2015/4/28

変わる大学図書館  短歌

先日の新聞に「変わる大学図書館」の記事があった。全国の大学の図書館内に学生が議論したりパソコンで発表したりすることができるスペースの設置が進んでいるとのことである。文科省の調査によれば、設置数はこの5年間で4倍に増加しているそうで、特に私立大学での設置数が多いようだ。

この目的は、学生が主体的に学び課題を解決する「アクティブ・ラーニング」(能動的学習)へのニーズが高まる中、図書館を新たな学びの場として活用することであるらしい。内容的には、複数の学生が集まってパソコンなどの情報機器を使いながら議論できる「アクティブ・ラーニング・スペース」を設置したり、可動式のテーブルやホワイトボードのある「グループ学習室」や「プレゼンテーションルーム」の設置や公衆無線LANのWi−Fiの配備をしている大学もある。

そういえば我が母校においても2年前に、当時の学長が高名な図書館長を外部から招聘して図書館改革を実施していた。その中には、天井や床を含む部屋中のすべての壁面がホワイトボードになっていて柔軟な議論を促進するよう工夫された部屋もあったし、パソコンで必要な書籍や文献を検索したすぐ横でそれについて議論できるスペースも設置されていた。1階の玄関横に設置されたちょっとしたカフェも含めて、図書館には多くの学生が来るようになったということである。

我々の学生時代の感覚から言えば、図書館というところはとにかくたくさんの書籍があるだけで、研究論文を書く時だけ利用するところであり、利用するものは他者の妨げにならないようひたすら静かにしないといけない場所であった。ましてや、多くの学生がわいわいがやがやと議論をしたり語り合う場所だという観念とは全く逆の感覚を持っていた。

時代も変われば変わるものである。いや、時代というより発想を変えると言うべきかもしれない。学生たちにどういう学びの行動をしてほしいのか、という目的がまず明確にあって、その実現のためには図書館やその他の場所をどのように活用すべきか、とその手段を考えていけば自然にそういう形になったのであろう。企業もお役所も大いに見習うべき点がありそうである。

「学生が集まる場所へと図書館にカフェや議論の場所まで設置」

「図書館の既成概念打ち破り活動的な学びの場へと」
0

2015/4/18

小さな訪問者  短歌

夕方、留守番をしていたら何度か我が家のピンポンを鳴らす人がいた。

1番目は母がデイサービスから帰ってきた合図であった。2番目は母の注文していたお弁当が届いた合図であった。これらは想定していたものであったが、きょうはこれで終わりではなかった。そのあともう一回ピンポンが鳴った。

出てみると、何と小さな女の子が二人立っているではないか。用件を聞いてみると、「ここのワンちゃんの餌が切れたらこれをあげてください」と、コンビニ袋を差し出した。

何が起こったのか訳がわからないし、一瞬ではあるが子供を使った新手の押し売りかとも考えたので、色々聞いてみると、我が家の愛犬「カイ」がかわいいからこの餌をあげてほしい、ということがわかってきた。

二人は近くに住む6才の子供達で、よく我が家の前を通るときに、外に繋がれているカイ君を見て「かわいいな」と感じてくれていたらしい。

そうこうしているうちに節子さんと散歩に行っていたカイ君が帰ってきたら、小さな二人のボルテージは一気に上がった。

かわいいお友達に背中をナデナデされるカイ君も嬉しそうにしている。彼にも状況がわかるのだろうか。節子さんと相談のうえ、二人のご厚意はありがたくいただくことにした。

住所や電話番号を聞いてもわからないから、二人の名前と父親の名前だけ確認して、ありあわせのお菓子をあげてさよならをした。

留守番をしていたら、実に想定外の嬉しい訪問者に会うこともあるものだとつくづく感じた次第である。

「愛犬の幼き友ら二人して目線を落とし呼びかくるなり」

「我が家なる犬には幼き友のあり背中撫でたり餌をくれたり」

「幼きの損得抜きの行動の長じたるとも不変を願ふ」



0

2015/4/16

生駒山から我が家を眺める  短歌

元々の予定では昨日は親友三人と百名山の一つである伊吹山に登るはずであったが、私に緊急な事案が生じたため急遽計画を変更してもらうことになった。伊吹山に登る目的は、今年の9月に最北の百名山「利尻山」に登るための強化トレーニングの一環である。

予定がポッカリと空いてしまった親友三人は、行き先を北摂のポンポン山に変更している。私も後れをとるわけにはいかない。さりとて急用をこなすためには14時までには自宅に帰っていなければならない。そこで考えたのは、目の前の生駒山に登ることである。幸いにも天候はまずまずの見込みである。小さなリュックに弁当と飲み物を詰め込み、早速わが家を出発した。

今回はわが家を出発点として、電車は使わず全コースを自分の足で歩くことに決めた。足は生駒駅から宝山寺へと延びる表参道の中腹へと向かう。これは初めての試みであったが、何とかうまく宝山寺のすぐ下で表参道と合流できた。そこからは何度も歩き慣れた道である。平日のため登山者も少い。自分のペースで登れるのがありがたい。いつもそうだが、一人の時はどうしても早足になる。

平日にもかかわらず山頂の遊園地は小さな子供を連れた若い母親達が結構いる。アナウンスによると、強風のためー部の遊具は運行を見合わせているようだ。そんなこんなを見たり聞いたりしながら早めの弁当をほおばる。

風のせいか寒くなってきたので早々に下山を開始する。下り始めてすぐの、ケーブル線の「梅屋敷駅」の付近から眼下を見下ろしたら、何とわが家が肉眼で確認できるではないか。もう少し下の宝山寺付近からは見えることはわかっていたが、ここから確認したのは初めてである。

そこで撮影したのが添付の写真である。1枚は肉眼での見え方とほぼ同じくらいの遠望、もう1枚はその拡大画像である。午後からの用件を思い出したので写真を撮ったあとすぐにそこを立ち去ったが、いい記念になるひとコマであった。

「久々の生駒の山の風強く春なほ遠きことを恨めり」

 ケーブル線「梅屋敷駅」付近からの我が家周辺(遠望)
クリックすると元のサイズで表示します

 「梅屋敷駅」からの我が家付近の拡大画像(中央の三角屋根)

クリックすると元のサイズで表示します
0

2015/4/8

国会議員の力は落ちたのか  短歌

先日の新聞に「国会議員の力が落ちた」という記事が掲載されていた。県会議員が国会議員を軽視したり当てにしなくなったという分析をもとに「定着する県高国低」という表現もあった。

これは間違っている、と感じた。というのは、その記事の指摘は「政局」の局面からのみ見た見解であり、少なくとも国民や県民の立場に立ったものではないからである。

思うに、国会議員の役割とは何なのだろうか?選出された地域の利益に貢献することももちろんないとは言えないが、それだけではないはずである。それだけでは県会議員との違いはない。

国会議員だからエライというのではなく、国会議員としての本来の役割を忠実に果たしてほしいだけである。それは、言うまでもなく専らこの国のありようを考えることに他ならない。

橋下徹さんが主唱する「大阪都構想」は国と地方自治体との役割の重複を拝して無駄のない効率的な行政とサービスの枠組みを作り直そうということだが、当然ながらそのことは前述の議員における役割の重複を是正することにつながる。

統一地方選挙の季節がきた。是非とも将来の日本を見据えた長期的な視点からの選択をしたいものである。

「内向きの見方は捨ててこの国の未来のために目は外向けよ」

「行政の無駄省くには縦割りの仕組みを壊し建て直さねば」

0

2015/4/3

「ルクア1100(イーレ)」に幸あれ  短歌

先般もここでJR大阪駅にある「JR大阪三越伊勢丹」百貨店の名称変更のことを書いたが、その店が昨日リニューアル開店した。まだ2日目だが、その評価はなかなかのものである。開店前には2000人もの客が列を作ったので、店側では開店を45分も早めたということも聞く。「イーレ」の「1100」とは、専門店の「せん=1000」と百貨店の「百=100」を組み合わせたものらしい。ドイツ語では「あなたの」という意味があるそうだ。

報道によれば、好評の最大の理由はどうやら店の雰囲気づくりや品ぞろえや価格戦略などで徹底した消費者目線を持ち込んだ「マーケティング」にあるようだ。聞けば、その店舗開発担当責任者は駅員出身の女性次長だそうである。彼女は、他店やその売れ筋商品などの特長や実情を詳しく調査分析したらしい。

メーカーにあっては当たり前のことを、とにかく他店よりも目新しいもので勝負しイケイケで前へ進むだけで後ろや横は見ず他店の実情などは気にもかけないという風潮のこの業界にあって、それを愚直にも打ち破ってオーソドックスに「お客さま」を見たのがよかったようだ。

彼女はまた、お客さまの声にも素直に耳を傾けて、なぜ「JR大阪三越伊勢丹」に来ていただけなかったのかも丹念に聞き出したそうだ。その中で、新しいもの好きで他の人とは違うものに惹かれやすい関西人向けの品揃えをするために「日本初」や「西日本初」の商品や専門店を半分以上揃える構成にしたそうだ。

考えれば、大阪駅周辺には阪急、阪神、大丸百貨店のほかグランフロント、系列の「ルクア」など大型商業施設がひしめき合っている。そこで他店と同じような商品を出しても、価格競争になるだけでありとても魅力ある品揃えとは言えない。しかも合理的・現実的で、東京人とは違う感性の人達を相手にお高くとまっているような店構えでは客足が遠のいたのは言うまでもない。

3年前の店が流行らなかったのは、何も店名だけではなく、やはりお客さまを見てお客さまの目線に合わせる店舗づくり、品揃えができていなかったことが原因であることがより明確になったようである。

「店名も品揃へも変へ改装す出直し店に幸多かれと」

「何ごとも消費者目線で考へてお客に添へば受け入れらるる」
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ