では、40歳とは言わないまでもどこか早い段階で「学び直し」が必要だと気づいてもらうことが研修の目的の一つである。

先輩社長からは「人生は学歴でなく学習歴のほうが重要だ」と教わったことがあるがまさにそのとおりで、「人生、死ぬまで学ぶこと」の重要性を様々なコラムや表現を通じて伝えていこうとしている。もっと有効でわかりやすい方法がないものか、毎年の課題である。

「シニアらのセカンドキャリアを語るとき学び直しの大切さこそ」

「人間はいくつになりても学ぶべし学びやめれば人生終わり」
1

2015/8/15

何かが間違っている  短歌

テレビニュースで、奈良市が災害時に備えて高齢者が逃げ遅れて被害を受けないよう、予め心身の状態を登録するシステムを構築したことを報告していた。いいことである。しかしながら、このようないいことは各市町村が個別に取り組むべきことではなく全国的に一元的に取り組むべきことではないだろうか。

こういうことは、統一的に取り組んでこそコストも抑えられ、さらにいいシステムが作成でき、効率的かつ効果的に実現できるものである。そしてそれ以外の項目については各市町村ごとの特長をだせばいいだろう。ところが現実には、このようなシステム的な項目が各市町村の自主性に任されているのが実態である。その一方では各市町村は独自の特長を出せずにいる。

何かが間違っていないだろうか。中央で一元的に取り組むべきことと各市町村で特長を出すために独自に取り組むべきこととの区別や順位づけが間違っていないだろうか。日本では、いつからこのようなちぐはぐなことが当たり前になってしまったのだろうか。

ある意味では、こういう現実を見直し明治以来の行政の枠組みを見直そうとしたのが「大阪都構想」の本質であったと思うのだが、マスコミや政党はそんなことを伝えてはいない。

やはり何かが間違っている。それを真剣に見直したり一般市民に伝えるのは一体誰なのだろうか?

「明治より百年はるかに過ぎ去りて仕組みは未だ何も変はらず」

「百年も過ぎて仕組みを変へざるは誰をば支へるシステムかとぞ」

0

2015/8/6

日本人はマナーで中国人に負けていないか!  短歌

昨日、地下鉄で帰宅途中で奇妙な光景と嬉しい光景に出くわした。それは座席についてのことである。

軽く飲んでいた私は、一昨日まで3泊4日での南アルプス登山での疲れもあって、乗車後すぐに空席を目指したのだが、一足違いで若い女性に席を奪われた。ちょっとガッカリはしたものの私も山男の端くれ、「まあいいか」と諦めて立っていたところ、前の席に座っていた若い男女がサッと席を立ち私に座るように促すではないか。

とっさに辞退したのだが、彼らはさらに熱心に席を勧めてくれた。その声はどうやら中国語である。お礼を述べて着席したあと周りを眺めてみると、タッチの差で座った若い女性は、読書でもするならともかく、横柄な態度で座席を広い目に占有しスマホに熱中している。かと思えば、いきなり寝込み始めた。

席を譲ってくれた中国人カップルは少し先の駅で降りたのだが、私のほうから目線でお礼のしぐさを送ると先方も笑顔で軽く会釈をして応えてくれた。ことばは通じなくても態度や目の動きで気持ちは伝わる、ということを改めて実感した。

それにしても、日本の若者のマナーは相当に低いところまで落ちているのではないだろうか。国連のある機関の数年前の調査によると、先進国の高校生の中で自宅や学校で「自分の利益を犠牲にしてでも他人に迷惑をかけてはいけない」と教わっていない国は日本だけである、という結果が伝えられていた。戦後教育の全面的な見直しが必要だと再認識する今日このごろである。

「国民のマナーの高さは平生の行動にこそ表はれるなり」

「自分への利益をあとに回しても他人へ迷惑かけぬがマナー」
0

2015/8/4

ああ、勘違い!  短歌

先日、登山会の友人達と久しぶりの南アルプス登山に出かけ、3拍4日で甲斐駒ヶ岳に登ってきた。さすがは南アルプスの主峰の一つだけあって、2967mまでの片道1200mの標高差の往復だけでなくタフなコースであった。

それはともかく、名古屋からの帰路の新幹線のニュース掲示板でのある企業の広告を見て、折角の満足感が大きく削がれてしまった。というのは、その企業の広告の主張は、自社のシェアが日本一であり抱えるサービスマンの数も2900人いて日本一だということである。

これを見て私は、以前に見たある石油企業の広告を思い出した。その広告も、同様にサービスマンの数を誇り、あたかもそれがサービスの質が高いように謳っていたのである。これら二社に共通する勘違いはどこにあるのだろうか?

言うまでもなく、彼らは規模や量が大きいことがとりもなおさず質の面でも優れている、と思い込んでいる点である。

もちろん、全国規模のユーザーの場合は規模や量が大きいほうが好都合には違いないだろう。しかし彼らが開拓したいのは、もっと小さいが圧倒的に数の多い中小企業や個人ユーザーなのではないだろうか?だからこそ、不特定多数相手の新聞や新幹線の広告を使っているはずである。

個々のユーザーにとってみれば、全国でどれだけ多くのサービスマンがいるかよりももっと大切な関心は、自社の担当をしてくれるサービスマンのレベルが高いかどうかだけである。

自社の成長や活躍を誇りに思い自慢したくなる気持ちはわからないではないが、その慢心が自滅を招いた事例はパナソニックだけでなく多くの企業に見られるとおりである。

先述の二社には、一日も早くこのことに気づかれ、顧客をしっかりと見据えた広告と企業活動を取り戻されることを期待したい。

「いたずらに規模の大きさ誇りたる企業の命運はかなきを知る」

「誇らかにサービス目指す会社らよ顧客を抜きに語るべからず」
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ