2015/6/29

4つのガクリョク  短歌

昨日取りあげた理研理事長の松本氏は今朝の「私の履歴書」で、人間の力は4つのガクリョクからなる、という持論を紹介されていた。4つとは、「学力」、「額力」、「楽力」、そして「顎力」のことを指すらしい。

この中で「額力」とは前頭葉の力のことであり人の気持ちを感じ取り思いやる力、「楽力」とは何事も楽しめる能力、そして「顎力」とは文字どおり顎(あご)の力のことで議論や対話のコミュニケーション能力のことだとしている。

これを読んで感じたのは、その内容もさりながら、ネーミングがうまいという点である。氏は、この他にも新設した組織のネーミングにもこだわったそうだ。どんなに内容が優れていても、ネーミングが今一つの場合はいつの間にか忘れてしまいやすい。ましてや現代のように情報過多の時代にあっては埋もれやすい。

そこへいくとネーミングがうまいということは、先ず人に振り向いてもらえる利点があるし、一旦覚えてもらったら中々忘れ去られないという利点もある。世の中で大きな仕事をする人にはネーミングがうまいという共通点うがある。

そういえば、我が尊敬する先輩社長も実にネーミングがうまい。道理で事業のほうもますます順調らしい。学ばねばならない、いやマネばねばならないことがまたひとつ見つかったようだ。

「世の中を変へて引っ張る人達の共通点はネーミングなり」

「人々の心動かし気に入られ覚えらるにはふた工夫要り」
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2015/6/28

「自鍛自恃」ということば  短歌

日経新聞の「私の履歴書」欄は今は理化学研究所の理事長の松本紘氏が書かれている。氏は京都大学の元総長であり、論文騒ぎで辞任した野依良治氏のあとを受けて今年から理化学研究所の理事長に就いた人物である。

先日はそこで「自鍛自恃」ということばが紹介されていた。

自鍛というのは、自らの心と身体を鍛えることである。松本氏はダヴィンチの「老年の欠乏を補うに足るものを青年時代に身につけておくこと」ということばを引用しながら、若い内に勉強しておくことを説いた。

自恃というのは、自らに恃(たの)むべしという意味で、佐藤一斎の「他人に頼る前に自らの内にある自身に恃むのが筋道である」ということばを念頭に、恃みとなる自己を磨くことを要請したものである。

また氏は、理研の理事長に就任後1ヵ月間で全国16ヵ所のセンターのほとんどを回って研究者らの意見を聞いたり、所内の公用語を実質的に英語にしたりするという、上記のような考え方だけでなく行動力も併せ持っている。

リーダー、とりわけ変革期のリーダーには松本氏のような確固とした考え方や理論と共に自ら率先して行動する力も求められているのだろう。

「自らを鍛へ恃(たの)めば行く末は自ずと開け世のためとなる」

「自らを鍛へ恃むは我がことの上に世のため人のためなる」

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2015/6/23

重ねことばの妙  短歌

日本語には独特の重ねことばがある。地下鉄の東梅田駅のホームに立ってふと向かい側を見ると、そんな重ねことばが20個くらい記載された看板があった。

重ねことばには「さらさら」「ぽかぽか」「晴れ晴れ」「冷え冷え」「青々」などのように天候や自然現象を表すことばや、「ハラハラ」「ドキドキ」「そわそわ」「わくわく」「いそいそ」などの心理を表すことばもある。

そのほか、「せかせか」「そろそろ」「のろのろ」「ほのぼの」や「ほどほど」「生き生き」「とろとろ」「しみじみ」など、様々な状態を表すものもある。

いずれも、微妙な心理や程度の違いを表すいかにも日本人らしい表現ではないか。文学だけでなく絵画や建築、料理も含めて日本に独特の文化が開花し発展したのは、こういう感じ方や表現方法があることと無縁ではないと思える。将来共に長く大切にしたいものである。

「欧米の国から見れば東なる最果ての国 文化育む」

「最果ての東の国で花開く微妙な違ひ表はす文化」
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2015/6/18

宙に向かって話すのはやめましょう  短歌

最近、街を歩いていて気になるのは、目の前に誰もいないのに宙に向かって話している人が増えたことである。それはどちらかと言えば圧倒的に若者に多い。それは、スマホや携帯電話の通話をイヤホンを通じて行っているためである。この現象は以前からも見かけたのだが、主役がいわゆるガラケーからスマホに代わってから一気に増えた気がする。

中には、電車の中でもイヤホンのままで通話をしている人までいるが、これは完全にアウトである。携帯電話を手に持ってはいないが通話をしていること自体がマナー違反である。イヤホン通話は両手を空けられる分だけ便利だし安全には違いないがマナーの点では考えさせられることが多い。

携帯電話やスマホを歩きながら操作するのに比べれば危険度は低いので法的には何ら問題はないのだが、前後を歩く人からすれば何とも不思議な光景であり、薄気味悪いことさえある。だって、本人はともかく周りの人から見たら話し相手はいないのに宙に向かって話しているのである。これが不思議でなくて何が不思議と言えようか。

これも自己チューの一つの形態ではないだろうか。周りの人がどう感じようがそれにはお構いなく自分自身の都合でしゃべっているのである。これは自己チューでしょう。本人にとっては、法律には違反していないし、誰にも迷惑はかけていないと考えているのだろうが、大自然の中ならともかく大勢の人が行き交う都会の中では迷惑この上ない。

高度な文明が発達した現代だからこそ、自分の都合や欲望だけでなく周囲にもきちんと気を配れる人が増えてほしいと考えるのは私だけだろうか?

「世の中が益々便利になる中で思ひやりのみ減る寂しさよ」

「便利さと引き換へかとは思はぬが目に余れるはマナーの衰退」
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2015/6/1

税制について思うこと  短歌

毎年のことだが、5月は年次決算と法人税の申告で忙殺される。今年も期限ギリギリに税務署と県税事務所、市役所に申告書を提出し、納税も済ませた。

もっとも、当社の場合は創業時からの累積赤字のため、法人税は未だ払えておらず、県と市への均等税の納税だけである。

そんな折も折、日経新聞ではきょうから「税金考」というシリーズが始まった。今朝の記事では「配偶者控除」と「法人税法」についての事例が挙げられていた。

しかし記事の主張点は全体を通して、日本の税制が時代を先取りするどころか随所で時代に合わなくなり、再設計をせずこのまま行くと暮らしや企業活動を惑わし、課税の公平も揺らぐことを示している。

日本人としては見逃せない内容である。今後に注目したい。

「税制や規制は誰のためなのかそれを忘れた法は要らじを」

「役人が国や国民を見ず知らず己れを見れば国は滅ぶと」
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タグ: 税制



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