2015/3/19

「桐蔭高校」という校名の由来  短歌

我が桐蔭高校のセンバツでの第1回戦の組合せが決まった。大会2日目の3月22日(日)の第1試合で、相手は強豪の愛媛県立今治西高校である。相手にとって不足はない。大会開始後初めての日曜日ということもあって、観客はさぞや多いことだろう。

ところで、紀州藩の藩校の流れもくむ県立和歌山中学を母体とする我が桐蔭高校の名前は、戦後新制高校になってすぐにつけられたものとしてはハイカラ過ぎてとても県立高校のものとは思ってもらえず、「どこの私学ですか?」と聞かれることが多くて辟易としている。そこでその校名の由来を調べてみようとした。

ところが私より先に同じことを考えた3年先輩がいて、関係者に教えてくれた。それによると、戦後の教育改革を主導したGHQが、旧制和歌山中学が「文武両道」でにおいてあまりにも県内で突出したエリート校であったため、和歌山を代表するような名前を認めなかった、というものである。特にGHQにとっては、真珠湾攻撃の際の駐米大使の野村吉三郎氏も、大使館参事官の井口貞夫氏も共に和歌山中学の出身者であり、和歌山という名前を有名校にはつけたくなかったという背景もあった、と伝えられている。

和歌山中学は明治12年創立だから今年で創立136年となる。野球だけでなくボートなどのスポーツでも全国有数と言われた時期があった。野球については、昭和天皇が皇太子の時代に和歌山中学の試合を観に来られた際に造られたコンクリート造りの天覧席が今も残っている。地元ではそれほど格別な存在だったのである。

大先輩には南方熊楠(博物学者)、高橋克己(農学者、ビタミンA抽出)、小川琢治(京大教授、貝塚茂樹・湯川秀樹さんの実父)、有吉佐和子(作家)、井口新次郎・小川正太郎・西本幸雄(いずれもプロ野球、野球殿堂入り)、西田修平(棒高跳びメダリスト、後に日本陸連理事長)、最近では黒沢良(俳優・声優)、竹中平蔵(元・金融財政担当大臣、慶大教授)などがひしめいている。

こういう校名の逸話や「文武両道」の校風を持つ伝統校のチームとして、恥ずかしくないゲームを期待したいものである。

「和歌山の伝統名誉を継ぎたるを力に変へて感動を呼べ」

「和歌山に文武両道継承す桐蔭高の夢よ再び」
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2015/3/16

JR大阪三越伊勢丹の名前が変わるぞ  短歌

前にここでも指摘したことがあるが、大阪駅内のデパートである「JR大阪三越伊勢丹」が業績不振からの脱出のため、売場などの大改築と共にこの4月から店の名前を「ルクア1100(イーレ)」へ変更すると報じられていた。当然の判断だと思う。

だいたいから、様々な合併や統合が当たり前となった時代にあって、会社名としてならともかくも、あの名前はお客さまに直接的に関わる店の名前としては単純に考えても長すぎる。その名前にこだわってきた理由は、お客さまのことをないがしろにして、自分達のこと、つまり内部にしか目が向いていなかったことしかない。要は「殿様商売」だったということである。

消費者目線の欠如したビジネスの衰退は過去の事例を見れば枚挙にいとまがない。彼らはそれすら学んでいなかったのだろうか?だとしたら、その理由は何だろうか?私が思うに、結局は官僚主義の横行であり、そのまた原因は失敗や責任を避けようとする意識のはびこりであると考えられる。

もしそうだとしたら、あのデパートは店名を変えるだけで立ち直れるのだろうか?私は難しいと考える。その理由は、人事評価制度にしても何にしても、「ハードウェア」だけをいくら変えても運用などの「ソフトウェア」を変えなければ何も変わらないことからも窺える。

要は、経営不振の真の原因に気づいて、全従業員の意識を変える施策を本気でやるしかない。大阪の玄関口の老舗デパートのV字回復に期待したい。

「いつまでも老舗の価値にすがらずに時代の変化しかとつかめよ」

「いいかげん内向き志向を投げ捨てて顧客を向かねば明日は来るまじ」

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2015/3/14

農協改革への支持率は56%  短歌

ニュースで政府による農協改革案への支持率が56%はだと報じられていた。報道のニュアンスとしては意外に高くなってきたというものであったが、私にすれば当然の結果だと考える。

いやむしろまだあちこちに抵抗勢力が頑張っていて、足を引っ張っているために支持率を引き下げているに違いない。それも考慮に入れると、国民の大半は賛成していると考えて差し支えないだろう。

思えば、農協は日本の農業を弱体化させてきた張本人である。彼らは政府や与党の族議員達と結託してばらまき行政の先兵の役割を担ってきた。いや、より正しく言えば、設立当初は恐らく一定の役割を果たしてきたのだろう。

しかしながら、明治維新から150年も経とうとしているこの時期、農業の技術や、日本および世界の環境や各国との関係が大きく変化している中にあって、農業や農協のあり方がそのままでいいはずはない。

今や農家は農協の会員の半分にも満たないし、農家を指導する相談員の数は減る一方だそうだ。にもかかわらず農協の改革に反対する人達は何のために反対するのだろうか?

それは現行の体制によって何らかの既得権益を享受しているからに他ならない。消費者や国民のことよりも自分達の利益を優先する輩に農業を任せるわけにはいかない。これは「岩盤規制」の一角にすぎないが、ひとつひとつ改革してつぶして行くしかない。抵抗勢力に負けてはなるまい。

「明治より百四十年の月日過ぎ国を支へる仕組み変へなむ」

「いずこにも改革阻む輩あり抵抗勢力と呼ばれはびこり」
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2015/3/11

OB会活動のあり方  短歌

卒業大学のOB会活動をしていて感ずるのは、OB会のあり方が大きく変わりつつあるということである。

それはOB会の会員の年令構成が、20代から80代までの60才もの年齢差があるということにも起因している。しかも我が母校の場合は他学部との統合や学部の新設などのためにキャンパスが移転したのだが、それから既に30年近く経って新キャンパスでの卒業生の割合が半数を超えるまでになってきたこともある。

となると、OB会の活動も旧のキャンパスを懐かしみ、昔を偲ぶだけの活動では受け入れられなくなってきているのである。もとより、風土やカルチャーというものは組織よりはその土地に帰属する、と言われているから、OB会の風土も大きく変わったと考えねばならない。

また学内の現状に目を転じても、地方の国立大学とりわけ経済学部の存立の危機は全国的にもひしひしと押し寄せている。また学部のことを考える前に学部横断の全学的なことを優先する機運が増大している。これに伴い、従来は学部ごとに活動してきたOB会も「全学同窓会」の中の一環として扱われる場面が増えてきた。

私はそういう時期にOB会の幹部を引き受けたわけだが、ふと考えれば現役時代もそんな役割を担う場面が多かった気がする。

家電製品が急速にIC化、マイコン化するなか、技術者にそれを教育する役割の一端を担当させていただいたし(そのカリキュラムは30年後の今も使われている)、1年間に二万人も被保険者が減る中で健保組合の財政再建と事業構造改革の役割を果たすために健保に出向したこともあった。

どうやらそれが私の使命ならば、その実現のため精一杯の力を振り絞るしかないようだ。やるしかない。

「いつの世も時代の変はり目担ふ役それが己れの役割ぞとや」

「大いなる時代の変転進むるは今も昔も私の役目」
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2015/3/7

トチ狂っている荒井奈良県知事  短歌

今日の新聞で、奈良県の荒井知事が関西広域連合に「観光」と「防災」の2分野に限定して「部分参加」する意向を表明したことが掲載されていた。あきれ返ってものが言えない。関西広域連合が発足してから4年余り経つが、荒井知事は一貫してそれを批判し否定してきたではないか。

否定や批判の理由は「屋上屋となるうえ、国の出先機関の移管は困難」というものだったが、その理由のどこが変わったのか。環境条件は何も変わっていないのに、急にそんなことを言い出する理由は明白である。それはこの4月に予定されている知事選挙対策以外には考えられない。

思い返せば前回の知事選でも、広域連合への参加を公約とし投票の1ヵ月前に出馬した候補者にあわやというところまで追い詰められて辛うじて当選を果たしたものの、県北部の奈良市や生駒市では新人候補のほうが優勢であった。今回は8年間の市政で実績を挙げた前生駒市長が知事選に立候補したので、広域連合参加を公約とする彼に引き離されないための必死の政策転換である。

もとより現知事は総務省の出身であり、県民よりは中央の省庁を向いてきた人物である。ところが選挙で負けそうになっただけで自分の信念も何もかも振り棄てて迎合するそんな人物に、もう奈良の県政を任せておくわけにはいかない。

ただでさえ人口が減る一方で、県外就業率が日本一で、あの手この手で国内外から観光客の誘致に成功している京都に置き去りにされ、これという軸になる大きな産業も育ててこなかった奈良県は、中央の顔色ばかり見ている傀儡の知事を必要とはしていない。いやむしろ、これまでの失政の責任を県民に対して詫びてほしいくらいである。

人間というものは、追い詰められたときにこそその本性を表わすというが、まさにそのとおりである。せめて最後くらいは潔く振舞ってほしいものである。

「死に際の潔さこそ大切にこれぞ武士たる者の道なれ」

「県民を見ずに中央官庁を見て政治する人の末路よ」

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